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マザーズドール ~人形の少女と魔法使いの旅~ 作者:播磨ゆき

第一章

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1.人形狩り

 
「ママ、やだ……死んじゃイヤ……っ」

 ベッドの傍らで、少女は悲痛な声を上げる。
 ぽろぽろと大粒の涙を零すその紫紺の瞳は、今まさに目の前で息絶えようとしている、病床の老婆に向けられていた。

「……逃げなさい、オリヴィア……。私が死んだら、あなたは……野良人形のらドールになってしまう……から……」

 清潔なベッドの上に横たわる老婆は、もうほとんど見えなくなった目で虚空を見つめながら、まるでうわ言のように言う。

「嫌よ。ママを置いていくなんて絶対に嫌! ママが死ぬなら、私も死ぬわ……!」

 オリヴィアと呼ばれた機械人形ドールの少女は、老婆の胸に顔を埋め、幼子のように泣きじゃくる。
 その容姿や言動は、人間のそれと酷似していた。その感情豊かな表情も、滑らかな発声も、瞳から溢れる透明な涙も、一見しただけではまるで人間と区別がつかない。
 人間のために、人間の手によって造られた精巧な機械人形は、今や世界各地に普及している。
 戦闘用、愛玩用、実験用と、その用途は様々だが、こうして独り身の老人の寂しさを埋めるために製造されることも少なくない。
 そんなオリヴィアの身形は、ピンクのワンピースに白いエプロン。栗色の長い髪に大きなリボンを載せた、可憐な機械人形だった。見た目の年齢は、人間でいえばまだ十歳にも満たないくらい。

「逃げなさい……。野良人形は……もし見つかったら、処分されてしまうわ。……だから、早く……」

 老婆の声は段々と小さくなっていく。
 彼女の言わんとしていることを、オリヴィアはよく理解していた。
 野良人形とは、主人となる人間を失った、身寄りのない機械人形のことを指す。それらは場合によっては人を襲う存在として危険視され、見つかれば公的機関によって処分されてしまう。
 このまま老婆が息を引き取れば、いずれはオリヴィアも処分される運命にあった。

「嫌よ。ママがいなくなったら、私はもう生きている意味がないんだもの。どうせ殺されるなら、ママのそばがいい……っ」
「……西の山へ行きなさい。そこに封印されている魔法使いが、きっと……あなたを助けてくれるわ」
「? ……西の、山?」

 きょとん、とした顔でオリヴィアは老婆を見上げる。
 老婆はふわりと優しい笑みを浮かべ、諭すような声で言った。

「『最強災厄』と謳われる、伝説の魔法使いよ……。この世で一番強い魔法使い……それこそ、世界を滅ぼすことができると言われるほどの、ね……」
「世界を……滅ぼす?」
「きっと……あなたの力に……なってくれる……」

 老婆は震える手をゆっくりと伸ばし、オリヴィアの小さな頭をそっと撫でる。
 だが、その手はすぐに力を失うと、ぽとりとシーツの上に落ちた。

「! ママっ……!」

 すかさずオリヴィアが呼びかけるも、返事はなかった。
 老婆は微笑を浮かべたまま、静かに瞳を閉じている。
 その瞳が二度と開かれないだろうことを、オリヴィアは悟った。

「嫌よ、ママ。行かないでっ……」

 ぎゅっと悔しげに瞑られた目元から、大粒の涙が零れ落ちる。
 主人がいなくなってしまう。
 この世でたった一人の大切な人が。

「嫌よ……。ママのいない世界なんて、生きていても仕方がないじゃない……っ」

 生きる希望が失われていく。
 老婆がいなくなってしまえば、オリヴィアにはもうこの世に未練などない。
 だが現実は無慈悲にも、彼女から大切な主人を奪っていった。

 広く整頓された部屋に、オリヴィアの嗚咽だけが響く。
 依然としてベッドから離れない彼女の足元にはいつのまにか、ペットであるイタチに似た動物が、彼女を心配するように歩み寄っていた。
 白いふわふわの毛を持ったその動物は、事態を飲み込めずに首を傾げ、「キュ?」と高い声で鳴く。

