挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマークする場合はログインしてください。

西山正義の小説

作者:西山正義
   家

                    西山 正義


        一

 未明に東京を発ち、東北自動車道を快調に走ってきた。磐越自動車道との分岐点、郡山ジャンクションのあたりから、空が徐々に青みを帯びてきた。が、そこからが長く、本格的に白みはじめたのは、福島と宮城の県境、国見サービス・エリアを越えた頃だった。
 母も佳子も子供たちもよく眠っている。白石を過ぎ、左手に蔵王を見ながら村田町に入ってきた。長い下り坂にさしかかる。オーバードライブをOFFにして、エンジン・ブレーキを効かせた。一瞬、車体がつんのめる。助手席の母が眼を醒ました。すっかり夜が明けている。家に着く前に、朝食にしなければならない。仙台で下りる最後のパーキング・エリアに、晃はクルマを乗り入れた。パーキングに入るため左車線に寄った頃には、佳子も起きていた。
 ハンドブレーキを引き、エンジンを切る。その音と振動で、チャイルドシートにくくりつけられた舞那は、ぱっちりと目を開けた。しかし、振り向いた晃と眼線が合ってもきょとんとしていて、すぐには周囲の状況がつかめないようだった。音弥は、佳子の膝を枕に、シートに体を投げ出し眠りこけている。寝起きの悪い音弥を起こすのは一騒動だが、起こさないわけにはいかない。佳子が身を起こす。音弥は唸る。体をよじってわめく。だがそう長くは続かなかった。いつものように大騒ぎすることもなく、突然跳ね起きると、
「ついたのォ?」
 と、頓狂な声を出し、あたりをきょろきょろ見回し、それから父と母、そして音弥にとっては祖母にあたる、晃の母の顔を交互に見やった。
 晃は一度クルマを降り、後部ドアを開け、舞那のシートベルトをはずし、靴を履かせた。舞那はおとなしくクルマから降りる。
「飛び出しちゃダメだよ」と晃は言って、ひとつ大きく伸びをした。
「まずお手洗いに行きましょう」母が言った。
 まだ半分寝ぼけている幼い兄妹は足元がふらついていた。晃が舞那の、佳子が音弥の手を引いた。
 菅生のパーキング・エリアは、PAと名が付いているが、SAと同程度の設備が整っている。レストランもあればガソリン・スタンドもある。施設の周りの植え込みには、春の花が咲いていた。そうだ、こちらではようやく春なのだ。ソメイヨシノは散りかけていたが、ヤマザクラなどはこれから満開という感じだった。
 トイレを出ると、五人は、レストランへは入らず、休憩所に向かった。そこにも一通りのメニューは揃っていた。入口を入るやいなや、兄妹はさっそくおもちゃが展示された棚につかまった。二階建バスをしげしげと見つめる兄。レジスターをめちゃくちゃに叩く妹。晃は構わず中へ入り、席を探した。「そういうのはあとにしましょう」と母が促し、晃がキープした席に着かせる。佳子は、舞那に前掛けをする。音弥が灰皿に手を突っ込み、吸殻を摘もうとするのを、母が慌てて遮る。晃は、みんなで適当につまめるメニューを選び、テーブルに運んだ。
 とにかく食事を済ませ、外へ出る。すがすがしい朝だ。子供は現金なもので、ガソリンが補給されると途端に元気になる。しばらく遊ばせておく。遊歩道があったり、子供が走り回れるほどのスペースがあるサービス・エリアではないが、庭にはいくつかベンチがあり、花壇の向こうは茂みになっていた。そこに、犬を散歩させている、やはり同じくらいの年頃の子供を持った家族がいた。物恐じしない音弥と舞那は、その親子にくっついて、名前は何といい、歳はいくつで、どこから来て、どこへ行くのか、そんなことを盛んに説明している。どこへ行っても同じだなと、晃は思わず苦笑した。それを見ていた母が、
「晃は内向的で、人見知りする質だったのにねェ、いつもわたしのスカートを掴んでもじもじしていたのよ」と佳子に向き直って言った。「それが、大学に入る前後くらいからかしら、そうそう、最初は大学なんか行かないなんて言っていたのよ。せっかく付属校に入ったのにとわたしは思っていたのだけれど、まあ、本人の自由だから、勝手にしなさいって放っといたら、急に受験するって言い出して、その頃からね、明るくなってきたのは。バンドをやりはじめてからは、よく外に出るようになったけど、それまでは自分の部屋に閉じ籠もったきりで、呼んでも出てきやしない。ギターばっかしいじって、そうかと思うと中学生くらいで、あれは武田君の影響かしら、インド哲学がどうのこうのと、何考えているんだか判らないような子だったけど、そうね、高校の終わり頃から、親にもよく喋るようになったわね。ちょうど、佳子さんと出会った頃じゃない」
 また始まったと晃は思った。おふくろの話は、結局、自分の教育方針が間違っていなかったという自慢話だ。
「とにかく、子供は元気なのが一番よ」と母は締め括り、「ところで、ここは一体どこなの?」と晃に言った。
「もう宮城県に入ったよ。あと三十分も走れば着く」
「着いたら、何からすればいいのかしら。段取りはしてあるの?」
「ああ、やらなければいけないことは、いろいろメモしてきた」
「ごめんなさい、おかあさん。うちのことなのに、おかあさんにまで来ていただいちゃって」と佳子が恐縮して言う。
「そんなことはいいのよ、気にしないで。あなたが一番大変な思いをしているんだから。それより、わたしの方からは口出しできることじゃないから、佳子さんがいいように、何をすればいいか指示してちょうだいね」
「とりあえず、休みに入る前に、役所と銀行廻りが先だよ。不動産屋へも挨拶に行かなくちゃならないし。それとお寺。あとは、家の有り様を見てからだけど、荷物があの時のままだから、とにかく片づけと大掃除だな」と晃は言って、煙草の煙りを吐き出した。
 だんだん日が高くなってきた。パーキングに入ってくる車の数も増えてきた。ようやくゴールデン・ウィーク中らしい賑わいを見せはじめる。
 城山晃の本職は、ロック・バンドのギタリストであるが、一応楽器屋に勤めていた。収入という点では無論こちらが本職である。商売の性質上、休み中の方が書き入れ時で、以前は店頭で接客を中心にしていたから、なかなかまとまった休みが取れなかった。だが昨年から、中古品の仕入れや、メンテナンスを担当するようになったので、今年は日が悪く、暦通りだと三連休にしかならないが、二十九日の代休を含めて、今日一日から六日まで休みを取っていた。
 子供は全開だ。逆に晃は眠くなってきた。かれこれ一時間以上も休んでいる。ここまで来れば急ぐ必要はない。が、こんなところで愚図愚図していてもしようがない。
「そろそろ行こうか」
 晃は子供らを呼びに立ち上がった。

        二

 名取川を渡ると、仙台平野にぽっかり浮かぶ太白山が見えてくる。お椀を逆さにしたような小さな山であるが、お椀よりはとんがっている。子供には、オッパイ山と教えてある。音弥は覚えていた。でも、どうして一つしかないのと言う。なにか面白いことを言うつもりが、とっさには思いつかなかった。高速の脇に、広瀬病院の白亜の建物が見えてきた。これが見えてくるといつも、ステアリングを握りながら晃は、ああ仙台に来たんだなァと思う。何度通った道か。最初のうちは何回仙台に来たか数えていたが、今では数え切れなくなっていた。
 仙台宮城インターチェンジをやり過ごす。いつもはここで下りてしまう。わざわざ市街地を抜けて、かの有名なケヤキ並木を眺めながら行かないと、仙台に来たという気分が出ないからだったが、晃は次の泉インターまでクルマを走らせた。たいした距離ではないが、ここからが意外に険しい。高速を下りると国道四号バイパスである。仙台駅方面へ戻る感じにすぐ右折する。トンネルが出来たため、駅前に通ずる旧四号に出るのが楽になった。この辺りも山を切り拓いての造成が急速に進んでいる。来るたびに広い道が新しく出来ている。
 角にマクドナルドがある交差点で国道を左折する。そこからすぐに急な登り坂になる。急なうえに長い。二段階に坂が続く。凍結時のスリップ防止のため、歩道には砂置場がある。その坂道を登りきり、住宅街の路地に入る。一つ目の細い角を曲がる。するともう家の廂が見えた。
 門の前にクルマを停め、まずみんなを降ろした。佳子が蛇腹の門扉を開ける。そのあいだ晃は、ステアリングに覆いかぶさるようにして、助手席側の窓から横目で家の佇まいを見た。なにか正視できかねるような感じであった。家はやはり荒廃していた。いやそれはかつてを知っているからそう思うのであって、荒廃という言葉が当てはまるほど荒れ果てていたわけではない。実際問題として、空き家にしておくのは勿体ない家である。中身も人が住んでいた状態のままで放置されていたのであって、電気もガスも水道も通じているはずでる。古い設計の建物だと思わせるのは引き戸の玄関くらいなものだ。が、それでもやはり、人の住まなくなった家といのは、わずか一年あまりで、こうも崩れていってしまうものなのかと晃は思わざるを得なかった。玄関の廂には蜘蛛の巣がかかり、かつては立派な池もあり、それほど広いわけではないが十分観賞にたえられた庭も、雑草に被われていた。
 ブロックで囲われたガレージには、一年前の不燃ゴミの束が置かれてあった。晃は一度クルマを降り、それらを脇に退けてクルマを入れた。車止めの代わりになっていたのは、もはや使われる見込みのない、埃まみれのスタッドレス・タイヤだった。冬はこれを履いたらと佳子が言ったことがあったが、東京ではその必要はないし、第一サイズが合わない。
「やっぱり黴臭いわ」と佳子が言う。佳子と母がまず最初にしたのは家中の窓を開けることだった。音弥は、自分の背丈ほどもある雑草を引っこ抜きはじめ、舞那も着くそうそう泥だらけになった。
 晃はトランクから荷物を出し、玄関に運ぶ。「安西」という表札が煤けているのを見るにつけ、晃をやるせなくさせた。盆栽も片づけられ、雛壇だけが残っていた。スチール製の棚はなかば錆びていた。その裏に、十五年前ここを初めて訪れた時から妙に印象に残っている、木製の郵便受けが転がっていた。これには木の柱が付いており、かつては玄関脇に立てられていた。小豆色に塗られたそれはレトロな味があった。折々の記念日に、佳子たち家族は玄関を背景に写真を撮っていた。したがって、その絵の中にはこのポストも必ず入るという具合で、その記念写真を見せられていた晃には、この家の顔のようにも思えていたのだった。それが、支柱が腐り、根本から折れたためだろう、捨てられ転がされていたのだ。
 晃はそれを引っ張り出し、表を見た。木箱に直かに彫られた氏名と住所とは別に、後から付けられたらしいアクリルのプレートが貼ってあった。しかしそれも相当古いもので、墨書きされた文字はなかば消えかかっていた。

