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EVE:2108 - The Place of the Heart 作者:志室幸太郎
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Evangelium01-6:ガレキの楽園

 それまでのイヴに対する歓迎の空気は、今朝の一件で百八十度風向きを変えた。自分を助けてくれた無抵抗の少年に対する暴力。誰が見ても、イヴに非があるのは明白だった。
 昼には複数人がイヴの食事を横取りしようとしたが、これはハナと伏見が止めた。
 午後は二階にあった簡易のベッドを二人で解体して本棚に戻し、その後四階を掃除した。四階はかなり広い部屋のようだったが、倒れた本棚と積もった大量の本で床は見えなかった。
 本棚を起こして部屋の一画に積もった本を収め、ある程度のスペースができた頃には、外は暗くなっていた。
 イヴは夕食へは行かなかった。伏見とハナが持ってきた古い木のベッドに腰掛けて、スタンドライトの明かりを頼りに本を読んでいた。特に表情はない。
 誰かが階段を上ってくる音がして、イヴは本を閉じた。
「や。お腹空いてるでしょ」
 伏見は手に持っていたものを、ベッドの近くにある小さな本棚の上に置く。芋の煮物と水だった。
「ありがとうございます。でも、私は一日三食食べなくても問題ありませんので」
「問題はないかもしれないけど、食べた方が元気になるよ」
 言いながら、伏見は少し離れたところに倒れていた椅子を起こして座った。床に落ちていた本を拾ってページを開く。
「こんな広い部屋、私が使っていいんでしょうか」
「みんなこれ以上に広い部屋を贅沢に使ってるよ。それに部屋なんて呼べたもんじゃないしね。片づけたのはほとんど君だし、遠慮しないで」
「ありがとうございます」
 そこで会話は途切れた。部屋にはページをめくる音だけが響く。イヴはしばらく本を読む伏見を眺めていたが、自分も読みかけの本を開いた。
「本は面白い?」
 本に目を落としたままの伏見に聞かれて、イヴは頷いた。
「検閲を受けた本以外は、読むことを許されていませんでした。こういう本はとても新鮮です」
「好きなだけ読むといいよ。ここは言うなれば個人図書館ってやつでね。昔は本屋さんだったんだけど、今は僕の趣味で集めた本を自由に読める場所になってる。この街には学校もないから、子供たちにとって本は重要な教科書なんだ」
「それで先生なんですね」
「教師をやってたこともあるからね。先生って呼ばれるのはちょっとくすぐったいけど」
 伏見は文字を追いながらはにかんだ。
 一方イヴは、本を開いてはいたが、視線はその先の床に落としていた。
「……私は、ここにいてもいいのでしょうか」
「どうして?」
「私はここに住む人たちから、敵性があると判断されたようです」
 伏見はその回りくどい表現に小さく笑った。
「まあ、今朝のは少しまずかったかな。でも謝れば許してくれると思うよ」
「そうでしょうか」
「うん。喧嘩なんて日常茶飯事だしね。それに、君は自分で考えて、あの時自分を止められたんだろう?」
「……はい」
「それならもう大丈夫だ。悪いことは誰だってする。悪いことをしてしまったら、ちゃんと謝って、同じことをしないようにすればいい」
「はい。彼にも謝りたいと思います」
「あー……」
 伏見は本から目を離し、椅子に背を預けて天井を仰ぎ見た。
「あの子、何も喋らなかったでしょ」
「はい」
「彼はコーヤって子なんだけどね。ちょっと特別なんだ」
「特別、ですか」
「そう。彼はとても頭が良くてね。まだ若いのに、結論を出してしまったんだよ」
「結論、というと?」
「彼にしたのと同じ話をするね。これは僕の家系に代々伝わっている、おとぎ話みたいなものなんだけど」
 伏見は本を閉じて、近くの本棚に収めた。少しの間を置いて、語り始める。
「“昔々、この世界が生まれるよりも昔。そこには何もありませんでした。人や物はおろか、空間すら存在していませんでした”」
 イヴが首を傾げる。
「空間すらないとはどういうことですか? 想像できません」
「想像しなくてもいい。それに重要なのはここからなんだ。“しかしある時、存在したいという心が生まれました”」
「心、ですか」
 伏見は頷いて続ける。
「 エネルギーみたいなものかな。形はないけど、存在はしている。“エーフェスという名のその心は、自らの居場所として、まずイデアという心の世界を創りました。イデアはどこまでも続く白い世界でした”」
「雪山のような場所ですか?」
「それとは違うかな。もっと曖昧でぼんやりとした場所だよ。“エーフェスはイデアを漂いながら、永遠のように長い時間を過ごしていました。その長い時間の中で、エーフェスの中にもう一つの心が生まれました。エーフェスがその心を自分の心から取り出すと、それは点になりました”」
