ドラゴンの始祖・Unknown②
優しい父様、いつも私に優しく笑いかけてくれる。
優しい母様、いつも私を優しく抱きしめてくれる。
まだ私がとても幼かった頃、
朝目を覚ますと、必ず母様の作る朝食の良い匂いが部屋に満ちていた。
私は思わずなりそうになるお腹の虫を押さえて、目をつむったまま寝たふりを続ける。
やがて遠くから母様がなにか言っている声が小さく聞こえてくると、しばらくして父様が、私の部屋に歩いて来る柔らかな足音が聞こえる。
『―――。もう起きる時間だよ。母さんの朝ごはんが冷めてしまうから、我慢して起きておくれ。』
そう父様が呼びかける声に知らん振りを決め込んでいると、いつも父様は静かに私のベッドの脇に腰掛けて髪を優しく撫でてくれた。
それがくすぐったくて気持ちよくて、うっすら目を明けて父様を見つめると、決まって優しげな目が私を見つめている。
『おはよう。―――。』
『おはよう父様。』
そう言って父様の手に自分の手を重ねると、父様の手はごつごつしていて、温かくて、なんだかとても安心した。
誰かに守られているという安心。
大好きな人がすぐそばにいるという充足感。
人生で一番幸せだった時はいつだと問いかけられれば、私はこの時を選ぶのかもしれない。
歳を7つ数える頃、私は両親が仕事に出ている間にこっそりと父様の書斎に忍び込むようになった。
父様の書斎はなんだか不思議な匂いがする。
木の匂いに本の匂い、日に温められた革張りの椅子の香りが入り混じった優しい香り。
一歩書斎に踏み込むと、私はまずそこに充満している乾いた柔らかい香りを胸一杯に吸い込む。
たちまち私の肺がその部屋の空気に満たされるのを感じると、なんだか自分がそこの一部にでもなってしまったような錯覚に襲われて、なんとも愉快だった。
自分が書斎の一部になったら父様はどう思うだろう?
あれやこれやと考え、自分の想像にクスクスと笑いながら、私はくるくると父様の革張りの安楽椅子を回転させて遊んだものだった。
そうしてしばらく椅子と一緒に回転しながら様々な事に考えを巡らせた後、私は椅子を降りて壁に掛かった一枚の絵の下へ向かう。
草原に佇むドラゴンの絵。
何度見てもため息が出てしまう程美しいドラゴンの絵だった。
タテガミは海のように蒼く、瞳は空のように青い。
じっと見つめていると、その目に引きこまれてしまうのではないかと思うほどに深い眼をしていた。
ドラゴンが佇む草原は鮮やかな薄緑に染め上げられ、まるで緑の海原のようだった。
何かしている途中だったのだろうか、ドラゴンは僅かに横を向いた体をそのままに、首だけをこちらへと向けじっと見つめてきている。
銀色に鈍く輝く鱗に跳ね返る日の光りがとても鮮やかで、きっと実物を見たら私の目は潰れてしまうのだろうなんて思ったものだ。
何秒でも何分でも、何時間でも私は飽きずにその絵を眺めて過ごす日々を送った。
絵の中のドラゴンに幼い私は恋をしていたのかもしれない。
ドラゴンに向けて何事か語りかけていたような記憶もあるし、覚えていないがキスくらいだったらしていた可能性もある。
その頃丁度、母様から文字を教わり初めていた私は、絵を眺めていないときには父様の書棚をひっくり返して、ドラゴンに関する書物を字引片手に読み漁る事に時間を費やしていた。
ダグラスの事務官として働く父様の部屋には、ドラゴンに馴染み深いダグラスならではの書物が溢れんばかりに押し込まれており、私にとってそこは退屈する事の方が難しい、まるで楽園のような場所だった。
そうした穏やかな日々が一年も続いたある日、仕事場の都合でいつもより早く帰宅した父様が見たものは、書斎に入り浸って一心不乱に、大の大人でも教養が無ければ一ページすら読み解く事も難しい分厚い本を読んでいる私の姿だった。
父様が息を呑む音に驚いて振り返った私はきっと泣きそうな顔をしていた事だろう。
黙って父様の書斎に入っていた事に、幼いながらも少々の罪悪感を感じていた私は、当然父様が私の悪戯を怒るものだと思っていた。
ろくに怒られた事など無い程甘やかされて育った私だったが、だからこそ余計に父様や母様が怒る姿に恐怖を感じていたのかもしれない。
俯き、震える声で必死に父様に謝っていると、ゆっくりと近づいてきた父様は予想外に優しい声で私に一言尋ねた。