    安西憲真・リツ
    安西重雄・照子・佳子

 晃は心の中で声に出して読んでみた。このうち、男二人はすでに亡く、女一人は半身不随で入院中だ。それも、九十を越えるお祖母さんではない方が。おそらく再起不能だろう。「どうしてこんなんなっちまったかなァ」と晃は呟いた。しかし感慨に浸っている暇はなかった。家の中では子供らがもう大騒ぎをしていた。廊下から部屋へ、部屋から部屋へ、そしてまた廊下へと走り回っていた。長い時間密閉された空間に閉じ込められていたのだから仕方ない。
 この家は、昭和三十八年六月、ちょうど晃が生まれた、そのおなじ年のおなじ月に新築された。ということは築三十四年ということで、古いといえば古いし、それほど古くないといえば古くない。それから十年ほどのちに、祖父母の住居が増築されている。二世帯住宅のはしりみたいなもので、玄関はじめ台所やトイレや風呂も二つづつあり、廊下で行き来できるようになっていたが、扉を閉めてしまえば住まいは完全に二つに分かれていた。
 庭を入った祖父母方の玄関前には新しいポストが設置されていた。二年前、祖母を一人置いて佳子の母が単身東京に出てきた時に、──その後、祖母も千葉の娘の世帯に引き取られることになるのだが、先の木製の郵便受け(ポストと言うよりこう言う方が相応しい)を廃して、こちら側に新たに建てられたものである。土に埋め込まれた支柱の上に四角いボックスが乗っかったもので、形は似たようなものだが、アルミ製のそれは機能的なのだろうが味気なかった。差し入れ口には、入り切れなくなったチラシがいっぱい挟まっていた。雨に濡れたのが乾燥して膨らんでいた。晃はそれらを取り出し、選り分けた。無料で配られる地域のコミニティ新聞や飲食店のチラシは、あとで役に立ちそうだったので取っておくことにして、目的はガスと水道の検針票ないし領収書だった。
 電気代の領収書は毎月はがきが東京に転送されていた。ガスと水道については、口座から自動で引き落としされるので金額は知れたが、メーター番号が判らなかったので今まで停止させることが出来なかったのだ。それに当初は止めるまでもないだろうと考えていた。だが、別荘代わりにするといっても、そんなに足繁く来られるわけでもないので、今回止めることにしようと思っていたのだ。ガスは万が一のことがあるし、この冬、管に残っていた水が凍り水道管が破裂するということがあった。電話はすでに昨年末、権利だけ保持して休止扱いにしていた。
 市報の間からいいものが出てきた。地区ごとのゴミ収集日の変更のお知らせ。カラーイラスト入りで、分別の仕方が詳しく記されている。
「おい、三日にも不燃物が出せるぞ」と晃は居間に入っていった。台所からは、「あら、水道ちゃんと出るじゃない。ガスもつくわよ。これなら使えるわ」という母の声が聞こえた。
 昨日は残業するつもりはなかったが、やはり休み前のため若干残業する羽目になり、準備その他で二時間ほど仮眠をとっただけで出てきたので、晃はちょっと休みたい気もしたが、ここで一服してしまうと動く気がしなくなってしまうと思ったので、自分一人で手っ取り早く済ませられる用を先にしておこうと思い、すぐに出掛けることにした。
 母が何やら台所でガチャガチャやっていた。佳子がそれを手伝おうとしていた。
「ねえ」と晃は佳子に、「そんなことより、とりあえず隣近所に挨拶に行ってきちゃったら」と声をかけた。
「うん、そうね。さっき、お向かいの坂巻さんのところは、おばあちゃんが庭に出ていたんで、ご挨拶だけしたんだけど、まだ朝早いかと思って」
「いくらなんでももう大丈夫でしょう。特に、うらの岸部さんちは水道で迷惑かけてるからなァ」
「ええ、わかってるわ。すみません、おかあさん、ちょっと行ってきます」と佳子は菓子折りを携えた。
「ママどこいくの? ボクもいく」と音弥が言えば、「あたしもいくの」と舞那もまとわりつく。
「おれは銀行と郵便局に行ってくるよ」
 晃は再びクルマにキーを差し込んだ。

        三

 仙台銀行の最寄りの支店は、歩いてもすぐの所にあった。晃はまずそこへ行き、佳子の母名義の二つの通帳をATMの機械に差し込み、記帳した。通帳の一つは、日常メインに使っていたもので、水熱光費や保険料の決済口座になっていた。もう一つは、アパートの家賃が振り込まれる専用の通帳である。
 安西家は隣町に木造二階建のアパートを一軒持っている。隣町と言っても区が違うので、固定資産税などの管轄が異なり、最初のうち晃を悩ませた。間取りは、実質八畳の一間のほかに、キッチン・バス・トイレ・クローゼットが付いていて、八世帯が入れた。単身者向けの共同住宅だった。車も四台停められる。このアパートは、もともと佳子の祖父が、亡くなる二年前(ちょうど佳子と晃が結婚した年にあたる)に建てたもので、今年で丸十年になるが、建築費のローンが金利を含めまだ二千万以上残っている。だがこれはなかば相続税対策で建てられたようなもので、ローンにしても所得税対策ということもあり、借金の返済に当てられるのは家賃収入の三割り程度だった。
 アパートは祖父から父へ引き継がれ、父亡きあとは、本来、母と佳子で半々に相続するはずであったのが、どういう理由でか、相続税の負担が増えるにもかかわらず、面倒な手続きまでして、佳子に現金を含めたすべての相続権を放棄させ、母が一人で相続していた。その母が倒れた今、婿養子でもないのに、義理の母の財産一切を晃が管理していた。佳子は姉さん女房であるが、そういう方面には無頓着で、家計簿もつけたことがなかった。時に晃は妙な気持ちになる。これだけあったら、遊んで暮らせるというわけにはいかないが、つつましやかに生活している限り、この先働かなくても一生やっていけるのではと。宮城県庁の最高地位まで登り詰め、その後ある財団法人にいきなり専務理事として天下りした義父。その退職金や死亡保険金も手つかずで残っていて、貯金を含めその額はかなりなものである。晃から見れば、桁が一つ間違っているんじゃないかと思われるほどだった。
 ATM機のなかで、プリンターが行ったり来たりする音が長く続いた。終わったかと思ったらページを捲り、また動き出した。いったん店内に入り、ソファに腰掛け、中身を仔細に調べた。仙台銀行の支店は東京にも一つあったが、平日の昼間に、記帳するためだけにほかに用のない日本橋の人形町まで行かなくてはならず、ここ三カ月間はまったく行けなかったのだ。預金を引き出すだけならキャッシュ・カードでどこの銀行でも用が足りる。が、この記帳が大事なのであった。生活関係の通帳はどれだけ減っているか、アパート用の方は家賃がちゃんと入金されているかを確認しなければならない。
 晃がふと見上げると、窓口の女子行員と眼が合った。こんな閑散とした住宅街にある支店は、おそらく馴染み客ばかりなのだろう。もう一度自動支払機のある別室に行き、アパート用の方から、残高を何回かに分けて全部引き出した。預かり敷金も含まれていた。礼金や更新料はとっていなかったし、家賃もここ数年値下がり気味で、十年前の水準に戻っていた。そこから今回の旅費の分を自分の財布に入れ、残りを三つに分けた。一つはそのまま生活用の通帳に入れる。
 次に、隣町の徳陽シティ銀行に行き、アパート八世帯住人の一年分の町会費を、町会長の口座に振り込む。以前は不動産屋を介して戸別に徴収していたらしいが、徴収が難しいということで、家主がまとめて払うことになっていた。この分は、家賃の管理費には含まれていないので、結局家主が負担していることになる。また、空き室になっていた月の分もそのまま計算されていた。
 それから、さらに隣の町の北日本銀行とその道沿いにある七十七銀行に寄った。解約になり、すでに転出した住人の口座に、敷金と現状復帰代との差額を振り込み、不動産屋に改修費を振り込んだ。これらのことは、本当は東京でも出来ることであった。こうまでして振込手数料を節約しなくてもいいだろう。が、これらの請求書をたまたま直前に受け取っていたのと、せっかく仙台に来たのだからと思ったまでのことだ。
 七十七銀行にはほかにも用があった。義母名義のここ何年も使われた形跡のない口座があり、それを解約したかった。ほかにも日債銀に口座があり、これらは、義母が自分の母親を面倒見ていた時に作ったものか、もしくはその母親から相続したものらしかった。いずれにしろ大した額は入っていないはずで、通帳ばかりあってもしようがないので整理したかった。だが、いくら印鑑を持っているとはいえ、姓の違う女性名義の通帳を、今は染めていないにしろ髪を肩まで伸ばしたような、得体の知れない男が解約に訪れたら怪しまれそうでそれはやめにした。午後にでも、佳子を連れて出直すことにし、郵便局の本局も方向が違うので後回しにした。
 帰りにアパートに寄った。そしていろいろな角度から写真を撮る。駐車場には、カローラやブルーバード・クラスなら楽に四台停められるはずであった。ところが最近は4WD車など横幅の広い自動車が増え、裏にバイクを停めていたら出られなくなったという苦情がきていたのだ。たまたま入口側の一番端が空いていたので、試しに晃の、小型車枠いっぱいの旧型のアコード・インスパイアを入れてみた。白線内に苦もなく入る。階段との隙間の通路も十分なスペースがある。だが、白線は消えかかっていて、少しづつずれて乱雑に停めたりすると、大型のバイクは通れないかもしれないと思った。さらに角にはゴミ置場があり、塀が斜めに切れ込んでいる。そこはアパートの分だけでなく、近隣のゴミ・ステーションになっていたので、この塀をずらすわけにはいかないし、第一そこは敷地外だ。いづれは三台に減らして、一つを駐輪場にするか、一台を軽自動車専用にするか、いずれにしろ区画を変えなければならなくなるだろうと思った。
 煙草に火をつけ、時計を見ると、もう昼になっていた。

