矜持《2》
『こんな小細工ッ、俺に効くとでも思ったかッ!!』
今の爆発で、俺の罠の威力では致命傷になり得ないと判断したのだろう。
もはや罠などお構いなし、といった様子で、クソ龍は翼を羽ばたかせ真っすぐ俺の方に突っ込んで来る。
やはり頭に来ているのか、その速度は今までよりなお一層凄まじく、まるで銃弾の如き勢いだが――しかし、速いだけだ。
「おっと、そこ、気を付けた方がいいぞ。壁あるから」
『ッギッ――』
俺が空中に仕掛けておいた『硬化』トラップに見事引っ掛かり、クソ龍は頭から壁――空気の壁へと、激しく激突する。
なまじ勢いを付けていただけに、クソ龍は空気の壁をぶち破りながら予想外の激突の衝撃に意識を呆けさせ、そのままあらぬ方向へと突っ込んで行った。
この『硬化』は、厳密に言うとトラップではない。
元はと言えば、ダンジョンのボス部屋などで、派手に暴れてもダンジョンが壊れないよう部屋の壁や床に設定し、ダンジョン自体を守るための機能なのだが……これの使えるところは、及ぶ対象が硬い物質に限った話ではない、ということだ。
簡単に言うと、水を指定し、そこに硬化を掛け水の壁を作ったり、同じように空気の一定範囲を指定して、空気の壁を作ったりも出来る訳だ。
以前、イルーナ達のために水族館でも作ってやろうかと色々試してみた時にこの方法を発見し、その時に触ってみた感触では、コンクリート塀と変わらない程度の硬度があることは確認済みだ。
その水族館自体は、この方法で水に硬化を掛け水槽を作っても、内部に魚を入れられないことに気付いてやめたんだけどな。
全ては使い方次第。これで、空中に存在する目に見えない硬質な壁の完成だ。
まあ、そういう特殊な使い方はバカみたいにDPが掛かるから、真っすぐ突っ込んで来ると当たりを付けたクソ龍と俺の間に一枚張ったのが全てだ。
ほぼ、初見殺しみたいなもんだからな。流石に二度目は食らわないだろう。
『――おのれッ!!』
呆けた状態からすぐに回復したクソ龍がそう吠えると同時、ヤツの口に莫大な魔力が収縮していく様子を俺の魔力眼が捉える。
恐らく、レフィも使っていた龍族の最強魔法、『龍の咆哮』を放つつもりなのだろう。
あれは、食らったらヤバい。レフィ程威力があるとは思わないが、しかし掠っただけでもあの世行きは間違いない。
俺はその照準をずらそうとすぐにその場から駆けるが、クソ龍は首を捻ってしっかりこちらに狙いを定め――そして、ヤツの口元が、唐突に爆発した。
その爆発に、クソ龍の口に集まっていた莫大な魔力が誘爆を起こしたらしく、ガソリンスタンドでも爆発したのかと思わんばかりの熱と炎が一気に周囲一帯へと広がり、その余波が俺のところまで襲い掛かって来る。
今の最初の爆発は、魔力を燃料として爆発する、物理的ではなく魔法的に作用する罠だ。
一度起動して爆発すれば、実際の火薬と同じように周囲に存在する魔力も巻き込み、それを燃料として誘爆させることが出来る。
これは対魔術師用の罠であり、相手が魔力を練り上げた状態で罠を踏むと、その相手の魔力ごと巻き込んで爆発する、といったものなのだが……その練り上げた魔力が龍族ともなると、この規模の爆発が起こる訳だ。
俺が逃げたのは、その罠の位置がヤツの口元に来るよう調整するため。
見事ヤツは、俺の目論み通りそれに嵌まってくれた。
――ここまで散々ボロボロにされてわかったことだが、コイツは多分、戦闘経験がそこまで豊富ではないのだろう。
動作の素早さは凄まじい。攻撃の威力も凄まじい。魔法の発動速度も凄まじい。
だが――凄まじいだけ。
その攻撃が、あまりにも愚直に過ぎる。観察力も足りておらず、目の前のことしか見えていなさ過ぎる。
それこそ、圧倒的格下である俺が、相手をしてまだ生きていられる程には、だ。
――一度。
