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竜王様と生卵

竜王様と生卵

作者: 28号

「リューさん! ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ! 即死でナイナイして!」

 ……この、頭がわいているとしか思えない文句でたたき起こされるようになってから、もう既に一ヶ月。

「ねえリューさん! 魔法で即死してよ! ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ! ナイナイしてよ!」

 ちなみにこれを発している小娘は、外見は若いが今年で二十歳を越えるらしい。

 そんな大の大人が、卵を片手に毎朝毎朝この呪文のような奇声を発しているのである。

 ……異様だ。異様であるがだがしかし、娘がこれをやめる様子は残念ながら未だにない。

「余は眠い、後にせよ」

「駄目! リューさんがナイナイしないと、ピィゴロゴロブブッの完全勝利よ!」

 そう言って小娘に自慢の角を引っ張られている私は、寝起きで多少髪や着衣が乱れているが、この剣 谷(つるぎだに)に立つ竜人族の国、ハイランドを治める王である。

 今は人に近い姿をしているが、本気を出せば巨大な竜の姿でこの娘を踏みつぶすなど造作も無い。

 だが最初の出会いで踏みつぶし損ねたせいで、こうして毎朝毎朝鬱陶しい目に遭っているのだ。

「リューさーん! おーい! リューさーん!」

「ああもう五月蠅い! 耳元で喚くな! 聞こえておる馬鹿者!」

 娘の手から小さな卵を奪うと、私はそれに魔法をかける。

 大陸随一の魔法使いとも称される私の魔法を得るためなら、山のような金貨を詰む者はいくらでもいる。だが最初に徴収し損ねたせいで、毎朝のこれは完全なる無料奉仕である。

「ありがたき幸せ!」

 そして娘はやっぱりアホな台詞を吐いて、卵を手に寝室の奥にある、私と娘の朝食が用意されているテーブルへと駆けていく。

 席についた娘は、慣れた手つきで卵を二つに割ると、中身を空のグラスに注いだ。

「いただきました!」

 そして彼女は生の卵が入ったグラスを豪快に煽り、中身を一気に飲み下すのだ。

 可愛らしい顔のわりに、ずいぶんと雄々しい食べかたをする娘である。しかし彼女にとって、生卵を一気に飲み下すことは何よりの幸せらしい。

「げふっ」

 これまた女々しさの欠片もないげっぷをして、娘は腹をぽんと叩く。

「リューさんもどうだ?」

「絶対やらん」

 私は生では食さないと言えば、娘は「リューさんのくせに女々しいな」と失礼な言葉を返した。

 今日こそは踏みつぶしてやろうかと思ったが、私が変身するよりも早く、娘は新しい卵を私に向かって差し出す。

「こっちもピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ! ナイナイして!」

 そのアホな台詞とアホな笑顔に、私の怒気は完全に削がれた。

 本当に、何でこんな訳のわからん小娘を拾ってしまったのだろう……。

 何百回と繰りかえしたその問いを性懲りも無く更に繰りかえしつつ、私は「消化に悪いから一個にしておけ」と、娘を軽く叱った。



【竜王様と生卵】



 その娘が現れたとき、私は参謀のグレイズ及び騎士団の顔役達と、国の警護に関する会議を行っているところであった。

 最近各地で闇の魔力が増し、夜な夜な不死者達が徘徊している為、我が国でもそれを警戒すべきか否かを議論していたのである。

 少人数用の会議室で、円卓を囲んでいたのは全部で9人。その誰もが真剣な面持ちで言葉を交わしていたそんなとき、突然娘は現れたのだ。

「こんにちわ! ご機嫌麗しゅう!」

 と間抜けな声がしたのは、私のすぐ横。

 ギョッとして横を見た瞬間、そこには声以上に間の抜けた笑顔を浮かべる人間の娘が立っていた。

 あまりに突然すぎる出現と、その珍妙な挨拶に、私を含め誰一人として身動きが取れなかった。

 どう見ても彼女は侵入者である。賊のたぐいの可能性も捨てきれない。

 そして不逞の輩があれば直ちに切り伏せる腕利きが8人もいたのに、何よりこの中で誰よりも剣の腕が立つ私の横に彼女は立っていたのに、誰一人剣を抜くこともできず、完全にあっけにとられていた。

