城の一室にて
「ほら、イリル、私はもう少し彼と話をしなければならない。向こうの部屋で待ってなさい」
ひとしきり愉快そうに笑ってから国王は、諭すように娘に語り掛ける。
「はい、わかりましたお父様。それでは、まおー様、また後で!」
結局、俺のことは魔王様呼びにすることにしたらしい彼女は、特に駄々をこねることなくぺこりと俺に頭を下げると、トテトテとそのまま部屋の出口まで向かい、小さく手を振ってから外に出て行った。
「……あの子があんなに元気にしている様子を見られるのは、嬉しい限りだな」
王女がいなくなったのを見計らってから、国王はポツリと呟いた。
「……まあ、あんな目に遭った後だしな。強い子じゃねーか」
普通の子だったら、もっと人間不信気味になってもおかしくないだろう。あんな目に遭わされて、それでもああやって笑顔を浮かべられるのは、間違いなくあの子の強さだ。
「これも全て、そなたのおかげだ。そなたには本当に助けられた。感謝する」
「ま、気にすんな、俺も必要に駆られてやったまでだ」
感情のこもった声でそう言った国王に、俺は肩を竦める。
「感謝の証に、という訳ではないが、何か望むものがあれば遠慮なく言ってくれ。文字通り国を救われたのだ。出来得る限りの便宜は図らせていただく」
「うーん、望むものっつわれてもなぁ……」
今回は、一応俺の目的自体は達成しているしな。
これだけ恩を売ることが出来たのだ。この国王が在命の間は恐らく、この国の人間に煩わされることは無くなるはずだ。
というより、元々あの辺りはレフィの縄張りとして恐れられていたんだし、今回のように裏でクソ野郎が暗躍しない限りは、ダンジョンの安寧は保たれるだろう。
……いや、その辺り、もう少し踏み込むか?
「……そうだな、俺としては安全が欲しい。今後、魔境の森に誰も立ち入らないようにしてくれ。まあ、手前までだったら許すけど」
今までも幾度か冒険者達が森に入って来ていたことはあったが、以前の軍程に踏み入った位置まで入って来たヤツらはいなかったからな。
その冒険者達の踏み込んで来たラインまでであったら、別に俺もどうでもいい。
「了承した。……というより、元々魔境の森は人間の手に負えた場所ではないからな。無駄に命を散らさぬためにも、公文書としてそこをそなたの土地であると認め、不可侵の地であると残しておこう」
「……いいのか?俺としては確実性が上がるからいいが、そんなはっきり形にしてしまって」
言わば、人間の――というより、他種族に敵対している場合の多い魔王と密約を交わすようなものだ。
この国にとってそれは、害となる可能性が高いのではないだろうか。
怪訝な顔で問い掛けると、国王は「大丈夫だ」と頷きを返す。
「極秘文書にする故、問題ない。王家の血筋の者しか閲覧出来ぬようになる。それより、そなたこそ大丈夫なのか?魔境の森と言えば、広大な範囲に覇龍の縄張りが広がっているはず。そこに手を出せば、いくらそなた程の実力者でも、ひとたまりもないと思うのだが……?」
「あぁ、いいんだ。その覇龍とは知り合いだ。その辺りについてはすでに話が付いている」
ウチでゴロゴロしているレフィさんには、
「縄張り?あぁ、そんなものもあったの。というか、随分前にお主にくれてやらんかったか?」
と言われているので、名実ともにあそこは俺の縄張りだ。
と言っても、まだまだダンジョン領域となっていないエリアはあるがな。帰ったら、レベル上げがてら、リルと一緒に久しぶりのダンジョン領域拡張作業に勤しむとしよう。
「……覇龍と知人であるなど、世人に言ったら笑われる与太話であろうが、そこに実際に住んでいるそなたが言うのだしな……まあ、わかった。そなたが良いというのであれば、こちらとしても問題ない。すぐにでも用意しておく。他に何かあるか?」
「えっ、他に……あー、そうだな。通行証みたいなの貰えるか?俺、観光好きなんだけど、この国内を自由に行き来出来るような通行証みたいなのがあったら嬉しい」
言わば、フリーパスだな。
冒険者証なら持っているが、それよりは国王に貰ったものの方が色々と便利なはずだ。
それがあれば、イルーナ達も安心して街を観光出来るかもしれないし。
「ほう?面白いものを要求するな。別に構わぬが……しかし、魔族とバレるでないぞ?私が言うのもなんだが、流石にそうなっては庇い切れん。それ程に、人間と魔族の争いの歴史は、根深い」
「わかってる、そっちは自分で何とかする。迷惑はかけないようにするさ」
結局最後まで、教会のヤツらにすら俺が魔族であるとはバレなかったからな。まず俺に関して言えば大丈夫だろう。
ただ、問題はそれ以外の面々か……。
観光するつもりなら、いつかの街で絡まれたように他人の種族を調べる魔導具もあるようだし、何か対策を練っておこう。
一緒にどこか、遊びに行きたいしな。特にイルーナとシィに、外の世界を見せてやりたい。
……いや、シィはちょっと無理か?身体水色だし。
……まあいいや、今度何か考えておこう。
「わかった、それも用意しておこう」
「ん、助かる。どのくらいで出来る?」
「そうだな、一時間程で用意しよう。……すぐに、出て行くつもりなのか?せめて、晩ぐらいは馳走させてほしいのだが」
俺の表情から、今日中に帰るつもりであることを悟ったのだろう。少し残念そうな顔で、引き留めにかかる国王。
「あー、そう言ってくれるのは嬉しいんだが、実は王都の外に仲間を待たせてんだ」
「そなたの仲間であれば、共に招待するぞ」
「いや、仲間っつっても、あれだからな。ペットの狼。フェンリルの。流石に無理があるだろう」
「……貴殿の口からサラリと出たその伝説の種族の名は置いておくとして、まあ、大丈夫なはずだ。冒険者の中には魔物使いという者どももおるから、従魔登録をすれば、魔物であっても王都内に入れることは可能だ」
「え、そうなのか。……うーん……」
俺としては、早くダンジョンに帰りたいのだが……正直、王城の料理に興味がないと言ったら、嘘になる。
だって、城の料理だぞ?どんな美味いものが出るのか、普通は気になるだろう。
俺が心揺れている様子を見て、ここぞとばかりに畳みかける国王。
「それに、救国の英雄をこのまま帰してしまっては、私の品位が問われてしまう。……何より、イリルが悲しむからな」
「救国の英雄って、大袈裟な……というかアンタ、最初から娘のために俺を引き留めてんじゃないだろうな」
「む、今頃気が付いたか。安心してくれ、身内だけのささやかなものにするつもりだ」
悪びれた様子もなく、笑ってそう言う国王。
その彼の様子に俺は苦笑を溢し、
「……そんじゃあまあ、晩飯だけ奢ってもらおうかな」
そう言って、頷いた。