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マザーズドール ~人形の少女と魔法使いの旅~ 作者:播磨ゆき

第三章

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4.『オリヴィア』

 
 部屋の中は荒れていた。
 ごつごつとした岩壁に囲まれたそこは物で溢れかえっている――というよりも、ほとんど物置のような状態だった。
 壊れたピアノ。
 破れた絵本。
 鏡の割れたドレッサー。
 床に散らばっているぬいぐるみは、もれなく中の綿が抉り出されている。

 そして、それらの向こう側――正面に広がる傷だらけの壁の中央には、一枚の絵が飾られている。

「あれって……」

 そこには一人の少女が描かれていた。
 栗色の長い髪を持ったその少女は、椅子に腰かけ、穏やかな微笑をこちらに向けている。
 猫のようにぱっちりとしたその瞳は、オリヴィアにとって恐ろしいほど見覚えがあった。

「あれって……――私?」

 そこにあった顔は、どう見てもオリヴィアのものだった。

「あの絵のモデルは、君じゃないよ。何せ五十年も前に描かれたものだからね」

 隣に立つベンジャミンが言った。

「そ、そうよね。私、まだ生まれてから三ヵ月しか経ってないんだし……」

 そう自分に言い聞かせるようにオリヴィアが言う。
 けれど、それでは疑問が残ってしまう。

「あれは私じゃない……けれど、それじゃあ、あの子は一体誰なの?」

 自分と同じ顔をした少女の絵を、オリヴィアはじっと見つめる。

 ベンジャミンは小さく息を吸うと、

「彼女の名は『オリヴィア』。絵のモデルは……五十年前の僕だよ」
「え……?」

 ぽかんとするオリヴィアの顔を、ベンジャミンは静かに見下ろして、可笑しそうに微笑んだ。

「僕の本当の名は、『オリヴィア』。あの絵に描かれているのは、人間だった頃の僕の姿……――今も東の果てで眠っている、僕の本当の身体だよ」
「――……」

 オリヴィアは何も返事をすることができなかった。
 開いた口が塞がらない。

 彼女が呆けている間に、ベンジャミンは部屋を見渡して言った。

「この部屋にあるものはすべて、五十年前に僕が使っていたものだ。ピアノも、絵本も、ドレッサーもぬいぐるみも……。壊したのはフリージアだけどね」
「どういうこと……? あなたが、オリヴィア……?」

 やっとのことで、オリヴィアは声を絞り出す。
 けれど混乱は未だ解けていない。
 むしろ疑問ばかりが頭の中を飛び交い、さらなる深みへとはまっていく。

「なんで、どうして……? あなたは、一体誰なの? ベンジャミンじゃないの? ママは、あなたの一体何なの……?」
「『ベンジャミン』は、かつて僕が所有していた機械人形ドールだよ。そしてフリージアは、僕の実の母親だ」

 その言葉に、オリヴィアはハッと口元を手で覆った。

 ベンジャミンは二、三歩ほど足を踏み出すと、床に転がっていた手鏡を拾い上げる。
 そうしてヒビの入ったその表面を覗き込むと、銀髪の青年の顔が彼を見つめ返していた。

「……フリージアは僕を嫌っていた。僕がどれだけ彼女を愛しても、彼女は決して僕を見ようとはしなかった。……僕の強大すぎる魔力が、彼女には恐ろしかったんだ。そのことに僕が気づいたときには、すでに遅かった」

 彼が手鏡を離すと、宙に放り出されたそれは、彼の魔法の力によってふわふわと空中を漂い、やがてぬいぐるみの綿の上に落ちた。

「彼女は僕を恐れていた。だから五十年前、彼女は……――人間たちは、僕を封印したんだ」
「っ……」

 しゃっくりをするようなオリヴィアの声に気づいて、ベンジャミンは彼女を振り返った。

「オリヴィア?」
「……なんで、もっと早く……言ってくれなかったのよ……っ」

 途切れ途切れに紡がれるその声は震えていた。
 不満と、怒りと、悲哀とが入り混じった声。

 そこで初めて、ベンジャミンは彼女が泣いていることに気がついた。

「私、あなたの前でっ……ママとの楽しい思い出、いっぱい話しちゃったじゃない……っ」

 嗚咽交じりに言う彼女の瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちていた。

「オリヴィア……。僕のために、泣いてくれているの?」

 何か珍しいものでも見るように、ベンジャミンはオリヴィアを見つめていた。
 しゃくり上げる度に震える彼女の小さな頭を、ベンジャミンは細い手を伸ばして、愛おしそうに撫でる。

