ドラゴンの飼育係・偏屈家のグロアー
「グロアー様・・・。」
あぁこんな所を衛兵にでも見つかったら、いたいけで可憐な少女に不埒な行為をはたらいた不貞の輩と思われてしょっ引かれるんだろうなぁ、やるせないなぁ・・・。
たしかに私だってされるがままになってるんだから言い訳のしようがないっちゃないんですけど・・・。
それにしたってロリコンのいわれを受けて投獄されたくはないもんです・・・ヨシンに知られたらと思うと顔から火が出て、そのままコルコロイドごと焼き尽くしそうですよ・・・。
しかしフリル、いちいち誤解を受けるような行動をとらないでほしいもんです。
本当に迷惑だったらありゃしない。
一体全体この行為にはなんの意味があるっていうんでしょうねぇ。
こっちの常識なんて、そりゃもう太陽が400回はおはようございますとおやすみなさいを繰り返すくらいの時間を掛けて教え込んだっていうのに。
いやまぁ、たしかに恥ずかしがり屋さんで思慮深い私が、世の中の黒い、もといグロイ部分について、少女の様相を呈しているフリルに直接的な表現で持って叩き込まなかった事にも原因の一端はあるかとは思うんですけどね?
でもさ、無理でしょう?それこそ、そんな事を吹き込んでる現場を誰かに見られでもしたら、確実に強制わいせつ罪でぶち込まれると思うわけで――――。
「・・・?あの・・・グロアー様?」
僅かに戸惑いをその瞳ににじませながら、フリルが再びか細い声で呼びかけてくる。
「あぁーハイハイ、ちゃんと聞いてますよぉ。聞いてますから、人が気持ちよく太陽さんの日差しに感謝と感動をもってして昼寝をしている間に膝の上にまたがって、潤んだ瞳で、そりゃもう息がかかるとかそういう距離を飛び越えてその顔面を接近させてはいけません。おすわり、フリル。」
「・・・?・・・もう座ってます。」
「あぁーごめんなさいフリル。私が悪かったですねこれは。ハッハァッ、こいつぁー一本取られました。私からおりて地面の上に座りなさいといったのですよぉ。フリルや。普通ホイホイと人様の膝の上なんかに座ってはいけないんですよねぇ。・・・これは今までにも何度か教えた事のある件かとは思ったのですが?」
「・・・?ですから、グロアー様の膝に・・・。」
目じりにうっすらと涙を浮かべ、花のように可憐なその顔を泣く寸前の状態に仕立て上げて、フリルが訳がわからないといった困惑の表情を浮かべて見つめてくる。
どうでもよいが、・・・いやよくない、近い。
「・・・フリル、一つ聞いても良いですかね?」
「はい・・・。」
不思議そうな表情で小首を傾げてくる。
くそう可愛いじゃないか。
いや決してこれは私がロリコンであるからではないんですよ、エエ。
そもそも小さな少女に対して父性愛を持つ事すらも危険視するようになってしまった人間という種族が呪わしい、嘆かわしい。
何故不安に押しつぶされそうに震える、いたいけな少女の姿を呈している者に愛情を持って接してはいけないのだろう。
愛とは一体何なのだ?
