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八握の檻 作者:田鰻

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8月:太刀塚想子 - 3

時は金なりと、過去の賢人達は言い残した。
休日とは休む為に存在する日に他ならない、を持論とするならば、自堕落も有意義な過ごし方と言えようが。

「何か言いたそうですね、九縄」
「いろいろとな」
「わたしは英気を養うため、休みの日はそりゃもうとことん休むと決めているのです」
「ここ一月ずうっと休日だろうが、お前は。それで英気を養うもないものだ」
「夏休みですから……」
「働け」

九縄が短く切り捨てた。言葉に込められた冷たさに気圧され、想子は黙り込む。

「聞けばお前ぐらいの歳の連中は皆、この時期にはアルバイトに励んで、夢や欲望の足しにするそうじゃあないか。それがお前ときたらどうだ。暇に任せて食っちゃ寝食っちゃ寝、このままではすぐに金も底をつくぞ」
「み、皆が皆そうという訳では……」
「……皆がどうあれ、自分の生活費は自分で稼ぐ、のではなかったのか?
おまけに見ろ、この既製品のゴミの山を。この浪費っぷりでは、何の為に安い物件を探し回ったのかまるで分からんわ」
「ううう……」
「もう、大学なぞ辞めて家に戻れ。お前にとって最も楽で、適した生き方が待っている」
「それは出来ません」

想子は、きっぱりと言った。
頼りなかった印象が失せ、瞳の奥には梃子でも動かぬという硬い芯が覗いている。
だが、この件に関して、九縄もそれ以上追求する事はなかった。
九縄の関心が惨憺たる有様の室内に戻ったのを察し、想子は気まずげに雑誌を読む振りをする。もはや自己主張を諦めたかのように隅で横倒しになったプラスチックのゴミ箱が、見る者の哀れを誘った。
とはいえ、想子以外でこの惨状を目にする機会がある相手といえば、脚で邪魔なタオルを押し退けている九縄くらいなものだ。友人であれ知人であれ、想子は決して部屋に上げようとしない。ましてや異性として訪ねてくる男となると、皆無だった。
尖り気味の目尻がやや厳しい印象を与えるものの、想子の顔立ちは整っている。
頬から顎にかけてのラインは理想的といっても良い。
華奢な部類に入る身体は、女性的な魅力を追求すると物足りないかもしれないが、しなやかに伸びた手足からは、こうして弛緩しきった格好とはおよそ不釣合いな躍動感が感じられる。
容貌は、申し分ないのだ。
想子自身もことさら男を遠ざけている訳ではないのだから、浮いた話のひとつふたつありそうなものだが、上京してこのかた、そういった話題を振られる機会は見事なまでに一度も無かった。もっとも、この部屋を見れば百年の恋も一発で冷めかねないから、そういう意味では訪ねられなくて正解だともいえる。

「男でもできれば、お前も変わるかもしれんな。人は見栄を張る生き物だ」

行く手を遮るゴミを蹴散らしながら、九縄が想子に近付く。
正確には、全て退けられていた。あたかも旧き伝承にて海を二つに割ったという聖者の如く、九縄の進む先にあるゴミが、手前で左右に分かれて道を作っていっている。まるで、見えない腕に掻き分けられているかのように。
荘厳とは到底言えないが、不可思議な光景であった。想子には、幼い頃から慣れっことなってしまった眺めだ。
想子から、眼の数や顎の動きさえ明瞭に判る程度の位置まで来て、九縄は脚を止めた。ページに目を落としたまま、ちらと想子が上目遣いに九縄を睨む。

「さっきからいちいち触れてほしくない所ばかりに触れますね。男と縁薄いのは太刀塚の女の宿命です」
「お前の場合は縁が無いの間違いだろう」
「やめてください、真実の言葉で心を抉るのは」

想子は、雑誌の開いたページを自らの顔に押し付けた。
九縄が脚の一本で腹を掻く。人間ならば、やれやれと呟いて肩を竦めているところか。

「……九縄」
「なんだ」

脇に転がっていた得体の知れない紐の塊を摘み上げていた九縄が、その呟きに振り向いた。人間のように首を動かす事はできないので、体全体を回す、という方法で。
想子の声は覆面と化している雑誌に遮られ、幾らかトーンが下がって聞こえる。

「その事、なんですけど。一度、聞こうと思っていたんですよね。
うちに婿入りしてきた男性が長続きしないのは、ひょっとして、あなたが何かしているからじゃないですか?」
「阿呆、そんな真似をするかよ」

何かと思えばと、心底呆れたように九縄は言った。

「誰ぞに吹き込まれでもしたのか、その与太話は」
「いえその……ネットでそういう話があったもので。男性女性、それぞれ特定の性別が何故かうまくいかない家系の話」
「ネットの話の真偽は知らんし、余所の家系がどうなのかも知らんが、儂から手出しはしておらぬよ」

最初に阿呆と馬鹿にした割に、九縄の返答は茶化す様子のないあっさりしたものだった。
では、その通りなのだろうと想子は思った。自分の質問に少々照れて、雑誌の下で顔を赤らめる。あるいは九縄自身、過去に幾度となく同じ質問をされているのかもしれなかった。

