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人間兵器
作:蒼乃雪花



アーモンドの瞳・4


 たかが三十分の遅刻と侮るなかれ―――。その代償はあまりに大きかった。
 遅刻したバツとして、飲み代は全て藍が持つことになったのである。満面笑顔の友人達を横目に、覚悟もなしに急に寂しくなった懐を撫でながら、藍は思わず溜息を漏らすのだった。
――――あんな時間に起こされたから
 支払いをしながら今朝の出来事を思い出す。昨夜、留守電を確認しなかったことがやはり悔やまれた。
 女の子達からの熱烈な二次会の誘いを丁重にお断りして、藍は一人逆方向に向かって歩き出す。別れる間際、取り囲んだ三人の女の子全員に自分の携帯の番号と、メールアドレスを渡す。特に断る理由がないから藍はいつもそうする。そして、これもいつものことだが、その様子を保田と船瀬が苦々しげに眺めているのだ。
 吸いこまれそうなアーモンドの瞳を持つ女性―――凛は、いつの間にか輪から姿を消していて、ろくに挨拶もしないまま帰ってしまったようであった。彼女と言葉を交わしたのは、結局あのトイレの前での二言、三言だった。
 走れば終電に間に合う時間だというのに、いつものように足は動いてくれない。藍は黒いウールのPコートのポケットに両手を突っ込んで、何となく駅の方へは向かいながらも立ち止まって空を見上げた。繁華街のネオンに負けて、どこか申し訳なさそうに星が瞬いている。
 空を意識して見上げたのは一体、いつぶりなのだろう。
 寒さのせいで引き締まった空気は、透明度を高めて藍色の空をより美しく見せる。
 ただ、それでも雪の無い冬の空は、どうしても物足りない。
 藍が生まれ育った場所は、一年の半分は雪に埋もれているようなところで、周囲には眩いネオンはおろか街灯のひとつさえも無いために、厚く積もった白銀の雪は月明かりを受けて煌き、夜空をより美しい藍色に輝かせた。
 そのあまりにも幻想的な色に心奪われて自身の名にしてしまう程に、藍はそれに魅了されていた。
 毎夜のように見上げた空のことさえも、この三年間は脳裏を掠めたこともなかったというのに、一体どうしてしまったというのだろう―――。こんなに感傷的な気分になるのも、きっと、今朝の電話が原因に違いないのだ。


 どこで鳴っているのか分からない携帯を布団に潜ったまま、手の感触だけを頼りに探す。片手で器用に開いてから、ようやく藍は顔を出して画面に表示された名前を見た。
 顰め面なのは、窓から差し込む眩しい朝日のせいだけではない。少し躊躇ってから通話ボタンを押した。
「はい」
 自分でも驚くくらい愛想のない、ぶっきらぼうな言い方だった。
「何で電話しないんだ」
 開口一番、彼はそう言った。その声は明かに不機嫌そうだ。
「いや、面倒で。仕事終ったのも遅かったし」
「今日から連休だろう?いつ来られるんだ?」                        
 悪びれもせずにそう言った藍の反応を予想していたかのように、萩理需はぎりもとむは素早く話題を転換させた。
「何の話?」
 言いながら、ベッドサイドに放り出していた愛用の腕時計を見遣る。ベッドに入ったのは確か四時頃だったから、三時間少々しか眠っていない。
「定期検診。この前も言っただろう?今回は絶対に受けてもらうからな」
「特に日常生活に支障はないよ」
「日常生活に支障はないだと?」
 電話の向こうで需の声が跳ね上がった。
「あたりまえだろ。お前の制御装置を作ったのは一体だれだと思ってるんだ」
 未だ覚めきらぬ頭のまま、空いている手は無意識に両耳を弄って(まさぐ)いる。
「感謝しているよ。本当に―――でも、支障はないんだから問題ないだろう?」
 義父に会いたい気持ちがないわけではない。それでも、あそこに足を踏み入れるのだと思うと、どうしようもないくらいに気が滅入るのだ。
「それとこれとは別問題。力が開放した状態でどうなっているか、分からないだろ?頭痛は?薬は飲んでいるのか?」
「ピアスがほぼ完全に力を抑えているんだと思う。意識的にトランスもしていないし、今のところ飲む必要がない」
「ほう、それは予定通りとはいえ大した効力だ」
 自らの研究成果を称える科学者としての言葉なのだろう、血の繋がりのない父の声は大層満足気であった。
「何にせよ、三年ぶりに顔ぐらい見せてくれよ。上手くやれてるのかどうか心配してるんだからな」
 頑なな態度に父は作戦を変更したのか、妙に優しい声で囁く。父といっても十四歳しか違わないこの男が父親面することはまず有り得ないので、情に訴えているのは明かだ。なのに、言葉が口から出ていかない。
「来ないんだったら、苗字、返してもらうぞ?」
 逡巡している間に、需は次なる手に打って出て来た。そして、それは藍にとってまさに痛恨の一撃ならぬ、痛恨の一言であった。
「……明日か明後日には行くよ」
「必ず来い。待ってるからな」
 フルマラソンを走り終えたランナーのように脱力しきった藍の声とは裏腹に、需の声は勝ち誇っていた。小さくため息をついて電話を切ろうとしたした瞬間、意を決したように言葉が挟まれた。
「最近、変わったことはないか?」
 これが、話しの途中ならなんら違和感も感じなかったのだろうが、その何気ない一言が放たれた不自然なタイミングが藍には妙に引っ掛かった。
「別にないけど」
「ならいい」それだけ言って、需はあっさりと電話を切った。












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