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深淵少女クリスタル 作者:雨宮ヤスミ

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勇気

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 わたしには、なくしてしまったものがたくさんあります。「イケニエ」だった時期が長いわたしですから、その中にはもちろん盗られたものもあります。

 母がそのマスコットを買ってくれたのは、動物園が併設された遊園地に行った時でした。

「ほらミリカ、ライオンさんよ」

 ディフォルメされたどこかユーモラスな二足歩行のライオンのマスコットは、あんまりかわいいとは言えない顔をしていました。鼻とかのフェルトが何だかがさがさと硬いし、たてがみもふさふさしておらず、手触りも悪いのです。

「ライオンさんはね、勇気をくれるの。いつも後ろに引っ込んでちゃダメよ。前に出る時に震えてしまうなら、このライオンさんのことを思い出してね」

 当時からわたしは引っ込み思案で、両親の陰に隠れてばかりでした。

 小学校でも「おとなしい子」として知られていて、その「おとなしい」ということだけがわたしのよりどころ、手のかからないことがわたしが「いい子」と褒められる唯一の部分でした。

 わたしはライオンのグッズが特別好きだったことはありませんでした。だからもちろん、それがほしいなんて言ったこともありません。

 本当は、遊園地のマスコットの、かわいらしいテリアのぬいぐるみがほしかったのです。

 できたら、父が「こんなところまで来てするものじゃない」、母が「こんなのミリカはしないよね」と通り過ぎたゲームコーナーの、もぐらたたきがやってみたかったです。きっと全然たたけないにしても、ライオンよりはその方がずっと好きでした。

 それでもわたしは黙っているしかありませんでした。

 母は、ミュージカル映画の『オズの魔法使い』が大好きな娘を、ちょっと前に引っ張って来るのに「いい材料ができた」と思い込んでいて、その考えを壊したくありませんでした。

 まだ小学一年生だった幼いわたしは、そこまで明確にその感覚を言語化できたわけではありません。ですが、おぼろげにそんな意味になることは抱えていました。

 もっとも、何をどうしようが母の選んだもの――いえ誰かがわたしに選んだものを、わたしの意志で変えることなんて、世間的には反抗期に差し掛かっているらしい中学二年生のわたしでも、できることではないのですが。

 勇気のないライオンになぞらえられた、勇気の象徴となるべきライオンは、翌日わたしのランドセルに取り付けられていました。

 わたしはその勇気を袋に入れたまま大切に、そう文字通り開けたくないクリスマスプレゼントのように、放っておいたのですが、朝起きると給食袋を引っかけておく金具に、頭のひもで結わえられていました。

 わたしのランドセルは、「綺麗な色だから」という理由で両親が選んだ緑色でした。わたしの小学校では、少なくとも緑は男の子の色なのですが、両親はお構いなしでした。

 わたし自身、青虫とか大嫌いなブロッコリーとかを思い出させるので緑は嫌いでしたが、両親の決定に逆らえないのは、ライオンのマスコットを買い与えられたのと同じ理由です。

 ともかく、その嫌いな色の鞄に、抱えた覚えのない「勇気」をぶら下げて、わたしは登校しました。

 似合わないものはすぐに失われるのが、世の「インガ」なのでしょうか。それは、その日の内に起こりました。

 体育の時間が終わって戻ってくると、ライオンがなくなっていたのです。わたしは青くなりました。

 そう、怖くなったのです。泥棒が教室にいることが、ではありません。

 ライオンを「盗られた」と両親に告げなければならないことが、です。

 本当ならば、このまま永久に失われてしまってもいいものです。ひとつも惜しくありません。

 そんなものなのに。教室の後ろ、ロッカーの前でしゃがみこんだままおろおろと、辺りを見回したことを今でもはっきり覚えています。

 そんなものなのに、先生に言いつけ、クラスメイトに疑いをかけ、そして糾弾して何とか取り戻さなくてはいけないのです。

 わたしは気持ち悪くなってきました。吐きそうな頭の中で否応にも今朝の記憶がよみがえります。

(ミリカちゃん、それ何? かわいい!)
(ホントだー、かわいい!)

 今朝からこの四時間目までで、ランドセルについた異物に気付いたのは、この二人です。

 わたしの数少ない友達、今はもう付き合いもなく廊下であっても挨拶すらしないし、わたしがイケニエだった時も助けてくれなかった、だけど当時はかけがえのないものと信じこまされていた友達です。

 まさかこの二人? でもそれはありえないのです。信じたのは友情ではなく証拠、わたしとあの子たちは、一緒に着替えて一緒に体育館へ移動し、一緒に戻ってきたのです。盗む暇はなかったはずです。

(ミリカちゃん、どうしたの?)
(給食の準備しよう)

 二人が近づいてきました。そして、わたしのランドセルを見て、気付いてしまいました。

(あれ? ライオンさんは……?)
(外しちゃったの?)

 たまりませんでした。今以上に泣き虫でどうしようもなかったわたしは、ぼろぼろと涙をこぼしてしまいました。そんなわたしを見て二人は、マスコットが盗られたのだ、と悟ったようでした。

 すぐに大きな騒ぎになってしまいました。給食の前に、担任の先生はわたしを教室の前に呼びました。

(みなさん、聞いてください。葉山さんの大事なキーホルダーがなくなってしまいました)

 小学校の教員というよりは、年配の保育士さんといった感じのこの先生は、わざと「盗んだ」とか「盗られた」とか、そういう言葉を避けたようでした。

(ほら、葉山さん。大事なものだから返してほしい、ってみんなに言って)

 先生は柔らかいもので包んだ言葉をわたしに載せました。手触りのいいはずのそれは、わたしの手にはトゲだらけで、取り落としてしまいました。何せ、大事でも何でもないのですから。

 また泣き出したわたしを見て、先生は素早くまばたきをしました。呆れの気持ちが透けて見えました。

 先生はわたしを怒りたくなったけど、我慢したようでした。それはみんなも同じで、わたしのせいで給食を食べるのを我慢しています。

 自分のせいで誰かに我慢を強いるのは、気持ちのいいものではありません。そんなわたしなんて、すり減って消え去ってしまえばいいのに。泣いて泣いて、全部からからに乾いて、ぺちゃんこになってしまいたかったです。

 結局、マスコットは返ってきませんでした。

 家に変えるのが憂鬱で、憂鬱で仕方ありませんでした。

 翌朝、案の定バレて、朝から大騒ぎになりました。

(育ちの悪い連中がいるものだ、転校させた方がいいんじゃないか)

 父親はおかんむりでした。

(担任のやり方が手ぬるいわ。教員のレベルが低いのね)

 母親は仕事を午前中休んで、学校に乗り込んできました。

 その甲斐もなく、あのライオンは今も行方不明です。

 厄介な保護者とその子ども。そう思われたのでしょう。あの日から先生のこちらを見る目が変わったようで、学校の居心地は一層悪くなりました。

 お尻に針の植わった座布団を敷いているような気持ちで、その罠に刺さったまま動けずに過ごしました。

 勇気をくれると渡されたライオンは、わたしの勇気と一緒に行方不明になりました。

 それは今もいなくなったままで、だからわたしには勇気も無謀も区別がつかないのでしょう。勇気を出したと思っても、ただ状況を悪くするだけなのでした。

 勇気が出る薬を、わたしは飲み損ねたまま、ここまでやってきてしまったのです。
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