「言葉が供給不足でごめんあそばせ。掃除の王様に会いたいきました。こんにちわ」

「……どこから入った」

 ようやく口から出た言葉の頼りなさには、我ながら情けなくなった。

 だが更に情けないのは、この時既に、会話の主導権を彼女に握られていたことだ。

「どこ? ここおうちでしょ?」

「ちがう、お前はどこからはいった」

「お前? 私?」

 自分の胸を指さす娘に頷けば、彼女はぽんと手を打つ。

「玄関!」

 いやいやいや、と私を含めたその場にいた全員が突っ込んだのは言うまでも無い。

「この城にいったい何人の兵がいると思っておる!」

「何人? ここ9にんいるよ?」

「違う、兵だ! 見張り! 門番!」

「門番! わかるわかる!」

 わかってない、お前は絶対わかっていない。

 今更のように、私は先ほど彼女が発した「言葉が供給不足」と言うのが、言葉につたないという意味であったことを悟った。それも、かなり深刻な供給不足だ。

「どこだ、どうやって来たのだ?」

「どう?」

「どこから。玄関とはどこだ」

 そこで、娘は私の背後にある壁を指出す。それから「あれ?」という顔でそれを見ていた。

「扉が逃げ出してる」

 といぶかしがるのも無理はない。

「隠し扉だ。貴様まさか、地下通路を通ってきたのか?」

「地下、それだね! 暗くて細くて怖いね! 道は広いのが良いよ!」

 そもそも娘が通ってきたのは正規の道ではない。

 地下通路は剣谷の外れにある銀鉱山へと続いているが、近頃は鉱山内に死霊が増えてしまったため、一般人が容易く立ち入る事は不可能だ。

「本当に地下からきたのか? あそこは危険だろう」

 見たところ、娘は言葉だけでなく身なりもおかしい。

 みそっかすほどの魔力以外は武器すら持っておらず、唯一腰から下げたポーチだけが持ち物らしかった。これだけの装備で、あの鉱山を抜けてこられたとは到底思えない。

「危険だった! けど魔法と運が、私の最強装備よ!」

 言うなり、見て見てと少女は無邪気に笑う。

「透明だね!」

 そして彼女は魔法で姿を消した。

「参上だね!」

 そして彼女は再び姿を現した。

「すごくない?」

 全く凄くない。あまりにも初歩的な魔法だ。

 ただ言われてみると、鉱山の不死者達は視覚で敵を感知する者が多い。だからといってこんな簡単な魔法で逃げられるのだろうかと思ったが、運が良いと本人も言っていたので、何とかなってしまったのだろう。