        四

 家に帰ると、案の定、家中ごったがえしていた。飾り物や趣味の物は、晃や晃の母が勝手に片づけるわけにはいかないが、そのほかのものはたとえ使えそうなものでも、もう使いそうにないものはこの際捨ててしまおうという方針だった。また、保存しておくものや、東京に持っていってもいいようなものは、段ボールに収納し、いつでも持ち出せるようにひとまとめにしておくつもりだった。衛生面もあるので、まず台所から取り掛かっていた。
 佳子の母がいくら料理を教えていたとはいえ、食器類だけでも尋常じゃなくあった。日常的に使っていたのならともかく、もう何年も、へたすると何十年も使われていないようなものが戸棚を開けるとたくさん出てくる。冷蔵庫だけは一年前の春に空っぽにしてあったが、ほかにも調味料や乾物、缶詰に酒類など、生物に近いようなものも後から後から出てくる。この家をどう処分するにしろ、あまりにも物が多すぎた。
 晃は、祖母の住居をひとつひとつ点検しながらひと巡りした。六畳二間に、四畳半のテラス風な洋間、それに台所とバス、トイレ、納戸。勝手口にも三畳ほどの土間があり、倉庫になっていた。
 祖母が千葉県柏市の娘夫婦のところに引き取られたのは一昨年の十一月だったが、きれいに片づけられていた。いくつか残っている品物もある。だがそのほとんどは日常の調度品や消耗品で、捨ててもいいと判断されるものだった。その引っ越しには佳子も晃も立ち会っていない。佳子の母がどの程度手伝ったかは判らないが、おそらく多くは手を出さなかったに違いない。リツばあちゃんらしいやと晃は思った。しかしそれは、飛ぶ鳥あとを濁さずといったものではないだろう。お祖母さんにしてみれば、お祖父さんを看取ったここはついの住処と定めたところで、老い先短く夢々出ていくとは思っていなかったはずだ。息子が、しかもあんな形で死にさえしなければ……。それを思うと無念であったろう。嫁に追い出されたようなものだと思っても仕方がない。ただ、今にして思えば、その一ト月後に義母が東京で倒れたのだから、これで良かったのだとも思えるが、それは結果論であって、順序が逆だ。
 祖母が寝室に使っていた六畳には、佳子の母が東京のアパートに持ち込んでいた荷物が梱包も解かれずそのまま置いてある。入院が長引くことが判った時点で、アパートをたたみ、仙台に送り返したものだ。その際、一部は晃の家の、独立して家を出た弟の部屋だったところに保管したが、それでも、一人暮らしとは思えないほどの、おびただしい量の所帯道具があった。
 音弥と舞那は、いろいろ面白いものが出てくるので、それらをみんな遊び道具にしていた。八畳の和室を好き放題にし、散らかすのに余念がない。それでも余計な手伝いをされるより、二人で遊んでいてくれた方がましというものだ。
「あっちの荷物は今回手つけられそうにないね」と晃は言いながら、居間に入っていった。佳子と母は、仙台市指定と印刷されたゴミ袋に不燃物を詰めているところだった。
「お昼どうしましょう」と佳子が母を伺うように言う。
「わたしは何でもいいわよ。子供たちを優先させて」母が答える。
「弁当でも買ってくるよ」と晃が言うと、すかさず「いっしょにいく」と音弥が言えば、舞那も口を揃えるので、散歩がてら二人の手を引いて近所のセブン・イレブンに行った。クルマで乗りつけるほどではないが、坂を登ったり下ったり歩くと意外に遠いのだった。
 帰りは別のルートを通ると、路地裏の思いがけない処に駄菓子屋があった。店先に小学生が数人たむろしている。しまったと晃は思ったが遅かった。だがそこは、思わずカメラを向けたくなるような昔ながらの駄菓子屋で、子供らにつられて晃も奥を覗いてみた。モノクロのフィルムで撮ったら、このままでもいつの時代だか分からなくなるだろうと思えた。ただ、店番をしていたのは三十前後の若い主婦で、小学生らに小気味よい対応をしていた。仙台弁でやりとりされるその応酬は晃には面白く聞こえた。旦那はどこかに勤めているのだろう、店を任されているらしいその主婦は脇に乳飲み子をかかえていた。かがんだりすると、みごとに張った乳房がこぼれそうになり、匂ってくるようだった。ほの暗い駄菓子屋とは何かちぐはぐな感じがして、そこがまた面白くもあった。
 その路地を出て、通り沿いを歩いていると、もう一軒コンビニエンス・ストアがあった。新しく出来たのだ。いや改装したのだ。以前そこには崩れかかったようなパン屋兼雑貨屋があったはずで、この道はクルマでもよく通るのだが、地下鉄の駅の方へこの店の直前で右折してしまうので気づかなかったのだ。
「パパ、こっちのほうが近かったね」
 音弥が大人びた口調で言う。しゃくなので、
「でもブリトーは売ってないよ」と晃は答え、さっき買った駄菓子の袋をさっそく音弥が開けようとするのを、「それはゴハン食べたらっていう約束でしょ」と遮る。
 最後はまた舞那のおんぶ攻撃がはじまり、晃はコンビニの袋を腕に通して、舞那をおぶって坂を登った。
 食事をするとさすがに眠くなってきた。
「舞ちゃんおめめが真っ赤よ。お昼寝しましょう」
「あなたもすこし休んだら。布団まだ干してる最中だけど、そんなに湿ってはいないわよ」
 いや、三時までにもう何軒か銀行に行って、郵便局にも行かなきゃと思ったが、もう二時を回っていたし、まだ明日もあるかと思い直して、晃は舞那と昼寝しに二階に上がった。

