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深淵少女クリスタル 作者:雨宮ヤスミ

[十八]深淵への到達

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18-2

「やっと、あたしを見たね」
   「今は、できることをする……!」
     「お前を壊せれば、何だっていい!」
 

 篠原スミレは白く濁った意識の中にいた。

 意識から伸びる枝は暗い根に邪魔されて、体を動かすことができずにいた。

 もう駄目なんだ。そう囁く薄灰色の雲が流れて来て、すべてを満たしていく。立ち上がらなきゃという気持ちを覆い隠していく。

 やがて雨が来るだろう、そんなにおいがしていた。雨はスミレごと、すべてを流してしまうだろう。そうしたら、本当に誰もいなくなる。

(あんたさ、こんなとこにいていいの?)

 誰? ぼんやりした意識の中、唐突に響いた知らない声に、スミレは尋ね返す。

(あんたの大切な人、殺されたんでしょ?)

 声は直接答えずに、雲の向こうに隠したことを暴き立ててきた。

 そうだよ。でも、ボクも死んじゃうんだ。一緒にね。

(本当にそれでいいの?)

 スミレは答えられなかった。

 それでいいんだ、もういいんだ。だなんて、言えるはずもなかった。だって――

(だって、あんたが仇を討たなきゃ、誰もしてくれないじゃん)

 声はスミレの気持ちと同じことを言った。

 あなただけがわたしの味方、わたしだけがあなたの味方。

 いつだったか、オリエはそんなことを言っていたっけ。

 だったら、絶対にボクがやり遂げなくてはならないんだ。

 声はスミレのものではないし、まったく聞いたことのないものだ。けれど、かつてスミレと同じ気持ちになったことがあるのかもしれない。

 重なった気持ちが流れ込んでくる。逆の風が吹いて、うすぼんやりの雲を吹き飛ばしていく。連れてくるのは、剣呑な黒い雲だ。隙間が青白く光って見える雷雲だった。

(変えちまえ、全部壊してさ)

 あたしと、ボクの雷で。声はスミレと重なって、雷鳴の響きに変わった。白い世界が晴れて、夜の闇にスミレは目を覚ました。



 水島ランは雨の中にいた。それも、体を溶かす溶解液の雨の中だ。

 全身が焼けるように痛い。ひりひりとランの体を苛んでいる。

 死ぬ。死んでしまう。その考えが脳の中を満たしていく。

 それでもいいかな。生きてても、いいことなんてなかったし。

 突き詰めるとそんな風に思う。この世の主役は自分以外の誰かで、どれだけあがこうがおもねろうが、ランにその出番は回ってこないのだ。

 いつだったかのピアノの発表会のように、舞台に立つ機会さえ与えられずに。

(本当に、そう思ってる?)

 知らない誰かの声が聞こえる。「死」という液体に満たされつつある脳の水槽で、そこだけが凍りついたように頑なだった。

(死んでしまったら、先はない)

 知ったようなことを。そう思いながらも、ランは体が楽になってきているのを感じていた。降りやまぬ激しい雨の粒が、銀色に光る固い表皮になって体を覆い始めているのだ。

(表面は生きたくなくても、本心は死にたくない。だから、力があなたを守っているの)

 ランは、異形型と戦った時のことを思い出した。あの時、敵に飲み込まれたのに、銀色の繭に包まれて無事だったって、キミちゃんが言ってたっけ。

 そうか。この銀色は、わたしの力なのか。まったく知らなかった。こんなこともできるなんて。剣を水から造り出すだけのハズレ能力だと思ってた。

(そう、あなたはまだ何も知らない。この世のことも、自分のことも、その命の使い方も)

 いつだっか聞いたきりしまい込まれていた声がよみがえってきた。

 ランちゃん自身の音を、大切にしてあげてください。

 それは誰の声でもなかった。自分自身の奥から聞こえてくるものだ。

 すべきこと、できること、アイじゃないわたしの音。

(まだあなたは、音を探している最中。だから、いつか鳴り響くその日まで――)

 死なないで。頭の中を満たす声に、ランは目を開いた。



 浅木キミヨは炎の中にいた。天を衝く火柱は、いよいよ烈しく盛っている。

「燃えろ、燃えろ、燃え落ちろォォ!」

 炎の巨人と化したインカローズは最早、人身御供を捧げる人型の檻であった。全身を炙られながらも、キミヨは炎から逃れる術を探した。

 肩や胸の装甲が熔けてきている。肌にぴったりとしたスーツだけの部分は、焦げて破れてきていた。

 残された時間は少ない。その中で、キミヨは妙に冷静な自分に気が付いた。

 これだけの気持ちを、彼女は何故振り回すようになったのだろう?