 それにしても、いったい何故こんな所まできたのか……。

 呆れと共に疑問を感じた私は、すごいくない?を繰りかえす娘をあしらいつつ、話を先に進めることにした。

「それで何故きた? まさか、余を殺すためとはぬかさぬだろうな」

「殺す無いよ! 安全が第一だね!」

「ならば目的は何だ?」

「目的わかるよ! 竜王に会いに来た、どこ?」

「王は私だが」

 そこで何故か笑われた。

「冗談お得意?」

「冗談ではない」

「でも王様ジジイよ。あなたジジイじゃないよ。普通のおっさんでピチピチお肌よ!」

「こう見えても335歳だ。竜人族は、皆長生きなのだ」

 そこでようやく、娘はびっくりした顔をする

「正気でございますか?」

「ああ、正気で真実で正解だ」

「あわわわわわ!!! 初耳ごめんあそばせ! 道教えて致したかった!」

 しらなかったごめんなさい、道を教えて貰うつもりだったの! と言うところか。

 なんだかちょっとだけ、コツを掴んだ気がする。

「狭くて汚いから民家かと思った!」

「馬鹿にしておるのか貴様!」

「馬鹿じゃないよ」

 だめだ、やはり細かい事を突っ込んだら負けだ。

「ここ、民家ではありえませんか?」

「城だ」

「門なかったよ」

「お前が変なところから入るからだ」

 そこで、空気を読んだ騎士が彼女が入ってきたと思わしき隠し通路をあける。

 横へとスライドした壁に、さすがの娘も納得したらしい。

「城だね! 隠し通路は城だね!」

 ごめんあそばせございます、と娘はようやく恐縮した。

 言葉だけ聞くと恐縮している風は無いが、何となく敬語を使われている気がしたので、私は少しだけ気分が良くなる。

「それで目的は? 余に会いに来たのか?」

「会いに来たでございます! 魔法をください致したい! 竜王殿方掃除の王様!」

「……掃除?」

「聞いたよ! 竜王殿方掃除の名人! 会って魔法で汚物と消毒致したいでございますお願いきましたよろしく致したい!」

 待て、一端そこで止めろ。と仕草と言葉で少女を黙らせ、私は円卓に座る騎士達に目を向ける。

 その視線で、皆は私の言いたいことはわかったらしい。一同は腕を組み、彼女の言葉の意味を探る。

 そんな中、一番に手を上げたのは、参謀のグレイズであった。

「発言を許可する」

「これは、あなたの魔法の腕を見込んで会いにきた、と言うことではないでしょうか? たぶん良くある依頼と同じでしょう、登城の仕方は少しおかしいですが」

 さすが王国きっての頭脳家、的確な意見だ。

「しかし、掃除の王様とは何だ……。余はちまたで、そんなばかげた呼称を付けられておるのか?」

 これまたグレイズが挙手をする。

「破壊王という異名はありますが、掃除というのはさすがに……。ただ陛下は以前、西の平原の不死者共を一掃されましたので、その事を言っている可能性はあります」

 と言うことは、私の破魔の魔法目当てと言うことかも知れない。

 ここで娘に向き直り、早速それを口にしようとした。

 だがその直後、娘が「あっ」と口を開き、腰の鞄から何かを取り出す。

 まさか何か武器でも取り出すのかと、この時は全員腰を上げかけた。

 しかし出てきたのは何と鶏の卵。

 腕利きの騎士達とこの私を中腰にさせるには、あまりに間抜けな代物である。

「これ、魔法を下さい致したい!」

「は?」

「竜王殿方優しい聞かされましたでございます! これに、魔法を下さい致したい!」

 これに魔法をかけろというのはわかった。しかし卵に破魔の魔法というのは、あり得るのだろうか。

「魔法というのは、どの魔法だ?」

「どの?」

「どの種類だ?」

「汚物! 消毒だ! お願いしたい!」

 困った、更にわからない。

 そんな私の表情に何かを察知したのか、娘は少々やり方を変えた。

「卵、あってる?」

「ああ、それは卵だ」

「これ、食べる」

「食べ物であるのもわかる」

 そう答えると、突然娘は、なんとも珍妙な演技をはじめた。

「食べる、お腹が大事件よ! 危険だね、あらゆる意味で?」

「事件? 危険?」

 そこで彼女は、急に何とも言えない辛そうな顔をすると、腹を押さえて唸りだす。

「食べる、ピィゴロゴロ、アイタタターなるよ! ご理解頂いてございますか?」

「……腹を下すと言うことか?」

「それだね! お尻のダンジョンが大惨事でブブッだよ! ピィゴロゴロブブッ! 」

 ポーズまで付けなくてもわかると言いたいが、本人がとても真剣なので言えなかった。

「危ない危ない! ゲボォエッ! レロレロー! ご理解頂いてございますか?」

 今度は吐くと言うらしい。妙にリアリティがある擬音を使うので、さすがにこれもわかった。

「ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ! ナイナイしたい! お願いしたい!」

 そこでまたしても、グレイズがすくっと手を上げた。

「発言を許可する」

「卵は火で調理しないと、命に関わる不調を起こすことがあるそうです。それを、娘は言っているのでは無いでしょうか」

「それと余に何の関係があるのだ」

「全くないですね」

 冷静に返されも困るが、グレイズの指摘はおおむね間違っていないのだろう。それを証明するように、娘はピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ!を繰りかえしている。

