デート《2》
暖かく降り注ぐ陽光。
頬に触れ、肩に触れ、やがて後ろへと流れ去ってゆく心地の良い風。
視線を下ろすと、眼下には雄大な自然がどこまでも広がっており、陽を反射する青の湖、風に揺れる草原の草花、深い谷底を轟々と流れる川などが視界に飛び込んで来る。
以前、この辺りに生物はほとんど見掛けなかったのだが、しかしレフィがウチに籠り出してからしばらく経っているためか、湖の畔で水を飲む鹿のような動物や、広い草原でのんびりとしている様子の馬など、チラホラと自然界の営みも見受けられる。
それらの全てが合わさり、調和し、まるで一枚の絵画のような、思わず目頭が熱くなってしまう光景が、そこには広がっていた。
――いつも思うことだが、空を飛ぶことにはとてつもない快感がある。
イカロスが蝋の翼を作って空を目指し、ライト兄弟が空に対する途方もない情熱を燃やしたことも、今だったらよくわかる話だ。
きっと、前世の飛行機やヘリのパイロット達も皆、決して形容することの出来ない、空への果てしない想いを抱いていたことだろう。
ただ飛ぶことに快感を感じながら、チラリと視線を横に送ると、黒と赤黒の二対の翼で空を飛ぶ俺の隣には、輝く銀色の髪を靡かせ、同じ銀色の、まるで精緻な彫刻のような美しい翼を躍動させるレフィ。
彼女の飛んでいる姿だけは本当に、普段のぐーたら駄龍の姿からは想像出来ない程に荘厳で、美麗で、思わず視線が吸い込まれてしまいそうになる。
……この姿を見られただけでも、付いて来た甲斐はあったかもな。
「む?何じゃ、そんなまじまじと儂の方を見て。思わず見惚れでもしてしまったか?」
「はいはい。綺麗だよレフィ」
「えっ、あ……そ、そうか……」
オイ、お前が冗談言い始めたから言ったんだぞ。
やめろ、そんな顔を赤らめられると、こっちも調子が狂うだろ。
「そ、それで?隣山っつってたけど、どれが目的地なんだ?」
誤魔化すようにそう言った俺の言葉に、レフィもすぐさま乗っかって言葉を返す。
「う、うむ。もう見えておるぞ。あれじゃ」
そう言いながら彼女が指差したのは、眼前に広がる大山脈の中で、取り分け標高の高い山。
その天辺は雲を余裕で突き抜けており、飛んでいる俺からしても果てを見ることが出来ない。
遠くからでもよく覗いていたが……こうして近付いてみても、すげぇ山だな。
「以前儂が住んでおったのが、あの山の頂上じゃの」
「へぇ……ちょっと見てみたいな。なぁ、少しだけそこ、案内してくれないか?」
「何にもありゃせんぞ?ただ岩肌が広がっておるだけじゃ」
不思議そうにそう言うレフィに、俺は笑って答える。
「見てみたいんだ、お前の住んでたとこ」
「……ま、まあ、お主がそう言うのであれば、いいじゃろう。案内してやるから、遅れるなよ?」
「あっ、おい!」
何故か少しだけ頬を染め、飛ぶスピードを上げたレフィに、俺は慌てて後ろを追い掛けて行った。
* * *
「ハァ……ハァ……ようやく着いたか」
そのままレフィの案内で、雲を突き抜け、すでに俺達は山の頂上付近まで辿り着いていた。
「何じゃ、もうバテたのか?」
「しょうが、ねぇだろ……ここ、空気薄いんだからよ……」
呆れた様子のレフィに、俺は激しく呼吸を繰り返しながら、言葉を返す。
やはり、相当に高空であるためか、ここは空気が非常に薄い。
こんな高度まで来たのは初めてだったのだが、身体が激しく酸素を求めているのがわかる。
つか、逆にレフィは何でそんなけろんとしていられるんだ。
やっぱあれか。空を縄張りにする龍族だから、根本的なところで身体構造が違うのだろうか。
羨ましい。俺も空に順応した身体が欲しい。
と言ってもまあ、この身体も高所に少しずつ順応はして来ているようで、息は整ってきてるんだけどな。
流石、魔王の身体だ。
けど、次に種族進化したら高空に余裕で耐えられる身体を頼む。
――やがて、巨大な頂上に辿り着き、その一角にある岩場へと下りる。
ここまで来ると、辺りはほぼ雲しか見えず、時折その隙間から地上の様子が覗く。
「ここが、レフィの住んでたところか……」
俺は、周囲の様子を見渡しながら、しみじみとそう呟いた。
「言った通り、特に面白みも何もない場所じゃろ?」
肩を竦めて、そう言うレフィ。
この辺りは基本的に茶色の岩肌が見えており、そこかしこに龍形態の時のレフィと同じぐらいのサイズの岩がゴロゴロ転がっている。
大きさだけは圧巻だが、面白み、という点は、確かにあまり感じられない殺風景な景色だ。
だが――。
「――それでも、俺はここに来れてよかったぞ」
レフィが、自分で暮らしやすいように加工したのだろう。
テーブル代わりなのか、真っ平に加工されている岩や、宿代わりらしくレフィの龍形態の時の身体でもすっぽり収まってしまいそうな、繰り抜かれている巨大な岩。
よく見ると、レフィのものだと思われる銀色の鱗や鋭い牙が辺りには散らばっており、それらは今なお光を失わず、陽光に反射してキラリと輝きを放っている。
――ここには、レフィの生活の軌跡が残っている。
