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人間兵器
作:蒼乃雪花



意馬心猿・5


 超真信教は公開されている資料によると、創立は十一年前、信者の数はおよそ五万人とさほど規模は大きくなく、新興宗教と分類されるものの中でも、とりわけ新しい。イスタンブールスタイルに、ヨーロッパ建築様式を混ぜ合わせたようなその巨大な教団本部の建物は、丸天井が特徴的で、床材には高価な輸入大理石が使われているのか厭味なほどに眩い。どう見ても、モスクのような外観の建造物は、ばかばかしい程に大きく、その豪奢な造りは圧巻といってもよいが、なぜか少しの感銘も受けなかった。
「眼鏡くらいしてくるべきだったかな」
 白い息を吐きながら、リュウが居心地悪そうに広い肩を竦める。
「どうして?どっちみちシマがいるとしたら、変装なんて無駄だって言ったのはあなたでしょ」
「確かにそうは言ったが…」
 彼女がいるとしたら、自分達の潜入は当然予知されていると思ったほうがよい。その為、下手な変装は無駄だと言ったのは自分だ。しかし、彼が変装して来なかったことを悔やむのは別の理由からである。
 三人の頭は飛び抜けていた。筋肉質な体つきのリュウに比べると、線の細い藍は実際の差よりもずいぶん小さく見えるが、リュウの身長は百八十六センチ、藍は百八十二センチと成人男性の平均身長よりもかなり高い。また、二人に挟まれて立つ凛も、百七十センチに届くか届かないくらいで、女性としては長身である。彼らはその事実だけでも十分に目をひくのだが、それに加え、凛の眩いばかりの美貌と、藍のどこか憂いを含んだ端整な顔立ちは、老若男女問わず、無用な注目をも集めてしまうのだ。彼らは本来、諜報員であり、注目という言葉には極力無関係でいたい身分だ。これだけ隠密行動に向かないSASが他にいるだろうか。とは言うものの、結果論を言えば、聡明な頭脳で練った緻密な作戦を、あっさりと踏み倒してしまうほどの彼女の溢れんばかりの行動力と、好戦的な性格(リュウ曰く…)は彼らを隠密行動に留めることを知らないのだが―――。
 大聖堂と名付けられた広間には、ざっと数えても百人はいそうだった。その八割は信者らしく、三人にとっては聞きなれぬ、カルマ、シト、メシア、ゲダツなどの宗教用語が飛び交っている。加えてどうやら例の予知能力を持つという女幹部の名は「メイライ」というらしいことを、凛とリュウは知った。耳と思考回路をフル活用しなくとも、そこら中で、信者たちが「メイライさまが」「メイライさまの」と、彼女とおぼしき人物について、熱っぽく語っているので簡単にわかってしまったのである。
「もしも、メイライ様がシマだとしたら、俺達はさしずめ暗黒の帝王ってことか」
 リュウに質の悪い冗談に、凛は苦笑で応える。信者達にとって彼女は神に近い崇高な存在として崇められていることは、間違いなさそうだ。
「少々、厄介ね」
 豪胆な彼女の口から率直すぎる感想が漏れたことに、今度はリュウが苦笑を強いられる番だった。
 壇上では、白い袈裟けさのようなものに身を包んだ小柄な男性が、深々と頭を下げてからマイクを手にしたところだった。続いて発表された事実は、彼ら三人にごく微量の衝撃を与えることとなる。
「まずは、皆様にお詫び申し上げなければなりません。本日、大予言士明来めいらい様のお話と、個別の相談会を予定しておりましたが、体調を崩されたため明来様のお話はありません」
 想定内の出来事ととして事態を冷静に受け止めた三人とは裏腹に、場内には空気が震えるような落胆の声が上がる。説話会のメインは、あくまで教祖の話であったはずだが、会場内の大半の目的は大予言士と謳われる明来という人物の予言と、個別の相談会であったようである。むろん、三人も例外ではないのだが。
「逃げられたかしら」
「かもな」