 やがてオリヴィアは、その泣き腫らした目をゆっくりと上げ、日の暮れかけた窓の外を見た。

「……世界を、滅ぼす……」

 掠れた声で、彼女は呟く。
 主人の遺した、最期の言葉。

「……そうよ。ママのいない、こんな世界なんて……」

 どこか虚ろだった瞳に、わずかに光が戻ってくる。
 縋るような思いで空を見上げた彼女の目は、すでに冷静さを失っていた。





       〇





「逃がすな、追え! 必ず捜し出せ! 野良人形を野放しにするな!」

 白昼の森に、物々しい雄叫びが上がった。

「野生化した機械人形は危険だ。人に被害が及ぶ前に、なんとしても捕獲せよ!」

 長剣を携え、銀の甲冑を纏った兵士たちが木々の間を駆け抜ける。

 その様子を、オリヴィアは静かに木陰から見つめていた。身を屈め、息を殺し、猫のように大きな目を絶えずきょろきょろとさせる。

「……なによ、なによっ。か弱い女の子を大人が寄ってたかって追いかけまわして。ほんっと人間って野蛮だわ。みんなまとめて地獄に堕ちればいいのよっ」

 小声で悪態を吐く彼女は、己の心を奮い立たせるように小さく拳を握る。
 数日前までは汚れ一つなかったピンクのワンピースは、すでに土にまみれて変色していた。

「あともう少しなのに……こんな所で人形狩りに遭うなんて」

 心細げに、小さく呟く。

「ママ……。どうして死んじゃったのよ……」

 段々と伏し目がちになるその紫紺の瞳には、薄らと涙が滲んでいた。
 記憶の中で、今は亡き優しい主人の顔が浮かぶ。
 オリヴィアを所有していた老婆は、つい数日前に病死した。
 「西の山の魔法使いがきっと力になってくれる」――という言葉を遺して。

 白い木漏れ日が降る森の中、兵士たちの足音はあちこちから響いてくる。
 それらと自分との距離を冷静に測りながら、オリヴィアは背後に聳える山をそっと見上げた。

「あの山……。あの頂上まで行けば、きっと……魔法使いに会えるわ」

 森を抜けた先に、岩肌を剥き出しにした山が天高く伸びている。ここから走ればそう遠くはない。
 あの山の頂上に、最強の魔法使いが封印されている。

「キュッ!」

 と、そのとき。オリヴィアの懐から、高い鳴き声を上げて小さな生き物が飛び出した。

「あっ、キューちゃん。今は出ちゃだめっ……!」

 ぽとりと土の上に落ちたのは、白いふわふわの毛を持った一匹の小動物だった。体長は手のひら二つ分ほど。丸い耳と長い尻尾を持っている。
 キューちゃんと呼ばれたその動物を、オリヴィアは慌てて抱き寄せようとしたが、

「いたぞ、こっちだ!」

 斜めの方角から声が上がった。

「! しまった……」

 声のした方へ目をやると、騒ぎを聞きつけた数人の兵士たちがこちらへ走り寄ってくるのが見えた。
 オリヴィアはごくりと喉を鳴らし、意を決してその場に立ち上がる。

「こうなったら一気に行くしかないわ。キューちゃん、走って!」
「キュッ!」

 まるで人語を解しているかのように、動物が返事をした。
 直後、彼らはほぼ同時に走り出す。

「待て、逃げても無駄だ!」

 威圧的な声が背後から届く。

「誰が待つもんですか。この最新型機械人形の足の速さを見せてあげるわ!」

 吐き捨てるように言って、オリヴィアは加速した。
 子どもの体型でありながら、その脚力は凄まじい。最新型の名に恥じない高性能を搭載した彼女の足の速さは、大の大人をも遥かに凌ぐ。さらに機械の身体であるため、息切れもしない。

「くそっ、なんて速さだ!」
「案ずるな。どうせ逃げ場などない」

 森は包囲されている。オリヴィアの行く手には他の兵士たちが待ち構えていた。
 次々と現れる兵士たちの姿に、彼女はバツの悪そうな顔を見せると、

「キューちゃん、強行突破よ。翼を広げて!」
「キュッ!」

 オリヴィアが合図を送ると、その後ろを走っていた動物はぐっと足を踏み込んで高くジャンプした。
 するとその身体は空中で白く発光し、眩い光が辺りを照らす。

「わっ、なんだ!?」

 兵士たちは目を眩ませてその場に立ち竦んだ。
 光が収まると、そこにはいつのまにか巨大な獣の姿があった。
 白銀の毛で覆われた巨体は、まるで白馬のような形をしているが、その背中からは鳥のような大きな翼が生えている。

「なっ……ペガサスだと!?」

 ようやく目を開けた兵士たちは、眼前に現れたその眩い姿に慄いていた。
 太古の生物として名高く、今は絶滅したとさえ囁かれる『ペガサス』は、ほとんど空想上の生物として扱われている。
 たとえ生き残りがいたとしても、それは権力者たちの間で高値で取引され、市場に出回るようなことはない。
 しかし、生まれたときからペガサスと一緒だったオリヴィアからすれば、そんなことはどうでもいい。
 空中を駆ける獣の背に、彼女は慣れた様子で飛び乗った。

「よおっし、全速前進!」

 ビシッと前方に指を差し、威勢の良い声を上げるオリヴィア。
 ペガサスは嘶き、驚異的な速度を持って駆け出した。
 待ち構えていた兵士たちは「屈め!」「避けろ!」と口々に叫び、慌てふためいた様子でその場を右往左往する。

