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人間兵器
作:蒼乃雪花



ガトーショコラの味・1


甲高い携帯電話のアラーム音が耳元で鳴り響き、藍は目を覚ました。
 今の仕事に就いて、三年。初めて貰った連休は散々だった。
 連休三日目の朝、施設付近は猛吹雪に見舞われ、視界は二メートルも無く、バス停まで徒歩は勿論、車を出すことも困難な状況であった。
 検査の結果は異常無し。
 それさえ分かれば用は無く、施設を早々に辞したかったのだが、天はそれを許さなかったのである。
――――― SASに戻らないか?
 真剣な、というよりはどこか沈痛な面持ちでそう言った彼の姿はどこへやら―――。
 一晩明けて、問答無用に荒れ狂う雪女の姿を窓から眺めていた藍が、背後に気配を感じて振り返ると、そこには満面に笑みをたたえた需の姿があった。
「働かざる者食うべからず」
 そう言った需の顔を思い出すだけで、憎らしい。
 資料整理やら、研究の助手やら、結局吹雪は丸二日間収まらず、藍は需の秘書として、存分にこき使われたのだった。
 その間、彼は最初の夜に見せたような真剣な表情を一度も見せなかった。
しかし、バス停までの車内で―――
「ピアス、一つでもいいから外して生活してみろ。今のお前は制御装置に頼りすぎだよ。三日間見ていてそう思う。きっと、ノイズが聞こえたのはそのせいだ」
 ポツリとそう言った。
 確かに思い当たらない節が無いわけでは無かった。
 以前は頻繁に力を使わなければならない状況に身を置いていたから、ピアスを全て装着しているのは稀であり、人と接するにあたり、その分意識的にトランス、非トランス状態をコントロールしていなければならなかった。しかし、力を不必要としている今、藍は自分がトランス状態なのかそうでないのか、全く自覚できていないような状態である。制御装置の許容範囲を越えてしまえば、いつ力が発動されていてもおかしくないのだ。
「おはようございまーす」
 黒いパンツに白のシャツ姿、ギャルソンエプロンを肩に掛けた格好で、器用にネクタイを結びながら藍はデシャップに姿を現した。
「おう、連休どうだった?」
「いや、散々でしたよ。実家の父にこき使われて…」
「萩理がいないと、女性客激減だよ。おかげで五日間は売上低迷」
「そんなことないでしょ」
 五日ぶりに会う厨房の人間達と談笑していると、彼の姿を見つけた店長の船瀬がホールから早足で向かって来た。
「あ、おはようございます。連休ありがとうございました」
 エプロンの紐を結びながら藍は頭を下げる。
「……さんが、来てる」
「はい……?」
 船瀬の目は心なしか血走っていた。
「凛さんが、来てる!!」
船瀬に遅れる事数分、今度は遥がホールからデシャップに戻って来た。
「あ、藍だー!久しぶり。連休楽しかった?」
「残念ながら、あんまり楽しくはなかったな」
「そうなの?五連休なんて、もう二度と無いかもよ?もったいない」
 ケラケラ笑いながらも、手を動かすことだけは忘れない。ワインセラーから、滅多に出ない高級な赤ワインを取り出し、ワイングラスをライトに透かして、傷と汚れを素早くチェックしてからトレンチに載せる。ポケットの上からソムリエナイフの存在を確認し、全ての準備が整い、彼女がホールに出ようと一歩踏み出したその瞬間。
「何するんですかぁ?」
 船瀬に浴びせる、非難の眼差し。それもそのはずである。船瀬は小柄な遥の首根っこを突然後ろから掴んだのだ。
「それ、凛さんのオーダー?」
「そうですよ」
 憮然とした表情をして見せるものの、童顔のせいか可愛らしく見えてしまうのは、損なのかもしれない。
「俺が行く」
 血走った目は有無を言わせぬ強さがあり、はっきり言ってコワイ。遥は肩を竦めてトレンチを渡すのだった。
 彼はトレンチを受け取ると、ホールに出る前に身なりをチェックするための鏡に向かって、きりっと顔を引き締める。以前彼が「俺はこの顔が一番かっこよく見える」と豪語していたその表情を保ちながらエプロンの裾を翻し、颯爽とデシャップを後にした。その一部始終を二人は呆然と見詰めていた。
「あのさ…実は、あの人、男の人と二人だったんだよね」
「えっ?」
「店長の位置からだと見えていなかったと思うけど、多分恋人?と二人だったよ。可哀想に」
 言葉とは裏腹に、遥の表情は悪戯っ子のようだ。
「今回は本気っぽかったのにねえ」
 藍が呟くと同時くらいに、自分が勝手に「一番かっこいい」と思いこんでいる顔のまま船瀬が戻ってきた。二人の予想通りと言うべきか、トレンチの上のワインとグラスはそのままである。
「藍…行ってくれ」