「点に心があるんですか?」
「あるとも。点だけじゃないよ。“しばらくすると、エーフェスの中にまた心が生まれました。それを取り出すと、今度は線になりました。さらにしばらくすると、またまたエーフェスの中に心が生まれました。それを取り出すと、今度は円になりました。エーフェスは、自分の中に生まれてくる心を次々に取り出していきます。こうしてイデアには、様々な形や色の心が満ちていきました”」
「実際にはまだ何もない状態なのですか?」
「そう。エーフェスも同じことを思った。“『ここには沢山の心があるけれど、それ以外何もない』。そこでエーフェスは、その心たちを実在させたいと思い始めました。しかし、そこには何もありませんでした。エーフェスは困ってしまいました。それからまた永遠のように長い時間が流れ、ふとエーフェスは思いつきました。『騙してやろう』”」
「騙す?」
「本当にそう言ったわけじゃないけどね。言葉もまだないし。……イヴ、まったくのゼロの状態から一を生みだすにはどうすればいいと思う?」
「ゼロから、一をですか……」
 イヴはしばらく考えを巡らせていたが、諦めて首を振った。
「この世界は、誰でもわかるたった一つの式で表すことができる。それは、ゼロ=プラスXマイナスX。つまり一を生むには、同時にマイナス一も生み出せばいい」
「総量を変えなければいいのですね」
「そういうこと。“エーフェスは何もない場所を正と負に揺らしました。すると、何かが実在しました。しかしそれはすぐに消えてしまいます。エーフェスは強く揺らしました。一瞬大きな何かが実在しましたが、その実在が持つ正と負が打ち消しあってやはり消えてしまいます。エーフェスは精一杯の力で、強く強く揺らし続けました。
 そしてある時、その実在は消えませんでした。揺らぎは一瞬にして大きくなり、とても強い実在が生まれました。エーフェスは驚きましたが、その実在が止めどなく大きくなっていくのを見て、とても喜びました”」 
「……これは、神様のお話ですか」
「そうだね」
「偽りの神を許すな、と教えられました」
「その神様が偽りかどうか、君は正確に判断できるのかい?」
「少なくとも、私の知っている神とは別のものです」
「どうだろうね。とりあえず続きを聞いてほしい。“揺らぎが徐々に落ち着いてくると、エーフェスはイデアの心たちの器を創り始めました。点や線、円や色が実在するようになりましたが、それはイデアにある心の形と比べると少し不格好でした。エーフェスは四苦八苦しながら様々な心の器を創りましたが、どうにも上手くいきません。
 そこで、エーフェスはまた思いつきました。『自分の器を創って、細かく手を加えられるようにしよう』こうして、エーフェスは自らの器を創り始めました”」
「まさか……」
 イヴが何かに気づき始めて、伏見は微笑み、続きを語る。
「“しかし、エーフェスの心はとても複雑で大きかったので、これもなかなか上手くいきません。実在するということがいかに難しいかを思い知って、エーフェスは創ることを止めてしまいました。
 そして時は流れ、エーフェスが何もしなくなってからしばらく経ったある時のことです。
 エーフェスは実在の世界の中で、新しい心を見つけました。それはとても小さな心でしたが、しっかりと実在する器を持っていました。
 エーフェスはそれを生き物と呼ぶことにしました。
 生き物の器が壊れると、エーフェスはその心をイデアへと連れて帰りました。生き物の心をよく観察すると、点や線、円などの心が混ざった、螺旋の心を持っていました。どうやらその生き物は、周りの環境によって無理やりその形に変えられてしまったようでした。それを見てエーフェスは気がつきました。
『器を創るんじゃなくて、器が生まれる場所を創ればいいんだ』
 エーフェスはそう考えると、様々な実在をぶつけ合って大きな球を創りました。エーフェスはそれを星と呼ぶことにしました。実在の世界に様々な星が生まれ、星には様々な生き物が生まれました。エーフェスは星や生き物の心を観察して、どんどん複雑な心の器を創っていきます。
 そしてエーフェスは、ついに自らの心の器となり得るものを創りだしました。その器を人間と呼ぶことにしました。人間にはしっかりと、エーフェスと同じくらい大きな心が宿りました”」
「内にいる、神……」
「そう。人間は原初の心――つまり神様の器ってことになるね。けどまだ話は終わらない。“しかし、その器はとても脆く、あっという間に壊れてしまいます。何度創り直しても、やはりすぐに壊れてしまいました。
 そこでエーフェスはこう考えます。
『人間をもっと頑丈にしよう』