「もうそれはよい。それで、余に何をして欲しいのだ?」

「魔法ください致したい! 卵、食べたい!」

「食べれば良いだろう」

「ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ!」

「焼けばいい。火だ、わかるか? 火を使え」

「火炎却下! きけない出来ない! 卵、あるがままの姿で!」

「あるがまま?」

 尋ねると、娘は私の手元にあったワインがつがれたグラスを指さした。

「つかって下さい致した! お願い致します!」

「ああ、好きに使え」

 と言った直後、娘はワインの中に生卵を落とした。アダレイン産の高級ワインが一瞬にして大惨事だが、まあ仕方が無い。

「これ! これ食べたい!」

「おすすめはしない」

「これだけ! あるがままこれだけ! ゴクン!」

 そこでようやく、私は気付いた。

「お前、これを生で食べたいのか!」

「生!!!! 生だね!!! ご明察!!!!!」

「そうか、やはり生であったか!」

 はしゃぐ娘につられてうっかり喜んでしまった自分を、私は慌てて叱咤する。

 こんなヘンテコな伝言ゲームで、一喜一憂している場合ではないのだ。

「お前の望みはわかったが、なぜ余の魔法が必要なのだ?」

「必要よ! ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ!」

 まずい、また戻った。これは聞き方を変えた方が良さそうだ。

「余にどうして欲しい?」

「欲しい?」

「魔法、どれだ?」

「どれ、これ!」

「だからどれ!」

「汚物! 消毒だ! お願い致したい! 掃除の王様、あなた!」

 段々疲れてきたので投げやりな視線をグレイズに送ると、彼もまた心許ない面持ちで手を上げる。

「おそらくですが、陛下のことを極度のきれい好きか何かだと思っているのではないでしょうか? 先ほどの一掃も、掃除的な意味で使ったのかと」

「きれい好きだとピ……ではなく腹下しが消せると?」

「その手の不調の原因は多分、何かしらの毒素だと考えられます。そしてあなたがその毒素を綺麗に除くことが出来ると、この娘は思っているのでは?」

「掃除好きだからか」

「はい。多分彼女はあなたのことをどんな物でも綺麗に出来る便利な魔法使いか何かだと思っているのかと」

 合点がいった。そして理解した。娘は完全に勘違いしている。

「無理だ」

「え?」

「無理なのだ。掃除の王様ではない。私は破壊王と呼ばれているのだ」

「破壊? 割れたら駄目よ?」

「違う。とにかく出来ない、不可能、無理なのだ」

「不可能……駄目……却下なの?」

 直後、先ほどまではあんなにも明るかった娘が、泣きそうな顔をする。

 それにうっかり心臓のあたりが苦しくなったが、ここで下手に言い訳をしても、伝わらないのは明白だ。

「お前の望みは叶えられない」

「叶える? 駄目?」

「不可能なのだ。余は掃除の王様ではない」

「でも、みんな叫んでた。竜王殿方掃除した! 綺麗にした! 清い! 除菌!」

「私が綺麗にしたのは不死者だ。不死者を、倒したのだ」

 そこで騎士達が、不死者の真似をしてうーと唸れば、娘はようやく合点がいったようだった。