愛とはそもそも、同年代の異性や、つよい絆で結ばれた家族等の間にしか生まれてはいけないものなのだろうか。
否、断じてそんな事はありえない。
愛とは正義である。愛とは強い力である。愛とは芸術である。動物であろうと、植物であろうと、思想であろうと、無機物であろうと愛してやまない道理があるか。
そう、これはあくまでも父性愛、その容姿がせいぜい12か13にしか見えない少女への温かくも、美しい無償の感情である。
そうあって欲しいと願う防衛本能で、自分を糾弾しようとする不貞な良心を殴り飛ばした。
「ひょっとしてですけど、ヒト様っていう方がいるんだと思っていませんか?」
「・・・違うのですか?」
「オォ、神よ・・・。」
グロアーは芝居がかった動きで額の前で手を組むと、まだ頭上に高い太陽に向かって祈りを捧げた。その様子を見たフリルは太陽とは対照的に、一瞬にしてその蕩けそうだった表情を曇らせた。
「・・・違うのですね。も、申し訳ございません・・・ヒクッ。」
「オオウワ!泣かないでくださいフリル!良いのですよ!私が悪かった!私の常識で物事を判断した事がそもそも浅はかだったのですよ!」
「グロアー様が浅はかであろうはずがありません・・・。グスッ。私がグロアー様の言葉から多くの事を推し量れない愚か者なのが、わるいのです・・・ヒグッ。」
「何を言うのですかっ。フリルはとても聡明ですよ!そりゃもう私が今までに接してきた幾百幾千という人間たちの誰よりもっ。」
「・・・本当ですか?」
「本当ですとも!僅か一年足らずで、最初は言葉すらも理解できなかったあなたがこうして立派に私と会話できている事がその証拠です。アナタはとても賢い。私の誇りです!ビバフリル!」
微笑んで頭を優しく撫でると、フリルは涙の跡が残る顔を嬉しそうにクシャッと歪めた。
「・・・ありがとうございます、グロアー様。泣いたりなんかして、申し訳ございませんでした。」
「あぁ気にする事ではないのですよフリル。・・・ふむ、ところで、人様というのは個人的な名前に敬称を付けたというわけではないのですよ。大方、世間一般にいる人間の事を指してそういうのです。」
「・・・?"人間"と"人"というのは別のものではないのですか?」
「あぁ・・・、言葉って難しいですよねぇ。そうなんですよ、一体全体なんのためだと言われると明確に返答する事は結構面倒なのですが、言葉には同じものを指していても違う表現をすることがままあるのです。」
「他にもあるのですか?」
「そうですねぇ・・・。例えばこの地面、時には大地と呼ばれる事もあります。私が持ち歩いている剣も、ツルギといったりすることがありますねぇ。」
「・・・難しいですね。」
フリルは眉をひそめ、不思議でしょうがないといった表情を浮かべる。その素直な態度に思わず頬がゆるんでしまう。
「人間はアナタ達よりも少し感傷にひたりすぎるきらいがあるのかも知れませんね。言葉が違うだけで、一つのセリフの持つ響きがまったく違うものに聞こえる。そう考えると同じものを指しているからといって、同じ意味を成す言葉というものは存在しないのかもしれません。」
補足説明のつもりではあったのだが、余計にフリルは困惑した表情を浮かべるだけの結果になってしまった。
結局今は理解しようとする事を諦めたのか、しばらくクルクルとめまぐるしく動かしていた尻尾をパタリと地面に落ち着かせると、ふわりとグロアーの胸にその体を密着させ、両腕をその脇から背後へと回しやわらかく抱きしめてきた。
「フリル・・・。前にも言いましたがホイホイと人の事を抱きしめてはいけません。その行為は一般的には・・・、そうですねぇ・・・何と言ったら良いか・・・、生涯を誓った男女が行う神聖な、といったら大げさですが、とにかくまぁそういったものなのですよ。」
「・・・?では私はグロアー様に生涯を誓います。これでよろしいですか?」
キョトンとされて言われても非常にこまる。
「いえいえ、よろしくありませんよぉ。言葉で誓いあうだけではなかなかどーして、不完全なのですよ。まぁ言葉が無くても駄目なのですがねぇ。」
「では、どうすればよろしいのですか?」
ううむ、セリフに疑問符の多い子ですねぇ。
日常茶飯事の事なので慣れてはいるものの、具体的に返答が出来ない、もしくはし辛い質問が来ることもしばしばですね。今回もいまいち説明できる自信がない方向に展開しそうな会話です。