「あっ、キューちゃん。人にはぶつかっちゃだめよ!」

 オリヴィアが耳打ちすると、ペガサスは「わかっている」という風に瞬きする。
 木々と人々の間を縫うようにして走り去る獣の背中を見送って、兵士たちは唖然とした。

「……ペガサスなんて初めて見た」
「あんな高価なものをどこで? まさか盗んだのか?」
「いや、もともと貴族の家で飼われていた機械人形だったのかもしれん」

 ぜえぜえと肩で息をしながら、兵士たちは口々に呟く。

 その前方で、オリヴィアたちは森を抜けようとしていた。

「いいわ、その調子! このままあの山まで行くわよっ」

 上機嫌な声でオリヴィアが言った。

(でも、すんなり入れるといいのだけれど……)

 そんな彼女の心配を他所に、目的の山は目前まで迫っていた。
 山の麓には登山道の入口があり、その手前に立てられた看板には『立ち入り禁止』の文字がある。周りには有刺鉄線が張り巡らされ、警備兵が配置されていた。
 警備兵はオリヴィアたちに気づいて硬直した。いきなり巨大な獣が全速力で迫ってきたのだから無理もない。
 ペガサスはさらに速度を上げると、勢いのまま看板の上を飛び越える。
 だが、

「! ギャウウッ……!!」

 突如として、ペガサスは悲鳴を上げた。

「キューちゃん!?」

 まるで見えない壁にぶつかったようだった。
 それまで猛スピードを保っていたペガサスは突然ぴたりとその場に留まり、強い電撃を浴びて悶え苦しむ。そのまま後方へ弾かれたかと思うと、オリヴィアもろとも土の上に放り出された。
 激しく全身を打ちつけたオリヴィアは、しかしすぐに起き上がると、倒れたままのペガサスのもとへと駆け寄った。

「キューちゃん、大丈夫!?」

 ペガサスはすでに元の小動物の姿に戻っており、口から泡を吹いて全身を痙攣させていた。
 オリヴィアが抱き上げても様子は変わらない。

「あ、あんたら、なんて無茶をするんだ。この山は強い結界に守られている。頂上にはこの世で最も恐ろしい悪魔が封印されているんだぞ。何人たりとも、この山に足を踏み入れることはできないというのに……!」

 警備兵が近づいて、彼女たちを怒鳴った。
 その後方から、森を抜けた兵士たちが追いついてくる。

「そいつを捕らえろ! 野良人形だ!」

 その声を聞いて、警備兵は明らかに狼狽した。反射的に腰の剣を掴み、恐怖心を剥き出しにした表情でオリヴィアを見下ろす。
 対するオリヴィアは警備兵から目を離さず、胸にペガサスを抱いたまま、登山口の方へと後退した。

「こ、こら。そっちには結界があるんだぞ。身体が触れれば無事では済まない!」

 そんな警備兵の忠告には構わず、オリヴィアはどんどん後退する。

「あんたたちみたいな人間に殺されるくらいなら、自分で死んだ方がマシよ! どうせこんな世界とはおさらばするんだからッ!」

 彼女はそう言い放つと、踵を返して結界の方へと走った。

「おい、あんた……!」

 警備兵は逃げ腰になりながらも少女の後を追う。
 だが、彼女がいくら走っても、結界に接触することはなかった。

(あれ……?)

 おかしいな、とオリヴィアが思い始めた矢先、その背後から悲鳴が上がった。
 驚いて振り返ると、視線の先で、先ほどの警備兵が倒れていた。口から泡を吹き、全身を痙攣させている。
 その様子からすると、どうやら彼もペガサスと同じく、結界の電撃を浴びたらしかった。

「えっ……? な、なんで? 私だけ結界を通り抜けられたの……?」

 不可思議な現象に、彼女は困惑する。
 同じ場所を通ったはずなのに、なぜか自分だけが結界を突破することができたらしい。

「キュッ!」

 と、そこへ聞き慣れた鳴き声が届く。
 反射的にオリヴィアが視線を下げると、彼女の腕に抱かれていたペガサスは身じろぎをして自ら土の上へと落ちた。

「キューちゃん。無事だったの!?」

 歓喜の声を上げる少女の足元で、小さなペガサスは元気よく走り回る。
 そうして後ろ足で一度立ち上がったかと思うと、鼻をひくひくとさせ、そのまま登山道の方へと駆け出した。

「あ、こら。どこ行くのよ。置いてかないでってば!」

 慌ててオリヴィアも後を追う。

「待て! 戻ってこい!」

 結界の外側からは兵士たちの声が飛んでくる。
 オリヴィアは倒れた警備兵の容態が少し気になったものの、立ち止まることはなかった。
 
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