挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

ブックマークする場合はログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

オール・ユー・ニード・イズ・吉良

オール・ユー・ニード・イズ・吉良~幕間:吉良は100回死んでも諦めない~

作者:左高例
これは『オール・ユー・ニード・イズ・吉良~死に戻りの赤穂事件~』
http://ncode.syosetu.com/n8102dq/
のスピンオフ短編です。まずはそっちを読まれることを推奨します

 あらすじ

 忠臣蔵、赤穂事件の中心人物である吉良義央は赤穂浪士に殺される度にその日の朝に死に戻りしてしまっていた。
 必死に鍛えて勝ち抜こうとする彼は生き延びることができるのか……


 前回までの死因。武林唯七に主に殺されていた。




 ──吉良死亡 百回目


「百、百かあ……」

 前回から意識していたが、とうとう死亡回数が百の大台に乗ったかと思うと吉良も感慨深かった。
 この何十回かは、休憩で宴会も挟まずに中山直房の稽古を受けて、自主練を積み、赤穂浪士を相手に実戦訓練をして死ぬというルーチンワークを繰り返していた。
 吉良の正確な記憶能力と、まさしく字のごとく必死の努力、それに生きるか死ぬかの実戦も重ねたおかげで剣をまともに振ったこともなかった老人の腕前は急速に伸びた。
 巻藁を斬るよりは人の体を、道場で木剣を使って打ち合うよりは真剣を持って本気で殺しに来る相手と戦った方が成長は大きいだろう。
 それを七十回近くも行ったのだ。体力や筋力などは周回で引き継がれないが、経験だけはひたすら積んでいる。

「百……たまには、何か休んだ方がいいのかもしれぬが……」

 前までは十回死亡につき一回ぐらいは宴会を入れていたのだが、近頃はすっかりそれもせずに鍛錬尽くしの毎日であった。
 なにせ、わざわざ宴会を開かなくても前の周回で行った楽しかったことを思い出して追体験すればいいのだ。それにまた実際に宴会をやっても、家臣は以前と同じ冗談を口にして笑うし、踊りや音楽も記憶にあるもので目新しさはない。

「稽古の続きをするかのう……最近は赤穂浪士にも勝てるようになってきたのだし」

 ぼんやりとしながら考える。近頃の襲撃では、自分を守って騒ぐ清水一学が邪魔といっては可哀想だが、実戦稽古を阻害するのでわざわざ外に配置するぐらいであった。
 今では襲い掛かってくる赤穂浪士の数名は吉良も返り討ちにできる。これは、吉良の腕前が凄まじく上昇したというより、同じ条件下ならば相手が同じ行動を取ることを逆手に取って、攻撃を避けて致命の一撃を打ち込むことに成功するからであった。
 しかしながらそれもまだ完璧ではなく、更に言えば毎回異なる行動と登場をする武林唯七と遭遇した場合には為す術もなく吉良は殺害されていた。

「何か、稽古以外にやれることは……」

 吉良が考えていると、ふと毎回吉良義周は上杉家に避難させていることを思い出した。
 上杉家は吉良の息子である上杉綱憲が居て、妻の富子も現在別居中でそちらに住んでいる。

「富子か……」

 思い返す古女房だが、少しばかり言い合いというか、彼女の言葉に嫌味のような棘を感じてしまってからあまり口を聞いておらず、この吉良邸に引っ越す際に別居してしまったのだ。
 その言葉を思い出した。

『そういう意味では、なかったのです』

 殿中にて浅野長矩に斬りつけられ怪我を負い、長矩が切腹になった際に。
 吉良も切腹しないでいいのか、と聞いてきた富子に吉良は憤慨して叱った。夫であり被害者である自分に死ねとは何事かと。
 そのときのことは、吉良も実のところ記憶が薄い。この周回が始まってからのことならば明瞭に思い出せるのだが、それ以前のことへの記憶は、年齢相応の記憶力でおぼろげになっていた。
 だから、富子に悲しそうな顔をさせて、