「そうですねぇ・・・。まぁ愛が必要かもしれませんねぇ。それも双方からの愛です。愛っていうのは、前に教えた大好きというのと似たような言葉ですね。病める時も健やかなる時も、お互いを支えあい、何よりもその相手を大事にし、慈しみ、愛し合う心が。」
「・・・?それなら私はグロアー様の事を愛しております。グロアー様も私の事を愛して下さっています。」
「あぁ、神よ。私はどうすれば良いのでしょうか・・・。」
当然といわんばかりの様子で、きっぱりと言い切るフリルに、ただ天に向かって神に答えを求めるだけしかできなかった。
別にフリルからの愛もフリルへの愛も否定するつもりは毛頭ないが、細かなニュアンスが伝わっているとは到底思えない。
言葉って難しいですねぇ、と内心ため息をつきながら、グロアーはひっしとしがみつくフリルを引き剥がす為にその後、1時間を要した。
「ところでフリル、これから行くチェンツという街の事は話したことがありましたっけ。」
「いいえ、グロアー様。」
「ふむ、今回の出発はまぁ慌しかったですからね、失念していました。申し訳ない。チェンツという街は、そうですねぇ・・・まぁ一言で言えば商業街といったところでしょうか。活気に溢れた良い街ですよぉ。」
昼食の後の昼寝から目覚めて約2時間後、グロアーとフリルは自宅のあるボルドから馬で10日のところにある街道沿いを、のんびりとで進んでいた。少し太陽が傾いてきていたが、それでもまだポカポカと暖かい。この調子なら特に急がなくても、日暮れ前までには目的のチェンツの街へ到着できそうだった。
「商業街・・・。お店がいっぱい集まっているのですか?」
「そうですそうです賢いですねぇ、ボルドにも商業区というのがありますよね。あれのでっかい版です。」
「ボルドの商業区よりも大きいのですか・・・。」
目を大きく見張り、フリルが感嘆の声を上げる。
「そうですねぇ、街自体の規模もボルドより幾分大きいですし、お城だの公園だのもなくて、そのぶん大小のお店が所狭しとひしめき合ってるんです。」
「お城も公園もないのですか・・・。ではどうやって政治を行ったり、散歩をしたりするのですか?」
「政に関しては、うーん・・・そうですねぇ、形式上は、昔ボルドも属していたダグラスという国から命が下る事になっているんですが、実際は自治組合という、チェンツの都市の有力者達が話し合って決定するんですよ。散歩は・・・たしかにしにくいかもですねぇ・・・。」
「散歩ができないのですか・・・。」
フリルの表情がにわかに曇る。散歩が大好きなフリルである。ボルドでの滞在に暗雲が立ち込めた事に、先ほどまでのフワフワした楽しげな雰囲気にさっと影がさしてしまった。
「いやいやっ、出来ないというわけではないのですよぉフリル。たしかにボルドのように大きな公園があるわけではないですから、いつもの様に動物をはべらして大行進するわけにはいかないでしょうが・・・。」
「・・・公園がなくて、どのように散歩をするのですか?」
「様々なお店をみて回るのですよ。ボルドにはたくさんお店がありますからねぇ。全部のお店をじっくりみて回ったらそれこそ一月では足りないくらいです。たまにはお店をみてまわるのも面白いものですよぉ。チェンツンツには隣国のファルデルやゴラン、アルゼール山脈を越えた所にあるフェストから商業街道が繋がっていますから、そりゃもう様々な品物で溢れかえってワンダフルに楽しい街です。」
「でも・・・噴水も林もないのではないですか?」
寂しそうにフリルが呟くが、グロアーは微笑みながらその頭を優しく撫でた。
「そんな事ありませんよフリル。確かにボルドと違ってチェンツには街の中に林はありませんが、そもそもが広大な森を切り開いて作られた街なんです。ボルドほどすぐに行けるわけではありませんが、少し歩けば街の外は一面が木に埋め尽くされているんです。それに街の中心にはそれはもう立派な、ボルドにあるものよりもずっと大きい噴水が作られています。」
「森と、噴水があるのですか。」
頭に添えられたグロアーの手に柔らかく自分の手を重ね振り返り、キラキラとした目でフリルが見つめてくる。その様子に思わずグロアーも温かな気持ちで満たされた気分になった。
「ええ、それだけではありませんよフリル。街を縦に横断するように、アルゼール山脈を水源とする大きな川が流れているんです。元々が水運とそれによって運ばれる木材を売りとしていた街ですし。きっとフリルが見たどの川よりも広い川幅のはずです。船という川に浮かぶ乗り物がたくさんあって見ていて飽きないですよ。様々な種類の魚もとれるんです。おいしいですよぉ。ボルドの魚は。私はユグという名前の白身魚が大好物です。シルルの実をグツグツに込んだソースをたっぷりかけて食べるのが最高です。甘酸っぱくて柔らかな食感に、十日間は食べ続けても飽きないほどですよぉ。」
