乗りなれているはずの地下鉄駅を何気なく歩いていると、あることに気づいた。
自動改札口からホームへ抜ける階段を下りた側壁に畳一帖分くらいの大きな鏡が設置されていることに…。
「あんなに大きな鏡は必要ないよな。無駄づかいだぜ」
同意を求めると、連れの友達は白い歯を見せながらおれに言った。
「あの鏡は自殺防止のために半年前から取り付けられているんだ」
「自殺防止?」
おれは上擦った声で訊きかえす。
「精神が不安定な人間が鏡に映った自分の顔を見ると自殺を思いとどまる効果があるらしい」
「おまえはなんでも知ってるな」
テストでいつも学年10番以内をキープしている優等生の友達をおれは改めて尊敬した。
「そうでもないさ」
友達は照れくさそうに微笑んだ。
ただ、そんな自殺防止対策がとられている地下鉄駅なのに自殺する人は絶えなかった。
三日後、唯一の親友といっていいその友達が自殺した。大きな鏡のあるあの地下鉄駅で…。
しかも、鏡を素手で割った後、走ってくる地下鉄に向かって身を投げたのだ。
自殺した当日の朝もいつものようにその友達と一緒に登校した。普段とかわらない様子だったし、いじめやその他の悩みを抱えていることも考えられず、遺書なども見つかっていない。登校から下校するまでの間に人生を揺さぶる何かが起きていたとしても自殺という短絡的な行動をとる奴とも思えなかった。帰り際は笑顔だった。
おれが鏡のことを質問したことが自殺の引き金になってしまったのではないかと心の中で自問自答した。そして、どうして自分が生きているのかもよくわからなくなってきた。
手鏡、姿見、洗面所の鏡、家にある鏡に映った自分の顔を見ると死人のように青白かった。
ある日、自分の部屋の壁にかけていた鏡をじっと見ていると実体と虚像の間を行き来している感覚に囚われた。自分の顔が水中にいるように歪み、たわんで幾度となく変形した。
指で鏡に触れても冷たい感触が伝わってくるだけ。最初は目が潤んでいるのかと思ったが、長時間まばたきしてなかったので目は乾燥しているくらいだった。原因を追求していると外が明るくなっていた。
その日は寝不足のまま登校することになった。
外は雨だった。
傘をさして学校に向かっていた足が不意にとまった。
(きっとあの駅に答えがある!)
決意すると友達が自殺した地下鉄駅を目指して走っていた。
地下鉄駅へ通じる階段を下りると茶色の濃淡で色分けされたレンガ造の地下鉄駅ホームに辿り着き、自殺防止用の大きな鏡の前に立った。
鏡には見知らぬ少女が横向きで映り、鏡の端を見ている。
振り返っても少女の姿はない。幽霊だと理解できたのは自分だけだろう。周りの乗客たちは
平然と地下鉄の到着を待っている。
しばらくすると、少女は顔をゆっくり移動させて正面を向いた。左側半分の顔が欠けていた。
「お願い、鏡を割って…雨の日に誰かが持ち歩いていた傘の先から落ちたしずくのせいで足を滑らせてホームから落ちてしまったの。ちょうど駅に走ってきた地下鉄の車輪に顔を剥ぎ取られてこんなになっちゃった。だから鏡を見るのは嫌い」
少女の悲痛な叫び。醜くなってしまった顔を見たくないという乙女心はわかる気がする。少女の霊を鎮めるには鏡を割るしかない。
おれの握り拳が鏡を打ち砕くと傍にいたOLらしき女性が悲鳴を上げた。対照的に鏡の破片に映っていた少女の顔はにこやかだった。
「ありがとう」
そんな声が聞こえたような気がした。
善いことをしたのにおれの心は晴れない。友達が鏡を割った理由はわかったが、なぜ友達が自殺したのかは不明のまま。
答えを知るには直に逢って聞くしかない。
真っ暗な地下トンネルの先に皓々としたライトがグングンと巨大化してくる。
おれの足は見えない力に誘導されるようにその光へと向かいはじめた。
<了>
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