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オークション(5)
 木曜日。仕事帰りに茶道教室に行くのは二週間ぶりだ。先生には、先週、用事が出来て教室に来る事が出来なかったお詫びをして。由香里さんは、来なかった。今週、会えると思っていたのだけど。私がぷいっとバスで帰った時以来、会っていないから、謝りたかったのに。
「船谷さん。聞いてない?」 
 お稽古中、隣に座った先生に言われ、はっと我に返る。
「あ。いえ。聞いてないです。多分、仕事で忙しいんだと思います」
 こんな時、メールで連絡を取れればいいんだけど。由香里さんは携帯をあんまり活用していない。雑談メールは送りようがないし、かと言って何か緊急の用事でもない限り電話はしづらい状況なのだ。
「そうね。十二月はねぇ。みんな忙しいから」
 茶道教室の顔ぶれも今日はいつもの半分くらいの人数と、少ない。
「はい。私ももしかしたら、仕事の都合でお休みをいただくかもしれません」
 去年の今頃はなかなか来る事が出来なかったから、話ついでにあらかじめ言っておいた。
 実際、これから扱う業務量が増えてくる。マスターのところへも毎日と言うわけにはいかないだろう。オークションの管理を任せっぱなしで悪いけれど。
「船谷さんに初釜のお手前をお願いしようと思ってね」
「船谷さんにですか? わぁ。素敵」
 初茶会は、同じ流派の他の教室のみなさんも集う事になっている。そんな中でお手前をするのは、ある程度、長くお茶を続けているベテランばかり。社会人になってからお茶を始めた私よりも、由香里さんは習っている期間が大分長い。
「まぁ。いいわ。来週になら会えるでしょう」
 先生はそう言うと私の方を見やる。
「杉木さんもお運び、お願いね」
「はい」
 母が聞いたら、ほら着物を新調しておいてよかったでしょう? と言うに違いない。
 お稽古が終わり、教室を出る。先生宅の一本向こうの道路は商店街だ。華やかな通りで、治安はいい。歩きながら昨日の事に思いを巡らせる。スタッフルームでは、マスターと目が合って顔が熱くなってしまった。話も途切れ途切れで進まなかったし。今週の月曜日から、何だか私はおかしい。もし今日『黒薔薇』に出かけても由香里さんと三人じゃなきゃ話が持たないような気がした。だから由香里さんが教室を休んだら来ないってあらかじめ言っておいたんだ。今頃、マスターは忙しく働いているだろうか。茶道教室から『黒薔薇』までは、ほんの十分ほど。曲がり角で立ち止まる。ここで右に折れるとバス停があり、まっすぐ行けば『黒薔薇』だけど。どうしよう……。私は、迷いを振り切るように右に折れた。今、行けばちょうどバスが来る。寄り道すれば、遅いバスになってしまう。由香里さんが来なければ、『黒薔薇』には来ないと言ったんだから。言った事は守らなくちゃ。バス停に向かう足どりを早めながら、私は、マスター。おやすみなさい……と心の中でそっとつぶやいた。

 帰宅して一人リビングで食事を済ませると、自室にこもり、バッグから手帳を取り出す。
 今日、ボーナスの額から算出すると、無理のない範囲でマスターに返せそうなのは五万円。明日、早速マスターに渡そう。あとは、オークションの品が51,000の値がついているから、うまくいけばこの五万円とあわせて、十万円あまりを返せるかもしれない。
 明日。マスターに借金の一部を返す……。マスターに会える。私はほっとした思いで眠りについた。
 翌日、仕事を終えて職場近くのATMに立ち寄り、マスターに返すお金を引き出した。通帳の残高をあらためて確認する。この額も必要経費であっという間に目減りしてしまうだろう。なんで、マイナスになるほどお金を使ってしまったのか。まぁ、今更、そんな事言っても仕方がないけれど。
 私は、用意してきた封筒にお金を収めると、『黒薔薇』に足を向けた。木製のドアを引き、鐘を鳴らす。カウンターの中にマスターはいた。
「マスター。こんにちは」
 私は、定位置に座ると、どさっと隣の椅子にバッグを置いた。水を置くマスターに入れ違いに茶封筒を差し出した。
「マスター。これ。五万円入ってる。まだまだ借りた分には足りないけど。確認して」
「喜和子ちゃん。無理してないか? 返すのは少しずつでいいんだぞ」
 あらためて私の方を見た。水曜にオークションで51,000円で入札があった事を確認しているから、この五万円はそこから充当できる。
「大丈夫。オークションの入札金額が、そのくらいでしょう?」
 それを言うと、マスターは納得したようだ。
「そうか。それなら受け取っておくよ」
 それから私はそれとは別に今度は財布から千円札を四枚出した。
「これでコーヒーチケット下さい!」
 以前、冗談めかして言っていたけど、返済とコーヒーチケットが一気に出るとはマスターは思ってもいなかったようだ。
「おいおい……いっぺんに大丈夫か。俺が、買えって言ったからか?」
 だって……話は聴いてもらうわ、借金はするわ、オークションの代行までしてもらっているんだから。ちっともマスターの得にならない私が、やっとお客さんらしい事が出来るんだもの。
