七階層とボス部屋。
結局、すっかり普段の態度に戻ってしまったルルカに何も言うことが出来ず、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま俺は迷宮探索を続けていた。
そして――
「な、なぁ、本当に俺がやらないと駄目なのか?」
「しょうがないでしょー? こうするのが一番なんだから。私がやってもユエルちゃんがやっても武器が傷んじゃうし。」
――そして今、俺の目の前にはジャイアントアント、大きな蟻型の魔物が転がっている。
そう、転がっているのだ。
ユエルとルルカに、全ての脚を関節の位置で綺麗に切断され、腹を上に向けた状態で地面に転がされている。
六階層の魔物、ジャイアントアントの特徴は、その硬い甲殻。
刃物で戦う場合、関節部を上手く狙えば細い脚を切断する程度は問題無いが、胴体を無理に切りつければ剣が傷んでしまう程。
そんなわけで、打撃武器であるメイスを持つ俺に、ジャイアントアントにとどめをさすという役目が与えられたわけである。
地面に転がるジャイアントアントを見れば、まず目に付くのはその大きな顎。
以前エイトの足を切断したという、ギザギザとした歯のついた、凶悪な大顎である。
ジャイアントアントは、ガチガチ、ガチガチとその顎を開閉し、目の前に立つ俺の脚に、決して届くことのない攻撃を仕掛けようとしている。
動けないのだから、届くことは無い。
決して届くことは無いはずではあるのだが。
以前に見たあのエイトの大怪我と、全ての脚をもがれてなお戦意を失わないジャイアントアントを見ていると、ちょっと怖くなってくる。
いや、見栄を張った。
かなり怖い。
このジャイアントアントの戦意に満ちた目を見ていると、近づいた瞬間、水揚げされたばかりの魚の如く跳ね上がって俺に噛み付いてきそうな気がしてくる。
あのギザギザとした大顎で。
もういっそのこと、ルルカにメイスを貸して、代わりにとどめを刺してもらいたいぐらいだ。
「なぁ、ルルカ......」
「それにシキ、迷宮に来てから何もしてないでしょー?」
「くっ.....」
痛いところを突いてくる。
ユエルは絶対にこんなことは言わないのに。
やはりユエルは優しい良い子だった。
後でじっくり撫でてやろう。
「治癒魔法が使えるシキが居てくれるだけで安心するっていうのはあるんだけどねー、それでも私、シキの格好良いところが見たいなぁ?」
ルルカが軽い調子で言う。
あんなことがあった後でも、このあからさまに媚びるような声音を聞けば流石にわかる。
これは本気で言ってない。
あれか。
「シキ君の、ちょっとイイトコ見てみたい!」というやつだろうか。
だが、俺はそんなフリには乗らない。
俺はその場のノリに身を任せるようなことはしない、分別のある大人の男なのだ。
あの時のエイトの怪我、流れ出る大量の血液、脂汗の浮かんだ死人のように真っ白な顔。
ジャイアントアントの顎を見ているだけで、なんだか足がムズムズしてくる。
腰が引けそう。
そしてジャイアントアントから視線を逸らせば――
――ユエルが俺を見ていた。
ジャイアントアントの前でメイスを構えたまま動かない俺を、何かを期待するような、キラキラとした目で見ている。
お前もか。
お前も俺にやれと言うのか。
いや、ユエル自身は見てるだけなんだけど。
これはルルカのような俺を動かすためのフリでは無いだろう。
純粋なユエルのことだ。
本当に、魔物を倒すご主人様の格好良い勇姿を期待しているのだろう。
ユエルの前で今まで散々格好つけていた弊害がこんなところにあったとは。
......やめる気は全く無いけど。
つぶらで大きな瞳を期待一色に染めあげて、今か今かと俺の動きを待っているユエル。
俺の戦う姿を、ご主人様の勇姿をその瞳に焼き付けようというのだろう。