『そういう意味では、なかったのです』

 と、そう言わせたことだけがはっきりと覚えていて、そして別居してしまったのでその真意すら掴めていないことが心残りであった。

「……謝りに行こう」

 吉良はそう決めた。富子と不仲になったのは、もしかしたら自分は悪くなかったかもしれない。それでも、もうどうでもいいことだ。自分が悪かったと認めて彼女に頭を下げ、富子と仲直りがしたかった。彼女が告げた言葉の意味も知りたかった。
 ここで富子と仲直りをしても、或いは今回も赤穂浪士に襲われて死んでしまうだろう。

(だが、謝ることで関係が戻るということを知れたのならば、この繰り返しを終えたあとで、改めて謝り仲直りができるだろう)

 それに、と吉良は苦笑する。

(もし謝る言葉に選ぶのに失敗して、今日のうちの仲直りに失敗したのならばまた別の言葉を考えて次回に試すことだってできる。どれだけ恥を掻いても、次になれば富子も忘れる)

 そんなことを思って、この周回を打算的に利用している状況を皮肉に感じた。
 とりあえず吉良は文机に向かって富子にこれから向かうことを伝える文をしたため始めた。

「ご隠居さま──」
「ああ一学。桶はそこに置いといて、朝餉は握り飯にして部屋に持ってきてくれ」
「は、はあ」

 部屋に入ってきた一学にそう告げる。
 近頃は時間を効率的に使うために、わざわざ朝飯も食べに出なくなっていた。この屋敷では吉良がルールなので、何にでも融通が効く。



 *******


 息子の綱憲が居る上屋敷は桜田にあるが、富子の住んでいる下屋敷は芝白金にあるので吉良邸からは少々遠い。 
 吉良を入れた酒樽を積み、荷車で運ぶ酒屋には小判をくれてやり一刻ほども掛けてようやく辿り着いた。
 下屋敷の門庭に入り、外からは見えぬところで止めてもらい、酒樽から出る。

「あら、まあ、お殿さま。本当に、こんな風にいらすなんて」

 口元を手で覆って老婦人が、目を丸くして迎えた。周りの女中も不思議そうにあんぐりと口を開けて吉良を見ている。
 久しぶりに見た富子の姿に、吉良はどこかはにかんだような笑みを浮かべた。
 それに対して富子の方は、首を傾げながら尋ねた。

「お殿さま? このような来訪にもご理由があるのでしょうが、お疲れの様子。屋敷へ上がってくださいませ」
「そうだのう。すまんな、富子」

 狭い樽に入って一刻も揺られれば、老体にも堪える。
 腰を伸ばしながら吉良は屋敷へと向かう。

「ああ、帰りも頼むやも知れぬので、待っていてくれ」
「へい」

 そう酒問屋の運び人に心付けを渡して言うのも忘れなく。
 それから下屋敷の居間へと案内される。何かと上杉家には世話になっているが、上屋敷には来たことがあるものの下屋敷には初めてだった。
 その間ひたすらに無言であったのが、吉良の胃の当たりをキリキリと痛めた。近頃は赤穂浪士と相対してもそうはならなくなって来たというのに。

(だが、廊下を進みながら謝るようなものでもないだろう……)

 そう思いながら、気まずい感情を堪えて彼女の後をついていった。
 それから居間には茶も用意されており女中も下がらせて吉良と富子は向かい合って座った。 
 真っ直ぐに富子は吉良の方を向いている。睨んでいるというわけでも、圧を掛けているわけでもない。ただ、吉良は真っ直ぐに見られているという感覚に、羞恥のような感情が浮かんだ。相手は何も恥じることがないとばかりに堂々としているというのに。

(戦国大名、上杉景勝公の孫だものな……)