『―――。お前は、ドラゴンが好きなのかい?』
私はその時なんて答えたのだろう。
てっきり怒られるとばかり思っていたのに、父様が優しい声を出した事に驚いて、何も言えなかったのだったか。
それとも、『はい』と正直に答える事が出来たのだったか。
今となってはもう思い出せないのは、その時それだけ私が動揺していたからかもしれない。
それを機に父様は私の才能を見出し、8つを迎える年にダグラスの貴族が通う学校へと私をなんとか入れてくれる事になった。
王城勤務とはいえ決して位の高くなかった父様のお給金では、きっと相当な苦労をしての事だったろう。
私が学校へと入学してからというもの、暫くは家の食卓が少し質素になったような記憶もある。
今思えば、父様や母様の着物はそれ以前に比べて、新調される機会がめっきり減ってしまったような気がするし、実際そうであったのだろう。
それでも幼い私が、その当時罪悪感を抱かないほどに父様と母様は上手に家計をやりくりしていたようで、私は無邪気なまま毎日与えられる新しい知識に嬉々として舞い上がり、次々にそれを欲した。
入学から数ヶ月経った頃には学校長にその才を見出され、その2年後には飛び級につぐ飛び級で大学校に入学を果たし、私は一躍世間の注目を浴びる神童として騒がれる事になった。
私は細かい事は分からなかったが、しばらくしてダグラスの政治の仕組みを詳しく調べて見ると、かなりの高額な奨学金が支給されていたらしい。
それを知った時には、父様と母様に恩返しが出来たようで、誇りで胸がはちきれんばかりだったものだ。
やがて私は2年半ほどで学科受講の必要無しと判断され、異例の速さでダグラスの大学校を卒業する事になった。
与えられた地位はお飾りのようなものだったが、それでも農業技術に関心を持って書いた論文が認められた事で、小さな専門の研究室と、助教授としての肩書きを持つ事が出来た。
背負わされた期待も大きいものだったが、その地位から安定した収入をえる事ができるようになった事で、私の家族の暮らしは一気に向上した。
母様はそれまで続けていた外での仕事をやめて、家事に専念する事が出来るようになったし、私の知名度が良い方向に働いて、父様も一層出世をする事が出来た。
なによりも嬉しかったのは、研究者として、王立図書館での閲覧制限が一切なくなったことだ。
一般の人では背表紙すら目にする事が出来ない、数々の禁書に触れる事が出来る特権。
私は一日のノルマを達成するたびに、飛ぶようにして図書館へと足を運び、研究に必要そうな文献を探す片手間、ドラゴンに関する書物を読み漁った。
ダグラスの王立図書館が所有するドラゴンに関する本は想像を遥かに超す量で、私はいつも日が暮れるのにも気付かず、文字を目で追う作業に夢中になったものだ。
その膨大な量の蔵書を読みながら、いつも胸の中にあったのは、どうすればドラゴンに会えるのだろうかという事。
銀色に光り輝く美しいドラゴン、一目で良いから会ってみたい。
彼らが何を考えて生きているのか、何を食べて生きているのか、どのようにして寒い冬を越すのか、何故彼らは人から逃げるようにして深い山中で暮らすのか。
何故その叡智と力を駆使して地上の征服者となろうとしないのか。
想像は膨らんで尽きる事がなく、一人書庫に篭って頬を緩ませるのを我慢する事が私にはどうしても出来なかった。
そうした日々を過ごすうちに、やがて私はドラゴンの魔法に目をつけた。
彼らが巻き起こす不思議な現象は、直接それを見た事がない私にはまるで夢物語のような話ではあったが、だからこそその秘密に少しでも迫ってみたいと思う欲求は日に日に大きくなっていった。
彼らの魔法の影響は実に多岐に渡る。
荒廃した大地を緑溢れる豊かな土地に生まれ変わらせた例もあれば、怒りで火山を噴火させたという逸話まである。
風や水を器用に操り、魔法を使って未来を予見することすらできると言った話もあった。
人の知恵や労働も、自然を変化させるという意味ではドラゴンの魔法に通じるものがあるように私には感じられたが、瞬間的な規模で言えばドラゴンのそれとは比べ物にならない。
人の知恵はどちらかというと自然が起こす変化に柔軟に対応しながら、それを利用して時間を掛けて結果を得るものであったが、彼らは物そのものの構造を劇的に変化させる。
