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ボクボタン
作:ノビタニアン


深夜0時は真っ昼間。
少しずつ蕾が現れ始めた桜の木が揺れている。

ボンヤリと暗闇に浮かぶ時計を眺めたのが23時50分。

学校の正門に一つだけある時計。何よりも、誰よりもこの大きな世界の、この小さな国の時間を正確に刻んでいる。
今の僕には時を示すものはこのボンヤリ頼りない時計だけ。
だからこそ、こいつが全てで、もしこいつの体調が悪くて午後20時を知らせていたら僕は夕食を食べに帰るだろうし、午前3時を知らせていたら僕は焦って寝に帰るだろう。

幸い、こいつは真面目なやつで毎日ちゃんと仕事をやっているみたいだ。

長い針と短い針が一番高いところで交じり合う。

カチリと大きな音をたてて。

長い針が僕で短い針が…。
二人の密会を横目でチラ見してたら横田君がふらふらやってきた。
横田君の耳にはいつも白いイヤホンが刺さってて、こっちに近づくにつれて耳に刺さるイヤホンから『シャカシャカ』とテンポのいい音が零れている。

「お、ごめん。お待たせお待たせ。」

『シャカシャカ』が止まって横田君が自転車を降りた。でもスタンドを立ててないからそのまま自転車はガシャンと派手に転んだ。
自転車を何食わぬ顔で立て直す横田君。

「今日はいけると思う。さっき店の前通ってきたんだけど、じいさんみたいな人一人だった!」

僕ら二人には大きな目標があった。
それは

あるビデオを買うこと。
そして悪いやつをやっつける。

その、あるビデオ。どうしても入手しなければいけないものなのに、なかなか手が届かない。

過去三回、僕らは戦場で敵に敗れているんだ。
一度目は一ヵ月前の夕方、学校帰ってすぐ私服に着替え、横田君と中古ビデオショップに行った時だ。
奥にある『アダルト』と表記してあるコーナーへまず侵入し、目標を発見し、涼しい顔でレジを済ませ、脇目もふらず家に帰り、観賞しなければならない。

ライムゲートが出している『完全素人No.8』を僕達は手に入れる必要があるんだ。

『完全素人No.8』

横田が仕入れてきた情報によると、この作品には僕らが憧れている先輩、アイさんが出演しているという。

中西愛深。
高校2年生。
バレー部。
ものすごく可愛い。
そしてものすごく胸が大きい。

中高一貫校に通う僕らはいつも同じ時間の電車で彼女を見かける。いつもドア前に立っていて、友達と笑顔で会話している。
僕ら男子中学生の制服は黒の学ラン、黒の指定カバンであるにもかかわらず、高校の制服は一気に華やかになる。
特に女子の制服は、一応は指定されたブレザー、スカート、カバンなのだが、生徒の自主性がなんたらかんたらという理由で自由度が高い。
校舎も改築されたようで、高校校舎はまるで綺麗なリゾートホテルのような門構えになっている。

僕らから見れば高校は夢の場所。高校生は憧れの存在。

あんなに綺麗な校舎で、あんなに可愛い女の子と机を並べて毎日を過ごせるなんて。

アイさんと一緒に。
アイさんと一緒に。

でも、そのアイさんが。

僕らは勇み足で店に入った。

きっと悪い大人達の陰謀だ。悪い世界に連れていこうとするライムゲートの陰謀から僕らのアイさんを救うのだ。笑顔のアイさんを守るのだ!

「おい、お前ら何歳だ?証明書みせてみろ。」

レジから地を這うような声がした。
僕が青い顔をして振り返るとそこには髭を生やした怖い顔したオッサンが段ボールを持って立っていた。

横田君が明らかに動揺しながらこう言った。

「あーやべ。免許証だよな。あれ、家かな。お前も財布置いてきたよな。あれー、いつもあるのに。よし、今度にしようぜ。そうだよな、よし。」

大体、10秒くらいだったと思う。
僕らは一撃で戦いに敗れた。
帰り、僕らはショックで一言も話さず別れた。

二回目の戦い。
僕らはこれでもかと作戦を練った。
横田君が店の見取り図を広げた。

「いいか?開店した瞬間はいつも女の人がメインでレジやってて、あのオッサンは奥で作業してるらしい。しかも、仕入れてきた商品を並べるのに大忙しで、かなり接客が甘くなってるんじゃないかと思う。そこでだ。お前、レジの女の人にドラえもん3巻はどこですか?って聞け。お前等が動いた瞬間を見計らって俺が入店。ライムゲートのコーナーにいく。たぶんシリーズ化されてるからすぐに手に取れるはずだ。」

