はかなきゆめ(前編)
命というものは、儚いからこそ、尊く、厳かに美しいのだ(トーマス・マン)
・・・人は古来より『死』に大いなる恐怖を感じ、それを克服しようとして生きてきた。人類の歴史とは見方を変えて考えてみれば「『死』との戦い」なのかもしれない。死そのものを克服するためにより長く、楽しく「生きる」ために人は道具を作り、使うことを覚え、発達した一大コロニーである「人間」を作り上げていった。
「死にたくない」
これは誰もが持つ感情。では、何故人はこれほどまでに「死」を恐れるのだろう。(鏑木慶著『避けられた死』より第一章 「死との戦い」)
「・・・のぶ!しのぶ!信ってば!!起きろ!」
今にも蹴りを入れかねないほどの剣幕で、今を時めく女子高生(自称)桂燈乃がベッドの中で丸くなっている塊を揺さぶっていた。
「・・・・あと五分」
「お決まりの台詞言ってんじゃないわよ!学食閉まっちゃうわよ!あんたあと1回でも遅刻したらやばいんでしょ!」
「そうだっけ・・・」
「・・・迎えに来て正解だったわね。ほら起きる!着替える!顔洗う!歯磨く!」
そう切り返すと、燈乃はようやく布団から顔を出した信を引きずり出すと、かけてあった制服を頭から浴びせた。
「あと、十分で用意しなさい」
「・・・無理です」
「それが、さっきまでぐーすか寝ていた奴の言う台詞か!とにかく制服を着ろ!・・・って言ってるそばから寝るなよ!二度寝禁止!・・とにかく顔洗って歯磨きしてきて。頭も冴えると思うから」
「ん・・・」
ベッドから起き上がり、ふらふらーと洗面台に入っていく。
(「私がこの寮に来たら「これ」が毎朝かぁ」)
燈乃は少しうんざりしたような、むしろ悟りきった僧侶のように遠い目で部屋を眺めていた。
槇葉女学院
創立百年を迎えようとしている、伝統ある中高一貫の女子高である。都心に程近いためベッドタウン的役割を果たして急成長してきた杉岡市の一種のシンボル的存在となっている。通称は「槇女」。県内有数の進学校で、卒業生も各界で活躍している人物を多く輩出している。リベラルな校風を教育理念として掲げており、生徒の自己責任が重視される。そのためか寮が存在し、生徒の自主性を養うといった名目で全国から学生を募っている。現に学生の6割ほどは入寮し、勉強と自己管理の下の生活を両立させている。人気ブランド「Seekence」の有名デザイナーで槇葉女学院OGの水橋唯がデザインした制服も高い人気を誇っており、それが目当てで受験しに来ることもあるという。
「信、あんたさぁ、もうちょっと自力で起きようとかいう心はないの?」
朝食をたらふく食べた信はようやく目が冴えてきたのか、足取りも軽かった。比べて燈乃のほうは朝からスタミナを使い切ったのか、朝だというのにげんなりしていた。
「睡眠は人間の抱える三大欲望の一つ。中々コントロールは出来ない」
「限度があるだろ」
「でも・・」
「鏑木先輩!おはようございます!」
急に後ろの方から朝にまったくもって似つかわしくない黄色い声が聞こえてきた。振り返ると、そこには見慣れない女子学生2人が立っていた。目を爛々と輝かせ、しきりに何かを期待していそうな瞳。
「・・・おはよう」
信が無表情ながら返事をすると
(「キャー!!」)
燈乃の聞き間違い出なければ、今度はピンク色の声が少女らから聞こえてくる。
たしかに、信は友人である燈乃から見てもかっこいい。顔立ちも整っていてそれでいて・・、何というのだろう。鋭いナイフのような美貌というべきだろうか。そしてそれに加えて173cmという長身である。これで女子高の王子様に仕立て上げない手は無いだろう。だが、それは外見上の話。性格というか性癖は大変に難があり、付き合いの長い燈乃でも時折戸惑うことがある位である。
「じ・・・じゃあ、失礼します!!」