いったいこの力は何なのだろう。
当時の私には性質の悪い手品でも見せられているかのような心境にさせられたものだ。
彼らの使う力にある秘密を調べるために、私は少ない休暇を全て、ドラゴンを実際に目にした事があるという人物を訪ねる事に費やした。
若い私の事を軽視して、とんだ法螺を吹かれる事もままあったが、ある時一人の人物から興味深い話を聞く事ができた。
『彼らが私を助けるために、人が浮くほどの大風を吹かしてくれた時だ、私はそのドラゴンの鱗がパラパラと剥がれ落ち、一瞬にして一周りほども大きくなる姿を見たのだ。』
この話は強く私の興味を引く事になった。
魔法を使う事で体が成長する?
大急ぎで王立図書館へと書け戻った私は、その話の真偽を確かめるたびに数ヶ月を費やして書庫の中身を改めて読み返す作業を始めた。
ほとんどの文献には、彼らが如何に強大で壮絶な魔法を操るかを煌びやかな言葉で祭り上げるのに夢中なようだったが、その中で数冊、手がかりになるかもしれないものを探し当てる事が出来た。
その中で書かれていたのはドラゴンのいまわの際の描写だった。
年老いた巨大なドラゴンが、そのどの固体にも違わず魔法を使った瞬間に崩れ落ちるように死んでいる。
生命力を糧にして、様々な現象を引き起こしているのか?
直感的に私はそう感じたが、しかし生命力を使うのであれば逆に体がしぼんでいってしまっても良さそうなものだ。
非常に近いが何かが違うと考えた私は、貴重なドラゴンの白骨遺体が収められている博物館への調査研究依頼を申請し、直接ドラゴンの体について調査研究を進める算段をたてた。
数の少ないドラゴンの遺物だ、予想はしていた事だがその後一年間に渡って調査の許可は下りず、私は悶々とする日々を過ごす事となった。
その間私は農業技術の開発に明け暮れ、神童として背負わされた期待に見事に応える事で研究者としての地位を一層確かなものとし、より強い権力をその手中に収める事に成功した。
沼地干拓技術に関する提言1本、農業用肥料改良に関する提言3本、耕作用具改良に関する提言4本、農業用水引き入れ量と分配量・分配方法に関する提言1本、新種根作物導入に関する提言1本、新種根作物品種改良に関する提言3本、既存作物栽培方法改善に関する提言3本。
寝る間も惜しんで他の研究者達が泡を吹いて倒れる程の勢いで次々と論文を発表し、そのどれもが大きな注目を集め、数年後には莫大な効果をダグラスへともたらすものとして持て囃された。
それも全てはドラゴンの遺体を調査するために。
ドラゴンの遺体を研究し、彼らの魔法について紐解く事がダグラスの一層の発展に繋がる可能性があると嘯き、王に直接嘆願書まで提出した。
青二才の戯言と一笑に付されても仕方がない内容の嘆願書ではあったと思うが、それまでの研究成果が私の強い後ろ盾となってくれた。
あいつが言うならば、もしかしたら本当かもしれない。
そう思わせるだけの実績を私は積み上げた。
やがて念願叶ってドラゴンの骨の調査研究許可が送られてきたときには私は母様と小躍りして喜んだ。
父様は娘の努力に感動した様子で目にうっすらと涙すら浮かべて私を抱きしめ、私を生んだ事を心のそこから誇りに思うと言葉を掛けてくれた。
嬉しかった。
母様の笑顔も、父様の言葉も、周りから認められる事も。
・・・私の研究室に、大層な梱包をされて届けられたドラゴンの骨を初めて手に取ったとき、何よりも驚かされたのはその巨大さに見合わぬ異様な軽さだ。
初めは空を飛ぶために、鳥のように骨の密度が異常に低いのかとも思ったが、研究を進めるうちにどうもそうではないようだという見解に達した。
このような密度と強度では、彼らは地上では決して行動する事が出来ない。
一歩あゆみを進める毎に、巨大な体を支えきれない骨は大仰な音を立てて折れる事になるだろう。
筋肉によってその周りを固定するのだとしても、そもそもこんな強度では、あの巨体を動かすに足るだけの筋肉の収縮の圧力にすら負けてしまうのではないだろうか。
最初に送られてきた標本が年老いたドラゴンのそれであった事から、他の動物のように老衰で骨密度が下がっているのではないかとも思ったが、いくらか若いドラゴンの骨に関しても同様の事が観察された事で私はその説を否定した。
何が、彼らの体をこれほどまでに蝕むのだろう?
