勇者襲来
「ここは……洞窟……?」
森の中を彷徨っていた彼女の前に、やがて全てを闇に飲み込まんと大きく口を開いている、暗闇で満たされた一つの穴が現れる。
「もしかして……迷宮!?」
そのことに気付いて彼女は、一気に警戒心を上げ、一級の革細工師の作り上げた腰の鞘から、聖剣『デュランダル』を引き抜いた。
聖剣のきらめきが、彼女の心に浮かぶ不安を和らげる。
討伐目標が、魔王であるかもしれないという推測は聞いていた。
今回の指令を下した教会の騎士の話としては、こうだ。
『魔境の森に住んでいるくらいだから、能力は相当高いはず。その者が迷宮によって生み出された魔王であるという話もある。ヤツの生息地は、森の最奥部の覇龍の縄張りにいるとは考えられないから、その手前のどこかにいると思われる。もし自分でも敵わない相手が出て来た場合は、事前に渡したその魔導具を使用して、即座に離脱するように』
アルフィーロの街領主、レイローはその正体をばっちり目撃し、その魔族の男が魔王であるということが正しいのを知っていたが、しかし今回の件で遠征賛成側とは対立していたため、情報の行き来が上手く行われておらず、そんな中途半端な情報となってしまったのだ。
唯一直接得た情報は、逃げ帰った騎士団団長によってもたらされた、部隊が帰って来ないのは恐らく魔族の男に壊滅させられたからだ、というもの。しかしそれも、壊滅を目視した訳ではないので、確証に乏しい。
それ故に彼らは――その覇龍と魔王が、協力関係にあるということも知らなかった。
トップの王子とは違い、覇龍がただの伝説ではないことを知っている指揮官級の者達の思惑には、前回の遠征も、今回の勇者派遣も、その魔族の男が魔境の森に住んでいるというのであれば、覇龍は噂通り自身の縄張りに何者かが踏み込まなければ、襲ってくることもないのだろうと考えていたのだ。自身の縄張りではないからこそ、そこに魔族の男がいても無事でいられるのだと。
「よ、よし……!」
ネルは、上の考えが全く見当違いであるということを知らずに、そのまま洞窟の中へと入って行った――。
* * *
ひんやりとした冷気が、身体を包み込む。
かつーん、かつーん、と反響する音が、洞窟の壁に反響して響き渡る。
迷宮には魔物が生息するそうだが、しかし今のところその姿は見られない。
不気味なまでの静寂が広がり、ネルの心を不安で押し潰そうとしてくる。
「……扉?」
生物の気配を感じないことに、むしろ心細い思いで洞窟の中を進んでいくと、やがてその終着点と思われる場所に、場違いに造りの良い扉が現れる。
ネルは、それに罠が仕掛けられていないかどうかを十二分に警戒してから、どうやら大丈夫らしいと判断を下し、恐る恐るといった様子でドアノブに手を掛けた。
かちゃりと回して、少しずつ扉を開いていき、その先へ視線を滑らすと――。
「うわぁ…………!」
思わず、そんな感嘆の吐息が漏れる。
扉の向こう側に広がっていたのは、草原。
洞窟の中であるのにもかかわらず、青々とした草原がどこまでも広がり、まるで別世界に入り込んだかのような錯覚を覚える。
そして、その錯覚を加速させるのが――黒。
巨大な黒の、城
草原の真ん中に、恐ろしく巨大で、悍ましい程の漆黒で――そして、思わず胸が熱くなってしまうように美しい城が、そこには鎮座していた。
「すごい……」
今まで、こんな規模の建物は、見たことがない。
王都にある王城すら、この城の半分以下のサイズだろう。
それ程までに、圧倒的な建造物。
しばしその城に魅入ってしまってから、ネルはハッと我に返り、フルフルと首を左右に振った。
――いけないいけない、集中しなきゃ。
あの洞窟が敵の迷宮の入り口だという推測は、どうやら合っていたらしい。
あそこに敵がいなかったのも、今なら頷ける。つまり――ここからが本番という訳だ。
ネルは、今まで以上にギュッと聖剣を握り締め、先を睨み付けるように辺りを警戒しながら、城の正面にある黒の城門へと向かって行った。
* * *
「何じゃお主、だらしない顔をして」
ジロリと睨んでくるレフィにハッと我に返り、コホンと咳払いを溢して誤魔化す。
いかんいかん、勇者が俺の城に魅入ってくれている様子を見て、思わずにやけてしまった。
ちなみにこの魔王城だが、『ルァン・フィオーネル城』と命名された。レフィの命名だ。意味は、龍族の言葉で『覇を打ち立てる者』。
いいネーミングだ。この城の雄大さが増した感じだな。
「いや、別に。そんな顔はしてないぜ?」
「……ユキ、あれじゃな。今回のあの小娘、殺す気ないじゃろ」
「えっ、な、なんでそう思ったんだ?」
「お主を見ていればわかる。以前のような殺気を全く感じんからの」
ジト目で見てくるレフィに、俺はお手上げとばかりに両手を上げる。
「だってねぇ……お前も言ったけど、あれ、女の子だぜ?」
俺、敵は殺すって宣言してるけど、ホントの女の子だし。流石に殺すのは気が引けるわ。この前は男だけだったので、別に良心の呵責もなく普通に殺したが。
俺の人間に対する感情なぞ、今世ではそんなものだ。
いや……人間に対する感情というよりは、他人に対する感情、か。
殺したいから、殺す。殺したくないから、殺さない。そこに相手が少女だというのが加われば、尚更だ。殺してしまっては、非常に寝覚めが悪い。
故に――あの少女は、殺さない。
なので、今回の罠は戦意を失わせることをコンセプトにしたものである。殺意の高い罠は作動させないようにした。
「……この女好きめ」
「イテッ、い、いや別にそういう訳じゃねえからな!?い、いいじゃねえか、見た目お前よりちょっと大きいぐらいの女の子だぞ、あれ。俺だって躊躇ぐらいするわ」
俺の腕を抓るレフィに、慌ててそう言って弁明する。
「……フン、まあいい。そう言うなら許してやろう。しかし、それで不味い状況に陥ったら承知せんからな?」
「だ、大丈夫だって。罠の方だって自信作だから。ほら、見ていてくれって」
なおも睨む彼女をそう宥めながら俺は、イービルアイの送ってくる映像を見るようにレフィを促した。