「掃除、綺麗、違うでした?」

「違う」

「ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ! ナイナイが不可能?」

「不可能だ」

「絶対?」

「絶対」

 そこで、娘の目から涙がこぼれた。それも次から次へととめどなく。

 たかが卵一つだろうと思いつつも、こうも悲壮な顔をされるとさすがに辛い。真実を告げただけなのだが、罪悪感が半端ない。

「たべたい、叶えるできる、うれしかったのに……」

 そう言ってぽろぽろ涙をこぼす娘に、私は勿論全員がうっと言葉を詰まらせる。

 それまで明るく振る舞っていた分、落ち込む姿は見ていて辛い。

 相手は人間の、他種族の小娘だというのに、やはり涙というのは総じて破壊力が強いようだ。

「グレイズよ」

「はい、陛下」

「何とか出来ぬか……」

 思わずこぼれた一言に、彼はひどく驚いた顔をした。

 だが彼はすぐにいつもの冷静な表情をはり付けると、少しお待ち下さいと言って席を立つ。

 それからしばしの後、彼が持ってきたのは鶏の卵とワイングラスだった。

「毒素が原因なら、解毒の魔法をかければ何とかなるかも知れません」

「本当か?」

「保証は出来かねます」

 だがこれくらいしか思いつかないというグレイズから、私は卵を受け取る。

 それから泣いている娘の顎に手をかけ、私は彼女の顔をこちらに向けた。正面から見ると、更に胸が痛くなる顔だ。

「やるだけやってみる。しかし、効果は無いかも知れない?」

「やる?」

「魔法をかけてやる」

「魔法!」

「だが、失敗するかも知れないのだ」

「失敗ある?」

「そうだ。成功するか失敗するかわからない」

「半分半分?」

「それだ」

 それでも、望むならかけてやると言うと、娘は救世主を見るような顔で私に頷いた。

「かけて下さい致したい! お願いしますございます!」

「失敗したら、ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッだぞ」

「大丈夫よ! あるがままの卵、生きがいなの! だからお願い下さい致したいでございます!」

 最後は意味不明だが、丁寧な言葉を重ねていると言うことは、最上級のお願いをしていると言うことなのだろう。

「わかった。では魔法をかけてやる」

 卵に解毒の魔法をかけるのは初めてだったので、私は念のため2度ほど重ねがけをした。

 そして卵をグラスに割り差し出せば、娘は何とそれを一口でのみ下した。

 意外にたくましい所があるなと驚いていると、娘はなぜかまたしても泣き出す。

「懐かしい! ずっと胃に入れたかった! 最後の希望! 達成!」

 泣きながら笑うその顔があんまり幸せそうだったので、私は思わず娘の頭を撫でていた。

 それに嬉しそうに目を細め、娘は彼女なりに感謝の言葉を連発した。

 



 だが結果から言えば、この魔法は大失敗だった。

 その日のうちに娘はピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッな状況に陥り、城の治癒魔法師がかかり切りで治療を行う羽目になったのだ。