僕は息をのんだ。

「お前がドラえもん3巻を手に入れたと同時に俺と合流。完全素人No.8をドラえもん3巻の下に置いてレジを済ませろ。」

何故か僕がレジに突撃することになっていた。
実弾飛びかう前線に友を送り出す、なんともサドな司令官。

「アイさん、助けようぜ。」

僕の心は燃えていた。
アイさんを救うのだ。

その日、僕は横田君の家に泊まった。
第二次ライムゲート大戦が今、始まる。

日曜日の午前11時。
柔らかな日差しが気持ち良い。

「作戦、わかってるよな。」

僕は親指を立てた。
指は震えていた。

店がいつもより大きく見える。まるで要塞みたいだ。

開店と同時にまず僕が店に入った。いらっしゃいませの声もなく、レジにも人がいない。

店もシーンとして誰もいないみたいだった。

ドラえもん3巻はどこですかドラえもん3巻はどこですかドラえもん3巻は。

何度も練習したセリフ。
まさか使う機会がないとは。

でも誰もいないならチャンス。
横田君、今なら。

「しゃいませー」

僕は目玉が飛び出るほど驚いた。奥から女の店員。
奥の事務所には髭のおっさん。山積みの仕入れ商品。

昨日の横田君の作戦を思い出した。よし、計画通りだ。いくぞ。

僕は練習しまくったセリフを店員に言った。

「ドラえもんは映画しか置いてないです。」

血の気が引いた。
さっそく、僕らの作戦は失敗に終わったのだ。店員が動かない。アダルトコーナーに入れない。

僕らはまた、負けて帰るしかないのか。

店のドアが開いた。
横田君だ。

「すみませーん。漫画の発売日調べてもらえませんか?」

女の店員がわかりましたと言って奥に消えた。

横田君が僕の方を振り返って奥を指差した。

そうか。
昨日の作戦。

ありがとう横田君。
すごいよ横田君。

僕はついにアダルトコーナーに突入した。

所狭しと並んだ商品。
大人の空間の圧迫感。
一気に空気が変わった気がした。

目の前のオススメ商品の棚を見た。
恐ろしく可愛い女の人が全裸で写っているパッケージが目に入る。

すごい。すごい。

ドキドキして頭が熱くなった。

思わずそのオススメ商品を手に取りそうになった。

そうだ。
ライムゲート!

