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喪失と祈り(1)
「何が『光の神の使者』よ。ただの子どもじゃない」
「本当。それなのに、アディート様も王太子殿下も、あんな子どもをチヤホヤして」
「大体、あの黒い瞳! どうして『光の神の使者』があんな不吉な色をしているのよ」
「顔だって、ねぇ? 全然綺麗じゃないわ」
「あんな子ども、偽者なんじゃないの?」

 ハルカ様がこの王城に来られた最初の1年間、彼女は王城に仕える者たちの一部から、嫌がらせを受けていた。
 表立って悪意をぶつける者もいれば、表面上は優しくして、陰で酷いことを言ったり、嫌がらせを行っていた者もいた。
 そして、何も言わないし、何もしないけれど、心の中ではハルカ様を見下して嫌悪していた者も、たくさんいた。

 王太子殿下から唯1人、ハルカ様付きの侍女を命じられたあたしも、その内の1人だった。

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「……どうすればいいのかな」
「ハルカ様……」
「どうして、王様はわたしの言うことを、全然聞いてくれないんだろう。
 あんなに魔物の被害で苦しんでいる人が大勢いるのに。あんなにたくさんの村や街が、滅茶苦茶になってるのに。
 王様にとって、この国の人たちは何なの? 簡単に見捨てることのできる人たちなの? 王様っていうのは、国を守るのが仕事なんじゃないの?」
「ハルカ、落ち着け」

 ハルカ様に与えられた王城内の一室。
 そこで、アディート様と王太子殿下が、真っ赤になって震えているハルカ様を、懸命に宥めていた。

 ハルカ様が王城へ来られて、2週間ほど経った日のことだった。
 ハルカ様が『光の神の使者』として国王陛下に謁見したのはいいのだけれど、陛下はハルカ様の告げた光の神の言葉――騎士団を早急に派遣して、国内各地に出現している魔物を討伐しなければ、この国は滅んでしまう、というお告げだ――を聞いて、激昂したのだ。

 ハルカ様に斬りかかった陛下の剣を弾き飛ばしたのがアディート様、大声で怒鳴り散らす陛下を上手く宥めたのが王太子殿下だった。

 国王陛下は、恐ろしい。
 あたしだけじゃない、王城に仕える人間全てがそう思っていた。
 以前、たまたま陛下が目を向けた先にいた、あたしの友人だった侍女が、花瓶の水をほんの少しだけこぼしてしまったことがあった。それだけで彼女は陛下に散々鞭で打たれて、着の身着のままで王城から追い出されてしまったのだ。
 他にも似たような事件はいくつもある。
 王太子殿下や宰相閣下など、陛下に意見できる人間がすぐ側にいないとき、そういう事件は起こった。だから王城に仕える人間は皆、陛下のことが怖くて怖くて仕方がなかったのだ。
 王太子殿下や宰相閣下も、そのような事件のことは把握されていた。なるべくそういったことが起こらないように、自分の側近や騎士に言い付けて気を配っていたし、陛下に折檻されて追い出された者には、陛下には内密にして、後で怪我の治療費やそれまでの給金を届けるようにしていた。
 でも、陛下の癇癪は全然おさまらなくて、毎月何人かの王城仕えの者が、些細なことで陛下に折檻されて王城から追い出されていた。


 だからあの日。
 ハルカ様が国王陛下との謁見から帰って来て、真っ赤になって震えながら泣いていたとき。

 あたしもアディート様も王太子殿下も最初、彼女は陛下の恐怖に震えて泣いているんだと、そう思っていた。

 けれど、違った。
 ハルカ様は――激怒していたのだ。 小さな身体を真っ赤にさせて、泣きながら。
 身体同様に震える声で、彼女は叫んだ。

「――あったまきた!! 殿下、わたしをもう1回だけ、王様に会わせて! 絶対、わたしの……じゃなくて、『光の神』の言うとおりにさせてやる!!」

 王太子殿下とアディート様は、お2人にしては珍しく、揃って呆気に取られたような顔をして、ハルカ様を見つめていた。勿論、部屋の隅に控えていた、あたしも。
 
 彼女は乱暴に涙をぬぐって、それから侍女の何人かが「不吉だ」と陰口を叩いていた真っ黒な瞳に力強い光を宿し、宣言した。

「これ以上、あんな癇癪もちの頑固ジジイのせいで、この国の人が死んでいくのは許さない!! 絶対絶対、あいつに騎士団の遠征認めさせてやる!! 
 ――殿下、ぼけっとしてないで、早くしてよ!」

