緩慢な牢獄・1
電車に揺られること三時間、そこからバスでさらにニ時間。バス停からは車でさらに一時間。下手をしたら地図にも地名が載っていないような山奥が、彼の生まれ育った場所だった。
バスを降りて、雪が厚く積もった地面の感触を、両足の裏で味わう。気温がよほど低いのか、一歩踏み出すごとに、地面がキュッキュッと音を立てて鳴いた。
あまりの寒さにじっとしていられず、小刻みに体を揺らしながら、ポケットからしゃくしゃになったセブンスターを取り出して、一本咥える。紫煙と共に、白い息を吐き出しながら藍は施設の方角をじっと見つめた。バスの降り返し地点であるこの場所で降りる人間は滅多にいない。その先には獣道よりはましな程度の細い道が続いているが、すぐ脇には大きく国有地と掲げられている上に、視界に入るのは、枝にたっぷりと雪を積もらせた見渡す限りの国有林のみである。その先にあるものを推測するには、手がかりも無く、よほど豊かな想像力が必要となる事は間違い無い。
フィルター近くまで煙草が短くなったころ、いささかくたびれた、見覚えのあるシルバーの国産車が猛然と林道から姿を現し、藍の目の前で急停車した。
「ガキがイッチョマエに煙草なんて吸いやがって」
血の繋がらない戸籍上の父親は、パワーウィンドウを下げると、開口一番そう言った。
「ガキだなんて……俺、もう二十三だよ?」
糊の利いた真っ白な白衣とは対照的な、ボサボサの髪と不精髭、まるでいつも何かを思案しているような、いかにも研究者らしい顰め面、そして、セブンスターの咥えタバコ―――会うのは三年ぶりだが、彼のいでたちは記憶にあるそれと寸分も違わない。
「よく来たな。昨日メールがきた時は驚いた」
「だって、来なければ苗字を返してもらうって脅したのは誰だっけ?」
「そんなこと言ったけ?」
ふっと目を細めると、厳つい顔が途端に優しくなる。
「変わらないね」
「そうか?ちょっと白髪は増えて来たけどな」
「違うよ。この辺」
助手席の窓から、鬱蒼と生い茂る白い木々を見遣って、藍は目を細めた。
「久しぶりに会ったっていうのに、かわいくないヤツだな」
「おあいにくさま」
視線を需に移して藍はニヤリと笑う。
「……なんかあったんだろ?」
「何もないよ。定期検診、受けに来ただけさ」
平静を装って吐き出さされた言葉は彼らしくなく、需はわずかに苦笑する。
左右を厚い雪の壁に圧迫されて狭くなっていた視界が突如ひらけた。
長身である藍の軽く二倍程はありそうな高い塀にぐるりと囲まれて、サナトリウムのようなモダンな建物がちらりと覗いている。記憶の中にあるそれと、外壁がやや色褪せたような気はするものの、さほど変わっていないようであった。
需は減速して、ゆっくりと車をゲートの前に滑らせる。
「萩理だ」
警備員に首から下げた写真付きの身分証を提示する。
「お疲れ様です、所長」
制服の上からでも、鍛え上げている事が容易に解るような逞しい体つきの警備員は、助手席の藍に視線を走らせた。
「同乗の方は?」
「アームのナンバー6だ。落世した為に、身分証は無いが―――調べればすぐ分かる」
「少々お待ちを」
警備員は手早くキーボードを叩くと、画面に映し出されたそれと、助手席の藍の顔を見比べ、抑揚の無い声で問う。
「コードネームをお願いします」
「″アイ″だ」
「確認が取れました。どうぞ、お通り下さい」
「ご苦労さん」
需の言葉に、警備員が敬礼する。
ゲートを潜り抜けると、先ほどまで高い塀に隠されていた、建物が露わになった。外観は何ら変わっていないようである。
「相変わらず、厳重だな」
無事に入場許可が下りた車内で、藍がため息を漏らした。
「そうか?慣れているからあまり気にならんけどな」
敷地へ続く唯一の道は、複雑に曲折している上に鬱蒼と生い茂る背の高い木々が目隠しとなり、バス停の位置からですらこの建物は全く見えないのである。さらに、四方を高い塀で覆い、ただ一つの入り口にも監視カメラと警備員を常駐させ、身分証や許可証を持たない人間の一切の通行を禁止する徹底ぶりだ。
これほどの厳重な警戒体制には無論、訳がある。
ここは、国の特別諜報部員[special ability spy]=SASを養成する施設なのだ。
SASとは、special ability、すなわち、超能力や、超感覚、霊能力などを特殊な能力を持ち、通常の諜報部員では困難な情報収集、さらには要人の警護や暗殺など、特殊な任務を遂行する、極秘組織である。裏社会で暗躍する人間の間でも、大半はその存在を耳にした事があるくらいで、実際にメンバーを目の当たりにしたことがある人間は、ごく僅かである。
また、様々な経緯を持つ人間の集まりである事も、SASの特筆すべき点である。完全実力主義であり、能力さえ伴えば、他は一切関知しないというのが組織の方針である為、幼少期よりその能力に目覚め、施設に引き取られた者、自己研鑚により能力に目覚めた者、突発的な事故により力が発現した者など、本当に様々である。
しかし、SASの中にはさらに特殊な経緯を持つ者も存在する。
科学の進化による遺伝子操作によって、人にあらざる強大な力や、恐るべき能力を備えた人間を造りだすことに成功したのである。まさにSASになる為だけに生を受けた人間は、超人集団の中にあっても、その能力の高さは特出して当然である。それゆえ彼らはいつしか畏敬の念を込めて「ARM」と呼ばれるようになり、特別視される存在になっていた。
藍は決して数多くはない「ARM」の一人なのである。
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