そのうちの一人が思いっきり一礼すると、しきりに興奮した様子で2人は笑いあいながら、中等部の校舎へと駆けていった。
「中学生かぁ。いいなぁ信、。あんたもてもてじゃん。女の子だけど」
少し意地悪そうに口の端を吊り上げて、言った。
「・・・・・」
しかし、当の信といえばしきりに何かを考え込んでいる様子で、うんともすんとも言い返さない。
「何?」
「何でもない。行こ」
そういうと信はすたすたと歩き出す
「ち・・・ちょっと、信!待ってよ!」
槇葉女学院高等部は学校の敷地内でも一番奥に存在する。といっても中等部や大学と渡り廊下でつながっているため、それぞれが独立しているといった環境ではない。高校の校舎を時折中学生が歩いているのを見かけることもある。それに、吹奏楽やテニスといった大きなクラブともなると中等部・高等部合同で活動することも多いという。
「はよー。お二人さん。今日もぎりぎりだねー」
そう言って、教室に入場してきた2人を迎えたのは、縁の無い至ってシンプルな眼鏡をかけ、肩ほどまでに伸びた黒髪を一つにまとめておだんごにしている少女。顔立ちは、大きな少し茶がかかった瞳が印象的だ。高校一年生というには少々幼い気もする。
「信さえ、きちんと朝起きてくれれば、こうはならないわよ!」
「おはよう。歩由」
「おはよう、王子様。窓から見てたけど、朝からもててるわね。よ!さすがは槇葉学園のプリンス!目の保養になるわぁ」
歩由と呼ばれた少女は恍惚とした表情を浮かべながら、ため息をついた。何やら色々と想像を巡らせているらしいが、その内容は恐ろしくて、中等部以来の親友でもある燈乃であっても聞くことは出来ない。
「ああ、何て創作心がうずくのかしら・・・!!あんなネタやこんなネタ・・・・。ああおいしすぎる・・」
「あんたまた、信をネタにして漫画描いているわけ?よく飽きないもんねぇ」
「何を言うか!!これほどの題材を前にして書かない方がおかしいというもんよ!!」
「・・・・はぁ」
この少女、唐松歩由は世間一般でいうところのオタクである。中学時代から漫画研究部に所属しており、自分の欲望に忠実に従って生活している。燈乃も漫画は好きで彼女からよく借りているのだが、どうも二次元と三次元の区別がつかないらしい。そしてなぜか夏休みと、冬休みの直前はテストも終了しているというのに、目の下にクマを作って登校してくる。なんでも「修羅場」がどうとか・・・。とりあえずあまり関らないほうがよいだろうということだけは理解できた。
こんな彼女が学級委員を務めているというのであるから、世も末だ。
そしてますます理解不能だったのは、最初のHRで学級委員を決める時に自ら立候補したのである。一同騒然。当たり前だ。これまで歩由はお世辞にも学級活動に積極的に取り組んできたとはいえない。まぁ、明るい性格で、どこかカリスマ性があるのは認めるが。彼女はどちらかというと、指示を「受ける」方ではなく「出す」ほうに向いていると燈乃は常々思ってきた。誰これかまわずマシンガントークをかますが、言っていることは筋が通っているし、ともかく弁が立つのである。相手に有無を言わせぬままOKを言わせて見せるだけの話術はある。まぁ、最初HRでオタクトークをし始めたときは一部の生徒を除いてドン引きだったが・・・。
燈乃が学級委員を引き受けた理由を聞いてみたところ歩由はしれっとした顔で一言、
「ネタになりそうだったから」
・・・・という爆弾発言をかましてくれたのである。
「・・・・そういえば、今日中等部のほう静かだな、と思ったら明日から中間考査なんだよね。いやぁお疲れ様ーだね」
「完全他人事ね」
槇葉女学院は混乱を避けるためにテスト期間は中等部と高等部で分かれている。大抵は高等部の方を先にすましてしまう。こんなのほほんとした教室でも、つい一週間ほど前まではピリピリとした空気が漂っていた。
「まぁね。そういえば、燈乃はどうだったのさ、中間。」