        五

 その日と翌日の最初の二日間は、家が、晃の母を含めるとまともに寝泊まりできる状態だったか怪しかったので、仙台駅から青葉通りを少し行ったところのホテルに部屋をとっていた。実際にはその必要はなかったようだが、当日ではキャンセルするのも馬鹿らしく、たまには市街のホテルに泊まるのもいいかと思って、片づけを適当に切り上げると、晃は再びハンドルを握り、日が暮れる頃にはチェック・インしていた。
 部屋に通されても、旅館と違って落ち着いてどうこうするということもないので、すぐにホテルのレストランに降りていった。そのホテルは基本的にはビジネスホテルであるが、感じとしてはシティホテルに近いものがあり、幼稚園生のくせにそういうところの好きな音弥を喜ばせた。仙台一の歓楽街、国分町もすぐ近くだったので、外へ食べに行っても良かったのだが、子供もいることだし手近なところで済ませようということだった。だが、何やら洒落たキャンドルが灯り、静かでアダルトな雰囲気だったので、入ってしまってから少し躊躇われた。何にすると訊くと、音弥はすかさずステーキと言う。一人前は食べられないだろうと思っているとぺろりと平らげてしまった。
 翌朝は、ホテルのバイキング形式の朝食はとらずに、ファーストフードの店からハンバーガーやサンドイッチを買ってきて、西公園という広瀬川沿いの公園で食べた。この公園は、仙台西道路を挟んで桜ケ岡公園とも続いており、図書館や市民プール、天文台などもあった。季節ごとに植木市が行われたり、夏は花火大会のメイン会場になる。
 十一時半を目安に、C60蒸気機関車の実物が展示されてある所で落ち合うことにし、音弥と舞那を母に預け、佳子と晃は銀行廻りに出掛けた。
 四つの銀行をめぐり、意外にスムーズにいったので、時間をオーバーしそうだったが、その足でアパートを管理してもらっている不動産屋にも挨拶に行った。本当は実家をどうするかという相談もあった。佳子の母は、そこもアパートか貸家にするつもりであった。やがては東京に全面的に移る心積もりであったのか、一部を住居として残した上での計画であったのかは判らないが、一昨年の暮れに倒れていなければ、年明け早々にも具体的に動きはじめるはずだった。だが、こうなってしまった以上、今すぐにはどうすることも出来ない。それにこちらの考えもまとまっていないので、軽く匂わせる程度にとどめた。
 西公園とひと繋がりになった桜ケ岡公園に迎えに戻ると、蒸気機関車に乗っかってはしゃいでいるのは舞那の方だった。すばしっこいくせに度胸のない兄に比べて、怖いもの知らずの妹は、お釜の方にまで回り込み、登ってはいけないようなところまで攀じ登ろうとしていた。晃がカメラを向けると手を振るので落ちそうになる。兄の方はと見ると、棒切れで砂に絵なぞ描いている。SLのスケッチだ。なかなか精密に描けている。晃はそれもフィルムに収め、
「うまいじゃん、よく描けてるよ。砂に描いたのはもったいなかったな」と、実物と見比べながら言うと、音弥は得意そうである。おれも相当な親馬鹿だなと晃は苦笑した。
「用は済んだの」と母が訊く。
「ああ、ついでにEホームズにも行ってきた。子供たち大丈夫だった?」
「ぜんぜん大丈夫よ。でももう追いつかないわね。さっきまで走り回っていたのよ」
「すみません、子守までさせてしまって」と佳子が言う。
「ここなら外に出る心配がないから」と母は佳子に、そういうことは気にしないでというように手を振る。
「一番大きな用事が済んだよ。例の問題。病院を出なければいけないっていうやつ」
 佳子の母が最初に担ぎ込まれたのはQ大付属病院だった。もう大晦日間近のその日は、朝から冷え込んでいた。朝、トイレから出ると急に胸が締めつけられるようになり、呼吸が出来ずとても耐えられない状態になったらしい。それですぐに佳子に電話した。佳子は自転車で二分とかからずに駆けつけた。その尋常でない様子にすぐ一一九番した。搬送されたのがアパートから自動車なら五分で行けるQ大病院であったことも幸いした。もし、最初に自力で電話できなかったり、家族がそばに住んでいなかったら……。
 とりあえず命は助かった。が、そのあとの方が大変だった。心筋梗塞から脳梗塞を併発したのだ。強い薬の副作用もあったのだろう、一時は神経までおかしくなり、しばしば錯乱状態と言ってもいい状態に陥ることもあった。前日までピンピンしていたどころか、一ト月前には地球の反対側まで旅行していたような人が、ある日を境に、突如、身体の自由がまったく利かなくなってしまったのだからそれも無理はない。この先どうなってしまうんだろうと、佳子も晃も途方に暮れた。
 Q大付属病院には四カ月いて、そこから杉並J病院に移された。そこでも最初のうちは、おそらく幻覚を見るのだろう、おかしな言動をすることがあったが、次第に落ち着き、今年になってからは安定している。所々記憶が曖昧なところがあるにせよ、意識ははっきりしているから、周りの人間の方が酷くなる。治療の方はもはや治療らしい治療はしていない。心臓の機能が著しく低下しているため、手術などには耐えられないし、麻痺した左半身にしてもリハビリがままならない。安静を保ち、寝ているだけだ。ということは、病院側としてはこれ以上かかえていることは出来ないというわけだ。それでも杉並J病院は良心的な方で、今まで丸一年面倒見てくれていた。しかし、それもそろそろ限界というわけで、一時退院するか、病院を移ってくれということになった。病院からも、担当の先生からもいくつかの候補を紹介されたが、いずれも受け入れを拒否された。自宅で介護しろということなのだ。それはまったく不可能なことではない。誰かが犠牲になり、当然それは家庭の主婦になるわけだが、四六時中病人に縛られるのを覚悟すればいいのだ。が、小さい子供を二人かかえた状態では現実には無理だった。
 そこで、それを救済する機関が、杉並J病院にはあった。院長夫人が代表者となり、J病院を提携医療機関として別に設立されたヘルスケアクラブL。足元を見られているようだったが、病院も経営が成り立たないとやっていけない。地獄の沙汰も金次第というわけだ。
「それでどうすることにしたの」
「親父にも相談して、すこし調べてもらってたんだけどさァ、結局、例のヘルスケアクラブに入ることにしたよ。そこはけっこう理想が高くて、志は判るけど、本当にその通り保証されるのかどうか、たとえ向こうにそのつもりがあっても、組織やその母体がしっかりしていないと、あくまでも民営団体だから破綻して潰れることもあるわけでしょ、だから、先々週だったかな、約款と照らし合わせて、正直な疑問や不安を直接ぶつけてみたんだ。まあ、佳子が一人で行ったんだけど、それで話を聴いて納得して、ほかに解決方法もないしね、おかあさんにしてみれば、そうなった時のために金を貯めていたようなものだから、うちらがケチケチしていてもしようがないし、で、こっちに来る前の日に入会の手続きをして、いま六百万振り込んできた。振込が確認された時点で入会完了。だから正式には休み明けになるのかな」
「それは良かったわ。じゃあ、あの病院にずっといられるのね」
「はい、そういうことになりました。それにヘルパーさんも付くし、向かいにあるリハビリの施設も使えるようになります」と佳子が晴々とした顔で言う。
「なにも仙台くんだりまで来て振り込まなくても良かったんだけど、長銀の債券を二口解約して、富士銀行に振り込んだのね、それが青葉通りを挟んで真向かいにあるわけさ、大金持ってうろちょろするの嫌だったからね。札束がまさに右から左へ動いたわけ」
「でもあんな大金持ったことないから、道路を一つ渡るだけでもけっこうドキドキしちゃいましたよ」
「まあ、あなたたちが納得したんなら、それが一番いいかもしれないわね」
「ただ、これからどうなるか本当は分からないんだけどねェ。老人医療費の高騰の問題があって、保健法が改正されるというような話も聞くし、おかあさんの場合、まだ老人扱いじゃないからまた困るわけで、それと、銀行。これが信用ならなくなっちまったからさァ」
「そうよそれそれ、あんた長銀にどのくらいあるのよ」
「相当ある。というよりメインなんだ」
「あそこがいま一番危ないのよ。まだ表沙汰にはなっていないけど、知ってる? あたしのところにはすでに情報入ってるわ。会議所には各界のいろんな人が出入りするから話聞くと、みんな言ってるわよ」
「わかってる。だから頭痛いんじゃない。天下のロックン・ローラーも経済新聞読むようなご時世になってしまいましたよ。まったく、勘弁してほしいね。……これも近いうちにどうにかするよ」と晃は頭を掻いた。
「ところで晃、あなたいいかげん床屋さん行きなさいよね」と母が言った。
 晃はもう一度頭を掻いた。

        六

「おなかすいたー」と舞那が言う。
「おれもー」と音弥。
 もう昼である。どこかでランチにしなければと思ったが、途中郵便局の本局に寄り、そのまま家を通過し、区役所に直行した。昼休みはもう終わるところであったが、用事は後回しにして、地下の食堂に下りた。
 区役所ではふた手に分かれた。晃は、ガス会社の出張機関や水道局の窓口に行き、それぞれ停止する手続きをとり、佳子は、本館三階の保険年金課に行って、高額療養費の支給申請をした。
 佳子の母は住民票を移していなかった。倒れてから三カ月後、仙台へ荷物を戻しに来た際、住民票を東京に移し、現在は晃の世帯に入っているが、その間の高額療養費が仙台市から支給される。その申請も当時したのだが、最後の月の分はそのあとに通知書が届いたため、今日まで出来なかった。そのはがき持参のうえ、病院の領収書を提出しなければならない。事情を話し、申請の期限を延ばしてもらっていたのだ。支給額はこれから計算して追って連絡するということであったが、すでに仙台市からだけでも九十万近く支給されていた。もっとも、救急車で運ばれたのが暮れの二十九日で、それから元旦を挟んで集中治療室で生死の境を彷徨っていたのだが、その数日間の治療費だけでも軽く百万は支払っていたのだった。
 区役所の駐車場は広々としていた。待たされることもなく、出入り口や停めるスペースも窮屈でない。東京とはえらい違いだ。仙台という町は、もちろん場所にもよるだろうが生活するには程よい処で、まだ野心もあり都会派の晃でさえ時々ふと移住してもいいかなと思うことがある。きのうアパートを点検している時も、まるで自分がオーナーになったつもりでいたし、もう一、二軒おなじようなアパートを持っていたら、このまま仙台に引っ込んで管理人でもやりながらのんびり暮らすのもいいかもしれないなどと思ったりしていた。だが、義母をこの先も東京の病院に預けることが決まった以上、とりあえずそういう道は閉ざされた。
 みんなをクルマに乗せ、エンジンを始動させると、晃は思わず「ふう」と溜め息をついた。そして、
「これで、当面やらなければいけないことは全部済んだかな。あとはお寺だけだ」と呟いて、ハンドブレーキを下ろした。