一度だけ俺は、龍形態となったレフィと共に、魔物狩りを行ったことがある。
その時の彼女の戦闘はもう、言葉が出てこない程に物凄いものだった。
美しく、華々しく、激烈。
これが、世界最強の種族で、そしてその頂点に立つ覇者の姿なのだと、俺は目で見て、魂で感じて、納得したのだ。
だと言うのに――それと比べてコイツは、世界最強の種族で、その龍を統べる『龍王』とかいう大層な称号を持っているくせに、あまりにも弱過ぎる。
レフィだけが突出している、ということも十分あり得るが……それでもこれだけのレベル差があって、俺を瞬殺出来ない時点で、実力の程はお察しだろう。
……だからこそ、レフィもコイツが『龍王』の称号を持っていて、あんな怪訝そうな顔をしていたんだろうな。
……何か、コイツが龍王になることとなった、外的要因があるのかもしれない。
と、そんなことがふと脳裏に過ぎった時、ちょうどクソ龍を包み込んでいた黒煙が晴れ、ヤツの姿が露わになる。
やはり、龍族の魔力というものは、その龍族自身にとっても強大な力であるらしい。
クソ龍は自身の膨大な魔力にやられ、身体のあちこちを焦げさせ、白目を剥いて意識を飛ばしていた。
よし、今の内に……!
どうせ俺の攻撃など大したダメージにはならないのだからと、開き直って残りのDPで設置出来る罠をクソ龍の周囲に設置しようとした――その時。
クソ龍の眼が、ぐりんと回転して正気を取り戻し――。
『グラァァァッッ!!』
「うおっ!?」
もはや言語ですらない、獣染みた雄叫びをヤツが放ったと思いきや、ガクンと俺の方に首を向け、一直線に飛び掛かって来る。
空中に設置したトラップに引っ掛かり、爆発にヤツが飲まれるが――止まらない!
「ッ!!」
クソ龍の突進を、慌てて横に飛んで回避した俺だったが、その避けた先に感じる魔力反応。
突如として足元の地面が盛り上がり、その上に立っていた俺の身体が宙へと打ち上げられる。
その俺の身体に上から迫る、クソ龍の爪。
マズッ――!!
翼で逃げるのも間に合わず、その爪に身体を切り裂かれながら、ヤツの魔法で盛り上がった地面ごと潰すようにして、俺は下へと叩き付けられた。
「かハッ――」
全身を襲う衝撃と、あまりの痛みに視界がスパークする。
だが、休んでいる暇はない。
地に転がる俺の視界いっぱいに映るのは、俺を八つ裂きにしようとするクソ龍の鋭い牙。
咄嗟に、付近に設置してあった地面から巨大な鉄柱を生やす罠を手動で起動し、それを相手の身体にぶつけることで、攻撃の軌道をずらさせる。
ガキン、と俺の真横でクソ龍の咢が閉じられる。
俺はすぐに転がってヤツから距離を取り――魔力反応!
「チィッ!!」
俺は痛みで鈍い動きの身体に鞭を打ち、背中の翼を力いっぱいに羽ばたかせ、その場から飛んで逃げる。
刹那遅れて、先程までいたところにクソ龍の黒槍が群がり、ガガガ!と突き刺さる。
行動が速い。
怒りのボルテージが上がったせいか、ギアが変わったかのようにヤツの動きが一段階も二段階も先程より違っている。
今までのクソ龍がネズミを甚振る猫だとすれば、今のコイツは獲物を狩るのに全力を尽くす虎といったところだろう。
俺としては、クソ龍がまだこちらに対し油断している間に倒しきってしまいたかったのだが……チッ、流石にそう上手くはいかなかったか。
空へと逃げた俺だったが、クソ龍はぐりんと首を曲げてこちらに首を向けると、口から炎を噴き出しながら飛んで迫り来る。
オイ、どこの怪獣だ!?
飛んで来る莫大な熱量を、俺は翼で軌道制御して避け続ける。
『龍の咆哮』ではないようだが、あの炎も十分ヤバい。かなり高温であることが込められた魔力の量からもわかる。
しかも、どうやら連発出来るようで、回避軌道を取る俺に向かってひっきりなしに炎を吐いて来る。
――クソッ……ダメだ、追い付かれる!!