「わ、わたしも食べてみてよろしいでしょうか!?」
ボルドを出てからの十日間、味気ないパンばかり口にしていた事も手伝ってか、フリルにしては珍しく興奮気味に頬を上気させて尋ねてくる。
「当たり前じゃないですか!そらもうお腹がはちきれるほどにご馳走しますよ!」
「はちきれてしまうのですか!?」
顔に縦線を数十本は引こうかという勢いでフリルが青ざめた。
「ああいや!失礼!今のは例えです。それくらい、満足いくまで食べて構わないということですよぉ。」
「ご、ごめんなさい。また勘違いをしてしまいました・・・。グロアー様の優しいお言葉を・・・私は・・・私は・・・。」
「これこれフリル、すぐにそうやって自虐モードに入る癖は直しなさい。私の心がもたない。そりゃもうグラスハートと呼ばれても差し支えない程に。」
「も、ももももうしわけ・・・ありませ・・・ヒクッ。」
「おぅ!?泣かないでくださいフリル!あなたがあまりにも聡明なので、つい私が思慮にかける言葉を選んでしまうのが悪いのですよ!あなたはまったく悪くありません!」
「グ、ググ、グロアーさまが・・・グスッ・・・思慮に欠けるはずがありませ・・・ヒクッ・・・わ、わた、私が・・・ヒグッ。」
「ほらフリル!誇り高いドラゴンの一族であるあなたがそんなにメソメソしていてはいけません!私はドラゴン大好きなのですよぉ。大きいですし、強いですし、ブレスなんか吐いちゃいますし、空だってビュンビュンで、風まで操れちゃいます!もう地上最強!神様といっても差し支えない!憧れてしまいます。だからフリル。私が大好きなドラゴンである貴女が悲しんでいると私まで悲しくなってきてしまいます。お願いだからその涙を拭いてくださいな。」
「・・・だいす、き?」
フリルは俯いたままピクリと肩を震わせ、嗚咽を突然とめた。抱え込むようにして鞍の前に乗せているのでその表情はうかがい知れないが、長い髪の僅かな隙間からみえるその頬は真っ赤に染まっているようにも見える。
「え?ええ、ドラゴン大好き・・・オブッ!?」
訝しげに答えようとするグロアーは突然グワァと鞍の上で器用に反転し、抱きしめてくる、もといボディアタックと言った方が的確なフリルの抱擁にもんどりうって馬上から転げ落ちた。
「嬉しい・・・グロアー様・・・。大好きって、言ってくれて・・・。」
「ぐぅ・・・?あのぅ・・・フリル、あなたは何か勘違いを・・・。」
「大好きです、グロアー様・・・。」
おぉ、神よ・・・と呟こうとして、しかしまぁフリルの山の天気より変わりやすいご機嫌が回復したなら、もう勘違いくらい構いませんか、と小さくため息をついてグロアーは天を仰いだ。
正面から張り付いたまま眠ってしまった器用なフリルをそのまま抱え、周囲の不審者を見るような視線に苦笑いと冷や汗を浮かべながらグロアーがチェンツへとたどり着いたのは、結局日が沈んで間もない時刻になってしまっていた。
もちろん門を守る衛兵に疑われ、厳しく身元調査を受けたのは言うまでもない事であった。
「これはこれは・・・グロアー殿・・・なんともまぁ、筆舌に尽くしがたい状況ですな。」
「・・・そうおっしゃらないで下さいバルガ殿。」
グロアーの前の席にクツクツと笑いを忍ばせて座った男に、グロアーは憮然とした調子で答えた。チェンツにある小高い丘のその頂上に建てられた商業組合会館。その広大な木組みの会館の一室の中で、グロアーはバルガと呼ばれる男と向き合った。
笑われるのもまぁ仕方ないですけどねぇ・・・。と、グロアーは小さくため息をついた。重要な会談であるにもかかわらず、小さな少女が眠ったまま正面に抱きついたままやってくるなど言語道断。というか相手に怒られなくて僥倖であった。
「いや、これは失礼。・・・その少女が、例の?」
スッと微笑をしまい込み、それまでの柔らかな表情から一変してバルガが異様な光を湛えた鋭い視線でグロアーに抱きつくフリルを見つめた。
商人然とした服装ながらも、どうしたらそこまで鍛えられるのかが不思議に思うほどの筋肉質で大柄な体。きれいに毎日剃っているのであろうつるりとした頭。立派に蓄えられた口ひげ。相手を無意識に圧倒しそうな外見をしたバルガがそんな表情を見せると、さすがのグロアーでも身の縮こまる思いがする。
「えぇまぁ・・・。」
というか、どこからそんな話を聞いたんでしょうねぇ、この狸じじいは?