「君は……優しいね。どおりで、フリージアが大事にするわけだ。……僕は涙一つ流すことのない、冷酷な人間だったから」

 彼に頭を撫でられると、オリヴィアはますます居た堪れない気持ちになった。
 フリージアの本当の娘は彼であり、自分ではない。
 本来ならば彼が経験するはずだったフリージアとの思い出を、自分は横取りしてしまったのだ。

「……ごめん、なさい。ベンジャミン」
「そう謝らないでよ。……やっぱり、言わない方が良かった?」
「ううん。……話してくれて、ありがとう……」

 最後の方は声が掠れていた。
 そんな彼女に、ベンジャミンはくすりと苦笑して言う。

「君は、フリージアが思い描いた理想の娘だ。無知で無邪気で、感情的で、魔法も使えない」
「……それ、褒めてるの?」

 目元をごしごしと拭きながらオリヴィアが聞くと、ベンジャミンはいつもの意地悪な笑みを浮かべた。

「もちろん。僕には到底たどりつけなかった、理想の箱入り娘だよ」

 くすくすと笑う彼の顔を、オリヴィアは赤くなった目で見上げる。
 いつも通りの笑みを浮かべている彼の表情からは、その心中を探ることはできなかった。

「オリヴィア。君は、フリージアの大切な一人娘だ。僕では実現できなかった、フリージアの理想そのものだ。だから……君の望むことは、フリージアの望むこと。その望みを、僕は叶えたい」
「ベンジャミン……」

 彼は改めてオリヴィアの顔を見据えると、まるで子どもをあやすような穏やかな声で尋ねた。

「オリヴィア。君は、この世界をどうしたい?」

 その問いにオリヴィアが応えるよりも早く、どこか遠くで爆発音のようなものが上がった。

「……うかうかしていられないね。応援を呼ばれたのかもしれない。今すぐここを出よう」
「ベンジャミン。この家、壊しちゃうの?」

 そう不安げに聞くオリヴィアに対し、

「心配いらないよ。壊すのは必要最低限。僕らが脱出できる空間を確保するだけだから。……それに、あんまり派手に壊しちゃうと、アステルとロータスが潰れちゃうかもしれないからね」

 言い終えるが早いか、彼は翼を広げた。





       ◯





 夕暮れに染まる大地の上空を、ドラゴンと化したベンジャミンが飛行する。
 その背中にちょこんと乗った幼い少女は、憂いの表情を浮かべていた。

「ねえ、ベンジャミン。さっきアステルが言ってたわよね。処分するよりはマシだ、って……」
「ロータスのこと?」

 こくん、とオリヴィアは控えめに頷く。

「さっきはロータスの話だったけれど……でも、あれって、世界も同じなのかな、って思って……」
「世界?」
「処分してしまうくらいなら、リセットをして、やり直した方がマシなのかなって」
「世界をリセットするってこと?」
「そう」
「そんなこと、できるの?」

 ベンジャミンが聞くと、途端にオリヴィアは黙り込んでしまった。

「……ふふ。悩んでるみたいだね」
「もう、笑わないでよ。今考えてるんだから」
「考えて答えが出せるほど、君の知識は豊富じゃないと思うんだけどね」
「うるさいわね、余計なお世話よ!」

 ぴしゃりと言ったその顔は真剣そのものである。

「そーよ。どうせ私は無知で感情的で向こう見ずで駄目な機械人形ですよーだ」

 ぷいっとそっぽを向く彼女に、

「別にそこまで言ってないけど?」

 と、ベンジャミンは冗談っぽく返す。

「でもね」
「ん?」

 オリヴィアは赤紫に染まる東の空を見つめ、どこか自信をつけたような、穏やかな表情を浮かべて言う。

「無知だからこそ、私は……まだ可能性があるんじゃないかって思えるのよ。こうやって旅を続けていれば、私は色んなことを知っていける。その中で、どんどん知識を増やしていけばいいんだわ。世界中を探せば、何か手掛かりが見つかるかもしれないもの」
「世界をリセットする方法?」
「そう」

 ベンジャミンは数秒の間を置くと、静かに喉を鳴らすようにして笑った。

「……なんで笑うのよ?」
「君の反応が面白いからだよ。およそ僕には考えつかない思考回路をしているからね。さすがはフリージアの愛した娘だ」
「それ、褒めてるの?」
「もちろん」

 ふふふ、といつもの意地の悪い笑い方をしながら、彼は言う。

「オリヴィア。君は、君の望むことをやればいい。君が望むなら、僕も一緒に、この世界をリセットする方法を探してみせる。……大丈夫。君ならきっと、正しい答えを導き出すことができるよ。フリージアが最も愛した君ならきっと、ね」

 
 
第三章 (終)
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