矜持《3》
『グアアアアアッッ!!』
黒龍ギュオーガは、自身の身体を襲う痛みに、地をのたうち回っていた。
斬られたところが熱を持ち、潰された目がジュクジュクと蝕むような激痛を伝えて来る。
――黒龍は今まで、痛みというものをほとんど経験したことがなかった。
敵と言えば、自身より弱い雑魚であり、踏み潰す虫であり、それ故に敵からまともに攻撃を受けたことなどほとんどなかった。
ここまで重症を負わせられたことなど、生まれて初めての経験だったのだ。
「フン……無様な男じゃな」
『グルルルゥッッ!』
自身を冷笑するその声の主に、黒龍はギロリと射殺さんばかりの視線を向ける。
そこにいたのは、黒龍に対し冷たい目を送り、口元に子馬鹿にするような笑みを浮かべている――覇龍、レフィシオス。
「散々ユキを馬鹿にしておったくせに、自身が怪我をすればピーピー情けなく囀りおって。龍王が聞いて呆れるわ」
『黙れッ、レフィシオス!!それに、ヤツはもう殺した!!貴様の大事な大事な虫は、俺が踏み潰してやったぞ!!』
腕を食らい、その翼を食らった。そのままヤツは大地へと落ちていき、動かなくなったのを残った眼で確認している。
ヤツはもう、動かないのだ。
本当はヤツの全身を牙で八つ裂きにし、そのまま全てを食らってやるつもりが、片眼を潰されたせいで距離感が狂い、その結果になってしまったのだが……それでも、殺したことに変わりはないだろう。
そう、恐れ知らずにも、覇龍に対し挑発する黒龍だったが――しかし、レフィは。
そう言われてもなお、口元に浮かべた冷笑をやめない。
「ほう?誰が誰を殺したって?」
『何……ッ!?』
ギュオーガは覇龍の言葉に、潰したはずの男へと慌ててバッと首を向け――その表情に、驚愕と怯えが浮かぶ。
――立っていた。
確実に殺したと思っていた男は、いつの間にか、立ち上がっていた。
全身ボロボロで、もはや死体と見分けがつかない程のケガをしている男は、しかし口で武器をくわえ、黒龍の方へと足を前に出し、一歩一歩踏み締めるようにしてこちらへと向かって来ている。
そんな身体でなお、黒龍を殺すため、武器を持って向かって来ているのだ。
――何故、立ち上ることが出来る!?
どう見ても、すでに致命傷。
動けていることすら、おかしい。
先程までは何かポーションのようなものを飲み、回復していたようなのでまだわかるが、しかし今のこの男は、その傷の状態から察するにポーションは飲んでいない。
それでも――動いているのだ。
「儂の相方が、お主の攻撃程度で、死ぬ訳がなかろう」
覇龍の放つ言葉が、黒龍の脳内に響き渡る。
――異常だ。
コイツは、何かがおかしい。
散々虫と侮っていた男の放つ異様な空気に、全身が飲み込まれるような錯覚を覚える。
そうして、黒龍が男の方を注視していたその時――男と、目が合った。
ニタリと、男が笑う。
男の浮かべる表情に黒龍は背筋が寒くなるものを感じ、気付いた時には一歩後退っていた。
『く、来るなッ!!』
黒龍は思わずそう叫ぶと、男に向かって尻尾を振るう。
男はその攻撃をまともに食らうと、数度バウンドして、地に転がり――そしてしばらくすると、再びムクリと立ち上がった。
『ッッ――!!』
まるで、攻撃など食らっていないかのように。
何事もなかったかのように、膝を突き、立ち上がる。
その光景に、黒龍の背筋にゾワリと何か冷たいものが走る。
――理解した。
ヤツは恐らく、不死身なのだ。
アンデッドのように、いやアンデッド以上に、殺しても殺しても死なない、化け物なのだ。
――この男は、危険だ。危険過ぎる。
黒龍の本能が、警鐘を鳴らす。
今ここで、この男は確実に息の根を止めなければならない。
だが、生半可な攻撃ではきっと、何度も何度も蘇って、トドメを刺すことは出来ないだろう。
なれば――使うのは龍族にとって最大最強魔法である、『龍の咆哮』だ。
奴の存在を、一かけらの肉片も残さず消滅させ、この世から抹消する。
抹消しなければならない。
そう判断を下した黒龍は、口元に魔力を溜めていき、大きく息を吸うと――グラリと視界が揺れ、そのまま地面に倒れた。
* * *
『な、な……ッ!?』
「あー、やっと、倒れた、か」
今まで散々ボロカスにしてくれたクソ龍が、ドシンと地響きを立てながら倒れたのを見て、俺はニタニタとヤツに向かって笑みを浮かべる。
クソ龍は混乱しているようで、何が起こったのかわからないといった様子で、状況を確認しようとグルグル辺りを見渡している。
口も上手く動かないようで、呂律が回っていない。
「へへ……上手く行った、みてぇだな」
ここまで、もう泣きたくなるぐらい痛いのを根性で耐えて来た甲斐があったってものだ。
