閑話:レイド=グローリオ=アーリシア
「――では、今年の諸侯会議は」
その問い掛けに、彼――レイド=グローリオ=アーリシア国王は、積み上がった書類の束に目を通しながら答える。
「時期を早める。レルガ侯爵とデログ辺境伯がノコノコ出て来たら、その場で捕らえよ。出て来ないようであれば、国逆の徒として軍を派遣するのだ。準備しておけ」
「すぐに手配させておきます。王都の食糧問題に関しては如何いたしますか?」
「それは、王家――いや、私の至らなさが招いた事態だ。私の資産から資金を捻出し、商人たちから食糧を買い取って、軍が接収した食糧と共に配給しろ。今回の件で損を被った商人にも、ちゃんと補填を当てるのだ。資金が足りないようであれば、城の調度品を売ってしまって構わん」
そう指示を出してから、ふと国王は違和感に気が付き、「ん?」と顔を上げる。
見ると、何故か彼の腹心の男が、ニコニコと笑みを浮かべていた。
この男は、彼が国王となる前から家臣として共にいた者だ。それ故、この男のことは誰よりも信頼しており、多くの仕事を任せている。
城で騒ぎが起こった際、国王の味方をしていた家臣達の半数以上は殺されるか投獄されてしまっていたのだが、しかしこの男はどうにか捕まる直前で城から逃げ果せたらしく、その後は兵の目を掻い潜って生活していたらしい。
城に関する詳しい情報の提供、聖騎士以外の幾つかの部隊に渡りを付け味方に引き入れるなど、国王救出のためずっと裏で動き続けていたと、聖騎士の者達から国王は聞いていた。
彼にとって、すでに死んだと思っていた親友とも呼べるこの男が生きていてくれたことは、数多の不幸が続いた今回の事態の中で、非常に喜ばしいことであった。
「どうした?」
「いえ、陛下がすっかりお元気になられたようで、わたくしとしては大変喜ばしい限りです」
その腹心の言葉に、国王は苦笑を浮かべる。
「そうでなければ、この書類の山は捌き切れんだろう」
「それでも、今の陛下のお姿からは、往年の気合が感じられまする故。長年お仕えさせていただいている身としては、何だか昔を思い出すようで嬉しいものです」
「フッ……」
――それは恐らく、あの男のおかげなのだろう。
「陛下?」
「いや、何でもない。それでは、そのように頼む」
「ハッ、畏まりました」
部屋を出て行った腹心の男を見送ってから、国王はしばし思案に耽る。
――牢に捕らえられていた自身の前に、唐突に現れたあの男。
不思議な青年だった。
救いに来てくれたようだったが、それならばただ黙って、王である自身に恩を売れば良いものを、わざわざ自分が魔族であるとバラし、あっさりとその目的を口にする。
人間と魔族。この両者の闘争の歴史は長く、現在においても日々小競り合いを繰り返しているのが昨今の情勢だ。
しかも、人間至上主義なる過激な思想を掲げる者達の台頭も近年著しく、そのせいで人間は魔族だけではなく亜人族や獣人族とも対立して久しい。
それに、自身が殺されず、ただ牢屋に入れられただけであった理由は、この国が所有する、禁呪魔法を自分から聞き出すためであった。
この国の建国は古く、それ故今までに幾多も危機に晒されたことがあったため、王族しか知らぬ最終防衛手段がある。
あの思い出すのも汚らわしい獄卒が国王である自分を尋問し、そして娘に手を掛けたのも、全ては自分の口を割らせるためだったのだ。
そんな状況下に置かれた中で、そんな男が急に現れれば、普通ならば何が狙いなのか、というのを疑うところなのだろうが……。
――あの青年が娘を癒していた時の、仮面の奥に覗いた優し気に満ちた瞳。
あれを見た後では、彼が人間と敵対している魔族の僕であるとはとても思えず、国王には彼が、ただ一個の人格を持った、子供好きの優しい青年であると、そのようにしか感じなかったのだ。
それ故に、魔族ではなく、この一人の青年の言葉を、信じてみようと思ったのだ。
しかして、その判断は正しかった。
彼がいなければ恐らく、今頃この国は、崩壊を願う者の手によって滅びていたかもしれない。
自身の娘も、決して癒えぬ大きな傷を負って、もう二度と笑顔を見せてくれなくなっていたかもしれない。
そして――息子、リュートに何が起きたのかもわからず、疑念と失意に塗れたまま、この世を去ることになっていたかもしれない。
本当に、一国の王としても、一人の父親としても、彼には頭が上がらない思いだ。
無論、魔族、というものに対して、思う所が無いと言えば嘘になる。
息子、リュートを陰から操っていたのもその魔族であり、それに対する憎しみの心が無いと言えば、自身の心を偽ることになるだろう。
だが――そうは言っていられぬ時期が来たのかもしれない。
あの、黒幕だと思われる魔族が身に付けていた、宝珠の魔導具。
宮廷の魔術師班があれの解析を行った結果、その制作国は恐らく、この国の南東に位置する大国――『ローガルド帝国』産の物であるということがわかっている。
ローガルド帝国は、大陸下部において覇を唱える、人間による国家であり、現皇帝となってからは征服戦争に多く乗り出し、周辺諸国において多大な脅威と化している。
つまり、そんな人間の国で生産された魔導具を、どういう訳かその敵であるはずの魔族が持っていた、という訳だ。
あの魔族がただどこかから強奪して持っていただけ、という可能性も考えられるが…‥そうでない可能性も、また考えられる。
人間と魔族が、手を組んでいる可能性だ。
「…………」
この国は一応大国ではあるため、彼の帝国に対し軍事的均衡を保つことが可能だ。
その均衡が崩れ、この国が内部から崩壊した場合、領土拡張を熱心に行っているあの国は確実に喜ぶことだろう。
また、対魔族戦線において、この国が生産する魔導具は対魔族連合軍の中核を為しており、この国が滅んだ場合に魔族に対する人間の圧力も大きく弱まり、魔族にとっても旨みのある話であるのは想像に難くない。
ローガルド帝国もまた、魔族と戦争をしていたはずなので、その二つが手を組むとは考え難いが……一国を担う身として、最悪の場合は、想像して然るべきだ。
――防備を、整えなければ。
この国を狙う者を跳ね退け、この国に住まう全ての民を守るための、防衛手段を模索していく必要がある。
「……彼の者と面識があるのは、幸いだったか」
ただ、そんな状況下で、あのとてつもない実力を持つ人の好い青年と知己を結べたのは、自身にとって幸運なことであったのは間違いない。
例え――最悪の場合が訪れても、娘を安全な場所へ避難させることが出来る。
善意に付け込むようで気が咎めるが……しかしあの青年ならば、やって来た娘のことも必ず守ってくれるはずだ。
娘もまた、あの青年のことは好いているようだし、きっと心穏やかに日々を過ごせるだろう。
彼が願うは、娘が健やかに過ごせる世界、ただその一つなのだ。
「願わくばこれから先も、あの人の好い青年が良き隣人であるように……」