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人間兵器
作:蒼乃雪花



その先にあるもの・3


 冬の日は短い。
 早くも傾き始めた西日が差し込む射撃訓練場に藍はいた。
 取り出したのは、練習用のものではなく、自分のシグザウアーP226だ。
 構える。実際にP226を構えたのは一体何年ぶりになるのだろうか―――。それでもその感触はやけに手にしっくりきていて、違和感などまるでない。
 拳銃は子供のころからごく身近な存在だった。知識の中で何よりも早く会得したのが、火器の使い方であり、ここでゲームでもするようにして人を殺める拳銃の腕を上げた。
 何発撃っても銃弾は少しもそれることなく、繰り返し人型の的の胸を正確に撃ちぬく。
 ARMである彼の特出する能力はリーディングだけではない。意識せずしてトランス状態に移行できる彼の脳は、常人には到底及ばぬ高い集中力を発揮し、コンピューター並みに正確な射撃を可能とする。
「見事な腕前で」
 背中から掛けられた口笛と、軽快な賛辞にようやく藍は自分以外の人がいたことに気がついた。
「射撃もS級ってのは、デマじゃなかったんだな」
 言いながらリュウは懐からベレッタM92Fを出し、藍と並ぶ。
 眉間に力を込めて、引き金を引いた。
 リュウの放った弾丸は、わずかに中心からそれた。
「俺は射撃は苦手なんだ」
 舌打ちすると、リュウは茶目っ気たっぷりにウィンクする。
「演習で高得点を出せるからと言って、必ずしも実戦でそれを発揮できるとは限らない」
「実戦でも十分に通用するさ。この前のあれは、見事だった」
 リュウが言っているのは、先日超真信教に潜入した時のことだ。先日彼は一人で一ダース以上の武器を持った人間を混戦状態の中、的確に急所のみをついて、かなりの余裕を残して叩きのめしていた。
「相手がSASじゃ、あれは通用しない」
 急所をつくだけでは、致命傷は与えられない。せいぜい時間稼ぎが関の山だ。
「分かっているなら、言うことはない。明日は躊躇わずに引き金を引け」
 リュウはM92Fの銃口を藍の鼻先に突きつけた。
「例え相手が誰であろうと」
 突きつけられた銃口に臆することもなく、藍はリュウの茶色い瞳から少しも目を逸らさなかった。冬の月夜のようのような双眸はどこまでも澄み切っており、得体の知れない不安感にとらわれてリュウは先に目を逸らした。
 懐にM92Fをしまうと、リュウは藍に背を向ける。
「俺は―――! あなたを……」
「それ以上は言うな」
 リュウが振り返る。
「自分でも分からないものを、人に言われたくない。黙っていろ」
 彼の顔に浮かんでいた表情は、形容するにはあまりにも複雑すぎた。


