さて、想像してみてはくれないだろうか。
ある日突然、見知らぬ外人幼女に『パパ!』と抱きつかれたとしよう。まるで妖精じゃないかと見間違える程の神秘的な可愛さで、その少女はあなたを魅了してくる。
そして夜。さあ寝ようとベッドに横になりあなたは目を瞑ると、ふと耳にドアを軽く叩いたような乾いた音が数回聞こえてくる。なんだろう、と思い目を開けて音が聞こえた方へ目を向けると、……あなたは見てしまうのだ。
そこに、仔猫を思わせるような愛くるしい動作で首を傾げ、潤んだ瞳でこちらを見てくる少女の姿に。
そして挙げ句の果てに、少女にこう言われたらあなたはどうなるだろうか?
「ねぇ、パパ。……一緒に寝よ?」
……え? そう言う俺はどうなるかって?
死ぬと思う。
… … … … … …
それは俺こと久津川時風が、ある日突然俺の娘になったクルル・ツェンゼと共に我が家で過ごす、最初の一日の話である。
「ふぅ……なにも起きなくてよかった……」
俺は自分の家の前で安堵の溜め息を吐いていた。そんな俺の姿をクルルが不思議そうに見ている。
この傍らにいる美少女ならぬ美幼女は超絶お金持ちの娘さんらしい。
俺も詳しくは知らないのだが、何度も誘拐されかけたことがあるのだそうだ。だから俺は、もしいきなり襲われてもすぐに対応できるようかなり神経を張り詰めて夜道の帰路を歩いていたのだが、なんのトラブルもなく家に着くことができ安堵していたのだ。……実際に襲われたら助けられる自信なんてないしな。俺は一般市民なんでね。
「ただいま〜」
「ただいま〜」
俺が玄関の鍵を外しながら言うと、続けてクルルも同じように言った。え? と振り返りクルルと目が合うと、えへへ〜、とはにかんだ笑顔とご対面。……うわぁなんだろコレ。すげぇ不思議な気持ちになる。
その妙な感覚に戸惑っていると、俺より先に家の中へと入ったクルルが、脱いだ靴をきちんと綺麗に並べているのが見えた。
(おぉ〜、偉いな〜)
素直に感心する。俺なんて靴はいつも脱ぎ散らかしているのに……。なんというか、少し自分が恥ずかしくなる。
俺もクルルを見習って靴を並べてから家に上がると、まずは広間へクルルを案内しようとする。
「ねぇ、パパ」
しかし、そのクルルの声に、うん? と振り返る。俺の後ろをトコトコと付いてきていたクルルが、ある一点を見つめて凝視しているのに気付いた。
「これ、な〜に?」
クルルの視線を追って見てみれば、そこには俺が中学生の頃、剣道の全国大会で優勝したときに貰ったトロフィーがあった。
「……ああ、それは俺が日本一だっていう証だよ」
俺がまだ部活に熱中していたときの努力の成果である。そのことを簡単に説明すると、クルルの顔がぱぁと明るくなった。
「へぇ〜! パパ、日本一なんだ! すごいっ!」
うっ……。その尊敬するような眼差しに俺は顔を真っ赤にさせて目を反らす。……くそぅ、なんて可愛さだ……!
