夜の警告
静寂。
暗闇。
時折、夜番の兵士が眠そうに欠伸をしながら哨戒していき、たき火の前に一塊となって待機しているらしい兵士達の姿も見受けられる。
不思議なことに、こんなお手頃な人間という弱い獲物がいるのに、いつもは見掛けた傍から俺に襲い掛かって来る凶暴な魔物が周辺にはおらず、マップを見る限りかなり遠巻きにこちらの様子を窺っているようだ。
恐らくは、以前リルに使われた魔導具のようなものがこの陣地にも設置されているため、近付こうにも近付けないのだろう。
そんな寝静まったテント群の中を、俺は隠れることもせず堂々と進む。
目の前を兵士が通っても俺に気付くことはなく、ヤツらはそのまま通り過ぎてゆく。
これは、スキル『隠密』によるものだ。
隠密は能力差が小さい程効果が薄くなるのだが……こうして全く気付かれない辺りからも、コイツらが大したことのない雑兵だということがわかる。
そうして誰にも見咎められないまま野営地の中を進み、やがて俺が辿り着いたのは、一つのテント。他のものと比べて一回り大きく、立派な造りをしている。
――ここだな。
その様相を一瞥してから俺は、躊躇なくそのなかへと滑り込んでいった。
「…………誰だ?」
中に入ると同時、低い、警戒を露わにした誰何の声。
「……へぇ、気付くか」
やっぱり強いな。
先に見えるのは、ベッドから身体を起こし、枕元に置いてあった剣の柄に指を掛けて、テントの中へと入って来た『何か』に警戒する一人の男。
この男は、このテント群の中では一番レベルが高かったヤツだ。あくまで人間の範疇での話だが、しかし先日リューが言っていた戦災級とかいうレベルの魔物であれば、難なく撃破出来ることだろう。スキルにも『戦術』『指揮』などといった、部隊運用する側のものがあることを確認済みである。
恐らくコイツが、この軍隊の指揮官で間違いないはずだ。
俺は、魔力を操作し徐々にスキルの効果を薄くして、姿を現す。
「お前はッ――」
「騒ぐな。殺すぞ」
フッ、と一瞬だけ魔力を練り上げ、相手に殺気をぶつけて威圧する。
これは、以前街に行った後に覚えた魔力の運用方法だ。「殺す」という意志を明確に思い浮かべ、それを魔力に捻じ込んで周囲に発散させると、こちらの殺気を相手により強く浴びせることが出来るのだ。
魔力を感じ取る器官というのは、こっちの世界の生物には大なり小なり備わっているようで、言わば殺気という名の洪水を相手の全身に浴びせることが出来るといったところか。
効果はなかなか高く、俺より強いヤツには効かないが、同等かそれ以下の魔物相手であれば怯ませて攻撃を躊躇させることが出来る。さらに弱いと失神させることも可能だ。
そして今回もまた、十分に効果を発揮したようで、男は失神まではしないながらも顔から冷や汗をだらだらと流し、開こうとしていた口を噤んだ。
「貴様がここの総大将だな?」
努めて偉そうな声で、そう問う。
俺、魔王だからな。舐められんようにしとかないと。
「……い、いや、違うが」
――――えっ?
「……本当か?」
「本当だ」
ちょ。
えっ、マジで。
男はこちらをこれ以上にないくらい警戒していても、どうやら嘘を吐いている様子はない。
……マジっぽいな。
うわぁあ、やべぇ、どうしよう。すんごい恥ずかしいんだけど。自身満々に「貴様が指揮官だな?」とか言って違ったんだけど。
つか、そうか。そうだよな。普通に考えて一番強いからって指揮官のトップやる訳じゃないよな。
やばい。穴があったら入りたい。むしろ自分で掘って入りたい。
……い、いや、待て、落ち着け。よく考えろ。
こいつがこの軍団の中で一番の実力者なのは間違いない。だとすれば、相応の発言力はあるはずだ。テントも他の物よりは上質だったし、総大将とは言わずとも指揮官クラスの者であるのは間違いない。
そうだ、俺の推測はそこまで間違っちゃいないはずだ。
「ふむ、そうか。どうやら貴様が一番強そうだったからそうだと思ったのだがな。違うのか」
「……総司令は別の者だ」
そう言って、苦虫を嚙み潰したような顔をする男。
……なるほど、どうやらなかなか複雑な事情がおありの様で。
もしかすると、この世界には確か貴族制があることだし、このおっさんよりも上位の階級を持つヤツに実権を取られたのかもしれない。
まあいい。その辺りの事情は俺の知ったことじゃない。
「ならば貴様から伝えろ。俺が今から言う、一字一句を」
「……了承した」
男は、少し逡巡した様子を見せながらも、特に反発することなく頷く。
『分析』スキルは持っていないようだが、彼我の能力差をちゃんと理解しているのだろう。流石、周囲の兵と比べてレベルが突出しているだけはある。
しかも、こうして俺の話を聞きながらも状況を打破しようとくまなく周囲の様子を窺っている男の様子を見る限り、かなり優秀な軍人のようだ
「いいか、よく聞け。貴様らの事情は知らない。何でここに来たのかも、何を目的にしているのかも。だが、これ以上この地に入って来るな。ここはすでに俺の縄張りだ。来るなら――殺す。一人残らず、確実に。死にたくなければ、とっとと回れ右して帰ることだ」
俺の脅しに、男はごくりと唾を呑み込み、しかし振り絞った様子で声を発する。
「……ひ、一つ聞きたい」
「何だ」
「……何故、それだけの強さを持っていて、そんな警告をする?」
その問いに俺は、悪役っぽくニヤリと笑みを浮かべ、答える。
「そんなの――面倒臭いからに決まってるだろ」
「面倒、臭い……?」
「別に俺は、お前らのことは何とも思っていない。興味の欠片も無い。だから、こちらと敵対しないのであれば何もしないが、敵対するのであれば潰す。だが、一々集るアリを潰すのは面倒臭いだろう?」
「ッ、お前にとって俺達は蟲と同じと言うのか……ッ!」
「大して違いはないな」
まあ、この森じゃ蟻は強者なんだけどね。俺が一番恐怖を感じたのはアイツらと戦った時だわ。カサカサとデカい蟻が集団で襲って来るのはマジでトラウマもの。
そう言う意味では、蟲の方が俺にとって脅威足り得ると言えるな。
「では、そう言う訳だ。少しだけ猶予をやる。死にたくなかったら賢い選択をしろ」
そう言い残して俺は、再び『隠密』を発動し、闇に紛れるようにしてその場から消えて行った――。