「例のもの、用意できている?」
 凛が所長室を訪れたのは、すでに日が沈み、食堂での夕食時間もとうに終わった時刻だった。
 施設内は静まり返り、冷え切った空気は鋭さを増して中を侵食しつつあった。
 部屋に招じ入れられると、エアコンで暖められた空気は需が八年前から吸うようになった煙草の渋い香りを濃く帯びていた。この時間でも需は白衣を羽織ったままで、デスクの上の灰皿は吸殻が山のようになっている。まだ仕事をしていたのだろう。
「ちょっと待てよ」
雑然と---否、本人にとってのみ整然と並べられた、デスクの上に山積みになったファイル達をひっくり返し始める。凜は呆れた様子でそれを見やり、来客用のソファに腰掛けた。
「白瀬さんはどうしたの?あの人がいたら、こんなことにはならないじゃない」
「俺が軟禁状態だから、外に出なきゃいけない用件は全てあいつに任せているんだ」
 ARM研究の最重要人物としてテロリストに命を狙われている需は、外出禁止を命じられている。
「それはお気の毒ね。まあ、白瀬さんの方は家政婦役から開放されて羽を伸ばしているかもね。いつも需のだらしなさには呆れているもの」
平素ならば、彼のデスクの上がこのような無法地帯になることはまずあり得ない。専属の秘書である白瀬希(しらせのぞみ)が塵一つ残さず、完璧に片付けているのだ。
「いれば口やかましいが、いなければ不便なやつだ」
「もう少しの間だけよ。うまくいけば明日には軟禁状態から開放される。元の生活に戻れるわ」
 需は手を止めた。
「お前、明日本当に出るつもりか?」
「もちろん。私が出なくてどうしろと言うの?」
 凛はさもおかしそうに笑い、テーブルの上におかれていた需の煙草から一本取り出してくわえた。
「……明日は、雨だ」
 答えずに凛は煙草に火をつけて深く紫煙を吸い込んでからゆっくりと吐き出した。
 ブラインドの隙間から青白い光を放つ三日月が覗いている。
「大丈夫よ」
「何が大丈夫だ。最近、カウンセリングすら受けてないだろ。良くなっているとは思えない」
 需は吐き捨てるように言った。
「必要がないんだから、受けなくてもいいでしょう」
「その割には相も変わらず、毎夜違う男の部屋に行っているようじゃないか」
「あれは、癖になっているだけ」
悪びれた様子もなく、凜はやんわりと身をかわして話題を転換させた。
「私のことよりも、どうして藍の待機に賛成しなかったの?」
 ため息を吐き出しながら、需は再びデスクに上をひっくり返しはじめる。
 凛はいつもこうして大事な話はかわしてしまい、自分の領域には誰も踏み入れさせない。
「ARMだという事実は変えられないし、そうである以上、藍を利用しようとする輩は後を絶たないだろう。自分で自分の身を守るくらいの力は持っているんだ。いつまでも振りかかる火の粉をじっと耐えて浴び続けているのではなく、払うぐらいできなければ駄目だ」
「子離れすることにしたの?」
 クスクス笑う凛を横目に、需は憮然としながら乱暴にデスクの上を掻き回す。数冊のファイルが、音を立てて落ちた。落ちたファイルの中から飛び出した数枚の紙片を拾い上げて需は凛に差し出した。
「まるで本当のお父さんみたいね」
凜の口調は揶揄しているようで、それでいてどこか羨ましげだ。優しく微笑んだ口元が、儚い。
需が次の言葉を発するよりも早く、またしても凜は唐突に話題を変えた。
「結局、アラタの聴力に関するデータはないの?」
「不可解なことに聴力に関する記述がされている書類だけが、一切ないんだ。PCの中のデータも全て消されている」
 需は肩を竦めてみせた。
「……右半身の負傷が多いのね。やはり、可能性はあるわね」
「ヒトにオッドアイが現れる確率は一千万人に一人とも言う。その中で聴力や視力に障害を持つのはそれほど高い割合ではないが……」
 攻撃系能力を持つSASにおいて名実共に最強あるARMのアラタは、蒼い右目と緑の左目のオッドアイの持ち主だ。兼ねてからアラタの弱点を探察していた凛は、オッドアイの猫は青い目の側の耳に、何らかの聴力障害を持つ可能性が非常に高いという事実に着目し、それが人にも当てはまる可能性がないか需に調査を依頼していたのだ。遺伝子工学の権威でもある需は、その推察に難色を示していたのだが。
「聴力に関するデータの一切が消去されているのが気になるわね」
「隠さなければいけない類の情報があったという裏づけにはなるな」
「もしそうならば、右側方からの攻撃は少なからず反応が遅れるはず。勝ち目はなくはない」
 淡々と言う凛の細面を見ていたら、需はある強い不安感に襲われた。
「……死ぬつもりか?」
 灰皿に押し付けた煙草から一筋の紫煙が上がり、そして消える。彼女の紅い唇は緩やかに弧を描いた。
「差し違えるのなら、それも悪くない」
 世の男性の多くを魅了するだろう、完璧に美しい微笑だった。しかし、作り物のようにまるで人間味のないそれに需の心はひどく痛み、見ていられずに眼を逸らした。












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