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EVE:2108 - The Place of the Heart 作者:志室幸太郎
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Evangelium03-4:主よ、人の望みの喜びよ

 イヴが連れてこられたのは、伏見家のダイニングキッチンだった。木製の広々としたシステムキッチンは、まるでモデルルームのように一切使用感がない。
「佐伯がいつも必要以上に掃除してるんだ。別に汚しても怒らないから」
 そう言って、エプロン姿の伏見がエプロンを差し出す。イヴは戸惑いながらもそれを受け取った。
「料理をしたことは?」
「神田で手伝いをしたのが初めてですが……」
「なるほど。君には家事を担当してもらうことに決めたよ」
「家事、ですか?」
「そう。炊事、洗濯、掃除。僕らは調査でしばらく忙しくなるから、家事でサポートしてほしい」
「ほとんど経験がありません」
「だからこれから教えるのさ。はい、エプロン着て」
 イヴは言われるがまま、見よう見まねでエプロンを身に着ける。その間に、伏見は食糧庫からパスタやベーコン、卵を取り出してくる。イヴはそれらの食材を興味津々で観察する。
「これからなにを作るのですか?」
「できてのお楽しみ。それじゃまず、お湯を沸かそう。鍋はここね」
 伏見はキッチンの上にある収納スペースから鍋を取り出し、水を入れてクッキングヒーターの上に置いた。イヴに操作を説明をしながらヒーターを起動させる。
「次にベーコンを適当に切ります」
 言いながらベーコンのブロックと包丁を手に取ると、数枚スライスしてさらに細長く刻んだ。
「具はこれでオーケー。お湯沸いた?」
「はい。沸騰しています」
「そしたらパスタを茹でます」
 伏見はパスタボトルから二人分のパスタを取り出し、少しひねって鍋の中に落とす。綺麗な放射状に広がったあと、熱湯の中に沈んでいった。
「はい、やってみて」
 伏見はさらにもう一人分のパスタを取り出して、イヴに渡した。イヴがパスタをひねると、ほとんどが半分に折れて鍋の中に落ちた。伏見は興味深そうにそれを見る。
「斬新だね」
「ありがとうございます。同じようにできませんでしたが」
「大丈夫大丈夫。この世界に正解がないように、料理にも正解はないよ。最終的に食べた人が美味しいと思えばそれでいいのさ」
「なるほど。イデアのエーフェスの話はとても便利ですね」
「良い方向に解釈する分にはね。敵に回すと、あれほどタチの悪い話はない」
 伏見は鍋の中を菜箸でかき回しながら言う。
「さて、パスタを茹でている間にベーコンを炒めよう」
 今度はフライパンを取り出すと、オリーブオイルを入れて温める。伏見は温度を確かめてからベーコンを入れ、食欲をかき立てる音をさせながら炒め始めた。
「どれどれ、パスタの方は……うん、これくらいかな」
 わずかに芯が残った状態のパスタをフライパンに移す。
「煮汁も少し入れたら、多めの塩と魔法の白い粉で味を調える」
「魔法の白い粉、ですか?」
「この粉については、深く詮索しちゃいけないよ。禁断の魔術によって精製された、なんでも美味しくなる粉とだけ言っておこう」
「……魔法は、実在しているんですね。本の中だけのことだと思っていました」
「あるとも。さ、仕上げだ」
 伏見はいたずらっぽく笑いながら、クッキングヒーターの火を止める。そして調味料が並べられた場所から筒を一つ取り、パスタにまぶし始める。
「それも魔法の粉ですか?」
「いや、これは粉チーズ」
 すぐに独特の匂いがキッチンに立ち上った。伏見はトングを使って、フライパンの中でパスタをかき混ぜる。ある程度混ぜ終えると、今度は卵をボールに割ってかき混ぜ、フライパンの中に入れてさらに混ぜ合わせた。
「チーズを入れる前にヒーターを止めるのを忘れないようにね。じゃないとここで卵が固まっちゃうから」
「了解です」
「さ、盛りつけよう」
「もうできたのですか?」
「簡単でしょ?」
 伏見は得意げに笑って、平皿を三つ用意してパスタを盛っていく。さらにその上からブラックペッパーをかけた。
「これで完成」
 それがどんな料理で、どんな味がするかわからないにも関わらず、イヴは生唾を飲み込んだ。
 そんなイヴをよそに、伏見はキッチンにある端末から佐伯の部屋へコールする。
『はい』
 佐伯は早速調査にあたっていたようで、デスクトップ端末に向かっていた。
「ご飯できたよ」
『ありがとうございます。すぐに向かいます』
 佐伯が端末のディスプレイを暗転させて立ち上がったのを確認して、伏見はイヴと一緒にテーブルに皿を並べた。間もなく、佐伯がキッチンに入ってくる。
「またカルボナーラですか……」
 珍しく、佐伯が感情をあらわにする。
「これはカルボナーラという料理なのですね」
「なんちゃってカルボナーラだけどね。大好物なんだ。毎日これでもいいよ」
「体を壊しますよ」
 佐伯は呆れた様子でテーブルに腰かける。伏見たちもエプロンを脱ぎ、席に着いた。二人が手を合わせたので、イヴもそれをまねる。
「いただきます」
 イヴは用意されたフォークを手に取り、パスタをすくって口に運ぶ。初めて食べる麺に苦戦したが、カルボナーラの味が口に広がった途端、ずるずると啜りだした。皿の半分くらいを一気にかき込んで、顔を上げる。
「なんですか、これは。美味しすぎます。神田でいただいたどの食べ物よりも美味しいです」
「そうでしょ」
 異様に美味しく感じるのは、単に高カロリーであるからだということを伏見は知っていたが、あえてそれを言わなかった。ただ得意気に笑う。
「口元が汚れてるよ」
 伏見がハンカチを差し出すと、イヴは受け取って汚れをぬぐった。
「すいません」
「フォークを貸して。こうやって食べれば、あんまり汚れない」
 イヴのフォークを借りて、伏見はパスタを巻き取ってみせた。
「なるほど。ありがとうございます」
 フォークに巻かれたパスタを口にすると、イヴはそれ以降、一言も発さずに黙々とカルボナーラを食べ続けた。伏見は嬉しそうに、佐伯は困った様子で見ながら、和やかな食事を続けた。
 半分の長さしかないパスタに苦戦しつつも、イヴは真っ先に食べ終える。残りの二人の完食を待って、三人はもう一度手を合わせた。
「さ、今日はとりあえず休もう。神田ほどじゃないけど、うちにも書庫があるから、良かったらイヴは読書でもしてて」
「至れり尽くせりです」
 イヴは静かに目を輝かせた。