特殊なダメージに身悶えしていると、更にクルルは質問してきた。
「ねぇねぇパパ。じゃあこれはな〜に?」
壁に飾ってある大きな額縁に目を留めていた。確かこれはクソ親父が釣り上げた大物の……。
「え〜と、それは魚拓だよ。お魚さんを真っ黒にさせて、その上に紙を付けたらそんな感じになるんだ」
「へぇ〜。じゃあこれはこれは?」
やはり子供は好奇心が旺盛だ。疑問に思ったことはすぐに聞いてくる。それを親切丁寧に説明する俺はなんとよくできた素晴らしい人間なのだろう。
「パパ〜、これは?」
クルルが廊下の隅に落ちていたソレを拾うと、俺の側まで寄ってきて、両手を突き出して見せてきた。
「それはね〜、親父がいつも読んでるエロ雑、―――――ッ!?」
何気無く答えようとしてソレに気付いた瞬間、俺は光よりも早くソレに向かって手を伸ばした。おそらく、瞬きをする刹那より早かったと思う。クルルからソレを奪い取るように掴むと、すぐに後ろ手に隠した。
「こ、これはねぇ〜……! えぇ〜と……」
なんと言うべきかパニクる俺に、クルルはまだ質問を続ける。
「それから、それに書いてあった『きんだんのせ〜きょういく』ってな〜に? 男の子も女の子も、みんな裸だったよ?」
しかもあのクソ親父の野郎……! ひらがなでルビをふってあるロリモノの雑誌を置いてやがったのかァ……! ってか俺のじゃないのになんで俺が焦らないといけないのだろうと理不尽な想いを抱きつつも、俺はこの場を切り抜けるための言葉を必死に脳裏から探し始める。
この純粋な好奇心で尋ねてくるクルルに、俺はなんと答えるべきなのか……!
「……そ、それはだねぇ……その…………………お、大きくなったらねっ! さ、最低でもクルルちゃんが十二歳ぐらいになったら誰かが教えてくれるよっ。たぶん学校の先生にねっ」
苦悩した結果、最低五年後の未来までごまかすことにした。あとはよろしく頼む。まだ見ぬ(見ることはないだろうが)性教育の先生よ。
「ん〜……」
だがしかし、なぜかクルルは難しい顔をしている。ふ、不満なのかな?
「ど、どうかした?」
「……私、パパがいい」
クルルは俺の手をその小さな手でギュッと握ると、真摯な瞳で俺を正面から真っ直ぐ見つめて、……言った。
「パパ……。私が大きくなったら、パパが私に『せ〜きょういく』を教えてね……?」
――かつてない衝撃が俺を襲った。
ハートを射ぬかれる、というのを身を持って体験する。俺を死に至らせるには十分な致死量の矢がハートを貫き、一本では飽きたらないのか更に数百の矢が次々と射し貫いていく。
……死ぬ。
そう思った。この少女に俺は殺されるとも思った。そして殺された俺は、新たな世界へと旅立ち、そこで新しく生まれ変わってしまうのだろう。
――その世界の名は『ロリコン・ザ・ワールド』
その世界は俺を快く迎い入れようとしていた。盛大なセレモニーを上げて今か今かと待ち構えている。
……だが、それでもなお、俺は絶命せずにいた。
(駄目だァッ!!)
新世界を拒む俺の理性が死を凌駕したのだ。……もしかしたら、なぜかこの瞬間にタイミング良く鳴っている携帯も一役買っているのかも知れない。
……それに、この子からしたら俺は“パパ”なのだ。そして俺からしても、この子は“娘”でないといけない。
そこに根拠や理由なんてない。ただ、俺がそうしたいと言うだけのことだ。
そう気持ちを新たにしつつ、俺はまず携帯の電話に出ることにする。
「……もしもし」
『…………よく耐えたな。見直したぞ小僧』
ブツッ……ツーツー。
お誉めの言葉、誠にありがとうございます。……あんたどこから見てるんだよ、という疑問はこの際無視するとしよう。
少し時間が掛ったが、ようやくクルルを広間へ案内することができた。
広間の角の近くにはテレビが置いてあり、その手前に机と椅子が並べられている。すぐ隣にはキッチンがあるので、作った料理はここに並べて食べるのだ。
俺の部屋は広間の北側にある扉がそれだ。東側に空き部屋があり、そこをクルルの部屋にしようと思う。……だけど片付けてないので今はまだ無理だ……と、思っていたのだが。
「……え?」
いつ以来掃除してないんだろうと思い出しながら様子を見るために扉を開けると、そこには立派な女の子の部屋があった。
「あ、私の部屋だ!」
クルルが喜んで部屋へと入っていく。綺麗に整頓されていてこっちまでもが清々しくなるような部屋に、俺はいつのまに……と愕然とする。
用意周到じゃねぇか。
もう呆れて声もでなかった。あのクソ親父、普段はちゃらんぽらんのくせにこういうときは実行力あるんだな。
俺は溜め息を吐きながら、そういえば……と気になっていたことがあったので、ベッドに腰掛けているクルルに聞くことにした。
「ねぇクルルちゃん。日本語かなり上手だけど、誰に教えてもらったの?」
今の今まで気付かなかったが、外人さんが日本語を喋るときは少しおかしな感じがするのに、この少女からは違和感を感じさせられないほどの流暢な日本語が聞けるのだ。それが不思議だった。
その疑問に、クルルは元気よく答えた。
「お父さんに教えてもらったの!」
……え? お父さん?
