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枯れゆく詩
作:南条英明



癒し屋(1)


新年あけましておめでとうございます。
宣言したとおり、〈癒し屋〉の章を投稿していきます。



                                  癒し屋

 また壁が崩れた。半透明の青紫色をした壁に白いひび割れが走っていたが、線は南から吹きつける冷風ですぐさま膨れあがり、やがて大きな音とともに巨大な穴に変わっていった。崩壊寸前の物見やぐらで歩哨の任にあたっている見習い境界狩人バードは、横手の鐘を三度たたいてから、焚き火をそのままに、うすよごれたコートをはおって慣れない足運びでハシゴを降りた。砂の上に足をつけたとき仮眠をとっていた結界士カズマもすでに小屋から出ていて、レンガ壁の向こうで素の壁の様子を厳しい表情でながめていた。バードが一言二言声をかけても返事はなく、行動に移る気配もみせない。その間も南からの風は容赦なく砂をまきあげ、周囲に積んである補修用の日干しレンガを吹き崩していった。
「不吉なにおいがする」
 バードにも声の震えがわかった。素に関して門外漢の少年も、事態が深刻なのは見てとれる。修復をお願いします。しかし定型句に意味はなかった。カズマも表情をやわらげ、いつもの皮肉調の顔で鼻笑いをひとつした。
「七賢帝バンほどの能力があればいつでもなおしてやるさ。それよりバード、さっさと荷物をまとめろ。夜が更けきる前に町へ戻るぞ」
「ですが、ヘッダルターとミキトが――」二人の先輩格をあんじたが、結界士は首を振った。しかし少年も譲らない。「遅れているだけかもしれません。たかが二日ですよ」
「他の場所から外へ出たと考えろ。たかが二日というが、この場所じゃ、されど二日だ」
 カズマなりの優しさだとバードは思った。かれが二人の生存を絶望視しているのはわかっている。だが、それでも信じたかった。たしかに境界狩人の葬式は、まだ狩人協会に籍を置いてから六〇余日の見習いといえども五回おがんだ。しかし一種の非現実で、いくら死に慣れているとはいえ、自分と接点のある人間が死ぬとは考えてもいない。もう充分だった。あの四年前の一件が……充分すぎる。
「準備しろ。おれは裂け目に膜を張る。おまえはおれが合図をしたら扉を閉めろ」
 もう反論は許されなかった。結界士は手に空間素を集めている。透明に近いが、どこか濁っている素は、境界地レストで五本の指にはいるといわれるかれの能力が、遠い過去のサムニーク人やハラン族にまるでおよばないことを物語っていた。バードにも聖王雅歌、そしてなにより境界狩人協会に身を置いているので多少の、いうなれば超自然的現象に関して知識はある。レストといわゆる〈境界〉を隔てる、この強大な空間素の壁は、数千年の昔、七賢帝バンが四日をかけて一人で築いたと伝承は語る。
 はじめて素の存在を知った日こそ使命感に燃え、四年前のあの事件以後は、なお一層、壁の強化と修復を慈善でおこなう、レストの町のゴロツキ集団、異端者集団、もしくは妄想勘違い集団などなど、境界狩人協会と一緒に揶揄される〈結界士の会〉に入会するため意気込んだが、結局のところそれはバード本人の自信過多のうぬぼれだった。レストの結界士は口をそろえていった、「バードラント様、あなたに素をあやつる力はございません」。