        七

 午後はまた片づけを再開し、出せるゴミは今日中に始末してしまおうということで、いくつもの袋に分けて詰める作業を中心にした。囲いのある集積場にはもうすでにゴミが出ていることを確認してきた晃は、それでも一応暗くなるのを見計らって、何箇所にも分散させて捨ててきた。トランクはもちろん助手席や後部座席を埋め尽くしても一回では済まなかった。町内中を廻り戻ってくると、母が言った。
「これで少しはすっきりしたかしら」
「ええ、お陰さまで。なんとか目処が立ちそうです」
「いや、まだまだだよ。なにせお中元だ、お歳暮だって、うちと違って贈り物が多い家だし、冠婚葬祭に出ることも多いから、引き出物が山ほどある。それをまたしまって置く場所がいくらでもあるから、全部とってあるでしょ。つまらない景品のたぐいまであるからね」
「そうね、これなんかも結婚式の引き出物よね。熨斗までついたまま」
「孝之・幸子って、わたしが高校生ぐらいの時のだわ」
「だろう。まあ、そういうのはフリーマーケットでもバザーにでも出せるから、あとで別にまとめておくけど」
「それより母の洋服だわ。見るもうんざり。でも……、捨てられないのよねェ、かわいそうで」
「あれはすごいわね」
「うーん、おれ、服集めが趣味っていうモデルやってる子の部屋見たことあるけど、それよりすごいよ。バザーに出すにしても……」
「佳子さん着られないの?」
「着られるわけないじゃない。おふくろ、それ失礼だよ」
「ミンクの毛皮のコートとか、たぶん高かったんだろうなと思うものもありますが、わたしああいうの趣味じゃないし、おかあさんにも合わないでしょう」
「アクセサリー類はいくらあってもいいかもしれないよ、でもそれにしても整理しないと」
「お気の毒だけど、もう着られないのね」
 という母の言葉に一瞬しんみりしてしまったが、今日は昼寝をしていない舞那は、そろそろ電池切れの時間で、おやつもろくに与えられていなかったからお腹も空いて機嫌が悪くなってきた。音弥もわけもなく妹にあたり散らす始末で、兄妹そろってぐずりはじめた。戸締りだけ確認して、とり急ぎ家を出る。
 選り好みしている余裕はなかった。手っ取り早く駅の駐車場にクルマを入れ、そのまま駅ビル内のレストランの食卓につく。当然ファミリー向けの店だ。ささやかな抵抗として、東京から出張してきたような店や全国チェーンは避けた。デザートはホテルの自動販売機にあったハーゲンダッツ・アイスクリームということにして、ホテルへ向かう。子供を風呂に入れると、あとは寝るだけである。
 しかし、晃はなかなか寝つけなかった。布団をはぎ、ジーンズをはく。ポケットに手を突っ込むと、ギター・ピックが出てきた。その刹那、なぜかレッド・ツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラヴ」のリフが頭の中を駆けめぐる。煙草を吸いに外へ出る。森閑とした真夜中のホテルの廊下にも、ハード・ロックのギターの音が反響しているようだった。身体が動いてしまう。いかん、頭を冷やそう。わざわざロビーまで降りて行って、自動販売機の罐コーヒーを買ってくる。
 もう一度寝ようとして、そうだ、忘れないうちに集計しておこうと思いついた。手帳と電卓と領収書を取り出す。晃は、今日までに、この旅行にかかった経費を項目別に書き出しはじめた。煙草代やら、自販機で買ったジュース代、子供に買ってやった駄菓子の金額までいちいち律儀に計上した。これらがすべて義母の財布から出ている以上、そうしないと気が済まなかったからだが、虚しい作業のようにも感じられた。

        八

 翌日、晃は、子供たちがガサゴソやる音で目覚めた。母もすでに起き、手荷物を整理している。隣のベッドの佳子は、こちらに背を向け布団にくるまっている。もう半分目覚めていて、わざと子供らを無視するように寝ているようだった。
 音弥と舞那は入口を出たり入ったりして、廊下を探検しているらしい。スリッパで走るのが面白いとみえて、パタパタ走る音が近づいたり遠ざかったりしていた。二人の声は、子供なりに押し殺しているつもりなのだろうが、なお響いた。もっとゆっくり寝かせてくれと晃は思ったが、一度眼が醒めるともう眠れなかったし、チェック・アウトの時間もあったので、すぐに跳ね起きた。意外に身体は軽かった。それにつれて佳子も起き上がる。母の手前、寝乱れた格好をすぐに整え、化粧室に消えた。
 朝食はホテルのバイキングでとることにした。母が、子供の言いなりになって皿に盛ってくるので、テーブルには朝っぱらから盛大にご馳走が並んだ。母が自分の分を取らなかったのと、佳子がセーブしたので、それでもなんだかんだと平らげる。子供は、お腹いっぱい食べてしまうともう落ち着いてはいない。容赦なく走り回る。母が気を利かせてロビーに連れてゆく。佳子が慌てて立ち上がるのを、
「あなたたちはゆっくり珈琲でも飲んでらっしゃい」と制止する。
 窓際の席に移り、高層階から仙台の街を見下ろしながら、熱いエスプレッソを飲む。
「なんだか久し振りにまともな珈琲を飲んだような気がするわ」と佳子が言う。
「そうだね」と晃が答える。
「一本ちょうだい」
 晃は煙草の箱をすべらす。そこから一本抜いて、佳子は煙草を玩ぶようにして口に銜える。晃がライターの火を差し出す。
「おかあさんの前だとちょっとね」と佳子は一口吸うと言った。
「なんだよ今更。知ってるよ。おふくろも一時吸ってたことあるんだぜ」
「あらそうなの、知らなかった。でも、やっぱりねェ……」
 相変わらず子供は騒がしく、親に預けている時でも気になるもので、夫婦水入らずというわけにはいかないが、ようやくゴールデン・ウィークで旅行に来ているような気分になってきた。街なかの往来も昨日までとは少し異なるように見える。仙台に来て三日目、五月の三日である。
「浄衆寺にはきょう行くっていうことは?」
「言ってあるわ。七回忌の法要の日を決めて、例のお墓を移す件がまとまれば、とりあえず肩の荷は降りるわね」
「杉原家からは?」
「任せるって言われてるの」
「やっぱりお盆かなァ」
「お寺さんの都合次第ね。ほかに休み取れないでしょう」
「いやそんなこともない。お盆は寺も忙しいだろうから避けた方がいいかもね。七夕の近辺も混むし、遅れついでだとはいえ、少しでも早い方がいいでしょう」
 佳子の父の命日は二月六日であるから、本当は今年の冬にやらなければいけなかった。そして実際、昨年末には法事の日取りを決めていた。だが、晃の祖母がもう末期の癌だということが判り、自宅療養していたのが正月すぎから再入院し、その後は恢復することなく、七回忌を予定していた頃にはいよいよ危篤に陥っていた。それで延期されていたのだったが、祖母は心臓が強いのか危篤状態は永く続き、春のお彼岸にも七回忌は予定できないでいたのだった。
「そうね。まだか、まだかって、お祖母ちゃんからは何度も電話あって、あたしの目の黒いうちに早くやってくれってせっつかれているのよ」
「そりゃそうだろうけど、本人は来るつもりないんだろう?」
「そうみたい。うちと杉原の叔父さん叔母さんの身内だけでいいって言ってるのに、ほかにも声かけるって言うし、なんでも取り仕切ろうとするのよ」
「肝心の施主が動けないんだからなァ」
 二杯目の珈琲を飲み干し、煙草を灰皿に揉み消すと、晃は、
「まあ、とにかく行きますか」と苦笑いしながら立ち上がった。
 寺町と云われるくらい、東北大の医学部と付属病院がある裏手は寺の多い所である。仙台は城下町らしく道路が碁盤の目のようになっているので、道は分かりやすいのだが、その付近はやや込み入っている。一方通行も多く、しかも時間によってその方向が替わったりする。駅の方面からは来たことがなかったこともあり、晃は迷ってしまった。佳子もあまりあてにならない。そういえば、やはり迷ったことがあったと、晃は思い出していた。いつだったか、あれは誰の葬式の時だったんだろう、一方通行の逆に出てしまい、読経の時間が迫っていたので、佳子が骨壺を抱えて寺まで走ったのだった。その時の情景が目に浮かんできた。
 寺への挨拶と用談を済ませ、そこからは目と鼻の先の市営霊園に向かった。それは仙山線の線路が見下ろされる高台にあった。区画もゆったりしており、広々とした、感じの明るい霊園である。
「こんなに近かったかしら」と母が言う。「ここなら、お墓をわざわざ移すことないんじゃないの。さっき見せてもらった場所になるんでしょう。こっちの方が広くて感じもいいじゃないの」
「そう思うんだけどねェ。お祖母ちゃんがどうしてもって言うんだ」
「ここにはもうあと祖母とうちの母しか入りません。それで安西家はお家断絶。……私たちは東京だから、霊園よりいつもお坊さんがいるお寺に移してくれっていうことなんです。死んだあとのことまで心配しているんですよ」
「照子さんも入るわけだから、あなたたちの代まではそれでいいかもしれないけれど、音弥たちの代になったらねェ……」
「それに市営の霊園の方が管理費が安いし、なにより勝手に来て勝手に帰れるでしょう、お寺だとそういうわけにはいかないからね」
「実はあのお寺もいろいろあるんですよ。今の住職はいい人で、きちんとしているのですが、前の住職は酒ぐせが悪くて、お妾もいたとかで、ついには自宅に火つけて奥さんと無理心中してるんです」
「あら、まあ……」と言った母の声と、「あッ、電車だァ」と叫んだ音弥の声はほとんど同時だった。
 杓を放り投げ、弾みをつけるようにして、音弥が坂を勢いよく駆け降りる。その後ろを追った舞那は、あっと思う間もなく石に躓くと、派手にダイビングした。
 晃は、子供たちに手伝わせて墓石を洗う。ほとんど水遊び気分である。佳子は線香に火をつけ、母は花を活ける。墓碑銘を覗き込んでいた母が、
「お父さん、六十一じゃね……」と溜め息をつく。
「それ数えだから、実際にはちょうど六十。誕生日をすぎて一ト月もたっていない」
「そういえば還暦のお祝いをしましょうなんて言ってたのよね。うちの主人とは趣味も合いそうだったから、もっとお付き合いしたかったのに……。残念というより、くやしいわね」
「男の六十は厄年なんだよ」
 晃はそう言って佳子から線香を受け取った。