 富子は吉良に強く当たるほどに勇ましくも厳しくも無いのだが、それでも吉良は彼女の芯が強いことを知っていた。

「その……」

 吉良は話を切り出そうと口を開いたが、今朝の決意はどこへ行ったのかわからぬとばかりに、舌が回らずに言い淀む。
 既に文で要件は書いていた。申し訳ないことをして富子と会えなくなったことを今は悔いているので、どうか謝らせてくれないだろうかという内容である。
 自分でもどう書くか悩みものだった。別居中の妻に仲直りを申し込むのが、これほど神経を使うことだとは初めて知ったのである。

「ひ、久しぶりだのう、富子や」
「ええ、最後にお会いしたのは、一年と四ヶ月ほど前になりますか」

 去年の八月、吉良が屋敷を呉服橋から本所へ移したのと同じくして、彼女は上杉家へ戻っている。
 富子が別居を始めた理由の一つは、彼女の女中頭が新たな吉良邸では狭くてこれまでの女中をすべては連れて行けず、富子に不便を掛けてしまうと進言して、上杉家から一旦富子を屋敷で預かる旨を話されたのだ。
 当時、吉良も富子には少しばかり例の発言の件で思うところがあったので、引き止めもせずに別居を認めて──それから、会いに来ることもなかった。

「すまん」
「なにを、謝ってらっしゃるのでしょうか」
「いや、思えばもっと……早く謝るべきだった。女中の数が足りないというのならば、配慮すべきであった。仲違いをしたまま、放置すべきではなかった」
「お殿さま。そうお気を病まないでくださいませ」

 富子はゆっくりとした声音で吉良に言う。

「私がお殿さまと別居をさせられたのは、上杉家の問題だったのです」
「なに?」
「新居を作るのに、上杉家から普請の援助を受けていらしたでしょう」

 吉良は頷く。居間の吉良邸を作るのに、上杉家の金をかなり使っていた。どこも台所は火の車だが、吉良とて松の廊下で負傷の一件から評判が悪くなり、高家肝煎の役目を辞していたのだ。仕事を辞めたのだから、屋敷を建てる出費は厳しく、上杉家を頼ったのである。

「それで上杉家の方でも財政が難しく、このままお殿さまに頼まれるがままに援助を行っていては藩が破綻する、と家老らが判断いたしまして、それで上杉家の一番強い繋がりである私が吉良家から離れることで、今後の請求減額を乞う条件にしたいと」
「そのようなことが……」

 確かに吉良とて、本来ならば彼が養わねばならない妻を実家に戻しているというのにその実家から金を無心するのはどうかと苦言を呈されると頼りにくくなってしまうだろう。

「私としても、お殿さまを助け支えたいのですが、上杉家の女でもあります。それ故、困窮に苦しむ家老らの頼みを無碍にはできず、ひとまずこうして別居することが新居への普請賃の代わりだったのです」

 吉良は思わず唸った。
 引っ越しをしたために富子が別居をしたと思っていたのだが、まさにその引っ越しをするための費用を受けるために、人身御供のように彼女は吉良から離れたのだ。
 隠居した吉良を江戸から米沢へと引っ越しさせたがっていたのも、彼にやる支出を抑えるためだったのだろう。

「それを何故言ってくれなかったのだ……」
「このように聞いてくださったならば、いつでもお話したのですが……ごめんなさいませ。あのときのお殿さまは、私と話をしたがらなかったご様子で」

 富子は儚く微笑んで、申し訳なさそうに言う。

「告げるのが、はばかれてしまって。文で告げるのも、心が決まらず……すみません」

 そう告げてくる妻に、吉良は沈痛な面持ちになった。

「違うのだ」

 どうにか口にする。

「すまなかった。気まずい思いをしていたのは、儂も同じだった。謝って、ちゃんと話し合っていれば良かったのだ。つらい立場にいるお前を、今日まで思いやってやれなかった」
「お殿さま……?」
「申し訳なかった……!」