 レンガ壁の上に出たときには風が消えていた。昇りはじめた月に照らされて、不恰好な膜が境界壁に張りついている。閉めていいぞ。が、錆びついた巻き上げ機に手をかけた途端、ガラスが砕けたような破裂音がして再び周囲を冷たい風が包んだ。しばらくは罵声が聞こえたが、やがて冷静さを取り戻したのか、カズマの指示が再び飛んできた。まだ閉めるな。バードは身を乗りだして境界側を見た。結界士は先程の数十倍はあろうかという空間素の束を作り出している。危険を感じた。少年の思った通り、素を放った直後、カズマは砂の上に倒れた。それは命を削ったようなものだった。バードがレンガ壁から降りて介抱に向かったときも新たに生成した膜は壊れていなかったが、術者は顔が青く息も荒く全身から脂汗を出して重病人に似ていた。声をかけてもうつろで、小屋の中から酒瓶を取って戻ってくる段になっても体調はまるで変わっていなかった。それでもトウモロコシ酒を一口ふくむと立ちあがれるまでになった。
「天神告解によれば『壁の崩壊、それすなわち秩序の崩壊なり』とある。かの予言はいまのいままですべてが成就してきた。となれば、あれが壊れた日、世界は再び混沌王の治世になるのだろう。わかるか、小僧。おれらはなんとしても壁を守らねばならんのだ」なぜ命を捨てるような真似をしたのか小屋に戻ったバードはそのあたりを糾弾したが、ベッドで横になった青年はあたりまえだといわんばかりに吐き捨てた。「だがな、きっと十年も必要あるまい。おれらに壁の傷を治す力はないんだし、四年前の事件は〈混沌の世紀〉の到来を予告していた」夜風が流れこんでくる窓に視線を送る結界士の姿がバードには物憂げにみえた。「わかってる、おまえのいいたいことくらい。あの壁には、もう以前ほど物理障壁としての力はない。だからこそ狩人が通り抜けできるんじゃないか。あの日の人喰い猿もな。ただな、それでも」かれはひととき言葉を切った。「ルァ・イアさえいれば」
「どなたですって?」
「ルァ・イア。本人は、そう名乗っていた。『新参せし者』という古王国語だ。ふざけたヤロウだったが、あいつの空間素支配力は他を凌駕していた」
「その方は、つまり」
「死んだも同然だ。ガンコの塊だからな。バカなヤツさ。聖王庁の策謀なんて素直に従う必要ありゃしないのに。懲役三百年の刑に服しているんだ。空間素を使えば脱獄できないはずもない。懺悔のつもりか知らないが出てこない。あいつなら壁を……いや、もういいんだ、半死人のことなんてどうでも」それ以上、カズマは語ろうとはしなかった。
 沈黙にがまんできずにバードはおそるおそるたずねた。「こんなこというのもなんなんですが、そのぉ、つまり、エ・ターバ様の血は一代で絶えたはずです。ならば混沌王の誕生はありえない話。となれば、〈結界士の会〉にしろ、境界狩人協会にしろ、ぼくらは存在しない物におびえているだけなのではないでしょうか。聖王雅歌は語ります――」カズマの顔に変化はない。
「『レギオ、その名が意味するは破壊。汝の子孫が次代の混沌を招来するであろう』とな。ただなぁ、バード。秩序王エ・ターバ、つまりレギオの血が本当に断絶したと思うか? 七賢帝クシャンを考えろ。『クシャン、その名が意味するは憎悪。汝の血は親族殺しに侵される』。こんな呪いをシェバルにかけられたにもかかわらず、あれほどの才知ある男でも所詮は人の子だったってことだろ。血と性の誘惑に勝てなかったからこそ童貞を守れず、最後には息子に八つ裂かれた。たしかにレギオは一生の中で一度として子をもうけなかったらしい。しかしそれは本当か? 男なんて体全体が性欲みたいなものなんだからさ、賢王エ・ターバだってどうかわからん」くだらないとでもいいたそうだった。実際かれは深入りを避けた。「混沌の徒が今もいるのは事実だ。それよりムダ話は終わりにして、さっさと門を閉めてこい。一時間後に出発する」
「むちゃです! 自分のお体を大切になさってください」
「くだらん。いいな、おれの言葉は絶対だ」
