秩序を破壊せし者(7)
馬がカッポカッポと音をたてて進みはじめたころ、化粧をほどこして全くの別人と化したトーヤに木箱の中身をたずねられたが、お茶を濁して、自分で感心するほどに、ああ、ウソが本当にヘタだなぁ、と思ったものだが、どこかの舞台で、これまたどこかの楽団が奏でる荘厳な宗教曲に迎えられたので教理官もあえて追求はしてこなかった。
小窓を開ける。通りの両脇では手を合わせた聖王庁の信徒たちが壁を作っている。肉屋の主人もいつもの血まみれエプロンをはずして真っ白のローブをはおり、はたまた酒屋に入り浸る名物オヤジの顔も白く、あちらでは染めつけ女が、こちらでは錬金術士が、いかに4年前の一件以後、本来の聖曜日の姿がレストに浸透しているかを如実にあらわしていた。以前は、といえば陽も没する前からドンチャカ騒ぎが絶えなかったものだ。
商店は例外なく営業をおこなっていない。目抜き通りも白一色、ときおり子供達がささやき声をあげたり、赤子が泣いたりしていたが、澄んだ沼地のような水色っぽい厳粛さに包まれている。そういえばひさしぶりだったね、とバードは聖曜日の雰囲気に感慨深い思いがすると同時に8年前の誘拐劇への封印していた記憶も再びよみがえる。暁の仮面……切り刻まれる誘拐犯……フェ・タルバータ……
やがて馬蹄のたてる音はカッポカッポからカァッポカッポォに変わり、しまいにはカポッカポッになって消えた。
「さっ、しっかり護衛してくれたまえよ。もちろん、そのケースを持参するのだろうが、右手はおろそかにしないようにね」嫌味にバードは頭を掻いた。油で整えた髪が型崩れするし、手もねっとりとした。「いいかね、わかっていると思うが無表情のまま塔まで進み、入口で待つ聖吏官に『フェを洗う為にまいった。開扉せよ』というだけだ。おい、本当に大丈夫だろうね」
何を心配したかといえば、即席お追従少年、気張ったあまり馬車から降りるときに足をひっかけて、あやうく地面に転がり出るところだったからだ。槍を手渡そうとした御者に鼻で笑われた。なかば奪うように預けておいた槍を取り、紅潮をおさえこめない顔に力をいれながら石畳におりたが、広場での出迎えは拍手でも静寂でもなく想像していた通り大層なざわめきだった。
しかし後方、銀紙のように無表情のトーヤは動じる気配がない。目で『横へ』の合図を送ってくるも、すぐに白ユリの絨毯が敷かれた道を進みはじめた。めざす扉は10メートルほど先。トーヤの横についたバードは左を見て右を見た。かじりかけの巨大ドーナツに包みこまれた状態であるが、白い半円に目をくばってからほんの4秒ほど、アッ、と思わず声を出した。
「前へ」
「でも……なんであいつが……人違い? いえ、はい。申し訳ありません」
扉の前まで進んだ。入口を守る2人の聖吏官に、というよりも群衆全員に聞こえるほどの声で「フェを洗う為にまいった。開扉せよ」と叫ぶ。返事は「了解たてまつった、教理官閣下、そして従僕者殿よ」。儀式臭い、いや、そもそも儀式なのだが聖吏官の口調に笑いがこみあげた。そんな心中を察してか、トーヤに背中を小突かれる。
たてつけが悪いような豪快な音と共に扉が開き、かびの臭いがあふれ出てきた。8メートルほど進めばそこは塔の中央部。内部は頂上の鐘までの吹きぬけで、壁には螺旋状に階段が配され、その途中とちゅうには扉。構造としては〈崩壊をきざむ時計塔〉そっくりだった。
「で、誰か知り合いでもいたのかい? 随分と驚いていたみたいだが」先程までとは雲泥の差で、だらけたトーヤはあくびをしたり頬をさすったりしながら階段をあがっていたが、暇になったのか、ふと思いたったように口を開いた。
「ええ、まあ。先日、とある場所にいた人にそっくりだったもので」
振り返った教理官の顔は、どこか曇りがある「じきにわかることだよ」
「じゃあ人違いじゃないんですね。ところでぼく達はどこへ行くんですか?」
今度は口がゆがむ「そんなことも知らないでお追従を志願したのかい」別に志願したわけじゃないよ、とバードは心の中でつぶやいた。「三層目にあるヴェランダさ」
「三層? ああ、あそこですね、人が立ってる」
「人? 何を寝ぼけてるんだ、そんな人間いるわけが、うん?」
「いますよ、ほら、あそこ。って……えっ、ええぇ! ちょ、ちょっと」
残り20段ほどだったが、扉の前に立っていた人は剣をふりかぶって階段をかけおりてきた。バードは左手のケースを置き、護身用の槍を構えた。が、そもそも槍など使ったことがない。いやいや、そもそも儀式用の槍なので刃はお粗末きわまりない。軽いが武器としては最低品。構えてはみたが襲撃者に抵抗するにはこころもとなかった。
見知らぬ輩は顔に赤一色の仮面をはめている。トーヤが叫んだ、「まさか暁の仮面!」
そうこうするうちに刃はバードの目の前にまで迫っていた。 |