        九

 家に帰れば掃除が待っているだけだからと、昼食は、国道四号バイパスまで出て、東京近辺ではあまり見掛けない、ファミリー・レストランをちょっと高級にしたような蟹料理の専門店に行った。佳子の母が蟹が好きで、晃もここでよく振る舞われていた。晃の母も蟹は好物で、労をねぎらう意味でここにしましょうと佳子が提案したのだった。
 子供のくせに音弥は、蟹味噌を旨いうまいと判ったような顔をして口へ運ぶ。舞那は、仙台名物のはらこ飯を、こぼすしている方が多いんではないかと思えるような食べ方で頬張る。
 結婚後はじめて仙台に来た時のことが思い出された。十年まえ。あの時は、憲真じいさんもリツばあちゃんも、もちろん佳子の父も母も揃って、蟹の身をほじっていたのだった。髪を短く切った晃は、畏まって座っていた。それを思い出すと思わず苦笑がもれる。おれもあの頃は、なんて純真な青年を装っていたことか。しかし、今にして思えば、本当に純真だったのかもしれないと、晃は窓硝子に写った自分の顔を見つめた。
 その日と翌日はもう家に泊まることにしていた。家の整理をはじめてみて、これは到底今回だけでは片づかないと諦めたので、これ以上は手を広げないことにして、引っ張り出した荷物の整理をのんびりしながら、晃などは、そろそろ飽きはじめた子供たちを近くの公園に連れていったり、夜はみんなでテレビを見たりして過ごした。
 夜が更け、佳子は子供を寝かせに二階にいく。晃と晃の母は所在なげにお茶を飲んでいた。晃は、チェック・リストのすべてが消されたことを再度確認し、手帳を閉じた。お茶を一口啜り、煙草を銜える。母が言った。
「照子さんが、佳子さんに相続を放棄させてまで、一人で遺産を相続したのは、やっぱり、こうなることを見越していたからなのかしら」
「そうだと思うよ。いろいろパンフレットを取り寄せて、老人ホームをあたっていたぐらいだから」
「でも結局、佳子さんの手を煩わしているわけでしょう。どういうことをしても、年取れば最後は子供の世話になるのよ」
 晃はなんだかこそばゆいような感じがして、一度手に持ち替えていた煙草を銜えると、蟹料理屋でもらった燐寸で火をつけた。
「……いえね、重雄さんが急死したっていうんで、泡食って、もう臨月だっていう佳子さんを連れてこっちに駆けつけたでしょう、まだ重雄さんが亡くなったっていうこと自体信じられないような状態で、お焼香もそこそこに、照子さんに呼ばれて、佳子には相続を放棄してもらいますからって、はっきり言われたの。それは面食ったわよ。まだ旦那さんが亡くなったばかりだっていうのに、普通そこまで考えるかしら。一体どこからそういう考えが浮かんできたのか」
「それは……、一つには、おとうさんの死因にも原因があるわけだけれども、たぶん、これはあくまでもおれの推測なんだけど、こういうことだと思うんだ。つまり、佳子が半分相続するでしょう、これは正当な相続で、ほかに兄弟もいないから揉め事も起こらないで済むはずなんだ。で、佳子が半分相続したとするね。それで佳子が死んだとしたらどうなる? ……おれと音弥と舞那で分けるわけでしょ。すると、その財産は城山家のものになってしまうんだよ。そのあとでおれが後妻でも貰ったひには、まったく赤の他人のものになってしまう。それを恐れたんだと思う。単に金銭の問題ではなくて、もし佳子が先に死ねば、おかあさんにはおれしかいないことになるわけ。おれが逃げちゃったら、老後は一人。そうなっても金さえあれば何とかなるし、金を餌におれや孫をつなぎ留めておくこともできる。そう考えたんじゃないかな。……そしてそれは実際その通りになったわけだ」
「え、まさかそんな、自分の娘が死ぬなんてことまで考える? それはそういうこともありうるかもしれないわよ、でも、旦那さんのお通夜の席で、そこまで気を回すかしら」
「いやそれがさァ、そういうようなことが実際におかあさんの家系では起きていたんだ。おかあさんは、六人だか七人だかの兄弟の四女なのね。それで、とにかく長男が家を出たか勘当されたかで、二女が増保家を継いで、婿養子を貰った。ところが、その二女が死んでしまい、婿養子が家を継いだわけだ。そこに後妻が来た。二人は赤の他人、しかも水商売をやっているような。いや水商売をやっているから悪いというんじゃなくて、まあ、ヤクザな人達らしいんだ。ただ、おれは会ったこともないから本当のところは知らないし、実際どうなのかは判らないよ、というのは増保のお祖母さんも相当きつい人だったらしいから。……それでまあとにかく、お祖父さんが亡くなったあと、家や財産だけ貰って、お祖母さん、つまり照子さんのお母さんを追い出しちまった。長男ははなから関係ないし、長女と四女は他家に嫁いでいる。三女は進駐軍の米兵との間に私生児を生んで、二十年くらい前に死んでるの。二男にはおれも会ったことある。弱腰の人で、たしか奥さんもだらしない人だって聞いている。で、この人も数年前に亡くなってるの。それで唯一頼りにしていた末の弟も、ちょうどおれたちが結婚した年に癌で亡くなったわけ。だから、一番恵まれていた照子さんが、よいよいになったそのお祖母さんの最期を面倒見て、葬式も安西家から出したのさ。……この家で葬式したんだから。婚家から実家の葬式を出すなんていうことは、普通ではありえないことだけど、その時は、安西のお祖母ちゃんも快くそうさせてるんだ。葬儀センターみたいなところでしないでさ」
「それは知ってるわ。照子さんは感謝しつつもそれを当然のことのように言っていたけれど、お祖母ちゃんはそれをまた恩着せがましくわたしにも言っていたわね。……その辺りからかしら、照子さんとお祖母ちゃんの反りが合わなくなってきたのは」
「いや、もっと根は深いと思う。ただ、あんなに仲が悪いとは思っていなかった。おれから見ると、二人はよく似ていて、だから駄目なのかもしれないけれど、はじめて会った時は、本当の親子かと思ったぐらいだからね。ただあの頃は、佳子に言わせるとこの家の柱であり緩和剤だったお祖父ちゃんが生きていたし、一人でも他人が入ると……、だからおれの前ではということもあったんでしょう。でも、もともと、リツばあちゃんにしてみれば、照子さんは嫁に来た時から気にいらなかったんだと思う。……安西家は、飛び抜けていい家柄というわけではないけれど、静岡の旧家で、一応家系はしっかりしているのね。お祖父ちゃんのお父さんは、まだ廃藩置県の直後くらいに村長だか町長だかを務めたこともあるという人で、お祖父ちゃんは、学生時代、浅草を徘徊していたというようなモダン・ボーイだったのね。関東大震災の時は、たまたま郊外の教授の家にいてあわゆく難を逃れたらしい。私大出とはいえ、当時としてはインテリなわけだ。お祖母ちゃんの実家はよく知らないけど、北海道の函館、というより松前藩の出身で、ということは田舎者ではないわけ。それで、お祖父ちゃんは家庭裁判所や少年院で保護監察司などをして各地を渡り歩いて、最後に仙台に来た。東京にも長くいて、だからおとうさんは神田の生まれなんだ。……そして自慢の息子は、新制東北大の一期生で、法学部出のエリート官吏だ」
「そうよね、改めて聞くまでもなく、佳子さんの家が立派だっていうことは、あのお祖母さんのかくしゃくとした物腰や、重雄さんを見ていてもよくわかるわ。あなたが結婚するって言い出した時は、身分違いじゃないかと思ったくらいだもの」
「たしかに。でも、うちだって、お祖父さんの代からみんな大学出で、そうそうおふくろの方のじいさんは、憲真じいさんとは学部が違うけど同級生かもしれないんだよ、ロックなんかやっているようなおれですら、一応名の通った大学を出てるインテリ揃いなんだ。ここよりは狭いとはいえ、東京にしてはかなり広い一戸建ての家も持っているし……。まあそれはともかくとして、そういう安西家に、県庁にアルバイトで来ていただけの、お祖母ちゃんから見ればどこの馬の骨ともわからないような、下町の商人の家の娘が来たわけさ。おかあさんだけは全国的にも有名なお嬢様学校の仙台校を出ているけれど、ほかの兄弟はみな、こう言っては悪いけど、がらっぱちの田舎者で、教養のない人達なんだ。もうその時点から気に入らなかったんだと思う。……逆に、おかあさんからすれば、それは玉の輿で、自分の家がそうだったから、反動で、いい意味でも悪い意味でも上昇志向が強くて、安西家への固執も強かったの。だから、安西家の嫁として、なし崩し的に安西のお祖母さんを見捨てるようなことをするなら、本当は、増保姓に戻って、その上で東京のおれたちの所に来るなら、筋は通っているんだ。お祖母ちゃんと決定的に決裂するなら、それくらいの覚悟は必要だと思う。でも、増保姓に戻る気は毛頭ない。いいことが何もなかった家だから。たぶん考えたこともないと思う。それに、そうすると、重雄さんと一緒のお墓には入ることはできなくなるし、増保家の先祖代々という墓はすでにないから……」
「なるほどね。ずいぶん苦労されているんだ。兄弟が多いと大変だわ。……でも、照子さんも安西家に来てからは幸せだったんじゃないの?」
「うん。少なくとも憲真じいさんが生きていた頃まではね。嫁姑の問題といったって、それはどこの家でも多少はあるという程度のもので、いくらでも修正できたはずなんだ。ある意味ではおとうさんの怠慢で……」
「それに、お祖母さんの面倒を見るといっても、お祖母さんはあの歳でも自立して生活していたわけだし、けっこうやりたいこともいろいろやっていたでしょう」
「そう、だから、致命的だったのは、嫁と姑が分裂するより先に、肝心の夫婦のあいだの仲がおかしくなってしまったことなんだ。それもお祖母さんのせいではなく」
「重雄さんに女がいたっていう、あれのこと?」
「いたことはいたらしい。でも、あのおとうさんはそんな生臭い人ではないし、どこまで本当なのかはわからない。おとうさんの側からすれば、それは口実であって、あるいはたまたまそういう方に逃げるしかなかったのであって、もちろん奥さんにしてみればそれは由々しき問題だけれども、本質的な問題はそうじゃないと思う。これに関しては、そこまで事態が深刻なことになっていたとは、佳子もおれも気づかないでいて、あとから思えば悔やまれることだけど」
「でもまあ、それは仕方ないでしょう。夫婦のことは、親でも子でもわからないものだから」
「おとうさんは、もともとお坊ちゃんタイプの淡々とした人で、それほど出世にもこだわってはいなかったみたいなんだ。でも、おかあさんは当然こだわっていたろうね。それと、エリート官吏の理想的な妻というのを、無理にでも演じようとするようなところがあって、旦那にもエリート官吏像を要求していた。それはお祖母ちゃんにもあって、息子にそういう夢を見ていたね。そしてそれは実現したわけだ。すべてはおとうさんの忍耐によって。……日常の生活でも、たとえば、おかあさんは朝からこれぞ朝ご飯という料理を作るの。良き妻の務めとして。お茶漬やミルクとトーストだけで済ませるようなことは決してしないの。それがまた、あたしはこんなにいい妻をやっていますと言わんばかりなのね。でもおとうさんは、おれなんかと同じ体質で、朝っぱらからそんなに食えないし食う気もしないわけ。だけど、ちゃんと食べないと、おかあさんが不機嫌になるから、無理してでも付き合っていた。つまらないことのようだけど、そういうことが積もり積もって……、ということだと思う」
「そういうことはあるかもしれないわね。毎日のことだから、案外そういうことは無視できないのよ。つまらない些細なことでも」
「まあ、佳子のいない所でおれが言うとさァ、第三者だから容赦なくなって、結局悪口になってしまうから、あまりいい気分じゃないんだけど、今言ったようなことは佳子とも話していたことなんだ。……ただ、もう一つ言えば、煎じ詰めればこれもおとうさんの責任で、おれが仙台に来た時も、おかあさんはその調子なのね。でもおれはマイペースを貫いて、朝はなかなか起きてこないは、朝メシは食わないわで、最初は相当気分を害していたと思うよ。けれどもそのうち、あァ晃さんというのはそういう人なんだと慣らされちゃって、というか諦められたのかもしれないけれど、最近ではそれでおかあさんも問題なくやってこれたんだ。……いまの朝メシの話、おとうさんが辟易していたというのを人伝に聞いて、おかあさんも相当こたえたみたいだしね。もちろん、その分、おれは婿養子でもないのに、扱いとしては婿養子のようなもので、妥協するところは妥協していたし、自分で言うのも何だけどずいぶん尽くしているからね。だから、おとうさんだって、結婚当初からそういう風にしていれば……。自分の家にいる時くらい、誰にも気兼ねなく寛げないとね」
 母が時計を見た。十二時を回っている。晃もこの話はもう切り上げるべきだと思った。
「いずれにしても、今となってはどうすることも出来ないことで、ここでああだこうだと言っていてもしようがないよ。……まあ、最終的におかあさんとお祖母ちゃんが決裂したのは、おとうさんがああいう死に方をしたからで、それがなければこんな風にこじれることもなかったと思うし、今回、おかあさんが倒れたのもそれが遠因をなしていると思う」
「わたしもそれは思っていたわ。その事実ではなくて、それを実の娘にまで隠していたということが、いつもどこかで重く伸しかかっていたのじゃなくて」
「たぶん。おかあさんの症状が安定してきたのは、佳子にその事実を認めたあたりからだからね。でも、それは佳子もとうに許しているよ。どちらかというと父親寄りだった佳子が、母の側について父親に冷淡になったのは当然でしょう。だって、あと二カ月で、実の、それも一人娘にだよ、初孫が生まれるっていうのに、どんな事情があったにせよ、自殺するかね」
 晃も思わず激してくるのを抑え切れなかった。母が最後に言った。
「晃、とにかく、佳子さんにはもう帰る家がないんだから、あんたがしっかりついててあげなさいよ」
「わかってるよ」
 晃の瞼に、ありし日の部屋の様子が浮かんだ。この部屋で、お嬢さんをくださいと言った日から、それは覚悟しているさ、と心の中で呟いた。
 それは真である。その気持ちに偽りはない。だが一方で、そこに打算が含まれていることも晃は自覚していた。もしかして、一番したたかで、一番得をしているのはおれかもしれない、そう思うと晃は後ろめたい気持ちになる。しかし、打算があろうがなかろうが、自分の都合のいいように安西家から甘い汁を吸おうが、それを悪用するつもりはないし、佳子を裏切りさえしなければいいわけで、(と思うとそれはそれでまた重い気分になってくるのであったが)、決して悪いようにはしないさと、気を取り直して、子供二人に占領された布団の端っこにもぐり込んだ。