僕は後ろ髪を引かれる思いで奥に足を踏み入れた。
ライムゲートはどこだ。
アイさんはどこだ。

ちょうど突き当たりに赤文字でその悪の名前が大きく書かれていた。

あった。これだ。

完全素人。どれだ。
どれだよ。

手が震える。
ドキドキが一層早くなる。このドキドキ。店員に聞こえてるんじゃないのか?
やばい。早く、早く。

完全素人シリーズ。

発見。

No.1から12まで綺麗に並べられていて黒いパッケージに完全素人と書かれているそのビデオ。

最高潮に手が震える。もう頭が沸騰しすぎて今にも笑いだしそうだ。冷や汗が背中をツツーッと流れていったのがわかった。

No.8を手に取った瞬間、稲妻が体を通り抜けた。
同時に今までの緊張がどこかへ吹っ飛んでいってしまった。

これ。ほんとに。アイさんだ。

後ろに人の気配を感じた。さっきの女の店員だ。

僕は完全素人No.8をその場に放り出し、店員に見つからないよう壁添いを周りながら出口に猛ダッシュ。

外に出たら横田君がすごい形相で僕に問いかけた。

「なにしてたんだよ!あったのか?どうだった!?」

僕は息を切らしながら必死に謝った。

「頼むよ、俺なんか欲しくない漫画の予約までさせられたってのに!」

ただ、申し訳ない気持ちで一杯だった。少し落ち着いてから、ちゃんと目的のものはあったこと、その場所、そして、表紙がアイさんだったことを横田君に伝えた。

横田君は急に黙り込んで、歩きだした。
僕も少し遅れて歩きだした。

「マジかよ。ほんとだったのか。嘘だろ。」

僕らの周りにはなんとも言えない重く暗い空気が流れはじめた。

「でも、ちゃんとそれがあるってことは今回でわかったんだ。次、次こそ手に入れようよ。」

横田君が何故かガッツポーズで僕を見た。

僕もドキドキからワクワクへかわっていた。

悪をやっつける以前に、大好きなアイさんが出演しているアダルトビデオが実在することに大いなる希望と期待が生まれていた。

アイさんは一体どんな姿で何をしているのか。

さっきまで落ち込んでいた二人の足取りは軽いスキップに近い歩き方になっていた。

「なぁ、ほんとにあったんだな!すごいよな!アイさんがまさかなぁ!あはははは!このことは二人だけの秘密な!絶対な!」

僕らは今までしたことのない熱い握手をして、勢い余って勝利の抱擁までした。

横田君は泣いていた。
僕も夢が膨らみすぎて泣きそうになった。

次の日の朝。
いつも通り電車に乗ったら窓側にアイさんが友達と笑いながら喋っている。

横田が言う。

「今週末、俺んちに泊まりにこい。」

「最終決戦の始まりだ。」

雨。

週末なのに生憎の雨。
横田君のお母さんが夕食をご馳走してくれると言うので、僕は夕方頃に横田君の家を訪問した。

「上がってよ。」

横田君のお兄さんが出てきて二階まで案内された。

「どう?中学は楽しい?」

お兄さんは高校三年生。
大学も推薦で決まり、今はアルバイトをしながらお金を貯めているらしい。

「春にさ、彼女と沖縄に行くんだよ。沖縄はいいみたいだよー。お土産買ってくるからな。」

お兄さんに一礼し、横田君の部屋に入った。
横田君は最近発売されたばかりのゲームをやっている。

僕はベッドに座り、しばらくゲームを眺めていた。

横田君がコントローラを僕に放り投げる。
僕は下手くそながら横田君に三回も勝てた。

「ご飯できたよー!」

僕らは一階に降りて、大きな食卓を囲んだ。
横田君に横田母、横田父、お兄さんに猫。
何気ない会話がすごく楽しくて、ご飯がすごく美味しかった。
なんで人の家のご飯はこんなに美味しいのだろう。

デザートはメロンだった。メロン味なら大好きなんだけど、本物のメロンを食べるのは初めて。
でもメロンはメロン味だった。
だってメロンだもん。
当たり前か。

部屋に戻り、ゲーム再開。
しばらくして横田君が口を開いた。

「来週だ。来週の今日。その日の深夜0時。学校集合でいい?もうこれしかないよ。」

僕は、うん。と言ってまた会話が無くなった。

あと一週間。

横田君の家でお風呂まで入らせてもらい、泊まっていけよ。とすすめられたが僕は帰ることにした。
雨が止んで涼しい風が吹いている。

それから一週間後。
深夜0時。

横田君は倒れた自転車を直しながらこう言った。

「店員一人だし、じいさんならガード甘いだろ。もし証明書見せろって言われた場合は。ほら。兄ちゃんの保険証。兄ちゃん18歳だから。」

月が出て僕らを照らす。

「今回は二人で買おう。正々堂々と。」

横田君の自転車に二人乗りをして、静まり返った坂道を一気に下った。誰もいない。何もない。

僕達だけがこの時間に生きているみたい。

まるで世界が僕らだけのものになったようだった。

店には店員が一人。
本を読みながら椅子に腰掛けている。

僕らは胸を張ってアダルトコーナーに入り、完全素人No.8を手に取ってレジに向かった。パッケージのアイさんがこっちを見て笑ってる。あの時みたいに。

「5800円です」

意外だった。
こんなにもあっけなく買えてしまった。
何度も戦いに敗れ、悔しい思いをしてきた戦いに僕らはついに勝つことができた。
喜び、とはまた違う感覚。よくわからない。
だけどものすごい達成感とワクワク感が既に僕らを包み込んでいた。

「今夜、家誰もいないんだ。だからさ、大音量で見よう。その前に。乾杯だー!!!」

僕らは走りだした。
無我夢中で走った。
コンビニでありったけのお菓子とおつまみを買った。もう何を話したのかなんて覚えていない。
店に自転車を忘れてきたことなんて既にどうでもよかった。

ゆっくりゆっくり、夜に溶けていく僕ら。

月もこっちをみて笑ってるような気がした。

横田家にはお酒がたくさんあった。
ビールは苦かったけど、ジュースみたいなお酒もたくさんあって一気に飲み干した。お酒なんて飲むのは初めてだ。でも不思議とごくごく飲めた。

深夜3時30分。

横田君が袋からようやく購入したビデオを取り出す。よく見たら横田君は鑑識がしているみたいな白い手袋をしてビデオを取り出していた。
パッケージにはアイさんがあの笑顔で写っている。
ついに。ついに僕らはアイさんを知る時がきたんだ。慎重にビデオデッキを起動させ、丁寧にビデオを差し込んだ。
僕は生唾を飲み込み、正座をしていた。
電気を消した。
漆黒の闇と無音の空間の出来上がり。でも、その闇は夢と希望に満ち満ちた、とても珍しい闇だった。

