女装男子、下心を胸に女子校へ入学する
ファンデーションで作った白い肌、くるんとカールした長い睫毛、淡いピンク色のリップ、薔薇色の頬。
完璧な仕上がりだ。ファッション誌やメイクに関するハウツー本を買い漁った甲斐があった。
皺ひとつないピカピカセーラー服のスカートを翻し、軽くポーズを取って見せる。鏡の中でサラサラ黒髪ストレートの女子高生が微笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「ククク……」
俺は薔薇色の高校生活を夢想しながら鏡の前で噛み殺したような笑い声を上げる。
我ながらゾッとするほど高いクオリティの女子高生が完成した。まさか俺が男だなんて誰も思わないだろう。
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男が女装して女子高に入学、女の子たちに囲まれながらちょっとエッチで刺激に満ち溢れた青春を送る――
漫画や小説で度々見かける設定だ。こういうシチュエーションに憧れを持ったことのある男子諸君も少なくないのではなかろうか。かく言う俺もそんな妄想に耽る健全な男子の一人であった。
だが、俺はもはや「そんな妄想に耽る健全な男子」ではない。
辛く厳しい受験戦争を勝ち抜き、俺は晴れて私立白薔薇女子高等学校の生徒となったのだ。俺は妄想を妄想で終わらせず、それを見事実行して見せたのである。
これで女子に囲まれ、甘美な刺激に満ち満ちた薔薇色の高校生活が約束されたようなもの。
そう信じて疑わなかった俺のピュアな心は、教室に入った瞬間粉々に砕け散った。
「な、なんだこれ……」
教室に充満するのは息もできないような重苦しい淀んだ空気。この空間だけ重力が二倍にも三倍にもなってしまったような錯覚に陥るほどである。とても新しい生活に胸を膨らませた新入生たちの集う教室とは思えない。
俺が教室に着く前になにか事件でもあったのだろうか。俺は辺りをキョロキョロ見回しながら教室中央に位置する自分の席につく。その時、俺はようやくこの教室の違和感に気付いた。
みな俺と同じセーラー服を纏い、大人しく椅子に座っている。それは良い。それは良いのだが、なんだか皆やけに身長が高くないだろうか。スカートから覗く足も異様に太く、学校指定のハイソックスのゴムが悲鳴を上げてしまっている者もいる。女子高生と言うのはこんなにも発育の良いものなのだろうか。女子高生と言うのはもっと細くて小さくて白くて丸くて、触れれば崩れてしまう程はかなげなものではなかったのか。
……いや、落ち着け俺。もしかしたらたまたま体育会系の女子の多いクラスに入れられてしまった可能性もある。はかなげな女子高生も良いが、健康的な元気系女子高生だって素晴らしいではないか。俺はそう自分に言い聞かせながらそっと隣の席に座ったクラスメイトの顔を盗み見る。
「――――ッ!?」
俺は危うく口から飛び出そうになった悲鳴を必死に噛み殺す。
なんだこれは。どうしてこんなのが俺の隣に座っている?
青々した髭の剃り跡、太い首、ゴツゴツした顔、ベッタリ塗られた青いアイシャドーに濃いルージュ。俺の隣にいたのは明らかに「男」だ。
いや、俺の隣だけではない。よく見れば教室にいる全員が「そう」であった。
――つまり、バラエティ番組で芸人が施しているような、ふざけているとしか思えないクオリティの低い化粧をした男だったのだ。
体中に冷たい物が広がり、混乱と絶望が胸の中に溜まっていく。
もしかしたら性質の悪い夢なのでは、となんども頬をつねったが、それにより目が覚めることも目の前の悪夢みたいなクラスメイト達が消えてくれることもなかった。
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入学式が終わった後、俺は西日に染まる人気のない校舎を当てもなく彷徨った。
まさかとは思ったが、入学式の会場で見かけた他のクラスの生徒たちもそれはそれは酷い有様であった。つまり、見かける生徒たち全員がカツラを着用し、濃い上に下手なメイクを施した男だったのである。
俺は不気味なほど静かな校舎を歩きながらこんがらがった頭を整理する。どうして女子高に男子生徒がいるのか?
