自縄自縛・2
夜の帳が降りると同時に降り始めた雨は勢いをさらに増し、今やホテルの窓の外は雨滴が幾筋にもなって流れている。シマはそれを皮肉げに見やって、手にした輸入ものの缶ビールを飲み干した。シマが空になった缶を置くやいなや部屋の隅に控えていたスキンヘッドの男が、新しいものを差し出す。シマはそれをひったくるようにして奪うと、二本目も
一気に煽った。
「ここぞというところでやってくれたな」
ようやく口を開いた彼女が発した第一声は、あまりにも苦々しい。
モズはサングラスの下に感情を隠したまま、わずかに頭を下げた。狡猾で人の心を弄ぶようなマインドコントロールを得意とするシマが、これほどまでに感情を剥き出しにするのは珍しいことだった。
「アラタがハギリ リンを始末していれば、リュウを失うこともなかったというのに」
「私がもっと早くに合流するべきでした」
「済んだことを言っても仕方がない。お前にはお前の役目があったのだから。大方はうまくいくはずだったのだ。あの、アラタめの気紛れがなければ…」
今回の一件はシマの綿密な計画の下に実行された壮大な作戦であった。
目の上のたんこぶのような存在であるハギリ リンを排除し、強力な戦力となりうるアイを確保することで彼らは飛躍的な発展を遂げるはずであった。その為にリュウを彼らから引き離し、入念に準備を進めてきた。
リュウは意外にもあっさりとこちらにつくことを決めた。
超真信教に三人が潜入してきた時、最後までシマを追ってきたのはリュウだけであった。その時に、少し揺さぶりをかけてみた。リュウは凛と同じように世界を掌握することになどまるで興味を示さなかったが、凛の過去の恋人の話をちらつかせると、こちらが驚くぐらい動揺したのだ。公私ともに一番身近な存在であると自負していたが、何も知らない、何も知らされていなかった事実を知りリュウは大きな衝撃を受けていた。そして彼が最終的に選んだ道が裏切りだったのだ。
今回の作戦は、天までもが味方についていた。
藍をじっくりとマインドコントロールするのには、凛がどうしても邪魔だった。
しかし、あのハギリ リンを容易に止めることができるものなどこの世には存在しない。その為にミーティングの段階から、リュウに三人が別行動するような作戦を提案するように指示し、凛の足止めにはアラタを当てた。能力自体はアラタの方がやや上だが、実戦経験は凛が勝る。さらに彼女には不可能を可能とする、ずば抜けて秀でた頭脳があった。まともにぶつかれば勝敗は五分だったが、彼女には雨の時に力のコントロールが乱れ、力の発動が不安定になるという致命的な弱点があった。そして、雨は確かに降ったのだ。
「ハンデのある状況でハギリ リンを殺ってもつまらない」
事情の説明を求めたアラタは、悪びれたようすもなくそう言ってのけた。
アラタは凛を殺そうと思えばできたはずだ。しかしそんな下らない理由でそれをやらなかった。それがシマの計算を全て狂わせた。
藍がマインドコントロールをはねのけたのは、予想外であったが少なくとも抹殺はできる状況だった。それが、アラタが凛を殺さなかったばかりに藍は凛とともに帰還し、貴重な戦力である手に入れたばかりのリュウを失った。元々の損害自体はシラギが死んだぐらいで小さいものだったが、得たものは何もなかった。
「SAS側は大きな損害でしょう。アイの生死の確認はできていませんが、助かったとしてもすぐには動けますまい。ハギリ リンは左手を負傷したとも聞いています」
シマにはモズが言わんとしていることがよく分かった。
「やはり、今……か」
「内部の人間の呼応も十分に期待できます」
モズが作戦に加わらず、別行動していたのにはわけがあった。藍がファントムハウスから出ている隙にモズは潜入し、ファントムハウスにいる他のSAS達と接触し、自分たちの組織に加わるよう扇動して回っていたのだ。強大なリーディング能力を持つ藍がいれば潜入はただちに発覚することとなり到底不可能だが、今や深刻な人材不足に喘ぐSAS組織は優秀な人材はほぼ海外任務に出ており、国内に留まっている者は凛、藍、リュウの三名を除けば最近実務につくようになったばかりの低クラスの若造ばかりなのだ。
「どのくらいの人数だ?」
「確実なのは七名。恐らく加わるのが四名。施設に常駐しているSASは三〇名ほどですから、まずまずの数と言えます」
「そろそろ萩理需も始末した方がいいしな。アラタがうるさい」
人にも物にも執着を見せないアラタが珍しく執心しているのが、ARMの研究責任者でありファントムハウスの所長でもある萩理需の存在だった。シマはそれほど重要視していなかったが、アラタは凛よりも萩理需の抹殺を強く望んでいる。
「SASさえ潰してしまえば、我らを阻むものなどありません」
元より裏の世界で暗躍してきた身だ。表の世界の人間がどうやって自分達を止めることができるというのだろう。
シマは口元に歪んだ笑みを刻み、酔った目を再び窓の外にやった。
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