閑話:玉座の間にて
「ただいまー」
「……ただ、いま」
レフィがいつものようにのんびりしていると、その時居間――実際には居間ではなく玉座の間なのだが、レフィはそう認識している――と外を繋ぐ唯一の扉が開き、そこから一人の青年が少女を肩車して部屋に帰って来た。
この青年が、ここ、ダンジョンの主であり――そして、少し前に、彼女の旦那となった魔王、ユキ。
肩車されているのが、刀、という種類らしい剣『罪焔』が本体である少女、エンである。
エンは、あのように実体を持っているが、実際にその魂が宿っているのは、ユキが今も片手に掴んでいる罪焔の方なのだ。
武器が別に実体を持ち人化するなど、長く生きた自身ですら聞いたこともないような突拍子もない話なのだが……しかしこの青年がそういうおかしなことをすると、あぁそんなことも出来るのか、と妙に納得して、特にヘンに思わないのが、不思議なところだ。
恐らくは、常日頃からこの青年が奇行――もとい、摩訶不思議なことを行っているため、慣れてしまった、というところが大きいだろう。
本当に、面白い男を旦那にしてしまったものだ。
だが、自分は――そういうところに、惹かれてしまったのだと思う。
まさか誰かと自分が番となる日が来ようとは、微塵も思っていなかったが……この青年と出会ってからの日々は、覇龍として生きて来た長い生と比べても遜色ない程の色に溢れている。
こんなに世界は広く楽しいのだと、この旦那と出会ってから、初めて知ったのだ。
ユキと出会わなければ、きっと自分は、今もまだあの山の天辺で、狭い世界を一人生きていることだろう。
自分が、こうして世界の広さを知りながら、もし再びそうやって生きることになってしまったら、と思うとゾッとするものがある。
恐らく今の自分はもう、あの退屈で狭苦しい世界は、耐えられない。
そんな、確信がある。
そんなことを頭の片隅で考えながら、彼女は帰って来た二人へと声を掛けた。
「おかえり、二人とも――何でユキ、お主だけはまたそんなボロボロになっておるんじゃ」
些か呆れ気味の表情を浮かべるレフィ。
自身と比べてしまえば、若造もいいところのユキだが、しかしすでに成人は迎えているはず。
にもかかわらず、こうして服をボロボロの泥だらけにしている姿は、まるで童子そのものにしか見えない。しかも、何故か少し焦げ臭い。
なまじ、彼が肩車している少女の民族衣装が綺麗なままであるため、その汚れ具合が際立っている。
これが、ただ魔物と戦闘を行っただけ、というのであればわからなくもないのだが……この城に住む幼子達と共に何だかの遊びをしに外へ出て行った時も、大体いつも泥だらけに近い格好で帰って来るので、この男が子供っぽいという理屈の方が恐らく近いだろう。
……いや、そう言えばこの男は、自分と出会う少し前に魔王として生まれたのだったか?
それなら、まあ生後一年未満とも言えるので、子供っぽいのは道理であるのかもしれないが……しかし、肉体年齢的にはどう見ても成人済みの年頃の青年。
……魔王という種の生態は、本当に謎だ。
「い、いや、ちょっとな……」
「……主、新しい魔法覚えて、はしゃいでた」
「エンさん!?」
いつもボーっとした表情をしているエンが、あっさりと真実を口にするのを、ユキが慌てて止めようとする。
あぁ……なるほど。
大体の様子が容易に脳裏に浮かび、レフィは微笑ましいような、呆れたような、そんな何とも言えない表情を浮かべた。
「あらー?魔王様、お帰りでしたかー」
と、その時、ユキ達が帰って来たことに気付いたらしく、キッチンからヒョコッとレイラが首を覗かせる。
「……コホン。おう、ただいま、レイラ。もう飯か?」
「もうちょっとですねー。……エンちゃんは大丈夫そうですが、魔王様、まだ少し出来上がるまでには時間がありますので、先に湯を浴びてはどうですかー?」
ユキの恰好を見たレイラが、そう彼に提案する。
「ウッ、そうする。エンは……あー、じゃあ、エンも風呂入るか?」
肩車から降りた少女が、クイクイ、と小さく自身の裾を引っ張った意味をすぐに察して、彼はそう問い掛けた。
「……ん。一緒」
「わかったわかった――と、そうだ、イルーナ達は?」
「イルーナちゃん達も、そろそろお城の方から帰って来ると思いますよー。多分、あの子達も泥だらけで帰って来ると思いますから、途中でそっちに突撃していくと思いますー」
「あい、了解」
ユキは、手をヒラヒラと振って返事をすると、幾度かドアノブをガチャガチャと回してから、再び傍らの少女を連れて部屋の外へと出て行った。
他の子供達も来ると聞いて、この居間に備わっている方の小さめの風呂ではなく、草原にポツリと建っている大きな風呂のある旅館の方へと向かったのだろう。
あの扉はどうも、時空間魔法で空間が連結されているらしく、ドアノブで操作することにより別の扉へと繋げることが出来るのだ。
「……今更じゃが、あれよな。彼奴、ほんに子供の扱いが上手いよな」
「うふふ、良い旦那様じゃないですかー」
「…………」
レイラの言葉に、レフィの顔が少しだけ赤くなる。
他人から旦那などと言われると、自分が夫婦になったのだということが否応にも実感させられて、未だに少々気恥ずかしいものがあるのだ。
「あれだけ面倒見の良い殿方は、私もほとんど見たことがありませんねー。レフィ様は、とても良い殿方を捕まえたと思いますよー?かなりお強いようですしー」
レイラは、かなりその枠から外れた存在ではあるが、しかしそれでも魔族である。
強い、ということは、彼女にとっても魅力的な男性の基準の一つなのだ。
「……やらんからな?」
「ふふ、わかってますってー」
と、二人で会話を交わしていると、その時キッチンの方から悲痛な声が二人の耳に聞こえてくる。
「レ、レイラ!ちょっと来て欲しいっす!なんかお鍋がブクブクしてマズいことになってるっす!」
「……レフィ様、三十分もしないで晩ごはんが出来ますので、また寝ないようにお願いしますねー」
「うむ、わかった。何か手伝いが必要なら言え。儂も、のんびりしているだけじゃ彼奴に怒られてしまうのでな」
「はい、わかりましたー。それなら、少ししたらお呼びさせてもらいますねー」
口元に笑みを携えそう言ってからレイラは、「もう……ただお鍋見ていてくださいねーって言っただけなのに……」と呟きながら、再びキッチンの奥へと消えて行った。
――居間に、もう一度静寂が訪れる。
だが……少し経てば、またいつものように、ここは騒がしくなるのだ。
そんな未来が、容易に想像出来る。
子供達を引き連れながらユキが戻り、リューがワタワタしながら皿を並べ、その隣でレイラがテキパキと晩飯の準備をする。
そして皆が食卓に着くと、手を合わせていただきますと述べてから、今日は何があった、何をした、と騒がしく話しながら箸を進めるのだ。
「……フフッ」
――世界は、かくも美しい。
美しく、騒がしく、楽しく――そして、あたたかい。
そのことを知ることが出来た自分は、恐らく、この上ない程に幸運なのだ。
そんなことを、一人、彼女は思った。