その様子を見るのは、何だかとても感慨深く、言葉に形容し難い不思議な気分が胸の奥底から湧き上がって来る。
「そうか?」
こちらを向いて問い掛けて来るレフィに、俺はただ小さくこくりと頷く。
「あぁ」
「……フフ、そうか」
隣に立つレフィもまた、言葉少なにそう返事をすると、少しだけ笑って、コツンと俺の腕に頭を預けた。
* * *
「……あーっと、レフィさんや。これは?」
そのまま、少しだけレフィの元住処の探索をしていた俺だったが、平な頂上と違って、急な傾斜になっている山の側面に、それらが転がっていることに気が付く。
「む?あぁ、それか。儂に挑むために、わざわざこの山まで登って来た阿呆どもの末路じゃの」
――そこにあったのは、無造作に打ち捨てられた、幾多の武器や防具達。
どれも大分風化しているのだが、中にはかなりの業物もあるらしく、未だに美麗な銀色を放つ剣や槍があることが見て取れる。
明らかに人間サイズじゃない防具などもあるのだが……やっぱ、そういう種族もいるのか。見てみたいところだ。
これだけの装備があって、しかしその装備者の骨が見当たらないのは……恐らく、すでに土に還ったのだろう。
「はー……随分と、バカなヤツらが多いんだなぁ……」
その装備類は、ザッと見渡しただけで、数百は余裕であるだろう。
つまり、ご苦労なことに、その数百のアホどもはこんな空気の超薄い山頂までヒィコラ言いながら汗水垂らして登り、そして呆気なくレフィに殺されていった訳だ。
「どうも一時期、儂の血を飲めば不老不死となり、最強の肉体を手に入れられる、とかいうデマが人界や魔界で流れたらしくての。あの頃はホント、誰も彼もが襲い掛かってくるもんで、甚だ鬱陶しい時代じゃった」
大分辟易した様子で、隣の銀髪の少女はそう言った。
……まあ、血を飲めば、ってのはガセかもしれないが、レフィの鱗や牙だったら、史上最強の武器とか防具が作れそうだもんな。
それに前世でも、神秘的なもの――例えば人魚や河童、天狗とかの肉を食べれば不老不死になるとかって伝説があったぐらいだし、そんな噂が広がったのもわからなくはない。
「欲しかったら全部持って行け」
「えっ……いいのか?」
「元々儂のものではないし、というか儂にとってはただのゴミじゃからここに捨て置いた訳じゃしな。中には相当な業物もあると思うぞ。ま、儂の鱗にはどの武器も傷一つ付けられんかったがの!」
フフン、とちょっと得意げな顔を浮かべる彼女に、苦笑を溢す。
「……そんじゃあ、まあ、遠慮なく貰って行こうかな」
「うむ。そうせい」
俺には罪焔があるから使うことはないが……まあ、なんか、見るからに伝説の武器、といった感じの、RPG終盤で出て来そうないくつかの武器や防具は、今後の参考にするため残しておくとして、それ以外の物はダンジョン領域に持って帰り次第DPに変換するとしよう。
フフフ、以前の盗賊退治の時に得た金銀財宝も、かなりのDPになったし、これを全部変換したら、新たな配下にする予定の四匹も余裕で召喚出来るんじゃないか?
楽しみだな。
歴史的価値?そんなものは知りません。
俺は私欲の限りを尽くす魔王なので、金目のものは全て金に替えちゃいます。
恨むんなら、こんなところまでホイホイやって来てしまった自分達を恨むことだな、武具の装備者達よ。
「あー、えっと……レフィ」
「何じゃ?」
「あの辺りに転がっている、その……レフィの鱗とか牙とか、貰ってもいいか?」
「む?別に構わぬが?」
そんなもの、何に使うのか?と目線で問うてくるレフィに、俺は頬をポリポリしながら言葉を返した。
「前々から、イルーナ達の護身用の短剣でも作ってやろうかと思ってたんだけど、レフィの素材だったら、皆を絶対に守ってくれるすんげー短剣が作れそうだからさ。それに、その……俺も、欲しいし」
相手の身体の元一部が欲しいなど、大分ヤンデレ的な発想だと自分でも思うので、ちょっと最後の辺りだけボソボソと小さな声になってしまったのだが、レフィはしっかりと俺の言葉を聞いていたらしく、少し気恥ずかしげな表情を浮かべる。
「そ、そうか……う、うむ、当たり前じゃ。神鉄鋼よりも硬い儂の鱗に、そしてそれに唯一傷を付けられる儂の牙じゃからな。それはもう凄まじい武具が出来上がるじゃろう。そう言うのであれば、遠慮せずに全て持って行け。それらも、今の儂にとってはただのゴミじゃ」
「あぁ、ありがとな!すげーの作ってやるから、見てろよ!」
よし、どうせだったら、あの伝説っぽい武器や防具達も、レフィの素材に混ぜてしまおう。
俺のメイン武器は罪焔から変更するつもりはないが、それで作った短剣を一本持っとくぐらいなら、エンも悲しまないだろう。
それに、これだけ量があれば、レフィも含め我がダンジョンの面々全員に、お揃いの短剣とか作ってやれそうだからな。それも、最強の短剣だ。
やべぇ、楽しくなってきた。
レフィに礼を言ってから俺は、内心のウキウキを隠しもせず、装備類やレフィの素材をアイテムボックスに放り込み始める。
当の銀髪の少女は、やや呆れた様子ながらも、しかし優しさの垣間見える表情で、ずっと俺のことを見守っていた。