 凛々しく造りあげた表情から一変、情けない程に眉毛をへの字にして、今にも泣き出しそうな表情でしゃがみ込む。
「ご愁傷さまです」
 真面目くさってそう言い、深く一礼てから今度は藍が、颯爽とデシャップを後にしたのだった。
「失礼します」
 営業用の、口元を上げただけの淡い笑みをたたえて、テーブルの脇に立つ。
 なるほど、確かに遥が言っていた通り彼女の真向かいには、上等そうなスーツを厭味なくさらりと着こなした、いかにも「仕事ができる男」風の若い男性が、柔和な笑みを浮かべて座っていた。年の頃は恐らく二十代後半から、三十代前半。藍よりも年上である事は間違いなさそうだった。短く切った黒髪を整髪料できっちりセットしており、くっきりとした大きな二重の瞳に長い睫毛。藍とは同じ類ではないが、美男子といっても過言ではなさそうだ。
「今日はお休みですか?」
「いえ、違うんだけど、たまたま仕事が早く終って…せっかくだからお邪魔しようと思って、ね」
 一方彼女は、襟の大きい白いシャツに、スレンダーな黒のテーラードのジャケット、同じく黒のタイトスカートという姿で、先日会った時よりもややかっちりとした印象を受けた。モノトーンの色調の服は、彼女の白皙を際立たせ、変わらずのナチュラルメイクと、背筋の伸びた凛とした座り姿が、常人には無い透明感を感じさせる。
「君が、ハギリアイ君?」
「そうですが―――」
 唐突な男の問いを怪訝に思いながらも、藍は営業スマイルを保ち、二人のグラスにワインを注ぐ。
「噂通りの美貌の持ち主だねぇ。彼女が、とてもかっこいい人がいるお店があるから、一緒に行こうって言うんだ」
「恐れ入ります」
 聞きなれた賛辞を、藍はさらりと受け流す。いちいち反応していては、きりが無い。
「そうよ。綺麗な顔でしょう?久々に目の保養ができたんだから」
 ふと、妙な事に気がついた。
 茶目っ気たっぷりにウィンクしながら、ワイングラスを持ち上げた彼女の左手が、黒い。否、室内に関わらず、黒のレザーのグローブをはめているのである。咄嗟にテーブルの上に置いている右手を見たが、右手は素手である。片手だけにはめられた、漆黒のグローブは彼女のイメージとは相容れぬもので、大袈裟な言い方をすれば、異様な気配さえ感じさせた。 
「どうかした?」
 彼女の左手に集中させていた視線を、慌てて元に戻す。
「お食事はいかがなさいますか?本日のお薦めは『ボタン海老とアボカドのタルタル』でございます」
「そうだな…どうする?」
 男が、彼女に言う。
「任せるわよ。なんでもいいわ」
「じゃあ、ニース風サラダと、ボタン海老とアボカドのタルタル、それにこだわり野菜のファルファーレ。……デザートはどうする?」
「何がお勧め?」
 凛が藍を見上げる。
「定番ですが、クラシックガトーショコラがお薦めです」
「うん、じゃあそれにする」
 頷いた彼女の顔はまるで子供のように、無垢であった。黙っていれば、近寄りがたい程の美貌と雰囲気の持ち主であるというのに、彼女は人形のように整った美しい顔に、惜しげも無く様々な表情を浮かべる。そのせいか、ツンとした印象は全く受けないのだ。
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
 万人を魅了する、優雅な微笑とともに一礼し、藍は二人のテーブルを後にした。
 空のトレンチを器用に片手で回しながらデシャップに戻ると、船瀬が先程の態勢のまま一角を陣取っていた。厨房から料理を受け取るそのスペースは、決して広くなく、明かに遥を筆頭とした真面目なアルバイト達にとっては業務妨害である。
「店長、邪魔ですよ」
 皆の心情を、藍が代弁してやる。
「あの二人さ…」
「恋人じゃないですか?相手の人もかっこ良かったし、仕事は出来そうだし、お似合いですよね」
 船瀬の言葉を遮って、藍は言った。
「お前が他の男の事かっこいいとか言ったって、白々しいよ」
「そういう問題ですか」
 藍が冷ややかな視線を送ると、船瀬はため息と共にまた項垂れた。
「どうだった?やっぱり恋人だったの?」
 他のテーブルからオーダーを取り終えた遥が、船瀬を横目で遣りながら耳打ちする。もっとも、船瀬の様子からおおよそ見当はついているのだが。
「まあ、多分そうなんだろうけど……」
「けど?」
 意外にも小声で返答した藍の言葉は、いささか歯切れの悪いもので、遥にとってはそれがむず痒い。
「恋人同志なんだろうけど、なんか引っ掛かる。違和感、あるんだよな」
 後に、この時の自分の言葉が、二人の関係をかなり的確に捉えていた事を知る事になるのだが、この時彼は知る由も無いのであった。












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