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人間兵器
作:蒼乃雪花



最終決戦・11


 二人の攻防は見ていて背筋が薄ら寒くなるようなものだった。
 目まぐるしく立ち代わる二人の位置。続け様に繰り出されるアラタの攻撃を、凛がか細い左手一本でいなす。アラタの右手が、凛の顎先数センチのところまで迫る。寸前で凛は顔を背ける。
 凛の言うとおりにしようと思ったわけではなかった。ただ、体が鉛のように重く、言うことを聞きそうになかったのだ。
 わずかに動いただけで息は切れ、視界はぐるぐると回った。ただでさえ戦闘能力はアラタに遠く及ばないというのに、この状態では彼を相手に立ち回るのはもうほとんど不可能なことのように思えた。
 その上、腕の傷もひどく痛みはじめていた。大やけどを負ったかのように肘から手首までの皮膚は失われ、出血もある。もう、使い物にはならなそうだった。
 そもそもあの一撃に全てをかけていたのだ。考えに考え抜いてきたことだった。現実に、それはほとんど成功しかけていたのに、ほんの僅かな空白の時が結果を変えてしまった。
 凛は、遮二無二アラタに向かっているように見えた。歯を食いしばり、額に血管を浮き上がらせているその姿は、もう氷の美女とはかけ離れていた。
 相手の命にも、自分の命にも何にも執着せずに、相手との距離をゼロにする一歩が、今はもう踏み出せないのだ。相手の心情を想う気持ちが、人の命を奪うことへの微かな躊躇が、僅かに凛をひるませている。相手がアラタでなければ、それでも左手は喉元に届いたかもしれない。しかし、相手はあの、ARMのNo.7なのだ。
 そうしてまた、自分は凛を苦しめるのだ、と思った。
 前にリュウを殺せなかった。
 リュウが凛に対して抱いていた感情を、あの時は本当の意味では理解できていなかった。あの混沌とした激情が何なのか、誰かに対して制御できないほどの感情を持った経験がなかったから、分からなかったのだ。しかし、今ならそれがよく分かる。
 リュウは狂おしいほどに凛を愛していた。
 出口の見出せない苦しい想いは、嫉妬というものに姿を変えて自分に向けられていた。
 あの時、凛が自分に対して持っていた感情は、決して今向けてくれるような明確なものではなかった。ただ、自分が引いている萩理の血が彼女を刺激していただけだったようにも思える。しかし、彼にはそうは思えなかったのだろう。
 リュウは心の奥底のどこかで、自分に殺されることを望んでいた。しかし、そうできなかった。どうにもならないほどに縺れてしまった思いを、手の施しようがないほどにがんじがらめになってしまったリュウの思いを、ただの迷いと解釈して、それを言い訳にした。
 本当は、人の命を奪う自分を肯じられなかった。ただそれだけのことだった。しかもそれは優しさでも何でもない。自分の心の弱さだった。そうして、結局そのツケを払ってくれたのは他でもない凛だったのだ。
 凛に古傷を広げるようなことをさせたのは、自分だった。だから、今度こそアラタは自分が殺す。確かに、そう決めていたのに ――――。
 目の前で、凛が大きく後ろに跳んだ。
 藍は眼をみはった。
 彼女の着ていた黒いコートの袖がなくなっていたのである。眼を凝らしてみると、その下の華奢な腕は無事なようだ。凛はアラタを見据え、構えたまま肩で呼吸をしていた。アラタの呼吸は全く乱れていない。凛を冷淡に見ていた。
 時はそれほどないように思えた。
 凛は、心に負荷をかけすぎている。
 アラタを殺すのには戸惑いがある。けれど、アラタを殺さなければ、藍が殺される。また大切な人を失ってしまう。
 二種類の思いがせめぎあい、古傷をひどく刺激していた。いつ発作が起きてもおかしくないほど精神の均衡は崩れつつあった。
 ゆっくりと、藍は立ち上がった。
 アラタが凛の肩越しに視線を注いできた。色彩だけでなく、よく澄んだきれいな瞳だった。
 ARMとして同じように生を受けた青年。左手をつかまれた瞬間に流れ込んできた、底冷えするような孤独感が、虚無感が、藍には痛いほどによく分かってしまった。
恐らく当人ですら自覚できてはいないそれが、他人にはおよそ理解できぬであろう、筆舌に尽くしがたいその思いが、ほとんど実感を伴って理解できてしまったのだ。
 なぜ生を受けたのだろうと、幾度となく考えた。
 それは今も考えている。アラタとは選んだ道が違ったというだけのことだった。一つ選択を変えれば、あの位置に立っていたのは自分だったのだ。自分の側には需がいて、凛がいてくれた。誰もいてくれなければ、間違いなく自分は、アラタだった。それだけの僅かな、しかし、大きな違いだ。
 裏と表のように近いのに、決して相容れない存在。気持ちも存在も限りなく近いところにあるのに、理解者にはなれないのか。それはやはりエゴなのか。自分の心が弱いのだろうか ―――。
「…… ?」
 アラタの視線の先にあるものに気がついて、凛が振り返る。数秒、立ち上がった藍をじっと見つめた。そして、笑った。見たことがない笑みだった。その時、彼女の脳裏に閃いたその決意に藍は慄然りつぜんとした。
「いけない! 凛さん」
 凛は踵を返し、駆け出した。艶やかな黒髪をなびかせ、真っ直ぐにアラタに向かって。
 惹きこまれるような黒曜石の瞳、陶器の面のような感情の表れない顔。
 気後れするほどに凛とした後ろ姿。理路整然としたものいい。
 彼女が見せたさまざまな表情と、与えてくれた言葉の数々が脈絡なく頭に浮かんで、消えた。
 けれど、最後に心を占めたのはあのとき霞んだ視界の中で見た、優しげな顔。
「凛!!」
 もうなにも考えられなかった。何も聞こえない。
 体が、勝手に動く。
 藍は地を蹴り、駆け出し、懐からP226を抜いていた。