 しぶしぶと見習い狩人は弓を肩に外へ出た。北からは昼の光を吸収した砂の熱が体をなでる微風に運ばれてくる。水が。腰の革袋に残った少ない真水を口に含んでから物見ヤグラにあがった。やりっぱなしだった焚き火はすでにくすぶっている。残り火を踏み消し、かたわらの荷物を地上へ放り投げて、十日間、慣れ親しんだ寝床をひきはらうなり砂地へ降りたつべくハシゴに足をかけた。と、境界壁の先で不自然な影を見つけた。
 それは境界の森と境界壁の間に広がる荒地を煙のようにフワフワと揺れながらこちらへ向かってきていた。すでに中間点を過ぎているが動きは緩慢で、壁に到着するまでにはあと二〇分はかかるだろう。目をこらしたが、薄い膜が邪魔をしてなかなかに輪郭すら見えてこない。ただし直感はあった。ハンマーを手に鐘を叩こうと腕をあげたが、思いなおしてヤグラからおりるなり扉を越え境界壁の前まで走って、更に距離を縮めた影をつぶさに観察した。
「ミキト!」
 深呼吸してからバードは壁に体を当てた。まるで泡に包まれたような感触に恍惚とした気分になったものの、それも一瞬、ボトリと〈あちら〉へ落ちた体は、周囲をかきまわす冷気にさらされ、その上、出所の知れぬ不快な気配に調子が悪くなった。立ち上がることかなわず、わしづかみにされたがごとく胃が痛み、とうとう我慢できなくなって夜食を地面にぶちまけたが、それでも回復の兆しは見えてこない。
 這うように進んだ。自分よりもミキトが心配だった。声のかぎりに叫んで注意をひきつけた。しかしフワフワと動くミキトは反応のないまま歩いてくる。立ち上がっては転びを繰りかえしてミキトとの距離をつめるも、今度は待ったの声がかかった。振りかえれば壁を越えてきたカズマが走ってくる。
「おまえはパロで町へ帰れ。あいつの面倒はおれが見るから」
「パロは牧舎で寝てます」
「なら叩き起こせ」
「嫌です……嫌です! そんなめちゃくちゃな命令は絶対にきけません。だって、だって、だってミキトは……ぼくだって」
「泣くんじゃねえ、バカたれが! 身のほどをわきまえろ。混沌に慣れてねえヤロウは、ここじゃ何の役にもたたねえんだよ」
 それでも背中を追う。罵りの声も、もう飛んでこない。カズマも、はじめから従うとは思っていないかのようだった。ひねくれ者のいたわりと優しさなのはバードにも察しがついている。
 右腕が欠損しているのは最初からわかっていた。しかしねじきったように肩口からもぎとられているまではわからなかった。左手には指がない。人為的な傷、それも拷問にかけたかのような物が体の随所にある。ミキトとの距離を一メートルから縮められない。もう声もかけられない。先輩狩人の姿にバードは立ちすくんでいた。
「安心しろ、ミキト。もう大丈夫だから」
「あいつが、あいつが来る。こ、殺さないでくれ。殺さないでくれ!」カズマの声をきいた途端にミキトは半狂乱になった。急に現実を取り戻したかのように体を振り動かして、見えない何者かにおびえている。
「大丈夫だって。もういないから。誰もおまえを殺したりしないよ」
「あ、あいつが。あいつが! 寄るな。近寄るな!」
 と、カズマが背中を向けたままに手で呼びかけてくる。バードは一歩だけ踏み出して震える声のまま用件を尋ねたが、返答は不可解だった。じきにミキトは死ぬ。
「けど、その前に苦しみから解放してやりたいんだ。それにはおまえの力がいる」
「ぼくに何を?」
「おまえに宿る素が欲しい」振り返ったときの顔は真剣そのものだった。
 今まで何の役にたったか。強風に肝を冷やし、見えない影におびえ、歩哨も満足にできず、食事番すらこなせず、いくら人員不足だからって、とカズマに溜息をつかせ、子供扱いされないように背伸びをすればきまって失敗して……そんなぼくでも、とバードは無言で訴えた。