        十

 来仙四日目、晃は眠い目をこすりながら起きた。身体も重く、首筋が痛かった。昨夜は結局、神経が昂ってしまい、布団を抜け出してしまったからだ。
 煙草を吸いに義父の書斎に降りていった。そこは表に面しているにもかかわらず、家の中から見ると奥まった、やや隔離された位置にあり、家中でもっともじめじめした部屋だった。しかしここは落ち着けるのであった。義父は、晃が来ている時でもよくここに閉じ籠もっていた。義父の避難所であったのだ。
 義父の死後、晃は今の職場に就職する前でたまたま職を離れていたので、葬儀のあとも仙台に残り、義父の遺品を義母や佳子に代わって整理した。佳子は身重だったし、義母にしてみればまだ生々しくて手をつけられなかったのだろう。二カ月後に初めての出産を控えていた佳子は、もともと里帰りするつもりであったので、そのまま残ることになっていた。義母の意識がそちらに逸れはじめていたこともある。義父の死が突然の自殺であったことを考えれば、佳子の出産は義母にとって気が紛れるちょうどいい慰みであったのだ。
 ところで、義父が自殺したなどとは、晃もそして佳子も夢にも思っていなかった。誰からも知らされていなかった。迂闊にも、そういう疑いすら抱いていなかった。あとから思えば、葬儀でも不自然な点があったと思い返されるのだが、当時は急性心不全というのをまるで疑ってはいなかった。おかしいと気づきはじめたのもずっとあとになってからである。そして、いまだにはっきりした具体的なことは何も知らないのだった。
 義父の職場には、財団のものとも私物ともつかないようなものが大量に残されていた。晃はそれらを職員と選り分け、大分の荷物を何度か往復して持ち帰った。几帳面でファイル魔だった義父は、義母とは性質が違ったが、やはり物持ちが良かった。何よりも多かったのは書類であるが、それに次いで書籍や雑誌にレコード、そして一番目立ったのは夥しい数のカセット・テープだった。FM放送のエア・チェックを趣味としていた。ほとんど毎日のように、時にはタイマーを使って録音されていたから、実際には聴いていないものもかなりあるのではないかと思われた。すべてのラベルに、サインペンで几帳面にタイトルなどが書き込まれ、番組表の切り抜きも貼ってある。これだけでも相当なコレクションである。晃は、これらを一応すべて保存しておく前提で、六年前の冬に整理した。ただし、義父が生前すでに整理済の奥の棚までは手をつけなかった。
 この六年間で、義母がこの部屋を整理したという形跡はない。数年前、晃が、捨てるものだけ捨てた時に若干片づけたが、今回来てみると、その時のままであった。それどころか物置と化していた。肘掛け椅子の下には、黒い小さな豆粒みたいなものがたくさん転がっていた。何かと思ったら鼠の糞であった。あとから置かれた荷物やがらくた類は、この二、三日で片づけ、掃除もした。
 晃は一服し、そうだ、CDプレイヤーはうちで使おうと背面のジャックを外していると、ステレオ装置の裏に、アルバムが並べられてあるのが目に入った。これは永久保存だなと取り出した。そして、ほかにもまだあるかもしれないと奥の棚や机の抽斗にも手をつけはじめたら、夜が明けてしまったのだ。
 机の抽斗には、まだ使える文房具がたくさんあった。新品もあった。子供用にとっておこうと引っ掻き回していると、白い無地の封筒が出てきた。封はされていない。開けてみる。すると一万円のピン札が十枚も出てきた。義父のへそくりというより、不意の冠婚葬祭に備えて常備していたものだろう。これは内緒でポッポに入れてしまおう、思わぬところで儲けものをしたと、そこでやめておけば良かったのだ。
 最後に洋服箪笥を開けた。スーツがいっぱいぶら下がっている。痩せ型で背丈もおなじくらいの晃は、それらはぴったり収まる。だが、スーツなど着たこともないし、着るつもりもない晃は、礼服だけ貰って、見向きもしなかった所だ。スーツやネクタイはともかく、そこにはまだ、引き出物で貰った未使用のビジネス用ソックスがケースでいくつもあったはずで、親父か友達にでもあげようと思って開けたのだった。
 トレンチコートの陰に、小型の手提げ袋が見えた。それは無造作に置かれたかのようにあった。中には、B5判とA4判の事務封筒が二つ入っていた。取り出してみてびっくりした。B5判の小さい方は、義父が勤めていた団体名と住所などが印刷されたものだったが、宛名のスペースに、「佳子へ」と記されていた。
 これは……。晃は一瞬にして身体中が固くなるのを感じた。手が震えてきた。中身を出してみる。さらに無地の茶封筒にくるまれた中から、化粧箱に入ったネックレスと、揃いのイアリングが出てきた。純セラミックというシールが貼ってある。宝石ではなく、新素材を使ったものらしい。職業柄、義父は各種の展示会に出向いていた。そこで買ってきたものだろう。が、しかし、自殺を前にして買ったものなのか、それともたまたま買ってあったものなのか。
 もう一つの封筒からは、義父の業務日誌が出てきた。一九九〇年版と一九九一年版の二冊。B5判、ハードカバーの厚手の手帳で、見開きの左ページが一週間の予定表、右ページは七つに分割されたフリースペース。
 どのページを開いても、細かい字がぎっしり書き込まれていた。しかも、色鉛筆や蛍光ペンを駆使して、重要度や項目別にマーキングされている。スケジュールと同時に、公務とプライベートの日記を兼ねているらしい。コンサートやエア・チェックの予定、本人以外の予定まで書き込まれているが、他人に見られてはまずいようなことは書かれていないようだった。義父の性格をこれほど物語っているものはないだろう。
 晃が最初に手に取ったのは、一九九〇年版の方だった。一九九一年版、つまり義父が死んだ年のものには、新聞の切り抜きとプリントが挟まっているページがあった。そのページが何を意味するかはすぐに判った。そこを開けるのは怖かった。が、しばらく躊躇ったのち、意を決して開けてみる。
 プリントを挟んだまま、まず左のページを見る。それまでと変わらない予定表が列なっていた。しかし、亡くなったとされる日の欄には、一行消された跡があり、その下の行の「仙台フィル定期演奏会(14:30~泉グリーン大ホール)¥7500」と鉛筆書きされたのも半分消えかかっていた。そこに重なるように、赤鉛筆で大きく、