だが、いくら考えても答えは出てこない。というか、ショックでまともな思考ができない。
この学校のレベルはかなり高い。俺は薔薇色の学園生活を手に入れるため血反吐吐きながら死に物狂いで勉強し、ようやくこの学校に入学したのだ。なのに……なのに……
俺は一体なんのために――
「あーあ。俺、一体なんのためにあんなに勉強したんだろ」
静寂に包まれた学校に突然男の太い声が響き渡る。
一瞬心の声が口から漏れてしまったのかと思いハッとしたが、どうやらそうではないらしい。廊下の先に見える1―Eの教室――つまり、俺の所属するクラスの教室から複数人の話し声が聞こえてくる。
俺は足音と息を殺し、扉の小窓からそっと中を覗く。
すると教室中央の席を陣取り、駄弁っているセーラー服姿の男が三人ほど目に飛び込んできた。一応女装はしているものの、脚を開いて項垂れるその姿はまるでインターバル中のボクサー。こんなのはもはや女装男子ですらない。ただカツラを被ってメイクしただけの男だ。
「ハーレム状態だと思ったのに、蓋を開けたら男ばっかだぜ?」
「みんな考えることは一緒って事だ……」
「そんなこと考える間抜けがこんなにいたのかよ。世も末だな」
「共学より女子率低い女子校ってどういう事だ?」
「もはや男子校だろ」
「制服がセーラー服の男子校か……」
男たちは口々に文句を言いながら大きくため息をつく。どうやらみな同じことを考えてこの学校に入学し、同じ理由で絶望に浸っているらしい。
「それにしてもなんでこんなに男ばっか集まったかね」
「この学校、学力重視で面接とかないからな」
「普通にこの学校を志望した女子より邪な考えを抱いた男子の方がテストの出来が良かったんだろうなぁ」
「その辺の女子とはハングリー精神が違うからな。まぁその結果飢えた男ばかりが集まった訳だけど……」
「まぁでも、俺たちにはあの娘がいるじゃん!」
一人の男子生徒のこの言葉で、教室に蔓延した重い空気が少しだけ和んだようだった。他の生徒たちはにこやかな笑みを浮かべて次々口を開く。
「ああ、このクラスで本当に良かったぜ」
「まるで砂漠のオアシスだ」
「女子高なのに紅一点ってのもおかしな話だけどな」
クラスメイトたちの会話に俺は思わず目を見張る。
この口ぶり、どうやらこのクラスに一人女子がいるらしい!
出来る限り女装した男を見ないよう今日一日自分の足元を見て過ごしていたから本物の女子を見逃してしまったにちがいない。
思いがけない朗報に生唾を飲み込み、扉に張り付いて彼らの会話に耳を澄ませる。
「あの娘ほんと可愛いよな」
「ああ、恥ずかしがり屋っぽいとことかほんとイイ」
「俯き気味に歩いてんのとかスゲー良いわ。なんかこう、守ってあげたくなる」
どうやら我がクラス――いや、ヘタしたら我が学校の紅一点はなかなかの美少女らしい。女であるというだけで激レアものなのに、その上美少女とは。俄然期待も高まるというものだ。
「ほんと彼女にしたい。いや、友達でも良い」
「俺、明日話しかけてみようかな……」
「競争率高いぞー」
「ここあの娘の机だよな? あー、心なしか良い匂いするぅー」
男子生徒の一人が冗談めかしながら机に頬ずりしてみせる。つまり、今朝あそこに座っていた生徒が彼らの言う「あの娘」に違いない!
思い出せ、あそこに座っていたのは確か――
「…………」
――あれ?
あそこ、俺の席じゃね?
「あのサラサラの髪たまんねぇよなぁ」
「白い肌とか、まるで人形みたいだ」
「睫毛長いよな」
確かに化粧や髪型には気を使っているし、他の男子生徒に比べればクオリティの高い女装をしているとの自負がある。
だがそれは女子高生に紛れるためであって、男たちに持て囃されるためではない!
「でもさぁ、あの娘まで男だったらどうする?」
一人の男子生徒の言葉に、他の二人は声を揃えて即答する。
「死ぬ」
「死ぬ」
「そうだよなぁ、死ぬよなー」
え?
俺クラスメイトの生殺与奪権握っちゃってるの?
「ま、あんな可愛い男いるはずないだろ」
「だよなー。あー、あの娘ほんと可愛い……」
我がクラスメイトたちはどこか遠くを見ながら「ほう」と息を吐く。
女の子とイチャイチャできると思ってこの学校に入ったのに、どうして俺は男たちから好意を寄せられているんだ?
ああ、なんだか目眩がする――
俺は大きく深呼吸しながらそっと扉に手をつく。少しずつ体重をかけたその時、不意に扉がガタンと音を立てて軋んだ。それほど大きくはない音だが、放課後の静かな校舎にその音は良く響いた。
「あっ、あの娘だぞ!」
「ヤベッ、聞こえたか?」
男たちはこちらを見るなりだらしなく開いていた脚を慌てたように閉じた。そして強張った笑みを浮かべ、取ってつけたように手を振ってみせる。
「あ、あらららら、ごごごごきげんよう」
「そそそ、そんなとこで、どどどどういたしましたのでございますか?」
「あっ、えっとその……」
男だとカミングアウトするか?
もう無理矢理女の振りする意味もこんなとこにいる意義もない。もういっそ、男として男の友達を作った方が気楽で楽しい学園生活を送れるのではあるまいか?
……でも、こいつらの眼は俺と同じだ。入学する前の俺と――
「たまたま通りがかっただけよ。私も話にいれて貰えないかしら?」
笑顔を浮かべてそう言ってやると、ヘタクソな化粧を施した男たちの顔がパッと輝いた。
俺のやることは入学した時から全く変わっていない。
「男だとバレることなく女として学校生活を送り、無事に卒業する」
だがそれは己の欲望のためではない。
薔薇色の青春を失いかけた哀れなる同志たちへの、せめてものプレゼントである。