 ブラックスターを大切に思っているということ? キミヨらにとっては恐ろしいだけの相手だが、「リーダー」と言っていただけあって、何か惹かれるものがあるのだろうか。

 こんな連中の考えることなんて分からない、で片付けてしまえばそれまでだ。

 だが、もし理由の一端に触れられれば……。

 この炎の重さを知ることができるのかもしれない。

 重さとは存在だ。ふわふわと曖昧なものを地に足つけさせる。定義するのだ。

 キミヨは炎に手を伸ばす。狂ったように燃え熾る格子の向こうへ出ようとするかのように。

 手ごたえがあった。力が手の平を覆っている。

 今なら、つかめる。確信に満ちた心が体を動かして、炎の巨人の腹に穴をあけた。

「――ッ!? 何を!?」

 炎と化した身体でも、腹に穴を開けられた感覚があったのだろう。インカローズが悲鳴を上げる。動揺からか炎の勢いが弱まった。今だ、とキミヨはこじ開けた穴から飛び出した。

「があぁ!? どうやって、炎を、つかんで……!?」

 つかめれば、ダメージを与えられるんだ。地上に着地したキミヨは、取り落としたハンマーを拾い上げ、のけぞり動揺する炎の巨人を見上げた。

 巨人は体を折りたたみ、インカローズの姿に戻る。フードの奥の赤い目がこちらをにらんでいるが、その色は今までよりも弱って見えた。

「触れたな? 触れたな、わたしに……。わたしの肌に、肌にぃ!」

 インカローズは腹のあたりをかきむしり、火の粉を散らした。

「教えてくれる?」

 大きく息をついて、キミヨはインカローズに話しかけた。

「ブラックスターを、どうして守りたいの? あなたにとって、どう大切なの?」

 インカローズは腹をかきやめて、こちらをじっと見ている。

「ミリカは、わたしにとっては友達。『ディストキーパー』になってからだけどね。ちょっと危なっかしいというか、放っておけない子なのよ」

 それで、とキミヨはインカローズを見据える。

「インカローズ、あなたにとってブラックスターはどういう存在?」
「……何故、そんなことを尋ねる?」
「知りたいからよ」
「何故、知る必要がある?」
「あたし達が戦うのは、シンプルな理由だって言ったでしょ?」

 インカローズはブラックスターを守るためにミリカを狙う。キミヨはミリカを守るために、インカローズを阻む。どちらも、守りたいから戦う。

「そこに何の違いもないでしょう? 同じ理由なんだから、分かり合おうと思ったら、できるんじゃないの?」
「お前ごときが……」

 伏しがちだった頭を、インカローズは上げた。熱を含んだ風が、キミヨの頬を撫でる。周囲の温度が上がってきている。

「お前ごときが、わたしとブラスのことを、分かろうとするなぁぁあぁ!」

 叫びを引きずるかのように、インカローズは両手の爪を立て額から胸、腹まで引っかき下ろした。その傷跡が鈍い赤に輝いて裂けていく。インカローズの全身を燃やし、翼幅十メートルはあるかという大きな炎の鳥に姿を変えた。

「分からなきゃ、何にも始まらないじゃない!」

 轟轟と燃える炎の鳥に負けないように、キミヨは叫び返した。

「始まりなんてない! お前はここで終わりだ! わたしが終わらせる!」

 炎の鳥が高い声で鳴いた。翼をはためかせ、こちらへ飛んでくる。

 どうやら、触れられたくないところに触ってしまったみたいだ。しかし、キミヨは迫りくる巨大な炎の鳥にも怯みはしなかった。

「ブラックスターのことが、好きなんだね。あの人だけが自分のことを分かってくれるって、そう思ってるんでしょ?」

 炎の巨鳥は、インカローズは返事をしなかった。より一層、身体を燃え上がらせて迫ってくるだけだ。

 それでも、揺らめく陽炎のようにおぼろげではあるが、インカローズのことが分かったような気がした。恐ろしい「カオスブリンガー」の、得体のしれない狩人ではなく、一人の女の子だということが。