 正面を見たまま二人は短い会話を交わした。その言葉の裏で凛は、予測される事態の全てを洗いだし、これから自分達が取るべき最良の行動を見出すべく、目まぐるしく思考回路を働かせていた。――――否、最良の策はとうに分かっている。藍に力を解放させ、明来と呼ばれる人物の思考に接触させ、まずは自身の予測から真実を探し出す。それから行動を定めるのが最善である。しかし、この状況で彼に力を解放させてよいものかどうか、その判断が凛はつきかねているのだ。
 表情を全く変えぬまま、凛はちらりと右斜め後方に座る、肥えた中年の女性二人組みを見遣る。彼女たちは互いに熱にうかされたように、唾を飛ばしながら「メイライ様」の素晴らしさについてしゃべりまくっていた。会場内ではそんな光景が決して珍しくはない。よく言えば、信仰にひたむき、悪く言えば盲信する彼らの心理に吹きさらしにされては、藍の精神衛生上良くないことは明白。最悪、彼が意識を失えば、こちら側は一切の身動きが取れなくなり、返り討ちの危険すらある。その上、藍の身をあちらに奪われでもしたら、まさに収拾のつかない事態となるだろう。藍は彼らにとって、まさに諸刃の剣なのだ。
(藍を連れて来たのは裏目にでるか――――)
 苦い思いは自身の胸の中に押し殺して、凛は決断を迫られていた。
「メイライという人物の思考を探してみる」
 沈黙を保ったまま、凛の横顔を眺めていた藍は、おもむろに左耳のピアスに手をかけた。 「それが一番確かで、最速でしょう?」
 凛の目元が、ふと緩む。制御装置を全てつけている藍が、自分の思考を聞いたとは思えないが、この若者はやはり頭脳明晰なようだ。むろん、凛が危惧している事態も分かっている。
「大丈夫、俺はそんなに脆くない」
 その言葉は自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「臨界線を超える前に必ず戻るのよ。いい?」
「了解」
 答えるなり藍は、左耳に一つだけピアスを残し、それ以外を取り払った。
 藍の双眸は、あらぬところに向けられたまま動かない。
 恐らく、彼の脳内ではここにいる全ての人間の思考と、それよりももっと広範囲に存在する人間の思考が乱れ飛んでいるはずである。それをリアルに想像すると、背中が薄ら寒くなり、凛は軽く首を振って自身の思考を中断した。とても生身の人間が処理しきれる量の情報だとは思えないし、量以上に恐ろしいのはその質だ。
 椅子にかけた藍の体が大きく揺らぐ。眉間に細かい皺をよせて、前のめりになった彼を支えようとリュウが手を出しかけたが、凛が低い声で、鋭く叱咤する。
「触れてはだめ」
 深いトランス状態に陥っている彼に触れば、その人間の深層心理がダイレクトに藍に伝わってしまう。それは、心を開け放した無防備な状態に、土足で踏み入るのと同じことであり、非常に危険な行為であった。自身すら認識しきれていない深層心理は、パンドラの箱であるに違いない。
 今にも椅子から転げてしまいそうな状況だと言うのに、触れることもできず、リュウは出しかけた手で拳を作り、無意味に開いたり、握ったりを繰り返す。思案の末、彼が引っ込めた手の代りに出したのは自分の着て来たダウンコートだった。まさに藍が崩れる瞬間にダウンコートを広げて、触れることなく彼の体を受け止めるという機転を利かせたのである。
 焦点が定まった漆黒の瞳が、リュウの困惑した瞳とぶつかり、軽い謝辞とともに藍は体を起こした。
「どうだった?」
「……明来という女性が、シマという人物と同一人物であることは間違いないでしょう。今日俺達が潜入していることも、予知していたし、説話会に姿を現さなかったのもその為。でも―――」
 会話をしている間にも、脳内を横行する周囲の人間の思考が耳障りなのか、藍は時折軽く頭を振り、やや気怠るそうな様子だ。
「でも?」
「ただ単に逃亡する気じゃない。どういう形をとるかまでは聞こえなかったけど、何らかの形で必ず接触してくるつもりだ」
 ピアニストのように長く、白い指を華奢な顎にかけて、凛は数秒思案したようだが、続いて彼女の顔に浮かんだ表情は、彼女の外見しか知らぬ者ならば、アフロディテの微笑に映っただろうが、部下二人の目にはアテナの笑みのように映った。
「では、接触とやらを待つことにしましょうか」