 それでも彼女の症状はすぐには良くならず、ようやく落ち着いた頃には彼女の頬はげっそりと落ちていた。

 失敗するかもと前置きはした物の、責任を感じた私はその日一日、公務の隙を見ては何度も娘が寝ている部屋に足を踏み入れた。

 するとそのたび、娘は「大丈夫でございますありますよ。幸せ盛りだくさん」と私に笑うのだ。

 それが逆に忍びなく、結局私はその夜ずっと、娘の側についていた。

 そんな私に、やはり娘は感謝ばかりを口にする。

「ずっとお願いしてたの。ありのままの卵、愛してるの。食べたくて祈ったの」

「奇妙な好物だな」

「私のジジイが、愛していました」

「ジジイ……祖父と言うことか」

「それだね! 最初は私、ゲボエッって思った。でも食べたら、愛しました。だからこれ、故郷の味だね!」

「変わった故郷だな」

「でも私のおうち、普通よ」

「そういえばお前、どこから来た?」

「きた?」

「家? 故郷は何処だ?」

 私の言葉に、娘は何かをこらえるように眉間に皺を寄せた。

「遠いの。物凄く遥か。お家つけない」

「つけない?」

「絶対。死ぬまで。一生だよ。残念ね」

 残念残念と繰りかえすと、娘は私から顔を背けた。 

 見えなくても、彼女が泣いているのはわかった。

 もしかしたらこの娘は、何か訳があって故郷に帰れないのかもしれない。

 だからこそ、故郷の味である生の卵を食べるために、あんなにも一生懸命だったのだろう。

 諦めのにじむ言葉からそれを感じた私は、思わず娘の頭を撫でていた。

 涙を必死に隠そうとする娘を前にして、何もせず、ただ黙っていることがどうしても出来なかったのだ。

「あるがままの卵、好きか?」

 私の言葉に、毛布で涙を拭った娘が私を見る。

「好き」

「なら、いつか好きなだけ食わせてやろう」

 絶対に。

 思わず口から出た言葉に、娘は驚いていた。そして誰よりも私が驚いていた。

 だが口から言葉がこぼれると、不思議と胸が軽くなった。面倒なことになるとわかっていたのに、それでも構わないとこの時は思ったのだ。

「竜王殿方、凄まじく優しい」

「その竜王殿方は辞めろ。余は……私は……もう少し気さくな方がよい」

「気さく?」

「そうだ」

 そこで私は名前を告げた。だがどうやら娘には発音が難しかったらしく、結局トンチンカンなままだった。

「もう竜王殿方でもよいか」

「でも、気さくな方がなお良しね!」

「ああ」

「じゃあ、リューさん! 竜王だから、リューさん!」

 何でそうなるのかわからないし、なんだか馬鹿にされている気がしたが、娘が嬉しそうなので何も言えなかった。

「リューさんいいねっ!」

「……ああ、それでよい」

「じゃあ、リューさんも気さくよ! 私の名前、気さくの連呼して!」

 そこで初めて、娘は名前を名乗った。ひどく変わった響きで、私もまた発音に苦労する。

「スズキ……というのが、お前の名か?」

「それ家名よ! だからナミがいいね! ナミ容易いよ!」

「ナミ?」

「それだね!」

 ナミと繰りかえすと、彼女もまた私を呼ぶ。

「リューさん!」

「なんだ?」

「リューさん、凄まじく優しい! 王様万歳! 大好き!」

 最後の一言で、うっかり喉の奥が熱くなる。その上一瞬、よぎってはいけない考えが頭を駆け抜け、私は慌ててかぶりを振った。

 私をリューさんと呼ぶ娘はこんなにも間抜けで、意味不明で、卵を生で食べたがるようなきてれつな娘なのだ。

 だからこんな感情を、抱くわけがない。

 これは何かの間違いだ、そうに違いないと、私は今しがた頭と胸をよぎった全ての事柄を気のせいだと決めつけた。

「リューさん大好き! ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ! いつかナイナイね!」

 よし、大丈夫だ。この奇声を聞いている限りは、魔が差すことはないだろう。

「約束だ」

「約束いいねっ!」

 すごいねっ! とてつもないね! と喜ぶ娘。

 それにうっかりほだされた私は、その日から約1週間、生卵を食す方法を思案し続けることになる。




「リューさーん! おいこらっ! 夢遊病だよ!」

 相変わらずの言葉と私の手を突っつく娘の指に我に返ると、彼女は少し心配そうな顔をしている。

「元気ない?」

「誰かのせいでな」

「風邪だな!」

 わかってないが、そういうことにしておいた。

 この1ヶ月で、娘との会話の仕方のコツは掴めてきた。また娘も必死に言葉を勉強しているらしく、最初に比べればずいぶんとマシだ。と思いたい。

「リューさん、乳が健康よ! 風邪がさらば飛び上がるよ!」

 そう言って先ほど牛の乳を彼女は差し出す。これもあまり生で飲むものではないので、卵と同じ魔法がかけてあるのだが、私はそれが苦手なのだ。

 というか、苦手になったのだ。

 娘が腹を下した後、私は彼女が生で飲みたいと望む卵とこの牛の乳にありとあらゆる魔法をかけ、そして自分で飲み試した。

 人と比べれば胃は頑丈なので死ぬことはないが、それでも王としての威厳が損なわれかねない状況に陥ったことは一度や二度ではない。

 だが、城の者は止めるでもなく自由にさせてくれたので、私は約1週間このナマモノと戦い続けた。

 その後、娘が「ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ! 虫がワルよ! 極小! ワル虫よ!」と言い出したのをきっかけに、腹下しの原因が毒素ではなく何かしらの生物だとわかったため、生き物の生命活動を停止させる即死魔法をかけることを思いついた。

