喫茶「黒薔薇」
私は、軽く会釈すると、カウンターの一番はじっこのコーナー部分に座った。隣の椅子にブランド物のバッグを置く。ベルト部分だけが革製のこのバッグは、宝くじの当選金で買ったものだ。ブランドの名前がなかったら、どうして本体がビニール製のこの品物に二十万円弱を支払うだろう。今となっては、フルに使って元を取らないと。
私は、コーヒーを落としているマスターに話しかけた。
「この間は、ごめんなさい」
マスターは私のほうを向き、ちょっと考えた風だったけど「ああ……」と合点がいったようにうなずいた。
「由香里さんにも知られたくなかったんだな」
「なんかね。言うときは自分から言いたかったから」
マスターは「そうか。悪かったね」と言うと、一旦コーヒーを運んでカウンターの外に出て行った。他のテーブルでオーダーを取っているらしいマスターの声が聴こえてくる。私は右手で頬杖をついて、携帯をいじり始める。受信メールを開き、ぼんやりと過去の友達からのメールを開いた。合コン話の内容。あの時紹介してもらった彼とは、二度ほどデートして終わってしまった。
マスターは戻ってくると、再びコーヒーを落とし始める。
「喜和子ちゃんもコーヒーでいい?」
なんだか疲れていた。
「あー。甘いのがいいな。カフェオレで」
しばらくして、カフェオレが私の前に置かれた。
「今日は、俺のおごり」
えっ? と思ってマスターの顔を見上げる。
「この間のおわび」
「そんな。いいよ」って断ろうかと思ったけど、「はい。そうですか」とマスターがコーヒーを引っ込めるわけがない。ここは好意に甘えて、ありがたく戴こう。砂糖を流し込んでかき混ぜる。右手に取っ手をつかみ左手で包み込むようにカップを持つと、ふーっと冷まして一口飲んだ。ほろ苦く甘いミルクが喉にしみこんでいくようで、おいしかった。
「マスター。やさしいね」
声をかけると「ふん。たまにはな」と返事が返ってきた。
ここが安らぐのは、マスターの人柄のせいだろうか。それともマスターが三十八歳と、私よりも一回りも年上だから安心できるのだろうか。もっともマスターが八月生まれで私が六月生まれだから十一歳差の時もある。まぁ、大した変わりはないけれど。店内に新たなお客さんが入ってくる気配はない。マスターは、先ほどのお客さんにコーヒーを運び終えると、再び話しかけてきた。
「相変わらず家に居づらいのか」
「うん」
私はうなずいた。
三百万円の一件はもう母は何も言わなかった。そうしたら今度は赤字の事がよみがえってきた。あれは、借り入れでなんとかなるはず。今度は母にばれないように気をつけなきゃならない。だけどなぁ。借金か……。私は、一つ大きなため息をつく。
「どうしたんだよ。三百万の一件でまだ怒られてるのか?」
「そうじゃないんだけど」
私は口ごもる。マスターはすっかり話を聴く体勢になっている。自分が遊びに来いって言ったから?
