自縄自縛・1
ファントムハウスは騒然としていた。
全ての始まりは先刻もたらされた一本の連絡である。
緊急事態発生。至急、回収部隊を派遣されたし。
凛からの報を受けた最上はすぐさま空間移動の能力者を派遣し、選りすぐりの医療チームを待機させ、万全の体制で彼らの帰還を待った。
「藍!?」
凛に半ば抱きかかえられるようにして現れた青年の正体が息子だと分かり、需は少なからず動揺した。
「藍、しっかりしろ!!」
ストレッチャーに横たえられた藍の呼吸は弱く、顔面は蒼白で唇は完全に紫色だった。
しかし、驚くべきことに藍は完全には意識を失っていなかった。半ば瞑られた瞳はうろうろと宙をさ迷う。
不意に、需は藍に起こっていた重大な異変に気がついた。
「ピアスが」
両耳にピアスが一つもない。裂けた耳朶は何者かによって彼の命綱とも言える制御装置が理不尽に奪われたことを物語っていた。
需はある不吉な思いに捉われた。
「まさか……」
「リュウよ」
凛の声は落ち着いているように聞こえる。
「リュウが寝返ったのよ」
藍が乗せられたストレッチャーは処置室のドアの向こうに消えていった。
残された二人は薄暗い廊下に立ち尽くしていた。
需が拳を握り締めて唇を噛む。脳裏には蒼白な藍の顔が焼きついていた。
「大丈夫、助かるわ。肩口の傷は深かったけどヒーリングで塞いだから」
驚いたように振り返った需に、凛が頷く。
「そうか…」
凛がヒーリングを使えることを知っているのは、ファントムハウスでは需しかいない。
彼女はそれを書類にも一切記載していないし、使うこともないのだ。
大量の失血をした藍とは比べものにならないが、凛もまた青白い顔をしていた。ゆるやかなウェーブを描く髪が濡れて額に張り付いている。思い出したように需が言った。
「よく、帰還してくれた。とりあいず着替えて最上を交えて報告を ――――」
「すぐ追撃に出る」
需の言葉を遮って言った凛に、需は眉根を寄せる。
「何を言っている」
「シラギの抹殺には成功したけれど、シマ・アラタ・モズの三名は取り逃がした。客観的に考えれば、こちらの損害が遥かに大きい。だからこそ向こうは今これ以上の追撃はないと油断しているはず」
「何を考えているんだ。リュウを失い、藍が出られない以上お前につけられるパートナーがいない。こんな状況で出られるわけないだろ」
需の言うことなど耳に入らなかったように無視して歩き始めた凛の背中に、需が諭すよう続ける。しかしなおも凛は背中を向けたまま出口へ向かって早足に進む。
「おい、聞いているのか!?」
たまりかねて駆け寄った需は凛の肩に手をかけて振り向かせた。
「私から仕事を取り上げないで!」
凛の反応は大きく需の意表を突いた。予想していなかった反応に、需は呆気に取られて言葉を失う。
「藍は……本当に、養子なの?」
声を荒げて振りかえった彼女の黒い瞳は潤み、色を失った唇は小刻みに震えていた。
「急に何を言い出す」
「だったら、どうしてあんなに要に似ているの?」
凛の華奢な肩が大きく上下しはじめていた。
「考えすぎた。藍が要と似ているわけがないだろう」
「どう……して、彼と…同じ目…で私を見るの?」
途切れ途切れに何とか言いながらも凛はひどく苦しそうだった。懸命に肩を上下させて呼吸をしているが、うまくいかない。
「所長」
声は凛の後方から発せられた。廊下の向こうから駆けてきたのは、秘書の白瀬希である。
「最上総指揮官がお呼びです。リンさんを連れて、一緒に報告を聞くようにと―――。どうされました?」
凛から視線を外さない需に白瀬が不審そうに小首を傾げた時、凛の体が崩れた。需は咄嗟に手を差し出して彼女の体を支える。呼吸がひどく乱れていた。
「白瀬、最上に報告には後で行くと伝えろ。それと薬品棚からセルシンを持って来い。所長室にだ。早くしろ!」
極めて珍しい需の激しい口調に、白瀬は雷に打たれたようにして今来た道を走り始めた。
それを横目に需は凛の軽い体を抱き上げる。
「も…とむ」
「しゃべるな。何も考えなくていい」
需の白衣を握り締める凛の左手はところどころ皮膚が剥げ、血が滲んでいた。需は、凛が怪我を負っていたことにはじめて気がついた。
器用に片腕で凛の体を支えて所長室のオートロックを外す。 来客用の革張りのソファに凛を横たえると、キャビネットの中から紙袋を取り出し、彼女の口にあてがった。
「ゆっくり呼吸をして。大丈夫、すぐにおさまる」
そうは言ったものの、凛の呼吸はなかなか落ち着かなかった。
「所長!安定剤です」
需は部屋に飛び込んできた白瀬からひったくるようにしてそれを奪うと、通常使用する量の二倍を注射器に注入した。
「少し休んだほうがいい。後のことは俺に任せろ」
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