 『癇癪もちの頑固ジジイ』――王城に仕えている誰もが思っていて、けれど誰も言えなかったことを彼女は言って、あろうことか王太子殿下を怒鳴りつけた。
 王太子殿下は呆気に取られたまま、「あ、ああ、少し待っていろ……」と頷いて、部屋を出て行かれた。足取りが若干覚束ないように見えたのは、それだけハルカ様の暴言(『頑固ジジイ』『ぼけっとしてないで』等)に衝撃を受けておられたのか、どうか。
 そして、王太子殿下が去られた後の部屋には、呆然としているあたしとアディート様、そして激怒しているハルカ様が残された。

 アディート様は、小さな身体を震わせながら、「ちくしょー、見てろよあのジジイ!! わたしの前……じゃなくて、『光の神』の前に跪かせてやる!!」などとぐしぐし泣きながら叫んでいるハルカ様を、暫く呆然として見つめて――そして、唐突に腹を抱えて大笑いしだした。
 アディート様が声を出して大笑いをする姿を見たのは、殿下付きの侍女として、既に10年以上仕えていたあたしも初めてのことだった。
 普段、王太子殿下の前以外ではあまり表情を変えず、どこか冷たい雰囲気をされているアディート様。
 王太子殿下と並んで、王城中の侍女の憧れの的ではあるが、近寄りがたい方だった。その方が、大爆笑されている様は、なんというか……珍獣を見つけたら、こんな気分かな、という感じだった。アディート様でも、こんな風に笑うことがあるのかと、あたしは仰天してしまったのだ。

「ア、アディート……? どうしたの……?」

 ハルカ様も、アディート様のその様子に驚いたらしい。
 驚きすぎて涙が止まった彼女は、両手をわたわたさせながら、おろおろとアディート様に声をかけた。
 アディート様は、笑いすぎて薄っすら涙が浮かんだ目を細めて、「いえ……」と言った。

「ハルカ様が、予想外だったもので……」
「へ?」
「い、いえ……。真っ赤になって、泣きながら暴言を吐く人を、初めて見たので……」
「…………」
「震えてらっしゃるので、てっきり怯えているのかと思ったら、とんでもないことを叫ばれるので、もう……」
「………………」

 アディート様は、ハルカ様が真っ赤になってぷるぷる震えて泣きながら怒る様子が、どうにも面白かったらしい。
 ハルカ様はアディート様の答えにぽかんとした後、むくれたような顔をして、それからぷいっと顔を背けて、ぼそりと呟いた。

「アディートって、ほんと失礼な人だよね」
「は」
「最初はわたしのこと、有無を言わさずに捕まえて、ぽいっと地下牢に放り込んじゃうし」
「あ、あの、ハルカ様……?」
「それに最初はわたしの名前を聞いたとき、殿下と一緒に呼び捨てにしたくせに、今は取ってつけたように『様』付けだし」
「いえ、あの、それはですね……」
 
 珍しい光景だった。
 女性だろうが男性だろうが、王太子殿下以外の相手には言葉に詰まったことなどないアディート様が、ハルカ様のような小娘相手にうろたえていた。

「アディートの、馬鹿」

 むすっとした表情で顔を背けたまま呟いたハルカ様に、今度は困ったようにアディート様が何か言おうとして――そして、ふと眉を寄せ、言葉を紡ぐのを止めた。
 だから、あたしもハルカ様の異変に気がついた。