「よく懐かれておられるみたいですな。ドラゴンは人には懐かないと聞いていましたが。一体どのような経緯でそのドラゴンの子どもを?」
「・・・バルガ殿、今日私が来たのは今年の麦の取引量に関してのボルドの意向をお伝えしに来ただけです。この様な無礼な状態でお目にかかっておいて私からのお願いなど心苦しくはありますが・・・この子の事はまた別の機会に・・・。」
「・・・ふむ、まぁ少しくらいは良いではないですかグロアー殿。こうして久しぶりにお会いする事が出来たのです。煩わしい金勘定は抜きにした世間話の一つでも付き合って下さい。」
鋭い眼光を目の奥にしまい込み、バルガが僅かに微笑む。
「・・・。」
「しかし、本当にドラゴンというのは人の形を取る事が出来るものなのですな。実際に変化するところを見たわけではないのでまだ今ひとつ信じられませんが。人間が失って久しい魔法とやら、使いこなす事が出来ればさぞや便利でしょうなぁ。なんでも風を操ることすらできるそうで。」
「・・・どうでしょうねぇ。聞くに成獣となったドラゴンの知能と理性は人間のそれを遥かに凌駕する生き物だそうです。またその恐ろしい外見とは裏腹に、大変心優しいものだとも聞いています。我々等が使おうとしても、使いこなせるような代物ではないかもしれませんよぉ。・・・せいぜいが、人を殺す事に使われるくらいでね。」
「・・・まぁそういった用途に使おうとする不貞な輩も現れてもおかしくはないですな。しかし人を殺す事にしか使わないなどとは、少し意見が偏りすぎではないですかな。私が今思いつくものだけでも、船の航行速度の上昇や風車への利用。馬車にとってかわる陸上の移動手段としても活用できるかもしれませんな。」
「ほほぉ、さすがはバルガ殿ですな。まるでもう既に計画が動き出しでもしているかのような素晴らしいご提案。」
「いやいやそんな事ございませんよグロアー殿。私など、世間一般には愚鈍で通っておる程度の人間です。いつ誰につけこまれるかと戦々恐々とした毎日です。」
「何をおっしゃいます。チェンツの発展はあなたがいるからこそ成し遂げられた。代々受け継がれてきた交易の中継地点としてだけの役割に、卸業を加える事によってこの十年でそれこそ目もくらむほどの富を蓄えられたのではありませんか。」
「ハハ、買い被りというものです。私は特別な事をしたわけでもありません。ただ偶々このような発展をする時期に、私が組合長としてこの街に従事する事になっただけです。」
「そんな事はないと思いますがねぇ・・・そういえば最近その富に目を付けている王族がいるとかいないとか、不穏な噂を耳にしたことがありますね。まったくどこの輩がそんな下衆な噂を流すのかわかったもんじゃありませんが、ゆめゆめお気をつけ下さいバルガ殿。一切の軍備を放棄するかわりにダグラスより与えられた数々の特権、そのような王族に攻め立てられては元も子もなくなってしまいますからな。いやはや、これだけの富を持ちながら軍備が出来ないというのも・・・。心中お察しいたしますバルガ殿。」
「・・・。」
しばし無言が部屋の中に充満する。
「ご心配痛み入ります・・・それでは楽しい会話の時間はここらへんにしておいて、今年の麦の取引量でしたな。本題に移ると致しますか。」
「よろしくお願いいたします、バルガ殿。」
あいも変わらずグロアーに引っ付くフリルだけが、その真っ青な長い髪を床へと垂らしながらスヤスヤと眠り続ける。
いい気なもんですねぇと内心ため息をつきながらグロアーは改めて気合を入れなおし、故郷の今年の潤いを決める会合へと気持ちを切り替えた。
1年前から出来るだけ考えないようにしてきた、フリルの事を利用しようとする輩との話し合い。あぁぞっとしますねぇ。
どいつもこいつも、本当にくだらない。
ですよねぇフリル?