 書庫は、当然神田の図書館とは比較にならないものの、それでもかなりの蔵書があった。十畳ほどの部屋に本棚が並べられており、隙間なく本が敷き詰められている。シリーズが歯抜けになっているようなこともなく、ジャンル別にしっかりと分類されていた。
 イヴは本棚の隙間を滑るように移動しながら、興味のある本を次々と抜き出していく。気づくと、いつの間にか両手いっぱいに本を抱えていた。
 一度本を客間に置きに行くことにして、書庫をあとにする。
 本を抱えてエントランスを歩いていると、ドアが半開きになっている部屋があることに気づいた。閉めようと近づくと、隙間から中の様子が見える。
「あ……」
 イヴは小さく声を上げた。それから周囲に誰もいないことを確認して、本を落さないように気をつけつつ、片手でドアを開いた。
 中には立派なグランドピアノが置かれていた。窓から差し込む夕日に照らされて、それはぼんやりと光を放っているように見えた。イヴは近くにあった棚の上に本を乗せると、引き寄せられるようにピアノへと近づいていく。
 蓋を開けると、艶やかな白と黒の鍵盤が並んでいた。イヴはそれを撫でるように触る。その手を止めて指を落とすと、豊かな倍音を含んだラの音が部屋に響いた。
 イヴは椅子に腰かけ、一呼吸置いてから、右手だけでメロディを紡ぎ始めた。時折指が止まるものの、続きを思い出す度に、最初から繰り返す。
 夢中になって鍵盤に触れていると、人の気配がした。振り向くと、入り口にはうっすらと笑みを浮かべた伏見が立っていた。
「すいません、勝手に……」
「いいよ。続けて」
「メロディしか思い出せないんです」
 伏見はドアを閉めて、イヴの傍まで来た。
「ちょっと詰めて」
 イヴが椅子の端に移動すると、伏見が隣に腰かける。
「僕が左手をやるよ。最初の音を聴いて合わせられる?」
「わかりません」
「やってみよう。一、二……」
 伏見は膝を叩いてリズムを取ると、ソの音を鳴らす。すぐにイヴがメロディを弾き始めたので、伏見は追うように低音を重ねた。
 イヴは伏見の伴奏によって連鎖的に運指を思い出していく。途中曲調が変化していくにつれて、イヴの音に強い感情が乗り始めた。伏見はそれを受け入れるように支え切ると、また穏やかな旋律へと戻ってくる。
 二人の奏でる耳触りの良い音色が、夕日によって琥珀色に染められた部屋を漂う。
 曲が終わりに向かうと、呼吸を合わせながらテンポを落とし、最後に目を合わせて、二人で一つの和音を生んだ。
 たっぷりと余韻を残してからペダルを離すと、伏見はイヴに拍手を送る。
「“主よ、人の望みの喜びよ”だね。アカデミーで習ったの?」
「はい。伏見さんが以前言っていたように、ストレスケアの一環だったのだと思います。たまにしか触れさせてもらえませんでしたが、私はピアノがとても好きでした」
「音楽で感情を吐き出していたんだね。とても表情豊かな音だった」
「……そうかもしれません。私は笑い方も泣き方も、教えてもらえませんでしたから」
「でも君は変わってきているよ。沢山の心と触れ合ったからだろうね。とても良い笑顔を見せてくれたこともあったし、泣くこともできた」
「……そう、ですね」
 イヴは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「これから、色々なことが君を待ち受けていると思う。良い意味でも悪い意味でも、心を大きく揺さぶられるようなことが。それは楽しかったり、時に辛いことだったりするかもしれないけれど、好きなだけ笑ったり泣いたりすればいい。それが、生きている僕たちの特権だ」
この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。

http://colonseries.jp/
cont_access.php?citi_cont_id=417046277&s
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