俺は一瞬混乱したが、すぐになるほどと気付く。……本当の父親のことか。
「……そうか。お父さんにか。クルルちゃんは、お父さんのこと好き?」
「嫌い」
その意外な言葉に俺は目を丸くする。さっき元気よく答えたとき、まるで父親を自慢するような誇らしい表情をしていたのに。
「…………だって、お父さん。いつも私を一人にするんだもん……」
その寂しげな表情に俺はなにも言えなくなる。そして気付いた。……たぶん、この子は俺と一緒なのだ、と。
父親がいないから一人になるということは……おそらく、母親はいないのだろう。……この子はまだ七歳。まだまだ親に構ってほしい年頃なのだ。超絶お金持ちであるらしい父親は、なにかと忙しくて娘に構っていられないのだろうなと簡単に推測できた。
もしかしたら、そこにも心を痛めていたのかも知れない。……なんとなく、あのクソ親父が俺を第二のパパとやらにさせた理由が分かったような気がした。
「…………ねぇ、パパ」
クルルが顔を上げると、瞳を潤ませて上目使いに聞いてきた。
「パパは、私を一人にしないよね……?」
同じ境遇であるこの寂しがりな少女に答えられる言葉は、一つしか思い付かなかった。
「うん。……約束する」
子供からすれば、それはこの世で最も重い言葉。それを破られたときの悲しみは、俺は誰よりも知っている。
だからこそ答えた。
「……えへへ〜」
まるで心底から沸き出るように嬉しそうな笑顔になると、クルルはベッドから降りて俺に向かって駆け寄ってきて、そのままの勢いで腰の辺りにギュッと抱きついてきた。
――これから、俺はこの子と二人で暮らしていく。
その生活は、もしかしたらすぐに終わるのかも知れない。
こうして出会ったのであれば、いつか必ず別れの時は訪れるのだ。
……だけど、ずっと続くかも知れない。
それがただの願望になるか、現実になるかは、……それは俺達次第で決まるのだろう。
なら、やってやるさ。
「パパ、だ〜い好き!」
決心する俺の顔を、見上げるようにしてクルルが無邪気に覗き込んでくる。俺は顔を真上に上げて悶絶した。
……だ、だがまず第一に、俺がロリコンにならないよう気を付けなければならない……!
なった瞬間にパパにはなれないし、もちろん一緒には暮らしていけないし、澄香には軽蔑されるし、……ヤクザの皆様には殺されるかも知れない。
そういうリスクを含めて、俺はこの子のパパになろうと決めた。
だから改めて、今度は俺から言うことにする。
「クルルちゃん」
腰を屈めてクルルと目線を合わせると、軽く頭を撫でながら告げる。
「これから先……よろしくお願いします!」
それを聞いたクルルの反応は。
「うん! こちらこそよろしくね、“パパ”!!」
――これは、新米パパとなった俺こと久津川時風が最愛の娘と毎日を過ごす、ただそれだけの物語。 |