夜もどっぷりと更けた頃、会談を終えたグロアーとフリルはぐったりとした面持ちで宿へと転がり込んだ。ちなみにグロアーは気疲れであるが、フリルは変な格好で寝ていたせいで疲れていただけだ。部屋へ着くと、限界だとでもいうようにグロアーはぐったりとベッドへ突っ伏した。
「あぁ~もうやってられませんよ、こんなことなら今年は交渉役なんて断ればよかったですね~。」
「お疲れですねグロアー様・・・、あの・・・マッサージでも・・・いたしましょうか。」
「フリル、マッサージは顔を赤らめて申し出るようなやましい行いではありません。胸を張って男らしく申し出なさい。」
「はぁ・・・。胸を・・・。」
不思議そうな顔をして、フリルは自分の胸に視線を落とし両手をあてる。まぁ、年相応に、豊かではない。
「そこだけ強調してはいけませんフリル。私は男らしくの方に突っ込んで欲しくて今のセリフを吐いたのですよ。ましてやそんな所を男性の前で撫で繰り回してもいけません。ただでさえアナタと二人で宿に入るときに宿の主人に相当不信がられたのです。なんだかいけないことを私があなたに強要しているみたいではありませんか。」
「はぁ・・・。」
予定調和とでもいえるフリルとのやり取りに一通り満足すると、グロアーはその外見に見合わない年寄りのような掛け声をかけてベッドから立ち上がった。
「さーてフリル、この宿はお茶がと~っても美味しいのです。話した事はありますっけ?ハーブティーと言われているものです。飲んでみますか?」
「美味しいのですかっ。はいっ!飲んでみたいです!」
頬を上気させながらフリルは座っていた椅子から音を立てて立ち上がる。子どもらしいその反応に、思わずグロアーも疲れを忘れた様に相好を崩した。
「まぁ好き嫌いの分かれる飲み物ではありますけどねぇ。とりあえず下に下りてみましょう。先程主人に食事の準備を頼んでおきましたし、お茶を頂いている間に良い頃合になるんじゃないですかねぇ。」
「はいっ。はいっ!」
キラキラとしたその瞳をみていると、思わずこの少女が人とは決して相容れないとまでいわれたドラゴンの化身だとは思えなくなる。
「嫌ですねぇ人間って、すぐに感情移入して、なんでも自分に都合が良いものに捕らえようとしてしまう。くだらないですよねぇ。」
「・・・?グロアー様?どうかされましたか?」
先に部屋の外へと駆け出したフリルが不思議そうな顔で尋ねてくる。
「いえいえ、フリルの純粋な食欲に、私も生物としての三大欲求が過剰なほど刺激されて感傷的になっていただけです。さ、いきましょう、ご飯ですご飯。」
「・・・?」
苦笑いしながら脇をすり抜けていくグロアーの姿に、なんだかいつもとは違う違和感を感じたものの、フリルには今ひとつそれがなんなのかは分からなかった。
でもまぁ、とりあえずはご飯です。
とても楽しみです。ハーブティーも、どんな味がするんでしょう?
ご飯!
グロアー様と、ごっはっんっ!
「ひぐっ、ズズ、う、うぇぇええ、ズズ、うええええええええん。」
「・・・。」
「うぅー、ううぅ~、ズズ、うええええぇぇぇ、ズズッ。」
「・・・・・・。」
宿の一階へと移動したグロアーたちは、向かい合ってテーブルにつき食前のハーブティーを頂いていた。
しかし、件のハーブティーを一口すすった所でフリルの気体に満ちてキラキラと輝いていた表情が一変した。
ビクッと肩を震わせてカップから口を離したその瞬間、グロアーは内心「あ、はずれでしたねぇ」と呟いた。
完全にフリルの顔に「うわぁ!?これ美味しくないです!なんですかこれすごいお薬くさいです!お薬嫌いです。不味いです!こんなものカップ一杯も飲んでしまったら私死んでしまいます!あぁ・・・今火事でも起きてうやむやになってしまったらいいのに!」
と器用に感情が出たり引っ込んだりするものだから、思わずグロアーは噴きだしそうになった。
やめればいいのに・・・と思う反面、反応が非常に面白いので下唇を噛んで笑いをこらえ静観する。
そしてチビリチビリと飲む事カップ半分、いよいよ外面も保てなくなってきたフリルはとうとうぐずりだした。
人一倍気遣いのあるフリルの事である。与えてもらったものを不味そうに飲むなどは断じて自分に許せない行為であろうが、どうやらあまりの不味さにもう自分が内心で泣いているのか、それが表に出てしまっているのかすらよく分かっていないようである。
「う”・・・うぅぅうううう”、ズズ、ビェエエエエエ、ズズズズ、ウプッ!?」
「クッ・・・。」
そのあまりの混乱ぶりが面白くて仕方がない、声をだして笑いそうになるのを下を向いて必死に堪える。
「う"う"う"う"う"、ズズ、フ、フゥウウウ、ズズ、ハァッハァッ、ズ・・・ウ"エエエエエエ。」
「グゥッ・・・!クッッッ!」
もうなんか色々と噴き出していてひどい有様である。グロアーはというとあまりに強く下唇を噛みすぎたせいで口の端から血がたれている。
片や泣き叫び、片や顔を覆って口の端から流血する不気味な二人に他の宿泊客がざわめいたが、フリルもグロアーも必死なのでまったく気がつかない。
「ブブブブブブブ、ズ・・・・ウブブブブブ!!ズズー。」
「ブーックス!・・・ク、ググググ。」
おお、神よ!!!げ、限界です!いたいけな少女の我慢する姿があまりにもつぼだったからと言って!こ、ここまでの困難を私に与える必要があるというのですか!?