 察したかのようにカズマはうなずいた。「ただしおまえを殺してしまうかもしれない。それでも頼まれてくれるか? 断ってもいいんだ。おれにも迷いがある」
 手の震えがとまらない。しかし腕を後ろに隠して恐怖を悟られないようにしてからバードは、大丈夫です、といった。
「安心しろ、殺しはしない。おまえの精神素をほんのすこし表面に引き出してみただけだ。意外に大きい素を持ってるな、おまえ」そのあと消えるほどの声でカズマは礼をいった。しかしそれも一瞬、照れ隠しのように意味をなさない叫びをあげると「ガマンしろよ」と、いきなりバードの胸をわしづかみにした。
 てのひらに目がくらむほどの光が集まっていく。カズマの目が見開き、理解できぬとばかりに少年の胸を凝視した。「いや、なんでもない。ちょっと痛むぞ」
 ブチリと筋がちぎれたような音がしたあと、カズマの手には光の球体だけが残った。たしかに痛かった。ウッと声をあげバードは胸に手をあててしばしあえいだ。その間にも体から取り出した球体を、カズマは暴れるミキトへ投げつけた。光が体にとりこまれるとミキトは激しい抵抗をやめて、息を切らしながらもゆっくりと口をききはじめた。しかしバードにはかれが何をいっているのかまるでわからなかったし、カズマの受け答えも耳にはいらなかった。笑いがとまらないかと思えば、たぎる激憤で腹を立て、その数秒後には出所不明の悲愴感に目頭が焼けた。血管の中で巨大な虫が暴れているかのように皮膚が揺れ動き、心臓が破裂するほど動悸が激しくなる。頭を抱えてひび割れた大地に両膝をついて、わけもわからずに泣きさけんだ。
 と、バリンと大きな音がして空間全体がガラスのように砕けた。輝きながら周囲にふりつもった空間のかけらは、時たたずして走った地割れの中に流れおちていった。
「もうおまえに力はない――」
 聞き覚えのない声が頭の中で響いた。直後、バードは大空にいた。どこまでも続く青い空には巨大な入道雲が一つ。眼下には城郭。赤茶色の壁でおおわれた丘の上に建つ城は、あちらこちらで噴水がしぶきをあげて、そばではオレンジの木が葉をようようとたたえている。城門へとつづく坂道では白馬にまたがった白甲冑の騎士が、黒の一文字が走った白旗をなびかせて行進していた。
 金色の大地、燃える太陽、きらめく水、そして丘にひろがる宮殿。足元にある大地は限りなく空に近かった。しかし時間は激流となって大地を七変化させ、春、田園では汗ながす農夫が鍬をふり、夏、豊作をねがって火祭りがおこなわれ、秋、黄金色の麦穂を刈る農夫と落穂を拾う貧民がいて、一時の休息、冬、一面の銀世界になっていく。数十年、数百年が瞬く間に過ぎていった。しかしそれも長くは続かない。最初の――あの真夏の一日に時間が戻っていく。
「ガンドを守れなかった過去を思い出せ、おまえの名がカイルだった過去を」
 数千の騎兵が数万の歩兵とぶつかり、実りの大地を灰に変えていった。追い討ちをかけるように低気圧の塊が作った雷が、きまぐれで地上に落ちては踏み散らかされた大地に新たな破壊をもたらしていく。
 月を呑みこんだと伝承が語る神竜に似た巨大な雷が入道雲の中から飛び出したのは、すでに戦が終わり、折れた槍、破れた旗、転がった首、海となった血、それらで灰の大地が埋めつくされた頃だった。まるで神の裁きに思えた。腹が内側から食い破れるような轟音のあと地上めがけて雷は落ちていった。目の前が光に包まれ、地上が真っ赤に染まり……
 バードは浮遊感から解放され、雷と一緒に地上めがけて落下していった。












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