「・・・・。この流れでそれを聞かないで・・。」
「ふむ。苦戦っと。あんたさ、中学の時もそうだったけどもうちょっと要領よく勉強したら?」
「学年トップ様のおっしゃることをこの胸に刻んどくわ」
燈乃は胸に手を当て、やれやれとばかりに首をふった。おそらく今頃中間考査の結果が親の元に届いているはずだ。
南無。
一限目は古典。信は乱雑に黒板に書かれた文字を目で追っていた。すでにその目はとろんとしている。
「・・・であるから、この、『かかる人も、世に出でおはするものなりけり』の『けり』は助動詞のラ変形で、終止形だな。で、『けり』には色々な意味がある。ここの意味を・・・そうだな、鏑木。・・・・まだ寝るなよ?」
「え・・・、あ・・・。えーと、『このような立派な人も、世の中には生まれていらっしゃるものだったのだ』・・・です」
「そうだ、この場合『けり』の意味は『過去の回想』を表していて・・・・」
また教師の説明に戻る。向こうの方も信の授業中の睡眠は半ば暗黙の了解と化しているらしく、厳しく追及はしてこない。それは彼女の育った環境・バックボーンもあるが、成績がトップクラスということもある。「進学校」と銘打っているからにはそれに伴う結果を世に示していかなければならない。まぁ大事の前の小事には目をつぶれということか。
大きなあくびを一つして、ふと窓の外を眺めると中等部の校舎が見えた。少し目をこらすと職員室が見える。そこには先ほど挨拶してきた少女の一人が教師と何やら話し合っていた。こう見えても視力は1,5だ。何か問題を起こして叱られているといった図ではなく、相談しているといった風で教師の方も何やら困った表情で少女に問いかけている。信はしばらくそのまま眺めた後で、机につっぷして眠ってしまった。
「あのさ。」
「え?」
少女は立ち止まり、振り返るとぽかんと口をあけた。なんと今朝声をかけたばかりの、憧れである信が自分に声をかけてきたのだから。
「今時間大丈夫?」
「え・・・。あ・・!。はい」
「じゃあ行こうか」
信はすたすたと歩き始めた。しばらく呆けていた女生徒の方も我に帰りあわてて後を着いていった。
槇葉館は大正時代に建てられたという、当時の女学生の憩いの場となっていた建築物を模して二年ほど前に建てられた女学院の歴史を振り返る資料館であるが、生徒の中からはあまり存在感の無い建物として認識されており、現に信らのほかには人の姿が全くといっていいほど見当たらなかった。
「すみません。考えてみれば自己紹介がまだでしたよね。中等部一年、桃木和葉です」
そう自己紹介をして見せた少女はぺこりとお辞儀をした。セミロングの黒髪がさらりと肩を撫でた。黒い瞳は意志の強そうな光を放ち、まだ幼さが残るながらも、中学生にしてはどこか大人びていた。
2人は休憩室と銘打ってある何やら、豪華な調度のそろった部屋で向かい合う。
「その・・・。お話って何でしょうか?」
「おばぁさんの所に行かなくてもいいの?」
「・・・・っっ!!」
一葉は顔を真っ赤にして急に何かを悟ったかのようにほんの一瞬、信を睨んだ。
「・・・。何故、それを?」
「・・・・本当にいいの?」
念を押すようにして信は続けた。
「・・・先輩は知ってますよね。この学校では成績がモノを言うんだって。いい大学に入ろうと思ったら、勉強しないといけないし、推薦一つにしたって試験でいい成績をとらないとって。小学校からはがらりと違う」
「でも、おばぁさんは君に会いたがっている」
「・・・・っ!さっきから何なんですか!?急に呼び出したと思ったら・・・。・・・私、明日テストがあるので失礼します」
軽く一礼をして少女は逃げるように去っていった。信はそれを追いかけることも無くただ少女の去り行く姿を眺めていたのだった。
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