あぁ!というか笑っても別に良いんじゃないでしょうか!
そもそも何で笑うのを我慢していたのかすらも、もう思い出せない!
よ、よし!笑うぞ!今から思いっきり笑うぞ!一生分笑いますとも!
よおおおおおし!三つ数えて笑いますっ!
いっくぞおおおおお!
いーち!
にーの!
さ―――「あのお客様・・・お料理が出来上がりましたが・・・。」
「うわあああああ!?」
突然掛けられた店主の声に度肝を抜かされたドロアーは、しかし笑うモーションに入っていた顔の筋肉を驚きの表情へと完全に変化させる事ができないまま、驚笑(?)の表情で椅子ごと後ろにひっくり返った。
「お、お客様!?」
「ぐううう痛ふふ、ふふふふ痛ぐぬうぅ!!」
痛い、痛いけど面白い。嗚咽と笑いがごちゃ混ぜになって口からもれだす。
「ううううぅうう、ず・・・ひぐぅっ!・・・ず・・・。・・・えぶ?」
異常に気付いたフリル、不幸にも、店主が見つめたそのお顔には可愛らしい鼻ちょうちん。
「え、え?あっうっ」
パチンとはじけた瞬間、店主は顔を真っ赤にして口を必死に押さえた。
「お、おきゃくさ・・・フ、クッ、フフフフ、ブ、ブーッ!」
「は・・・ハハハハ!グワハハハハハッ!!」「キャ・・フフ・・フフフフアハハハハハ!」
店主がフリルを見て、堪えきれずに噴き出したのを皮切りに、異様な二人連れに注目の集まっていた宿の食堂の客達は大爆笑に包まれた。ドロアーも腹を抱えて泣き笑い、店主はあろうことか料理の皿を床にひっくり返した。それがまた可笑しくて店中がさらに笑いに包まれる。調子に乗った客が酒瓶を片手に声を大にして歌を歌いだす。笑いながら楽師達が楽器を鳴らし始める。めちゃくちゃな音程と旋律にこれまた大爆笑がおきて、もう宿のなかは何がおかしいやらさっぱりわからない状態に陥ってしまった。
「え・・・?えぇ・・・?」
一人状況から置いてけぼりをくらったフリルだけが、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたまま訳が分からずにオロオロと慌てふためく。辺りは歌ったり踊ったりと完全にできあがってしまっている。
もうその姿があんまりにも可愛らしくて可笑しくて、正直な話グロアーは笑い殺されそうになった。
素晴らしい夜だった。
喧騒もさったあとに、喉が渇いたから分けてくださいといってフリルの紅茶の残りを飲み干してやると、フリルは顔を真っ赤にしたまま下を俯いていて、小さな声で「ありがとうございます」とつぶやいた。
いえいえフリル。こちらこそ、久々にこんなに笑わせてもらいました。
本当に、ありがとう。人間ってのは、良い所も悪い所も、一杯あるのですねぇ。
一晩でその両方を味わった気分です。お得かもしれませんね?
お礼と言ったらなんですが、今度は果実の紅茶にハチミツをたっぷり落としてごちそうしますね。
紅茶がトラウマにでもなっていなければ、の話ですが。
それでは良い夢を。
おやすみなさい、大好きな、私の可愛いドラゴン。
願わくばアナタの進む稀有な旅路に、多くの素晴らしい出会いと、今日のような笑顔が満ち満ちて、いつまでもいつまでも、幸多からん事を。
翌日早朝――――朝の見回りを行っていた衛兵が、街のはずれの森の入り口で、首を切り裂かれ死亡しているグロアーを発見した。
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