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人間兵器
作:蒼乃雪花



ずれた歯車・1


 一週間が経った。
 ファントムハウス周辺に立ち込めていた雨雲は暖気とともに去り、辺りにはまた季節相応の刺すような冷たい空気が戻ってきた。
 ファントムハウスの騒動はおおよそ収束され、表向きには平穏な日常を取り戻しつつある。 凛の発作は雨雲が立ち去ったのと時を同じくしてぴたりと治まり、粉砕骨折で全治二ヶ月と診断されていた藍の右腕はいつの間にか完治し、不審がる周囲に向かって藍は真相を曖昧な言葉でごまかした。
 彼の右腕が完治した理由を知る人物の一人は、パソコンの前で厳つい顔をさらにしかめて、すでに何本目かも分からない煙草をくゆらせていた。
 彼の前に広がっているのは、現在認定を受けて活動している全てのSASの詳細なデータである。コードネーム、性別、所持能力、クラス、身体能力の評価などの基本データは元より、過去の功績から現在遂行中の任務内容、負傷歴などが克明に記されているもので、ファントムハウスの中でも限られた者しか閲覧することができない最高レベルの国家機密だ。
 平穏を取り戻したのはあくまでも表面的であり、根本的な問題は何一つ解決されていないのである。特別任務に当たっていたスリーマンセルの一人が欠け、需はそれを補充するべき人材を二日前から探しているのだが、凛と藍という名実ともにトップクラスの二人を補佐し、アラタやシマ、モズを相手にできるほどのSASは最早存在しない。身体能力、特種能力、頭脳のうち秀でたものを持っている人間は何人かいたが、その特出する一点さえも凛と藍には及ばず、足手まといになる可能性すらある。人材不足は深刻であった。
 パソコンの電源を落として需は椅子にのけぞり、天井を見つめた。
「浮かない顔ですねぇ」
 コーヒーを運んできた白瀬がデスクの上にカップを置く。
「そりゃ、笑えるような状況じゃないからな」
「凛さんと藍君が元気になっただけ、よかったじゃないですか」
 需はフィルター近くまで短くなった煙草を吸殻で山盛りになった灰皿に押し付けて、またコーヒーを飲んだ。
「そういえば、あの二人すごい噂になっていますよ。ご存知ですか?」
「噂?お前は相変わらず下らないものが好きだな」
「それは否定しないですけど、こんな山奥ですから訓練生や職員の楽しみといったらそのくらいしかありませんから」
 特に訓練生は十代から二十台前半ほどの若者が多いから、それも必然と言えそうだ。
「この前、食堂であったことらしいんですけど…」
 リュウをその手で殺めて以来、食堂に姿を現した凛を見て、周囲は波打ったように静かになったという。兼ねてから凛とプライベートで交流のあった男達はみな息を潜めて姿を隠し、訓練生たちは身勝手な詮索と根も葉もない噂を囁き合う中、凛は席につき、一人黙々と食事を口に運んでいたが、再び食堂内に大きなどよめきが起こった。
 藍が食堂に姿を現したのだ。
 ARMは元々一般の訓練生とは交わらずに教育される上に、SASになれば引っ張りだこで施設に逗留していることなどまずない。しかも、藍の場合は能力の都合上多くの人間が集まる場所を好まず、ほとんど姿を現すことがない。現に、彼の部屋は宿舎にはなく離れであるし、食事のためとはいえ食堂に訪れたことは一度たりとてなかった。ふらりと食堂に現れて何食わぬ顔で夕食のトレイを受け取り、席についたARMのNo.6の姿に周囲は色めき立った。現時点で正式に生存記録されているARMはアラタと藍の二人しか存在せず、彼は過去最高クラスSSの認定を受けている唯一無二の人物なのだから無理もない。遠巻きに眺めるものはもちろん、勇気のある者は彼に話しかけて一言二言会話を交わし、藍は何事もなかったかのように食事を終えると立ち去ったという。
「藍君が食堂に来たのは凛さんを庇うためだったんじゃないかって、皆そう言っています。藍君が姿を現したことで、確かに皆の注目は藍君の方に集まりましたから。それに、凛さんの部屋に藍君が入るところも何度も目撃されているらしいですよ」
 意気揚々と語る白瀬をよそに、需は再び煙草に火をつけて興味なさそうに「へえ」と一言答えただけである。
「所長は気にならないんですか?」
「プライベートは個人の自由だからな」
「でも、心配じゃないんですか?」
「凛の悪い癖は今に始まったことじゃないだろ」
「…凛さんじゃなくて、藍君のことですよ?」












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