  Mein Todestag

 と書かれてあった。ドイツ語である。晃はサンスクリット語を学んでいたような変わり者で、フランス語の授業に出たことはあったが、ドイツ語は読めなかった。しかし、「Mein」が英語の「My」であることは知っていた。そして、それに続く単語が、誕生日とは反対の意味を示す言葉であろうということも推測された。机の上には独和辞典もある。だがそれに手を伸ばす気にはなれなかった。
 おそるおそるプリントの束をどかし、右のページに目をやる。晃は脳天に一撃をくらったように動けなくなった。そこには、鉛筆でこう書かれていた。

  誠に我がままで申し訳ありません
  どうしても 生きられません
  よろしくお願いします

 その筆跡は、いつもの義父らしくない乱れ方だった。なにか投げやりな感じで、たったこれだけである。わずか三行。逆にそれがもの凄くリアルに思えた。
 晃は一瞬固まってしまったかのように、しばらく動けなかった。呼吸も止まりそうだった。しかし、泪は一滴も出てこなかった。妙に納得した。これで本当に自殺であったということが、漸くはっきりしたわけだ。
 その前夜、義父と義母は、近所中に響き渡るような大声で喧嘩していたらしい。一方的に罵っていたのは義母であると、のちにリツばあさんから聞かされた。佳子も晃も、義父の女性関係をめぐって義母がヒステリーになっていたのは知っていた。だが、佳子が父に問いただしてもうまくかわされていたこともあるが、晃からみても、それは義母の過剰反応で、被害妄想のようにも見えたし、そこまで事態が深刻になっていようとは思っていなかった。この一年よく喧嘩をしていたらしい。その日は、いつになく激しいもので、さすがのお祖母さんも仲裁に入ったというのだ。それが直接の原因であったのかどうかは判らない。が、引き金になったのは確かだろう。この家を崩壊させたのは義父であるし、せめて初孫が生まれるまではと、晃も恨みを抱いていたので、義父に同情する気は起こらない。しかしそれでも、やはり同じオトコとして胸に迫るものがあった。おとうさん、あなたは、そんなに切羽詰まっていたのですね、と。
 その死が、発作的なものであったろうことは、その手帳が物語っている。次のページをめくる。その次もめくる。さらに……。それまでと同じような調子でぎっしり書き込まれた予定は、二カ月先まで続いており、次第に空欄が多くなるが、それでも半年以上先のことまで何かしらメモされていた。虚しい、虚しすぎる、と晃は思った。ふと気づいて、佳子の出産予定日を見てみた。仙台にも告げてあったはずだ。音弥は一日の狂いもなくその日に生まれている。しかし、それらしいメモも印もつけられていなかった。
 この手帳を、おかあさんは見ているのだろうかと晃は思った。入れられていた封筒は、義母がかつて勤めていた団体のものだ。手提げ袋も、店の名前は入っていないが、化粧品やアクセサリーを買うとついてくるようなやつである。義母が入れたのであろうか。だが、それだけでは確たる証拠にはならない。なぜなら、そうした袋類は義父もたくさんストックしてあったからだ。もし義母が見つけていたとしたら、娘の目には触れさせたくないだろう。どうして始末しなかったのか。やはり捨てられなかったのか。それとも、いつかは娘に真相を打ち明けるつもりであったのか。
 いずれにしろ、六年も経ってこんなものが出てくるとは──。今まで苦労してこの家を片づけてきたのは一体なんのためだったのか。どっと疲れが出てきた。
 さて、これをどうしたものかと晃は思案した。義父が佳子に残したものであるとすれば、やはり佳子に見せないわけにはいかないだろう。しかし、義母が隠してあったものなら……。佳子にしてみれば、今やどうでもいいことである。蒸し返すこともないだろう。最期の言葉は、六年経った今でも生々しすぎる。アクセサリーは封筒に入れずに佳子に渡せばいいかなとも思ったが、晃は、それをまた元通りに戻して、洋服箪笥の扉を閉めた。
 それにしても、最後の「よろしくお願いします」というのは、一体、誰に向かって言っているのか。あとのことはよろしくと、妻に言っているのか。それとも、お母さんをよろしくと娘に言っているのか。ただ漠然と誰ともなく言われた言葉なのか。晃には、なんだかそれが自分に言われた言葉のように思えてくるのだった。

        E

 この家をひとまず去る時がきた。
 今日、五月五日は端午の節句。子供の日である。晃は明日まで休みをとっていた。それで最終日は、温泉へでも泊まりに行こうということになっていた。秋保や作並はもう何度も行っている。鳴子や松島方面では帰る方向と逆になる。蔵王という手もあったが、旅行案内書を調べていたら、笹谷街道を山形方面に行った、それでも有耶無耶の関跡までは行かない手前に、つい最近町営の宿泊施設がオープンしたのを知り、安かったのでそこを予約していた。残念ながら温泉ではないらしいが、入浴しに来る人もいるとかで、案内書の写真を見ると、建物はパステル調のメルヘンチックな外観をしている。子供に受けそうであった。ディナーもフランス料理らしい。案外穴場の掘り出し物であるかもしれない。
 道中に釜房湖がある。その湖畔に、国営みちのく杜の湖畔公園というのがあった。独身時代に佳子と晃は釜房湖に来たことがある。もう十三、四年前のことである。佳子は大学を卒業したあと、一時故郷に帰っていた。晃は大学の二年か三年で、もちろんお忍びで来たのであった。その折りは、何もない処だとダムを見ただけで通り過ぎてしまった。まだ造園がはじまったばかりであったのだ。だからそこには初めて行くわけだが、全国で十番目の国営公園ということで、広大な敷地を有しているらしい。そこへ直行し、チェック・インまで子供を遊ばせておけばいい、という計画である。
 昨日は、一昨日からほとんど寝ていなかったし、もうすっかり家の片づけをする気のなくなっていた晃は、午前中から昼にかけて、子供を連れて近所の公園に散歩に行ったりして過ごした。そのあいだに、母と佳子が掃除機をかけるなど、とりあえず最終的な片づけをした。晃が公園から戻ると、東京へ送る荷物を宅配便屋に出しに行ったり、保存する品物をひとまとめにしたりと、すべての作業を三時頃までに終えていた。
 それから夜が更けるまで、近くの健康ランドで過ごした。そこは天然の温泉が涌く、入浴を中心としたレクリエーション施設で、数年前にオープンしていたようだが、来るのは初めてだった。仙台に到着した日にポストに挟まっていた地域新聞が役に立った。割引券が付いていたからだ。やはりゴールデン・ウィークということで混んではいたが、温泉に入り一汗かいて、レストルームで寝ころびながら映画を見たり、(ちょうど子供向けのをやっていたので、最初は子供と一緒に見ていたが、番組が替わると丸々一本終わるまで、晃は子供につられて寝てしまった)、今度はサウナに入り、百円コインのゲームをしたり、晩飯には焼き肉を食べ、また風呂に入ってと……。昨夜は、帰りの仕度だけしてすぐに寝た。
「もうここへは戻らないのね」と母が訊く。
「うん。帰りは山形道からそのまま東北道に乗るから」
「え、もう帰っちゃうの」と音弥。
「なんだよ、おうち帰りたいって言ってたの誰だよォ」
「帰らないもん」と舞那。
「大丈夫だよ。今日はこれからおっきい公園に行って、きれいなお宿に泊まって、東京に帰るのは明日。まだまだ道のりは長いよ」
 すべての戸締りを確認し、カーテンを下ろす。居間の電灯だけは、防犯のため、暗くなると点き、明るくなると消えるタイマーがセットされていた。その部分を除いて、電気のブレーカーも落とす。忘れものがないか調べる。そして最後に、佳子が、二つの玄関の鍵をしめた。
 玄関前にみんなを並ばせ、セルフタイマーで記念写真を撮る。晃はクルマを車庫から出し、母と音弥と舞那を乗せる。チャイルドシートをロックする。佳子が門扉を閉じる。最後に乗り込んだ佳子は、クルマの窓を開けると、
「また来るからね」
 と家に向かった言った。晃は、助手席の窓越しに、家を振り仰いだ。どこからか、祇園精舎の鐘の声が聞こえてきそうだった。国破レテ山河アリ、という一節が思い浮かぶ。家だけが残った。でも、それだけでも幸運な、恵まれたことに違いないだろうと晃は思った。
「バイバーイ」
 子供らも家に手を振る。晃は、ひとつひとつの動作を確認するように、シフトレバーをドライブに入れ、ハンドブレーキを下ろし、フットブレーキからゆっくりと右足を外して、アクセルに軽くそえた。
                      (了)
『家』西山正義
〔第一稿〕
起筆・平成十年八月一日
再起筆・平成十年八月二十一日
擱筆・平成十年九月十日 午前六時四十分
〔第二稿=初出稿87枚〕
加筆訂正・平成十年九月十三日~九月十四日 午後三時
【初出】『日&月』第六号・一九九八 秋(平成十年十月発行)
〔初出稿校正版〕平成十一年一月十三日
(C)1998 Nishiyama Masayoshi

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
― 感想を書く ―

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項をご確認ください。

名前:

▼良い点
▼気になる点
▼一言
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