 ハルカ様は相変わらず、真っ赤になって震えていた。
 そして、止まったはずの涙が再び、彼女の真っ黒い瞳から零れ落ちていた。

 ハルカ様は、泣いていた。……苦しそうに、辛そうに。

「アディートの、馬鹿。
 怖かったよ。さっき、王様が剣を抜いて斬りかかってきたとき。すっごく怖かった。殺されるって思った。もう、死んじゃうんだって、そう思った。アディートが庇ってくれて、王様の剣を弾き飛ばしてくれなかったら、気絶してた。殿下がすぐに王様を宥めてくれなかったら、あの場で泣き出してた」
「……ハルカ様」
「『様』なんてつけないでよ。わたし、まだ、何もできていない。この国に、この世界にいるのに、まだ何もできてないんだよ。 
 ……絶対、王様に騎士団の遠征を許可させて、魔物を全部討伐させる。もう死んでしまった人は救えないけど、でも、これ以上、人が魔物に殺されるのは止めてみせる」
「…………」
「だから、アディートはわたしに『様』なんてつけないでよ。だって、わたし、まだ、何もできてない……」

 震える声、震える小さな身体。
 真っ赤になって、泣き続けるハルカ様。
 彼女の大きな真っ黒の瞳から、ぽろぽろと零れ落ちる大粒の涙。
 ハルカ様の泣き顔は、決して美しくはなかった。

 でも、あたしは彼女を、美しいと思った。
 しゃくりあげながら、震えながら、それでもここに存在しているハルカ様が、美しいと思った。 


 ハルカ様は、無垢なる存在なのだという。
 彼女はこの国の惨状を憂いた光の神が遣わした、唯一、神の言葉を聞くことのできる存在。
 だからハルカ様は、純粋で、穢れを知らない無垢な方なのだ。
 
 ――そんな者に、何ができるというの。
 
 王城に仕える者の中で、あたしのように、心の中でハルカ様を蔑んでいた者たち。
 彼らは、あたしを含めて皆、光の神と光の神殿に仕える者に不信感を抱いている。

 光の神の加護が篤い、尊い力をもつ者――巫女姫様や、高位の巫女と神官たち。
 魔物を除ける結界を張ることができ、人の怪我や病気を治癒することができる、稀有な力の持ち主。 神殿の奥で大切に扱われ、皆に敬われ、跪かれる存在。
 血と争いを嫌う光の神に仕えている、ただそれだけの理由で安全な場所にいて、自分たちだけでは絶対に神殿から離れようとしない、傲慢で情けない、臆病者の集団。
 騎士団がいなければ魔物の被害に遭った場所に向かうこともせず、自ら騎士団や国王陛下に魔物討伐を働きかけることもしない、無能たち。
 ただ神に祈ることしかしない、血と争いと魔物の恐怖から目を背け続ける、最低の奴ら。
 
 ――所詮奴らと同じ存在なんだ。国王陛下に脅されれば、すぐに引き下がって神殿に引きこもるに違いない――

 ハルカ様のことを、そんな風に思っていた。 無垢さも純粋さも、無知な様子も。
 全部が全部、腹立たしかった。
 どうせすぐに王城からいなくなってしまうに違いない。その程度の存在だ。
 そう、思っていた。

 けれど、ハルカ様は諦めなかった。
 王太子殿下に何度も請われて、ようやく騎士団の遠征を陛下に願い出た巫女姫様ですら、1度国王陛下に怒鳴られただけで泣いて怯えて神殿に引き下がり、その後は何度王太子殿下に請われても、絶対に国王陛下に謁見しようとしなかったのに。
 陛下に怒鳴られ、斬りかかられて尚、ハルカ様は諦めなかったのだ。

 ハルカ様は国王陛下に怯えていた。怯えて、怖がっていた。 
 けれど、彼女は強かった。巫女姫様のように、諦めなかった。
 ――そして、宣言どおり。
 ハルカ様は、2度目の国王陛下との謁見で、ついに騎士団の魔物討伐のための遠征を認めさせたのだ。
 騎士団は約半年の間、休みなしに働き続け、主だった地域での魔物討伐を行い、被害に遭った村や街は次々と復興されていった。