いかにも手作りっぽい、安っぽいタイトル画面。

正直、アダルトビデオを見るのはこれが初めて。
初めてのアダルトビデオが、あのアイさん主演のビデオとは。
神様も悪戯が過ぎる。

ドキドキが限界を通り越して、口から胃が出てきそうになった。
この瞬間を僕らはどれほど待っていたのだろう。

この学校に入学し、横田と知り合い、毎日バカをやった。同じ電車にいつもいる、可愛い先輩に恋をした。まるで絵に書いたような優しそうな笑顔。グラビアアイドル顔負けのスタイル。あの人は、いつもキラキラ光って僕の前を通り過ぎていく。
手の届かない人だと思っていた。
僕だって男だ。
できることなら、あの人の裸が見たい。
叶うなら、あの人を自分のものにしたい。

結果は違うけど。

今、目の前で願いが叶う時がきている。

ごめんなさい。
アイさん。

ごめんなさい。

ブラウン管に映し出された人は僕らの知らない人だった。
横田君は立ち上がったまま動かない。
パッケージは確かに、アイさん。だと思う。
でも、あれ。

違う人だ。

知らない人だ。

こんな声じゃない。
こんな顔で笑わない。

横田君が青い顔して早送りをした。

30分ほどでビデオは終わった。

僕達の知っているアイさんは出てこなかった。

アイさんは初めから違う世界になんて行ってなかったんだ。

春休み。
通学路の桜はもう満開になっていて、青い空がピンク色に染まっていた。
僕はというと毎日横田君の家に遊びにきていた。
何をするわけでもない。
ただ、横田君といる時間が好きだった。

コンビニで立ち読みをしながら横田君はこう言った。

「ライムゲートから出てる女子大生のアルバイトってやつ、すごくいいらしいぞー。な、見てみたいよな?」

僕は大きく頷いた。

「でも、これからはレンタルにしなきゃなー。あ、そだ。兄ちゃんの保険証で会員カード作るか!あははは!」

ふと外に目をやった。
ガラス越しにアイさんが見えたような気がした。

「あ、ジャンプ読まなきゃ!」

横田君は僕にもジャンプを渡してくれた。

「ジャンプ読んだら帰ってゲームしようぜー。負けたら晩飯奢り!」

僕らはいつものようにくだらない話をしながら帰った。真っ赤に染まった空がだんだん暗くなっていく。
横田家に近づくにつれ、カレーの匂いがしてきた。

玄関前に車が停まっている。
横田父が僕らに手を振っている。

「おー、おかえり。どこいってたんだよー。今からお兄ちゃん空港まで送っていって、帰りにお前らを飯に連れてけって母ちゃんがうるさいんだよ。母ちゃん今日は友達と映画いくんだって。」

大きな荷物をトランクに詰めながら横田父は嬉しそうだ。

お兄さんが玄関から出てきた。

「そろそろ行くぞー。父さんもう行ける?」

「大丈夫だぞ。こいつらもちょうど帰ってきたよ。」

「おう、ナイスタイミング!おーい、何してんだー、早く行くぞ、アイ!」

アイ?
アイ。

!!!!!!!

横田母とめちゃくちゃ可愛い女の人が家から出てきた。

横田母が女の人にこう言った。

「気を付けてねぇ!いっぱい楽しんできて!沖縄、お母さんも行きたかったわぁ!おほほほ!」

アイさんだった。

玄関から出てきたのはアイさんだった。

本物だ。
本物のアイさんだ!

「ありがとうございます。では、行って参ります。」

横田父がニヤニヤしながら

「もう二人とも夫婦みたいだなー!結婚はいつだ?孫はいつだ?」

みんな笑った。

僕と横田君は立ち尽くしていた。

「あ、二人ともおまたせ。どこ行ってたの?お土産買ってくるからね!待っててね!」

アイさんが、いつもの笑顔で僕らに話し掛けてくれた。

ずっと前から知ってた人なのに。初めて、アイさんと話した。

アイさんと横田兄を乗せた飛行機は無事、沖縄に飛び立っていった。
僕らは休憩所から飛行機をただただ眺めていた。

「なぁ。」

横田君が僕の方を向いてこう言った。

「アイさん、やっぱ可愛いな。」

僕は頷いた。

「兄ちゃんと結婚したら。アイさんは義理の姉かぁ。」

すっかり暗くなった空。
滑走路が淡く照らされていてすごく幻想的だった。
ふわりと春の風。
いい匂いがする。

「おーい、いくぞー。」

僕は走りだした。

あの時買ったビデオは、僕の部屋のベッドの下で今も眠ってる。

横田君のお兄さん、これ見たら何て言うかな。

これは僕の

青春のボタン。














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