「だって、これだけ頻繁に来るならチケットの方が得でしょう? オークションも期待出来そうだし」
「喜和子ちゃんがそう言うなら」
 マスターがふっと口元を緩めた。 
「じゃ、しっかり喜和子ちゃんのオークションの管理しないとなぁ……」
 入札期限は、一週間後に設定してある。明日の夜八時だ。今の段階で入札状況はどうなっているだろう。まだ明日までは、変動があるだろうけど。
「オークションサイト見ていくだろう?」
「あっ。うん」
 私は、コーヒーを飲みながらうなずいた。
 コーヒーを飲み終えて、一人、カウンターの後ろにあるスタッフルームに入る。
 マスターがパソコンは立ち上げておいてくれたようで、私は、その前に腰を下ろし、画面をクリックする。出品物一覧のページには、入札数にいくつかの数字が並んでいた。 一昨日までは、入札されていたのは一品だけだったのに、一気に入札の数が増えていた。明日が期限。この後いくらまで値が上がるだろう。
「喜和子ちゃん。どう?」
 マスターがドアの向こうから覗く。
「すごいの! 一気に三つに入札されてる」
 興奮状態で画面を指し示すと、マスターは、腕組みして隣に立った。
「ふぅん。悪くないね。明日、どれくらい上がるかな」
 マスターに五万円返したから、残り七万円。今段階で、すでに入札金額の合計は三品目八万円ほどだから、これで落札されても確実にお金を返す事ができる。
「明日、終了時刻くらいに来るね」
「入札のあったものは、すぐ発送できるように準備しとけよ」
 机に手を突いて、画面を覗き込むマスター。ああ。そうか。私、発送しないといけないんだ。早速、家に帰ったら準備しなくちゃ。
 マスターは、スタッフルームから姿を消したかと思うと、店の名刺を持って戻ってきた。 
「喜和子ちゃん。これ」 
 喫茶『黒薔薇』の名刺の端っこにマスターの名前と携帯番号が書き添えられている。
――え?
 マスターの携帯番号?名刺を手にとり、マスターを見上げる。
「送り状の差出人にこれを書いておいてくれ。俺の名前でオークションに出してるから」
 ああ、そうか。これをくれたのは、送り状に書くためなんだ。
「喜和子ちゃんのも教えといてくれたら助かる。これから喜和子ちゃんに連絡することも出てくるし。どっちかと言うとそっちの方が大事だけどね」
 マスターが私の連絡先を聞いてくれたことが、ちょっと嬉しい。まぁ、オークションの代行を頼んでいるのに、連絡が取れないんじゃ都合が悪いんだけど。私は、バッグから携帯を取り出し、左手に持ち替えた。
「じゃぁ、マスターのアドレスも教えて。携帯番号、メールするから」
「了解」
 マスターは、机の上に名刺を置くと、携帯用のメールアドレスを書き足した。見るとアットマークから後ろが私と同じキャリアのものだ。同じ会社の使ってたんだ。マスターとは三年来の知り合いだけど、喫茶店店主と客の間柄では、アドレスや携帯番号なんて知る由もない。これでいつでもマスターに連絡が取れる。私は、素早くマスターのアドレスを登録すると、自分の携帯番号を打ち込んだメールを送った。メールの着信音が鳴る。マスターは、ジャケットのポケットから携帯を取り出すと、ぱかっと開けてうなずいた。
「じゃぁ、これで登録しとく」
 お客さんの呼ぶ声にマスターは、スタッフルームを出て行った。パソコンの時計を見ると、もう少しでバスの来る時間だ。パソコンで少し遊んでから、私はお客さんと話し込んでるマスターに手を振って『黒薔薇』を出た。
 食事もお風呂も終えると、パジャマ姿で自室にこもり、早速入札のあった三つの品物をラッピングする。
 携帯のメール着信が鳴った。
 マスター? 今日、アドレス交換したばっかりだったから、真っ先に頭に浮かぶ。
 慌ててバッグから携帯を取り出すと、受信メールを開いた。メールは、愛からだった。
――なぁんだ。
 いや、愛からのメールだって嬉しいんだけど。
『二十四日直前の土曜日。私の家で、クリスマスパーティーするんだけど来ない?』
 思いっきり空いている。すぐさま、返信を打った。
『空いてる! パーティー行くよ。楽しみにしてる』
『詳しい事は、後からメールするね!』
 送信したと思った矢先にまた愛からメールが届く。ホント、レスポンスが早い。
『うん。じゃぁね! おやすみ』
『またね! おやすみ』
 挨拶メールを終わらせると、私は携帯を充電器にセットした。バッグからマスターの名刺を取り出す。もう十一時過ぎだ。マスターはもう寝ちゃったかな。金曜の夜のこの時間。きっとまだ起きてるだろうな。メールしてみたいけど。
 このアドレスでマスターと私が、つながっている。メールしたら、マスターは返事をくれるだろうか。うん。思ってみただけ。明日も『黒薔薇』に行くんだから、今はしないけど。けれど、オークションが終わって、借金の件もかたがついたら、このアドレスは用を足さなくなる? そんな風に考えると、ちょっと寂しい。
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