 キミヨの体から琥珀が一つ浮かび上がってきた。スミレから受け取ったものだ。中はただの土の塊だったが――妙に分厚い「インガ」を含んでいるようだった。

 琥珀は光を放ちながら砕けた。光は広がってキミヨの体を包み込む。

 ああ、きっとこれが。体の奥の方から立ち上ってくる力と、琥珀の中の「インガ」が結びついていくのをキミヨは感じていた。

 「最終深点」というものなのだろう。

 光が晴れるのと、炎の鳥がキミヨに到達するのはほぼ同時だった。インカローズの突進は、しかしキミヨの体には届かなかった。

「何だ、これは……!?」

 炎の鳥の突進を止めたのは、重機のようなカラーリングの無骨な一対のマニュピレーターだった。ペンチのような手の先で、燃える翼を挟み込み、押しとどめている。

「馬鹿な、こんな機械、どこから現れた……!?」

 履帯の脚部が逆回転し、インカローズの突進をこらえる。鉄骨を組み合わせたようなロールケージ向こう、コクピットからキミヨは真っ直ぐに炎の鳥と目を合わせる。

「さあね!?」

 シートの側面についたレバーを素早く動かすと、マニュピレーターが連動し、炎の鳥を投げ飛ばし、地面に叩きつけた。

「よし……。やれそうね!」

 キミヨの「最終深点」の全容、全高五メートルほどの無骨な機械、それは古いSF映画に登場するパワーローダーとか、パワードスーツとか、そう呼称されるものに似ていた。

「あり得ない、何もかもが……! どうしてわたしの想定を超える……!」

 人の姿に戻ったインカローズはふらふらと立ち上がり、キミヨを見上げた。

「腹立たしい……。絶対に貴様を狩る!」

 やっと、あたしを見たね。口には出さなかったが、キミヨはインカローズの目を見返した。



 鱶ヶ渕駅前の広場には、最早一つの影しかなかった。

 ラピスラズリとランの戦いを見て、みんな逃げ去ってしまった。

 そして、そのランもラピスラズリの降らせた溶解液の雨で溶けてしまった、かのように見えたが……。

「おや?」

 戦果を確かめようと近付いたラピスラズリは眉をひそめる。

 溶かし、水たまりとなったはずなのに、ランのいた場所には、どこから現れたのか、銀色の繭のようなものが鎮座している。

 ラピスラズリが警戒して距離をとると、繭にひびが入り、中から五体満足な状態のランが姿を見せた。

「し……死んでないか、あたし……」

 自分の体を見回して確認するランに、ラピスラズリはパチパチと拍手を送った。

「え、何?」
「よく耐えきりました、サファイアさん」

 たじろぐランに、ラピスラズリはにこやかに続ける。

「素晴らしいですわ! あなたの力は、やはり水を剣に変えるだけではないのですね」
「そう、みたいね……」

 夢を見ていたようだ。あの声は一体誰のものだったのか。

「これから、もっともっとできるようになりますわ。だって、あなたの体の奥から大きく渦巻く力を感じますもの……!」
「力……?」

 反射的にランはお腹に手をやる。何かが渦巻いているような感触が伝わってくる。

「さあ、力を引き出してくださいな。この世界という荒ら野の果てに、ご自分の気質が為せることを見定めて……」

 このように、とラピスラズリは光に包まれ姿を変える。真っ青なストールと純白の修道服に身を包んだ、シスターのような出で立ち――「最終深点」となった。

 為せること、できること、自分の音……。ランは耳を澄ます。

 この世は荒野か。そうかもしれない。行く先なんて分からないしね。

 だからこそ、まだ死にたくはない。何も分からないまま、倒れたりしたくない。

「意味分かんないんだけど……そうも言ってらんないみたいね」

 お腹の辺りから、琥珀が浮かび上がって弾けた。氷のように冷たい青い光が廻り、ランの体を包み込んでその姿を変えていく。

 全身を覆っていた「ディストキーパー」共通のボディスーツは消え去り、ビキニのような青い鎧をまとう。頭にはティアラが光り、手にしたサーベルは真っ直ぐな諸刃の剣に変わる。

「たどり着きましたか、『最終深点』に。手を引いてくれる方が、いたようですわね」

 ラピスラズリに言われて、これがそうなのか、とランは納得する。確かにこれは、ひとりひとり専用の力だ。

「一体どなたなのかしら?」
「さあ? 何にも分かってないのよね、あたし」

 おや、とラピスラズリは首をかしげる。

「分かってないけど、とにかく――」

 生き残るために。そんな気持ちが湧き出してるから。凍るほどに冷たく、しかし透き通ったその水が、ランの体を満たしていくようだった。

「今は、できることをする……!」
「その意気やよし、としておきますわ」

 再びラピスラズリは、両手に水鉄砲を呼び出した。

「それでは、仕切り直しと参りましょうか」

 銃口を向けるラピスラズリに、ランは剣を構えた。



 鱶ヶ渕東のマンション付近、花の種をスミレに撃ち込み勝利を確信したタイガーアイ――山吹シイナは、そのまま立ち去ろうとしていた。

 もとより、自分からとどめをさすつもりもなかった。運がよければ花からも逃れられるし、悪ければそのまま死ぬ。

 その辺は確率に任せようかに、とそれくらいの考えだった。

 もう少し粘るかと思ったけど、と独り言ちた時、不意に背後から異様な気配を感じた。

「エリりん……?」

 思わず口をついて出た名前は、まだ鱶ヶ渕にいたころの仲間の名だ。感じる気配は何故だか、死んだはずの彼女のそれに似ていた。

 いや、エリイのもののはずがない。とっくになかったことになった子だ。シイナは振り返って身構える。

 アスファルトに根を張った花へ雷が落ちた。花は焼き尽くされ、白い光の向こうで起き上がる影が見えた。

「おやおや、お目覚めかい、お嬢?」

 光の向こうから現れたスミレの姿は、さっきまでとは変わっていた。

 その小柄な体躯はほとんど裸で、胸元と股の辺りだけが、帯のような細い布で辛うじて隠されている。帯は雷を伴って、バチバチと音を立てていた。

「どういう格好よ、それ? あんたのご両親が見たら、泣いちまうよ?」
「さあね……。何だっていいよ」

 屋上に落としてきた槍が飛来し、スミレの左手の中に収まる。右手を掲げると、その手の中にももう一本、槍が出現した。

「お前を壊せれば、何だっていい!」

 左手の槍の切っ先を向けられ、シイナはどこか満足げに笑った。
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