 即死魔法と言っても大型の生物には聞かないが、生命力の弱い小型の生き物には効果が絶大なのだ。

 故にもし娘が言うように腹下しの原因が虫か何かだとしたら、これでコロッと死ぬのではないか思ったのである。

 結果私の考えは的中し、娘の胃も不調を訴えることはなかった。

「ピィゴロゴロブブッ、ゲボォエッ! ナイナイ! 即死だね! やったね!」

 と喜び、その日は大変な騒ぎだった。城の者達も、皆どんな物かと卵を食していたほどである。

 それをきっかけに我が城と城下では卵の一気飲みが大流行しているが、例え腹を下さずとも私はそれらを食す気にはなれなかった。むろん嫌な記憶が蘇るからである。

 そんな私の気持ちなどつゆ知らず、以来娘は朝になると私にこの魔法をせがむ。

 その少し前から、何故か城の者達が私達の食事の時間と場所を一緒にしていたため、その流れで朝の日課になってしまったのだ。

 個人的には朝は静かな方が好ましいが、娘は私との食事を妙に楽しんでいる様子なので、結局そのままにしている。

「そうだリューさん! 私おめでとうされたよ!」

 そして今日も、相も変わらず娘は元気で意味不明だ。

「グレイズでしょ、ランドでしょ、イマエルでしょ……とにかくめいっぱい! 沢山! おめでとうございますされました!」

「よくわからんが、それはよかったな」

 何故か次々飛び出す配下の者達の名前をいぶかしく思いつつも、どうせ大したことは無いだろうと高をくくり、私は朝食のスープを口にする。

「みんなに進言したのね、この前リューさんと一緒におねんねさせて頂いて凄く快感だったって」

 思わず、スープを吹き出したのは言うまでも無い。

「おねんね……寝たと言ったのか?」

「寝たよね」

「寝てなどおらぬ! それに快感とはなんだ!」

「リューさん快感言ったよ! お日様穏やかで温もりだねって」

「……まさかそれは、中庭で昼寝をした時のことか?」

「それだね!」

「中庭という部分は言ったのか?」

「どこでも言ったよ。沢山言った。リューさん寝顔可愛いねと進言したよ」

 ……色々と理解した。

「みんなやったー飛んでたよ! リューさんのちんこが心労だって勘違いがナイナイしたって」

「ちっ!?」

「ダンダのじいじが言ったよ! ちんこが病気で…心労が祟って胃痛だってさ!」

 私の下半身が激しい誤解を受けていたことは何となくわかった。

 そしてそれを執事頭のダンダが胃痛の種にしていたこともわかった。

「ところで、ちんこ何者?」

「余にいわせるな」

「余がちんこ?」

「ちがう!」

「おじさん? 親戚?」

「ダンダに、質問しろ。あと、共に昼寝をしただけだと皆に言え」

「昼から寝た! 了解つかまつりました!」

 いや、これもまた誤解をうみそうな気がしてきた。

 だが嬉しそうに笑って牛乳を飲んでいる娘を見ていると、なんだか突っ込むのも馬鹿らしくなる。

「ため息多いな! 私困らせた?」

「いや、もういい……」

「顔が下がり調子よ。私、ごめんあそばせ?」

「それを言うなら『ごめんなさい』だろう……」

「ごめんなさい」

 少しだけシュンとした娘の額を、俺は人差し指で軽く小突く。

「もうよいと言っておる。それより、さっさと食べろ」

「ごめんなさい、もう不要?」

「ああ、もうよい」

「じゃあ、リューさんも! はい!」

 と差し出されたのは、卵である。

「……絶対にくわぬ」

「女々しいな!」

「……その時々出てくる失礼な言い回し、実はわざとであろう」

「ちょっとだけよ」

 割と本気よと微笑む娘に、私は「余は竜王なのだ」と申告したが、娘は相も変わらず笑っている。

「でもリューさん、失礼だと喜ばしい顔に変わるよ! 私、リューさんの喜ばしい顔愛してるの!」

「あぃっ……!?」

 と言葉を詰まらせたが、何とか立て直す。

「……好ましいと、言うことか?」

「それだね!」

 誤解させるなと言いそうになる口をつぐみ、俺は娘の笑顔から目を背けた。

 明らかに火照っているとわかる顔だけは、何としても隠し通したい。

 だってこの娘は、生卵を一気に飲み下すような奇天烈な娘なのだ。

 そんな娘を相手に一喜一憂している己など、認められるはずがない。

「あ、リューさん!」

「今度は何だ……」

「アーンするよ! リューさん全然食べてないよ!」

 身を乗り出しながらフォークに刺した目玉焼きを私の口元に運ぶ娘に、一瞬我を忘れた。

「ナミ」

「どうしたリューさん」

「余の妃にならぬか?」

「わけわからん! それよりアーンしろ!」

 そこで、我を忘れていた思考が現実に戻った。

 ……あぶなかった。ちょっと色々あぶなかった。言葉が通じなくて本当に良かった。

「ほら、リューさんアーンだ!」

「う、うむ……」

 仕方なく口を開くと、ナミが私の口に目玉焼きを突っ込む。

「美味いかリューさん」

 そう言って微笑む小娘の顔に、私は「ああ」と返すのがやっ

とだった。


竜王様と生卵【END】

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― 新着の感想 ―
[良い点] ナミちゃん(さん?)の性格や言葉遣いがとてもかわいくておもしろくて大好きです!!何回も見返してます!! リューさんだんだん絆されてて思わずニヤニヤしてしまいました…
[良い点] なんと言うか、不思議な力のある文章と言った感じ(?)ですね。心がなぜか温かくなるような、ふんわりほわほわで神懸かり的に絶妙なエモさを与えるお話しでした。
[良い点]   「いちど、けこんたのもーしたくせに、  ことばあわない、だからないないとは、  やぱりリューさんめめしいな!  めめしいなっ!!」   「………お主は、実は言葉完全に解っていただろう……
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