あんなにキラキラと、キラキラとした目で。
......う、裏切れない......。
――覚悟を決める。
出来るだけジャイアントアントの顎を見ないようにして、学校の授業で習った剣道を思い出す。
ずっしりとした、重量のあるメイスを握り直し、上段に構え、重心を移動させながら気合を入れて振り下ろす。
「はあああぁっ!」
鈍い感触。
ベキリ、と音がしてジャイアントアントの頭に亀裂が走り、その隙間から内容物がびゅるりと飛び出す。
グ、グロい......。
だが、倒せた。
初めてにしては、良い一撃が与えられたのではないだろうか。
「ご主人様、流石です!」
ジャイアントアントが光となって消えると同時、ユエルが褒めてくる。
とりあえず、ユエルのお眼鏡に適ったようで良かった。
ご主人様としての尊厳を守ることに成功したのだ。
お返しに一撫でしておこう。
「シキ、なかなかやるじゃない!」
間髪入れず、ルルカも褒めてくる。
「そう?」
「うん、綺麗な振りだったよ。何か武術でも齧ってたの? 凄く格好良かった! シキはすごいなー」
「あ、筋肉も結構ついてるんだね、かたーい!」なんて言いながら、メイスを握ったままの俺の腕をペタペタと触って褒めてくる。
どうやらルルカのお眼鏡にも適ったらしい。
「......あ、やっぱりわかっちゃう?」
学校剣道万能説。
ジャイアントアントの頭を一発で潰せたわけだし、もしかしたら本当に会心の一撃だったのかもしれない。
それに、多分この世界では戦う技術を学べる人というのは、結構限られているんだろう。
特に冒険者の場合、自己流は多そうだ。
義務教育万歳である。
「わかっちゃうわかっちゃうー。え、えーっと、力強さがある振り下ろしだったよね! 前衛やってる私が見ても惚れ惚れとするような一撃だったよー」
そっか。
わかっちゃうか。
惚れ惚れとしちゃうかー。
「ご主人様、格好良かったです!」
ルルカに負けじとユエルも褒めてくる。
そうだよな。
俺は今、武器を持っている。
そして相手は脚をもがれて動けない。
恐れる必要なんてどこにも無かったんだ。
それに、さっき見た限りではジャイアントアントはそれほど動きも速くない。
一対一なら、俺でもいけそうな気もしてくる。
「よし、次は俺が最初から戦ってみるか!」
「あ、えっと、それはシキには厳しいかな。とどめだけ、よろしくね?」
「............はい」
散々ルルカとユエルに持ち上げられたお陰で、ジャイアントアントに対する恐怖を打ち消すことができた俺は、順調にメイスを振り下ろすだけの単純作業をこなしていった。
もちろんとどめだけだ。
身の程を弁えることが大切である。
――そして。
ついに。
俺達はやってきたのだ。
あの、七階層へ。
七階層のモンスターは、スライム。
ドロップはスライムゼリーだ。
スライムゼリーだ。
これで、やっと、残りが心もとなかったスライムゼリーを補充することができる。
酒場のミニスカウェイトレス。
宿屋の胸チラ看板娘。
スープ屋台の湯けむり濡れ透けお姉さん。
様々な光景が脳裏を過っていく。
あぁ、早く、戦いたい。
まぁ、戦うのはユエルとルルカなんだけど。
ユエルとルルカは、スライム数体を相手に戦闘に入っている。
スライムは、ぷるぷるとしたゼリー状の魔物で、サッカーボール程度の大きさだ。
中央に核が有り、そこが弱点である。
倒すには上手く核を狙わなければならないが、ルルカとユエルは余裕そうだ。
スライムの体当たりを軽く回避して、サクサクと正確に核を刺し貫いている。
攻撃方法はこの体当たりのみ。
しかしその威力は案外高い。
スライムは攻撃の瞬間、体を硬化させるため、直撃すれば骨折する可能性もあるらしい。
しかし、それだけだ。
