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八握の檻 作者:田鰻
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8月:太刀塚想子 - 1

「よくもまあ、朝からぼさっとし続けていられるものだな」

何かを噛みながら発しているような、くぐもった低い声が響く。
雑誌のページをめくる指が止まり、ベッドに凭れていた一人の女が、声の主を探して顔を上げた。
見上げた先、ちょうど天井と壁の切り替わる境目の辺りに巨大な蜘蛛が張り付き、瞬かない8個のガラス玉を、じっと女に向けている。
しかし女は、巨大蜘蛛の姿に悲鳴をあげるでもなく、蜘蛛が口をきいた事に驚くでもなく、平然としている。
大蜘蛛の口に咥えられているものが何であるかを認識した時、はじめて女の表情が動いた。

「そちらこそ。よくもまあ、そんな物を食べられるものです」

顰めた顔の先では、黒光りする羽の虫が、大蜘蛛のがっちりした牙に捕らえられている。
交互に動く牙の間でみるみる虫の体が小さくなっていき、じきに消えた。
脚の一本を、牙を拭うように動かしながら、再び蜘蛛が言う。

「お前もいっぺん、骨まで飢えてみろ。虫でも鼠でも、目を輝かせ、涎を垂らして貪り食えるようになるぞ。お前が考えているほど、人間は崇高にできておらんのだよ、想子」

では想子というのが、この女の名前らしかった。
現実を見てきた者特有の静かな声音で大蜘蛛は語り続けたが、ふと過去の現実から今の現実へ立ち返ると、その声が途端に小馬鹿にした調子へと変わった。

「ここが無残なゴミ溜めと化しとるから、虫が寄ってくるのだろうが。
それをわざわざ退治してやっているのだ、ありがたく思え」
「ゴミ溜めは言いすぎです」

やや唇を尖らせて、想子が蜘蛛に反論する。
どことなく近寄り難かった雰囲気が崩れ、いまだ残る子供っぽさが顔を覗かせた。
年齢は二十になるかならないか。朝から家の中という事もあって化粧は一切していないが、若さと瑞々しさに溢れた肌は、細工なしでも充分美しい。
腰まで伸びた、艶のある黒髪。その首のあたりから、真っ白なリボンが垂れ下がっていた。髪を束ねているというよりも、髪に結ばれているといった方が正しい。初詣で見掛けるおみくじのように。

「ゴミ溜めでないなら豚小屋だな。いや、テレビで見たが、この頃の豚小屋は随分と清潔らしいぞ。少なくとも、床を歩くのに足の踏み場が無いといった事態に陥ってはおらんようだった」
「豚小屋も言いすぎです。それに足の踏み場ならそこに……あと、そこと、ほら、そこにも」
「最底辺の世界で救いを求めてどうする」

ぱっと大蜘蛛の姿が消えた。飛んだのだ。
器用に空中で体を反転させると、室内に残された数少ない空きスペースのひとつに降り立つ。
大蜘蛛の指摘通り、部屋はまさに、台風か大地震が過ぎ去った後といった様相を呈していた。
辺り構わず散らばり、積み重なった、本、雑誌、洗濯物、ペットボトル、空き瓶、スーパーの袋、スプレー缶、ダンボール。フローリングの床は種類を問わない物品の山で埋まり、それはこの部屋のみに留まらず、開け放しの戸を越えて隣の部屋にまでなだれ込んでいる。ほど良く差し込む窓の光が、プラスチック類を照らす。きらめく光は、折り重なるゴミの山に謎の爽やかさを与えていた。
新築2LDKマンションの2階奥角部屋。日当たり良好。
然程遠くない駅には商店街も隣接しており、まず大学生の一人暮らしには絶好の環境といったところ。
この敷金礼金なし、家賃月額1万円の部屋が、一人と一匹の当面の住処であった。
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