毎日そのことばかりを考え、研究が暗礁に乗り上げ掛けていたその頃、ドラゴンを直接調べられる事の喜びと、まだ若く、日々新鮮な驚きに塗り替えられていく記憶の中に埋没しかけていた、あの話が突然脳裏に閃いた。
『ドラゴンは、魔法を使うたびに成長する。』
これだ、と私は半ば確信した。
彼らは、魔法を使う事でその質量をましているのではない。
巨大化、もとい肥大化してしまっているのではないだろうか。
高密度のものが大きく引き伸ばされ、その密度が低くなっているのではないだろうか。
成長という言葉に捕らわれていたが、そもそも成長というのは生としての前向きな意味ばかりが込められているものでもない。
『死へ向かう。』
そういう事なのではないだろうか。
そう考えつくと、ドラゴンの魔法に関して次々と仮説がたった。
彼らは、人よりも遥かに次元の高い高密度の魔法体なのでは?
ともすると一瞬にして外へと向けて暴発しかねない高威力の力を、なにかしらの力で抑え込んでいるのではないだろうか。
魔法に拠って引き起こされる現象は、その力を束縛する鎖が弾け飛ぶときの余波で、そもそも魔法というのは副産物的な代物なのかもしれないと私は考えはじめた。
その考えが脳裏に閃くと、すぐさま私は医療分野の知識を猛烈な勢いで収集する事を始めた。
ドラゴンの体に関する情報は当然として、虫、魚、鳥、犬、猫、様々な動物と、人。
先端医術ばかりではなく、オカルトめいたものや気に関するものにまで私の研究は及び、日夜食事を取る事すらも忘れて研究に没頭した。
そこで注目したのは、どの動物にも、個々に特徴的な第六感のようなものが備わっている事。
理論と知識だけでは説明が出来ないような現象や行動に、ドラゴンの魔法に通じる何かが潜んでいるのではないだろうか。
しかし人には、他の動物に比べこれが著しく欠如しているように思う。
人が人である事の最たるものは何だ。
人が進化の過程で失い、彼らが失わず、変化した形で人の中に残る残滓は何だ。
知恵か。
言葉か。
記憶か。
感情か。
その全てか?
全てのものは、全てのものへと帰結する。
知恵が言葉を生み、言葉は知恵を生む。
記憶は感情を煽動し、感情は記憶を呼び起こす。
文明は発想によって発展し、発想は文明によって様々に姿と流行を形作る。
この広い世界の様々な箇所で同時に発生し、進化し、多様化し、人種と呼ばれる隔たりを生み、体格や文化を異なるものとし、しかしそれでも、人が人を人足りうると判断するものは何なのだ?
恐ろしく哲学的な禅問答に私は日夜頭を悩ませ続けた。
おそらく解答は一つではない。
何か中心を据えなくてはならない。
中心を見つけるのではない。
きっと人は、その術をすでに失っている。
だから私は
言葉を全ての中心に据えた
愛していると、ドラゴンに伝えたかったから
私が
魔法を扱えるようになるにはどうすれば良い?
どうすれば良い?