スライムはずっと硬化していることはできないし、毒を持っていたり、身体が強酸だったりもしない。
そう、スライムは七階層の魔物にしては強くない。
けれど、それには理由があるらしい。
「あれがボス部屋か」
「私達のパーティ構成じゃ厳しいけどねー。ここのボスは、物理攻撃がほとんど効かないから」
ボス、である。
メルハーツの迷宮、その七の倍数階には、階層の中心にボス部屋と言われる部屋がある。
そのボスに、その階層の魔力リソースを奪われるため、ボスの居る階層の魔物は弱いのではないか、という説があるらしい。
実際に、十四階層や二十一階層も比較的弱い魔物だという話だ。
この階層のボスは、ヒュージスライム。
体の構造や攻撃方法など、基本はスライムと変わらないが、大きさが段違いという話だ。
その大きさ、なんと直径三メートル。
たいして強くないスライムでも、大きさが違うだけで、その強さは跳ね上がる。
ヒュージスライムは、普通の剣では核まで攻撃が届かない上、粘性のあるその体の性質上、剣で切りつけてもすぐに傷口がふさがってしまう。
また、その大質量からくる体当たりの威力は脅威の一言だ。
人なんて、簡単に押しつぶしてしまうだろう。
ギルドの方でも、七階層に行くなら迂闊に入らないようにと促していた。
「火力の高い魔法職でも居ないと厳しそうだな」
「そうだねー、少しずつ外側から削っていけば倒せないことも無いだろうけど、試してみたくはないかな。倒せればレアドロップを落とすこともあるんだけどね」
ルルカがそんなことを言う中、ユエルはボス部屋へと繋がる扉をジッと眺めているが、気にしてはいけない。
きっと、扉の装飾にでも気を取られているんだろう。
ユエルは相性の悪い強敵とあえて戦いたがるバトルジャンキーなんかでは無いと信じたい。
「レアドロップは何なんだ?」
「えっと、スライムの雫っていう魔法薬の材料だね。確か結構良い値段がしたはずだよ? まぁ、普通のスライムゼリーを何個かドロップするっていうのがほとんどなんだけどねー」
「へぇ、でもまぁ、俺達には関係ないか」
ルルカだけでなく、ボス部屋の扉をジッと眺めている少女にも聞こえるように、はっきりと告げる。
「そうだねー。さて、あそこにいるスライム倒したら帰ろっか。そろそろお腹も空いてきたしね」
そういえば、そろそろお昼時のような気がする。
脇道に逸れず、正規ルートを辿って帰ればちょうど良い頃合いだろう。
もっとスライムゼリーを集めたいような気持ちもあるが、ユエルにひもじい思いをさせるわけにもいかないか。
「あぁ、そうだな」
迷宮探索を終え、場所はギルドの買取カウンター。
俺は、今の今まで、とても重要な事を忘れていた。
それは、今回の迷宮探索では、俺はユエルとルルカの後ろで戦闘を眺めているだけだった、ということだ。
いつものことではあるのだけれど。
しかし、これが問題だった。
魔物は倒されると、「その場に」ドロップを落とす。
つまり、それを拾うのは必然的に魔物に近い人、魔物と戦った人というわけだ。
何が言いたいかと言えば、今回の探索で得たスライムゼリーは、俺のアイテムボックスには一個も入っていないということが言いたい。
そして今、ルルカとユエルが素材買取カウンターの受付嬢に、素材を受け渡そうとしている。
売却を止めようにも、上手い言葉が思いつかない。
いや、一応思いついてはいるが、俺の名誉が地に落ちるような最低な発言しか出てこない。
悩んでいる間にも受付嬢は、こなれた笑顔を浮かべながら、淡々と合計買取金額を告げてくる。
そして。
そしてついに、俺のバンクカードに、その三分の二の金額――俺とユエルの二人分が振り込まれた。
受付嬢の、自然な笑顔と共に。
四月六日改稿。
最後の文章に「俺とユエルの分」という文を追加しました。