 
 あたしは、ハルカ様を嘲ることをやめた。
 あの日――国王陛下と最初に謁見した日以来、あたしは王太子殿下に対するものと変わらない忠誠心をもって、ハルカ様にお仕えするようになった。
 あたしはできる限り、王城内の悪意ある人々からハルカ様を守れるように、立ち回った。心ない中傷や嫌がらせがハルカ様の身に降りかからないように、気をつけた。それに、あたしと思想を同じくしていた、神殿や光の神に不信感を抱いていた王城仕えの人々を説得した。ハルカ様は、光の神殿に仕えている者たちとは違う、と。
 まだ、光の神や光の神殿にいる者たちへの不信感は、あたしの中から消えてはいない。でも、ハルカ様は彼らとは違う、そう思ったのだ。
 そして、ハルカ様が国王陛下の判断を覆させたことや、ハルカ様が自ら騎士団の遠征に同行して、魔物の被害に遭った人々を助けてまわったことなどもあって、他の王城仕えの人々のハルカ様に対する態度も、徐々に良い方向に変化していった。

 アディート様は、あの最初の謁見の日以来、王太子殿下と同じようにハルカ様のことを「ハルカ」と呼ぶようになった。
 王城や神殿、それに騎士団の中には、アディート様のその態度を見て不遜だと顔を顰める者も多かったが、王太子殿下が何も言われなかったことと、何よりハルカ様が嬉しそうになさっていたので、不満には思っても、誰も何も言わなかった。
 
「サラさん」
 
 ハルカ様は、あたしのことを「さん」付けで呼ばれる。
 ハルカ様は幼く見えたが、実際には18歳――婚姻していてもおかしくはない、妙齢の女性だった。
 そのことに最初は驚いたものの、彼女は元は大陸のどこかの国で普通に暮らしていた少女だったが、ある日、光の神の御許に呼ばれて以来、ずっと神の御許で他者と関わらずに修行をしていたため、どうにも幼く見えるのだと、後から王太子殿下から事情を教えられて、納得した。

 ハルカ様には元々ちゃんと家族がいて、故郷があったのだ。
 ただ、神の御許での時の流れと人の世界での時の流れは大きく異なる。ハルカ様が光の神の御許にいた間に、彼女の祖国は滅んでしまったらしい。
 だから、ハルカ様はご自分と歳が20歳近く離れたあたしのことを、呼び捨てにして呼べないのだろう。元々、貴族の令嬢だったわけでもなく、ごく普通の少女だったのならば、それも仕方ない。年上を敬うのは常識だし、最低限の礼儀だ。そもそも、ハルカ様は身分制度をよく理解できていないようだった。恐らく、長く他人と……人間の社会と関わりをもっていなかったからだろう。
 ハルカ様は、あたしが何度お願いしても「さん」付けはやめてくださらず、王太子殿下も「まぁ、仕方ないな。気にするな」と言われたため、あたしも諦めてハルカ様に「サラさん」と呼ばれるようになった。

 ああ、でも。 

「アディート、今日は神殿に行くんだよね?」
「ええ。お祈りが済みましたら、資料室でこの間の絵本の続きを読みましょうね、ハルカ」
「うん!」

 ハルカ様は、アディート様のことだけは、最初から自然に呼び捨てになさっていた。 名前を互いに呼び合う2人は、最初は仲の良い兄妹のようだったが―――いつからか、それが恋人のような関係になっていった。
 互いに信頼し、仲の良かった2人。
 騎士と守られる者、その枠組みを越えた、深い絆があの2人にはあった。
 
 ――それがよかったのか、悪かったのか。
 アディート様がハルカ様を遺して死んでしまった今となっては、あたしには、判断がつかないことだった。
 ただ、ハルカ様とアディート様が仲良く過ごしておられた、あの頃。
 あたしは、2人がいずれ結婚して、そして新王となられた王太子殿下を支えていくものだと、そう信じて疑わなかったのだ。
 とても弱くて、とても強かった。
 この世界で生きるために、必死だったから。
 でも、ほとんどの人が、その事実を知らなかった。


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