――ヤツが唐突に倒れたのは、簡単だ。
俺が、そうなるように仕向けたからだ。
龍族は、凄まじい。
その鱗は並みの武器では刃が通らない程に硬く、動きは目で追えない程に素早く、超高空でも余裕で耐えられるような身体を持ち、そして強大な魔力に物を言ってアホみたいな威力の魔法を放つことが可能だ。
だが――そんな最強生物である龍族もまた、生物の範疇なのだ。
俺と同じように呼吸し、俺と同じように睡眠を摂り、俺と同じように栄養を摂取する。
そのことは、俺がレフィと共に暮らす中で、よくわかっている。
だからこそ俺は、生物であれば普遍に弱点となるものを、この付近の空気に対して、罠と共に仕掛けていた。
――一酸化炭素。
俺は、ダンジョンの機能を操作し、空気中に含まれるその割合を変えていたのだ。
俺が法で、俺が世界であるこのダンジョンの中であれば、俺の認識次第でそんなことも可能となる。
この世界には魔素という謎物質が空気に含まれているが、しかしそれ以外の大気の成分は、ほぼ前世のものに近い。
いや、もしかしたら別なのかもしれないが、しかし前世の大気に含まれる成分、要するに酸素や二酸化炭素などといったものに近い物質がこちらにもあり、それらが前世のものとほぼ同じ性質を持っていることはわかっている。
イルーナ達に燃焼実験を教えた時に、俺はそのことを知った。
一酸化炭素は、前世においても、身近でありながら強力な有毒ガスとして知られている。
その濃度が0.15パーセントを超えれば、生物は激しい眩暈や吐き気を催し、まともに立っていられなくなる。
それが1パーセントを超えると、瞬時に意識を消失し、そのまま致死に至るという、非常に恐ろしい毒ガスである。
そんな、生物にとっての猛毒が、世界最強の種族である龍族にとっても同じく毒であると考え、賭けに出て――俺は、それに勝った。
『龍の咆哮』でも放って俺にトドメを刺そうとしたのか、大きく息を吸って、そして大量の一酸化炭素を体内に取り込み、クソ龍はとうとう昏倒した訳だ。
今度から、魔王ギャンブラー・ユキとでも名乗ろうか。
使ったものが一酸化炭素であったのは、ここまでの戦闘でヤツに察知系のスキルがないということはわかっていたのだが、しかしDPで使える普通の毒ガスをこの周辺にばら撒いたりすれば、その臭いなどで流石に気付かれる可能性がある。
その点、無味無臭であり、色もない一酸化炭素であれば、目に見えないそれが周囲に多く漂い始めていると気付くのは至難の業。
毒ガスとして気付かれないようにするには、これほど適したものはないだろう。
俺がダンジョンの罠に爆発系のものを使いまくっていた理由も、酸素の不完全燃焼で一酸化炭素の発生を罠の方でも増やし、そして俺が空気の成分を操作していることを気付かれ難くするためだ。
まあ、レフィは俺が何か小細工をしていることをすぐに気が付き、自身の周りに空気の防護壁のようなものを張って対処していたのだが……このクソ龍は、最後の最後まで、そのことに気が付かなかった。
そういうことだ。
俺が無事なのもまた、原初魔法の風を使用し、レフィと同じように自身の周りに空気の層を作り上げているため。
それを使用していたから、俺はずっと魔法を放てなかったのだが……コイツはそのことを、不審に思わなかったのだろうか。
やっぱ、注意力が足りねぇな、この龍。
あの世に行って、出直して来い。
運が良ければ、俺みたいに二度目の生が得られるかもしれんぞ。
――そして、俺は、罪焔の柄を再び口で咥えると、もう結構限界の身体を引きずるようにして、一歩一歩前へと進み、黒龍の方へと向かっていく。
『――ッ!!――ッッ!!』
「何言っひぇんのか、わひゃんねーよ」
――あぁ、これじゃあ、俺も何言ってんのかわかんねぇな。
罪焔を咥えたままフッと笑うと、クソ龍は怯えた表情で俺を見て、何かを伝えようと一生懸命唸っている。
だが、その声は、俺には聞こえやしない。
仮に聞こえても、もう遅い。
お前がもっと、道理を弁えていれば別の結果に……いや、無いな。
まあ、安心しろ。
お前の身体は……素材にはしたくないから、全部DPにして俺のダンジョンの強化に使ってやる。
心置きなく、死んで行け。
――やがて、ヤツの前に立った俺は。
「ひゃーな、ふひょりゅー」
そう言い放つと同時、ヤツの首筋に、口の罪焔を渾身の力で振り下ろした。
ヤツの鱗は、クソ龍自身の血を吸って鋭さの増したらしい罪焔を阻むことが出来ず、罪焔の刀身が肉の深くまで斬り込んで行き――。
――そして、その首は、両断された。
どうにか勝ってくれましたね……。
長く苦しい戦いだった……(主に作者が)。