 一瞬、何が起ったのかアラタは分からなかった。
 ハギリ リンが眼前に迫ってきていた。背筋が、ぞっとした。それほどの速さと、気迫だった。
 咄嗟に、右手を伸ばした。反応は遅くない。相打ち。けれど、右手が白い首に届くか否かというところで、何かが体を突き抜けていって、女の首を掴むはずの右手は空を掴んだ。気がついたときにはハギリ リンの姿はなく、視界を占めていたのは闇に沈んだ古倉庫の天井だった。
 起き上がろうとしてみたが、体に力は入らなかった。どこかが破けているような気がして胸の少し下に手をやると、ぬるりと滑り、白い手のひらが紅く染まった。
 そうか、撃たれたのだ。
 なんの感慨もわかなかった。事実を認識したという、それだけだった。
「結局アンタに撃たれるとは、ざまあねえな」
 近づいてきた足音の方も見ずに、言い捨てた。かび臭い空気に混じって血の臭いが漂いはじめていた。
 痛みは感じなかった。ただ、どくどくと自分の命が流れ出て行くのを感じた。
 どうやって撃たれたのか、よく分からなかった。右側からの発砲音は、よく聞き取れなかった。それ以上に、まさかあの場面で横合いから発砲してくるとは思っていなかった。一歩間違えば、銃弾はハギリ リンを貫いてもおかしくない。よほどの思い切りと、腕がなければ不可能なのだ。それが、あの男にはあったということだ。
「さっさと殺せよ。生きるのには、飽いていたところだ。ARMに殺されるのなら、それ
もいい」
 返事はいつまで待っても返ってこなかった。首を動かすとARMのNo.6と、寄り添うようにハギリ リンも立っていた。
「俺は――――」
 顔面は蒼白で、立っているのにまるで死人のようだった。これでは、どちらが死にかけているのか分からない
「今まで一度も人を殺めたことはないし、これから先も、ない」
「俺は数え切れないくらい、殺めた」
 それが、自分が生きている意味だった。そうするために生まれてきたのだから、善悪など関係のないことだった。
 まるで、全て分かっているというような仕草でARMのNo.6が小さく頷いた。
「だから、忘れない。アラタという人間を殺したことは、忘れない」
 生きていたことを忘れない、と言われているようなものだった。不意におかしくなって、声を上げて笑った。笑うたびに、口の端から生温かい液体が溢れた。
「俺はアンタが嫌いだった」
 辛気臭い顔が気に入らなかった。いかにも傷つきやすそうな黒い目が嫌いだった。
「でも、もしも生まれ変わるようなことがあれば、今度は少し、好きになれそうな気も
する」
 ARMが、泣いていた。何故泣いているのか分からない。泣くな、と言いたかった。でも、声が出なかった。
ハギリ リンがARMの側にいた。それは、もしかすると寄り添っているようで、実は支えているのかもしれない、と思った。
 視界が紗でもかけたようにぼんやりしてきた。
 死を怖いと思ったこともなければ、望んだこともない。死ぬときは死ぬ。ただそう思い定めていただけだ。現実に枕元にまで死神が近づいてきたとき、こんなにも穏やかな気持ちで迎え入れられるとは思っていなかった。
 白くなりはじめた視界の中で、黒い瞳だけが見えた。涙でゆらゆらと揺れている。
 大きく、一つ息を吐いた。
 銃声がまるで遠くのもののように聞こえた。












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