 吉良は深々と頭を下げた。一瞬、それを止めようかとした富子だが、伸ばした手を戻す。
 そしてやはり、吉良を真っ直ぐに見て、

「……はい。お殿さまを、お許しします。だからお殿さまも、私が話せなかったことを、どうかお許しください」

 富子の方も、畳に手をついて額をつける程に頭を下げる。
 吉良は富子の両肩を優しく掴んで顔を上げさせ、

「許す。儂らはお互いに、話し合いが必要だったのだな。だからもう、良いのだ」

 二人の仲は悪くなっていたわけではなく、些細な行き違いと気まずさから起きたものだったのだ。それもこうして解消されれば、吉良は以前と変わらず富子のことが大事に思えていた。それに、何か憑き物が落ちたように素直な吉良へも富子は好ましく思う。これまでの、富子が居ない間の吉良の暮らしを知らないが、随分と人が善くなっているようだと感じた。
 実際にはこの百回の死で起きた心境の変化だが、長らく会っていないので自然とそう考えるのは当然だ。むしろ、毎日見ている吉良家の家臣などが朝起きたらやたら落ち着いてストイックになっている吉良に違和感が大きいだろう。
 富子は柔らかく微笑んで告げる。

「上杉家の家老たちに、またお殿さまと暮らせるよう話をしてみます」
「……ああ、そうなると、いいのう」
「……?」

 僅かに顔を曇らせた吉良に、富子は訝しく思う。
 今後の吉良家への援助の見直しなどの話し合いが必要だろうが、また共に暮らすことは可能なはずだと富子は判断しているというのに、吉良の顔色が優れない。
 それは金を惜しんでいるのではなく──

(今回もまた、儂は死ぬのだ……死にたくない……死なせないでくれ……)

 ──己の命が今日尽きることを惜しんでいるのである。
 まだ剣の道は長く、赤穂浪士の動きを覚えるにも不十分だ。唯七対策もできていない。なら、死ぬのは必然だ。 
 この下屋敷に篭もるのは下の下。兵数は吉良家よりも少ない上に、女中が多く、和解した妻も居るのだ。危ない目には合わせられない。

「お殿さま……?」
「ああ、なんでもない。ところで、富子。儂が斬りつけられた後に、腹を召さないのかと聞いてきたことがあったろう」

 吉良は気になっていた疑問を誤魔化すように口にした。

「その節は申し訳ありませんでした」
「いや、ただ何故そのようなことを言ったのかと思ってな」
「言葉足らずでして。私はただ、喧嘩両成敗といいますので、お殿さまもおなかを切らねばならないのではと思い、切らずに帰ってきたものですからもう切らなくてよいことになったのですか? と思ってお聞きしたのです」
「なんだ……儂の早とちりではないか。あのとき、ひどく叱ってしまったろう。すまないな」
「こちらこそ、勘違いさせるようなことをいいまして、訂正もせず」
「あの頃を思えば、お前が何を言っても悪い風に解釈していたと思う。だから、お前は悪くない。悪いのは儂だ」
「……でしたら、仲直りですね。私はもう、許していますから」
「そうだのう。仲直りだ」

 二人は顔を見合わせて笑うが、やはり吉良の笑顔には影があった。
 それから暫く二人はこれまでしてこなかった、隠居した老夫婦の生活を送るように過ごした。
 吉良の頭を膝に載せて、富子が耳掃除をしてやったり。
 下屋敷の庭を眺めながら、吉良が茶を点てて二人で飲んだり。
 久しぶりに品目の違う食事を取り、舌鼓を打ったり……
 そうして、やがて日が暮れてきた。 
 吉良は立ち上がり、富子に告げる。