途中、空中に設置してある罠にヤツを掠らせるようにして俺は逃げているのだが、クソ龍はその罠が起動して攻撃を受けても一顧だにせず、多少動きを止めることが出来ても、ただひたすらに俺へと追い縋っている。
加えて、俺も飛行スピードはかなり速くなっているはずなのだが、やはり相手はこの世界で空の覇者として扱われている龍族。
飛行性能については、ヤツの方に軍配が上がるらしく、罠の妨害を受けてなおどんどんと彼我の距離が短くなっている。
このままでは不利であるということを悟った俺は、即座に方向転換、直上へと加速し、天を目指して空を翔る。
クソ龍は、当然俺を追って空へと進路を変更し――陽の光をモロに見て、一瞬だけ顔を顰めた。
――よしッ!!
やはり、最強の種族である龍族と言えど、陽の光は強烈だったようだ。
ヤツが怯んだ瞬間、俺は一気に身を翻す。
自由落下にさらに翼で加速して速度を得ると、クソ龍に向かって真っすぐ落ちていく。
「シッ――!!」
反応の遅れたクソ龍が破れかぶれに放った炎を、翼で制御してひらりと回避し、すれ違う直前で裂帛の気合と共に、一閃。
『ギアアァッ!?』
腕に伝わる手応え。
速度に全体重を乗せた俺の一撃は、クソ龍の牙を根本から圧し折り、その口元から片目までを一直線に切り裂く。
舞い散る血痕。
クソ龍の身体を蹴って、刺さった罪焔を抜き、ヤツから離れる。
そのまま離脱するためクソ龍の横をすり抜けようとした俺だったが――しかし、痛みからか空中で身体を暴れさせるクソ龍の尾が無軌道に襲い掛かり、真横から俺の身体を強かに打ち付けた。
予想外の攻撃を食らって、俺の身体は錐もみ回転し、制御不能となる。
『グラアアァァァッッ!!』
――そこへ、体勢を立て直したクソ龍の咢。
姿勢を崩していたために避けることは叶わず、俺は、左腕と翼を食い千切られた。
「あグアあァッ!?」
俺の口から漏れ出る、絶叫。
迸る鮮血。
翼をやられた俺は、当然飛ぶことが出来なくなり、そのまま高所から地へと落下して、地面に叩き付けられた。
『――主、主っ!!』
エンの、必死に俺を呼ぶ声が、朦朧とする俺の脳内に響く。
霞む視界に飛び込む、真っ青な空。
『主っ、よかった、生きてるっ!』
普段は聞くことの出来ないエンの切羽詰まった声に、俺の意識はだんだんと明瞭さを取り戻す。
首を回し、視線を自身の身体へと向ける。
左腕は肩から先がヤツに食われ、ない。右腕はまだくっ付いているが、動かそうにもうんともすんとも言わない。俺の腕じゃないみたいだ。
翼は左手側の二枚が腕と同じく途中から先が無くなっており、右側の翼は折れて使い物にならない。
身体全身は、もはや傷が無いところが存在せず、すでに痛みを通り越して何にも感じない域にまで達している。
幸いなのは、両脚だけはまだどうにか動くことか。
そんな、もはや死人と大差ないような状態のボロ雑巾具合だが――まだ、生きていた。
俺は、まだ生きていていた。
ならば――何も問題はない。
『主っ、駄目っ、動いちゃ……っ!』
「へへ……悪いな、エン。まだ、止まれ、ないんだ」
必死に俺を止めようと念話を飛ばして来るエンに、ニヤリと笑って答える。
チラリと殺し合いの相手に視線を向けると、クソ龍は斬られたところが相当痛いらしく、元気に雄叫びを上げながらのたうち回っていた。
――アイツは、俺の敵は、まだああして生きている。
そして、俺もまた生きており、身体も動く。
じゃあ、大丈夫だ。
この魔王の身体であれば、まだやれる。
そうして俺は、芋虫のように這いずり動き、自身の血で薄汚れている罪焔の柄を口でがっちりと噛み締めて掴むと、ガクガクする足に力を入れ、膝を突いて。
再度立ち上がったのだった。