そして頑張れる縦書き表示RDF


これは、私が中学3年のときに書いた作品です。
私が住んでいる市の教師を対象に発行される冊子に載せるため、学校の先生に頼まれたものです。
テーマは「子どもごころ」と設定されていました。
私の日々思っていたことをつづっています。
あなたの共感が得られたら、それ以上嬉しいことはありません。
そして頑張れる
作:滝神 梢


 人が、何かを頑張り、努力する理由。それは誰かに自分を「認めてもらいたい」と思うからだ。「よく頑張ったね」と、一言だけでも言ってほしいからだ。人は認めてもらうことを何よりも望む。どんなに一生懸命やっても一言だってほめられなければ――つまり努力が報われなければ――人は何かしようという気になれず、頑張ること、努力すること、そして全ての行動をやめてしまうだろう。
 ある日私は、学校の定期テストで、この上なく良い点数をとった。ちょっとしたミスはあったものの、それでも自分の努力が点数として結果につながり、とても嬉しかった。家に帰ってさっそく家族にそのことを伝えた。どんなほめ言葉をかけてくれるかと、わくわくしていた。でも、家族は私を一言もほめてくれなかった。私はとても悲しくなった。こんなに良い点数をとっても、私の努力は認められないのだろうか? 「よく頑張ったね」とか「すごい!」とかと、一言言ってくれるだけでいいのに。それだけで、とっても嬉しいのに。私は大きな無力感に襲われた。
 自分で言うのも変だが、私はよく、友達に「天才」と言われる。友達いわく、「スポーツも勉強も、なんでもできてすごい」のだそうだ。確かにほめられるのはとても嬉しいこと。でも、私は「天才」という言葉が嫌いだ。なぜなら「天才」とは『生まれつき備わっている並外れた才能』という意味を持つ。それは『何もしなくても人並み以上の力がある』とも言いかえられる。つまり、「努力しなくてもできる」のだ。でも、それは違う。私が今こうして力を発揮できているのは、これまでの色んな苦しい努力があったからなのだ。「天才」という言葉は、その私の努力を無視している。そう、私の努力を認めてはくれないのだ。
 私が一番望んでいるのは、「努力」を認めてくれるほめ言葉。「結果」だけを見たほめ言葉はいらない。私は過程を認めてほしいのだ。力を出せるようにと、辛くても苦しくても必死に続けてきたことを認めてほしいのだ。「結果」は、ただその「努力」にくっついてきただけの飾りにすぎない。
 「結果」は、「努力」よりもずっとずっと目立つので、人はついついそちらに目を向けがちだ。でも、少しだけ視点を変えてみてほしい。輝いて見える人は、周りの人以上の努力をしているに違いない。「結果」を出せていなくても、努力をしている人がきっといる。そんな人には一言、たった一言だけでいいから、こう声をかけてあげてほしい。

「努力のたまものだね」


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