 彼らの長が行動方針を決定したころ、壇上にはようやく教祖が姿を現していた。勿体つけて登場した六十代半ば程と思われる男は、髭が長く、肩ほどの白髪交じりの髪を固く一本に結わえている。整髪料で撫でつけられた前髪は妙な光沢を帯びており、外見からしても生理的に受け付けないタイプだな、とリュウは瞬時にそう思った。その上、威厳を演出したいのか、立ち振る舞いが妙にオーバーで芝居がかっており、厭味なほどに堂々としている様が鼻につく。「やたらと偉そうなおやじね」と、リュウが受けた印象を一言にまとめて凛が述べた。
 彼の話は、信仰と修行の重要さを説くところから始まり、後半は自身がいかに偉大な存在で、正しいかということを言葉を変えて繰り返すだけで、三人は睡魔との激戦に忙しかったし、続いて披露された、彼の空中浮揚や透視、リーディングなどの超能力は、彼らにとってはどれも一瞬にして仕掛けがわかるような陳腐なものばかりで、あまりにもお粗末なマジックショーには失笑を堪えるのに必死であった。
 教祖が壇上で話をしたり、偽物の超能力を堂々と披露している最中に、欠伸を噛み殺したり、笑いを堪えたりするような不埒な輩は、彼ら以外には見当たらないものの、説話会が開始されるまではあった会場の熱気は冷めた感が強い。会場に訪れた人間の大半の目的はあくまで大予言士、明来が下す神託とやらなのだろう。
「教祖はお飾りね」
 凛の言葉は辛辣というよりは、事実を的確に述べたものだろう。
「奴らが教団を完全に乗っ取る日もそう遠くないだろうな」
「そうして、莫大な資金と人的資源を一挙に確保する。組織を大きくするのには優れたやり方だわ。もう少し頭の悪い子だと思っていたけど、悪知恵は働くみたいね」
 最年少のARMは能力には長けているものの、若さ故か短絡的で思慮深さに欠ける。実際に会ったこともない彼の評判はその程度だった。
「黒幕は本当にアラタという人なんだろうか。ただの操り人形だとしたら…?」
 藍が漏らした不吉極まる言葉は、二人を沈黙させる。三秒ほどの時間を要してから凛が口を開いた。
「そうではないことを祈るわ」
 大予言士・明来の講話がなかったため、説話会は予定時刻よりも早く終了した。
席から立ち上がる人々の中には、露骨に失望の言葉を漏らす者もおり、やはり明来の講話と相談会とやらが目的だったことが窺える。出口に列をなしていた人影もまばらになりはじめた大聖堂で、三人はようやく席から立ち上がった。
「さて、どうしますか?」
 立ち上がり、長身を披露して伸びをしながら、リュウがのんびりと問う。大聖堂は静寂を取り戻しつつあり、彼らが望む変化らしきものは全く見られなかった。
 凛が口を開き、答えかけたその言葉に、藍の低い声が重なる。
「来た」
 閑散とした聖堂に入ってきたのは、三人の背の高い男だった。先ほどから何度か目にしているが、教団の正装らしき袈裟に身を包み、肩を覆うほどの髪は一本に結わえている。
教祖のローブは白であったが、彼らが着ているものは江戸紫であった。恐らく色はなんらかの階級を表しているのだろうが、紫を身に纏う彼らの階級はそれほど低いものとは思えない。身なりこそ宗教人のようではあるが、鍛え上げられた筋肉質な体つきは、彼らが教団内でどのような役割を担っているのか、容易に察しがついた。
「明来様より、御三方をお連れするように言われて参りました。ご同行頂けますか?」
 丁寧な物腰とは裏腹に、袖に半ば隠されて突き付けられたのは、トカレフの銃口であった。先程、教祖が世界平和の実現を渇望するといった大聖堂で、暴力の象徴といっても過言ではないそれが登場したところで、三人は驚愕も恐怖もしなかったが、藍とリュウの二人は全ての行動の決定権を持つ凛の判断を仰ぐべく、黙して彼女の横顔を見た。彼女の秀麗な横顔には表情が浮かんでおらず、静止していた。男達が引き金にかけた指にわずかに力がかけられ、カチリという微かな音が静寂に支配された聖堂に反響する。凛は溜め息とともに小さく首を振り、透き通るような声で答えた。
「いいわ」












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