 エーフェスは頑丈な人間を創りました。しかし、頑丈な人間は身動きが取れませんでした。
『人間に身を守る力を与えよう』
 エーフェスは人間に力を与えました。しかし、力を持った人間は人間同士で壊し合ってしまいました。
『人間に身を守る知識を与えよう』
 エーフェスは人間に知識を与えました。しかし、人間はエーフェスも思いつかないようなものを沢山創りだして、創りだしたものに壊されてしまいました。
 エーフェスは困り果てた上、次第に人間が怖くなってきてしまいました。人間がすでに、エーフェスの理解を超えたものになりつつあったからです。
 そこでエーフェスは、人間を管理する心を創りました。エーフェスはそれを神と呼ぶことにしました”」
「神様が……神様を創った?」
「うん。抑止力としてね。“神を人間に伝えるため、エーフェスはついに、人間として生活することを決めます。これまでの経験をすべて詰め込んで、エーフェスはとても美しい青い星を創りました。それからエーフェスは、人間として生きる練習をするため、イデアの中にエデンという場所を創ります”」
「エデン……」
「聞き覚えがあるかい?」
「創世記に登場する、楽園のある場所……」
「そうだね。“エデンは青い星に似せて創られていて、その中に創った箱庭で、エーフェスは生き物の心を育てたり、植物の心を育てることを学びました。そしてしばらくエデンでの生活を送ったあと、エーフェスは青い星に生まれました。エーフェスは実在することの喜びと苦しみを味わいながら、青い星で生きていきました”」
 語り終えて、伏見は息を吐いた。
「……昨日、車の中で言ったよね。“神様は死んだ”って」
「……はい」
「神様が完全な理由を知っているかい?」
「……いいえ」
「それはね、神様が独りだったからなんだ。他に誰もいなければ、その世界では神様の言うことが絶対だよね。だけど神様は、自分の分身である人間を創った。その瞬間から、神様は絶対じゃなくなった。沢山の神様が生まれて、沢山の考え方が生まれた。八百万の神、ってね。全知全能だった唯一神は、もういない」
 イヴはそれまでの話を飲み込もうとしたが、なかなか喉を通らなかった。
「そんなに悩むことはないよ。僕が小さい頃、寝る前に聞かされてたようなおとぎ話さ」
「すいません……」
「謝る必要もない。こんな話を聞かされたって、普通はなんのことだかさっぱりだと思う。……だけどね、コーヤは違ったんだ」
「彼は、なんと?」
「“もしそれが本当なら、この世界はまだ、本当の意味で実在してはいないんだね”」
 イヴは誰かに突き飛ばされたような感覚を覚えた。なぜそう思ったのかはわからなかったが、自分の中の何かが大きく転倒するのを感じていた。
「おとぎ話を信じるのなら、この世界のあらゆる存在は正と負をあわせ持っていることになる。それはつまり、すべての存在は二律背反。“どんな考えにも逆説は存在する”ということ。この考えに対してすら、“どんな考えにも逆説は存在しない”という逆説が存在する。突き詰めればこの世界に、絶対的に正しいものなんて何一つないんだ」
 伏見は床に転がっていた本をまた拾い上げ、埃をはらった。
「どんな創造も形而上では完全なんだけどね。形而下に生まれた時、それは正と負を孕むことになる。そのどれもがゼロから生まれているから。それはこの本の物語にも言えるし、僕たち人間にも言えることだ」
「それで、彼は……」
「うん。喋らなくなった。それどころか、一切の感情表現をしなくなった。何を言っても、何をしても、それが正しいとは限らないから。それまで大きく正と負に揺れていた彼の心は、打ち消し合ってゼロになってしまった。だからきっと、君がしたことに対しても、何も感じていないと思う」
 無意識に、イヴは拳を握りしめていた。
「……私は今、悲しいと思います」
「そうだね。僕も悲しいし、責任を感じてる」
「彼はそのままではいけないと思います」
「コーヤの理論を崩せるかい? 彼はきっと、どんな意見でも打ち消してしまうよ」
「彼はきっと、ゼロにはなっていません。私を助けてくれましたから」
「そうかもしれない。けれど、もしそうだったとして、どうやって彼の心を揺さぶる? 僕にはできなかった」
「……考えます。自分の心で」
「いいね。一緒に考えよう。それじゃ頭を使うために、糖を脳に補給しようか」
 伏見は冷めかけの煮物を指差して微笑んだ。ようやくイヴは、それに手をつけ始める。
この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。

http://colonseries.jp/
cont_access.php?citi_cont_id=417046277&s
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