想子の実家である太刀塚家は、女の生まれる率が極めて高い。
そして子を残す為に迎え入れた男が、生涯を太刀塚で終える事は稀であった。
大抵は、子ができて数年から長くて十年で神経と身体を病み始め、療養という名目で家を出て行き、二度と戻らない。家としてもあえて引き止める事はせず、去るに任せる。血さえ次代に繋げれば、それで良いのだから。
憑き物筋。今もって各地に存在するといわれる、人にあらざるものを使役する家系。
地域によっては根強い偏見が残っているとはいえ、情報と娯楽が幅広く発達した現代では、その概念が生まれた背景に、自然現象への無知、地方独特の閉鎖的な信仰や差別があった事を知っている者も多く、よもや本当に狐や鼬を使って何かをしていると信じている者となると、まずいない。

そういった憑き物筋も、あるのだろう。
だが、想子の家は違った。

九縄大蜘蛛。

その名を持つ呪われた化け蜘蛛を代々従え、表には出せない仕事を請け負う事で莫大な富を築き上げた家系、太刀塚。創始の記録に曰く、はじまりは術者でも僧でも巫女でもない、一人の歳若き侍であったという。
とある山に、いつの頃からか一体の化生が棲みついた。鋼の如き剛毛に覆われた八つの脚を持ったその妖は、山を通る旅人を襲い、時には村にまで下りては人を食い、田畑を荒らし回った。
困り果てていた村人の元に、ある日、ふらりとやって来た者がいた。
襤褸をまとい、傘を目深に被ったその旅人は、一晩の宿を求めた村の者達の異常な雰囲気に、理由を尋ねた。憔悴しきった村人から訳を聞くと、旅人は事も無げにこう答えた。

では、我が片をつけよう。
代わりに、ここに留まる許しが欲しい。

村人は唖然としたが、笑う者は一人としていなかった。藁にも縋りたい気持ちであったのと、何よりも旅人が背に帯びた長剣から放たれる威圧感が、浮浪人の戯言と笑い飛ばす気持ちを彼らから奪っていた。
代表して頭を下げる長に、旅人は初めて傘を上げて素顔を晒した。その顔に、村人は一斉に驚く。砂塵に塗れた顔は薄汚れ、長旅によるものか疲れてはいたが、凛とした微笑を湛えた、紛れもない女のものであった。
女は、円と名乗った。

その後、どういった攻防が両者の間で繰り広げられたのか、今となっては判らない。目撃者もなく記録もなく、唯一の当事者であり生き証人である九縄も、詳しい話を語ろうとしないからだ。
昔、想子が興味本位で聞いてみた時は、珍しくぶすっとした面白くもなさそうな態度を露にして、

「すべて斬られた」

とだけ言い、それきり二度とその話題には触れようとしなかった。

ともあれ――こうして役目を果たし帰還した侍、円は、約束通りその地に居を構える事を許された。妖を退治するのではなく連れ帰った事に怯え、批判の目を向ける村人もいたが、面と向かって抗議をする勇気のある者は当然いなかった。
恐るべき化け蜘蛛を自在に操る女の噂は瞬く間に土地を駆け抜け、家は栄えた。それは別段、おかしな事ではない。人と人とが関わり合っていく過程で、人外の力を必要とするような深い闇など、際限なく生まれてくるものだ。
殺しから護衛まで、円のこなした任務は幅広く、主義主張や一貫性に欠けるものであったらしい。詳しい記録の残されていない中で確かに言えるのは、およそ円が義気と慈愛に富んだ聖人などではなかったという事実だけである。
いつしか女と蜘蛛の棲まう屋敷は、太刀塚と呼ばれるようになった。

「……儂から手出しはしておらぬが――心当たりなら、ない事もないな」

思わせ振りな呟きに、想子は片手で雑誌を持ち上げると、九縄を見た。
どれほど時が流れようと、不変のものがある。この化け蜘蛛と、人間社会に渦巻く闇だ。

「おおかた、虫臭さに耐えられんのだろうさ」

ぐぐ、と九縄が鳴いた。笑ったのだ。それで、からかわれたのだと判る。
しかし。

(虫臭い、か)

心中で、想子は復唱する。
そっと嗅いでみた手首からは、無論、何の匂いも漂ってなどこない。
それでも、あながち冗談や皮肉とは言い切れない気がした。初代より脈々と連なってきた蜘蛛憑きの血に、埃臭く青臭い虫の匂いが染み付いていたとしても不思議はないのだから。
想子は反らせた首をベッドに乗せ、開いた雑誌をまたしても顔に被せた。白い天井がページに遮られる。瞳を閉じると、何も見えなくなった。ぷん、とインクの匂いが鼻をつく。
仕事についても自分についても九縄についても、自らは記録らしい記録を殆ど残さなかった初代にしては唯一、異例ともいえる厳粛さで書き記し、後の世代に必ず伝えるよう命じた、短い言がある。

我伏せし大蜘蛛の怪異、盟約により一千年後まで我が血脈に従うこと誓う。

千年。
人間には到底実感できない、気が遠くなる長い時間だ。
だが今を生きる想子にとり、過ぎ去った時間など幾ら長かろうと関係ない。
重要なのは、今。旅の女侍が大蜘蛛を打ち負かし、忌まわしき系譜の始祖となりてより、千の年を、まもなく迎えようとしている今。想子が、九縄を受け継ぐ最後の代であるという事実だけだった。
胸の奥に重い塊がある。何度、これから目を逸らそうとし、無理だと悟り、その度に押し潰されそうになってきたか。九縄を畏れ、敬う者はあれど、この蜘蛛を従える事の、真の意味を知る者は一握りしかいない。
暗闇の中で、いつしか想子の閉じた瞳は過去を追っていた。
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