「言えよ。何でも聴いてやるぞ」
どうしようかな……。カップの取っ手をもてあそびながら切り出した。
「あのさ」
マスターは、じっとこちらを見た。その表情は三十四歳のうちの兄よりも若々しい。多分、兄のように禿げてないからだ。白髪になるタイプだから染めているって言ってたっけ。照明にあたった部分がほんのり茶色い。その顔を見ながら、マスターって結構、顔立ち整ってるんだと再認識。
「どうした?」
「残額の読み違いで、借金、作っちゃった」
マスターの目を見て言えなくて、うつむいてそれだけ言った。
「何!?」
マスターの驚いた声。ああ。そんな大きな声を出さないで。店内のお客さんが反応してこちらを見る。マスターはあたりを気にして、慌てて声を潜めた。身をかがめ、体を乗り出して「どう言うことだよ!」ちょっと口調が怒っている。
「カードの引き落とし金額が通帳の残額よりも大きいの」
今度は、端的に言った。
「あ〜あ。やっちゃったのか」
マスター。呆れてるんだろうな。だって、何でも聴いてやるって言ったじゃない。
「で、どうするんだ?」
どうするんだと言われましても。その腕組み、その口調。止めて欲しい。何だか詰問されてるみたいだ。
「定額を担保に郵便局から借りる」
ぴしっとそれだけ言うのが精一杯だった。
「さすが喜和子ちゃんだね。ちゃんと考えてるって訳か」
ああ。その言い方、何だかいやみっぽいよ。そもそも考えなしだから借金作ったのに。次の言葉が出ずにまた黙り込むとマスターが言った。
「もうちょっと考えて使えば良かったな。言ったぞ、俺。使いすぎで借金にならないようにって!」
ああ。もう充分、自分に嫌気がさしているんです。だから怒らないで欲しい。
「ごめんなさい」
「いくら足りないの」
私は口ごもった。それを言ったらまた怒るでしょ。そんなに! って。マスターは、腕組みを解くと私の表情を読み取ったかのように言った。
「怒らないから言ってごらん」
私は上目遣いにマスターを見た。
「ホントに怒らない?」
マスターは、ああとうなずく。
「203,500円の請求が来たんだけど、通帳残は88,000円ぐらいなの」
それを聞いたマスターは、黙り込んだ。あの、黙り込まれると怖いんですけど。
「えーと、十二万弱の赤字か」
その沈黙は、どうやら頭の中で計算していたからのようだ。ちょっとほっとする。
「引き落としはいつだ?」
「来週の火曜日」
「そうか……」とまた腕組みをして、「来週火曜か……」とつぶやくマスター。郵便局から借りる事で、私の中では解決した話だ。マスターはさらっと聞き流してくれればいいのに。聞いてくれるだけでいいんだから。その腕組みがちょっと厭。
「喜和子ちゃん」
「ふぇっ?」
今、私が思ったこと、見えてないよね。
「リボ払いって知ってるか? ああ、でも引き落としが迫ってるからなぁ」
勿論、知っている。でも赤字になるとも思っていないから、カードを使うときはいつも一括支払いだった。
「それは、知っているけど。いつも一括支払いにしていたから」
「カード会社の案内にさ、途中から支払い方法変更できるとか書いてなかったか? でもなぁ。来週の火曜日なら変更、間に合わないかな」
あ。そうか。途中で支払い方法を変更できるとか、あったような。でも何日前ならオッケーなんだっけ。
「うーん……。次の請求でそうしようかな」
リボ払いがすっと出てくるなんてさすがマスター。年の功だ。借金するのは、今回だけ。あとはきつくても月々の給料からリボ払いで払って。頭の中で今後のシミュレーションをしてみる。月々二万円のリボ払いとしてもかなり苦しい。とりあえず、お昼は毎日お弁当必須で、遊びに行くのも控えて。ボーナスが出たら返済用に貯金しておこう。
「まだ請求が来るのか?」
マスターは怪訝な顔だ。その表情にはっと気づく。何気なくした次回の請求の話で、私は墓穴を掘ってしまった。
「あ。ええ、まぁ」
「この際だ。全部でどれだけ足りないんだ。言ってみろ」
また怒らないでよ……。
「ええと。全部で五十万くらい」
マスターは目を丸くした。
「喜和子ちゃん。使ったなーっ」
また沈黙。マスターは呆れているんだろう。これで隠してることは何もない。マスターだけでも話せたから、気持ちが軽くなった。マスターは、何やら考えてるみたいだ。
「喜和子ちゃん」
「はい」
「明日も来いよ」
ん? ここには、ちょくちょく来るつもりではあるけれど。正直、コーヒー代をケチりたい気持ちもなくはないが、これから切り詰めて生活していかなきゃならない。この程度の気分転換がなければ、本当に滅入りそうだもの。
「勿論。来るわ」
「貸してやるよ」
「え?」
「十二万円」
その言葉に、私は信じがたい思いでマスターを見つめた。
皆様の拍手が励みになります。

拍手コメントへの返信はこちらでさせていただきます。
つぶ庵
小説家になろう 勝手にランキング
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。