「さて。今日のところは、儂は帰るとしよう」
「もうお泊りになられたらいかがですか?」

 富子が当然のようにそう進めて、老婦人の顔も名残惜しそうにしている。
 子供に言い聞かせるように、吉良は遠い目をして言う。

「……そういうわけにも、いかんのだ」
「左様ですか……」

 吉良は折りたたんだ書状を富子に渡す。この屋敷に居る間に書いたものだった。

「これを、明日以降に読んでくれ。今日は駄目だぞ、必ず明日だ」
「お殿さま、いったい……」
「いいから」

 そう言い聞かせて、吉良は玄関へと向かった。
 近くの長屋の詰め所で一日待たせてしまっていた酒問屋の男には、

「気が変わった。迷惑を掛けたのう」

 と、小判を渡して吉良を荷車に載せず出て行かせる。
 そして見送る富子に、最後に声をかけた。

「富子。もし儂の身に何があっても、子と孫の力になってやってくれ」
「お殿さま、やはり行かないでください。変です」
「大丈夫だ。ほんの、もしもの話だ。では、またな」

 安心させるように富子の肩を叩いて吉良は足早に下屋敷を辞した。
 それから堂々と歩んで、吉良邸へと向かう。
 当初は酒樽に入り、吉良邸に戻っていつものように襲撃が来るまで自主練習をして実戦で戦うつもりだった。
 だが、気が変わった。
 幾つもの世界を見捨てて来たが、この世界の未来は少しでも良きものにしたかったのだ。

(これまで百死んできた世界でも、富子は儂が死んだ後で悲しんだだろう)

 きっとこの世界でも悲しむことになる。そうはしたくないが、どうあっても勝ち目は無い。それでも、死ぬ前に仲直りをしたこの世界は守りたかった。
 しかし決して勝つことのできない彼が精々出来ることは、屋敷を襲撃されないようにして家臣や義周に被害が出ないようにすることぐらいであった。

 吉良は一人で死のうとしているのだ。これまでとは違う覚悟で。

 歩いて戻る道の途中にある金杉橋付近で、赤穂浪士が進み出てきた。ここは赤穂浪士にとって重要な場所である泉岳寺にも近い。
 それに赤穂浪士は当日、吉良邸から出てくる者を確認して尾行したりもしていた。そのうちの酒屋が、吉良の妻が居る屋敷に行ったというのならば疑われるのも当然ではあった。
 どちらにせよ、来ると思っていた。
 武林唯七。彼が居る。他に二人の赤穂浪士がいた。彼らの武装は腰の刀のみだ。準備をした襲撃戦ではなく、遭遇戦だからだろう。

「吉良……」
「武林……」

 お互いに呼び合う。吉良は相手の考えや感情など何も理解できないが、それでもこれまで最も多く殺されてきた相手というのは、妙な縁すら感じる。
 吉良は刀を抜き、正確に構えた。
 迷いは無かった。覚悟は決まっていた。少しだけ、妻の儚い微笑みが脳裏をよぎったが。
 唯七の両隣に居る若侍が、緊張した面持ちで叫んだ。

「吉良上野介!! 我ら浅野内匠頭の家来! 主君の仇討ち! 覚悟せよ!」

 と、言うのは間新六だ。

「貴様の首を、殿の墓前に捧げてくれる!」

 そう続けたのは勝田新左衛門である。吉良は、赤穂浪士の名前もだいたいは覚えていた。襲撃時に誰かが誰かに呼びかけるのを見て、顔をすべて覚えているのでそれで判明している。

「止せ! 二人共! 先走るんじゃない! 仇討ちは英雄ごっこじゃないんだぞ!」

 意外なことに、唯七が制止している。ただ、吉良はそれを重要視していない。唯七の言動は毎回支離滅裂で、叫んでいる言葉には殆ど意味がないと知っているからだ。

「はっ! 何言ってるんですか! 目の前に居るでしょ、仇が!」
「ここで逃して別の屋敷に逃げ込んだり、兵を用意したりされたらどうするんですか! 下がっててください、俺らがやりますよ!」
「新六!! 新左衛門!!」

 朗々とした赤穂浪士二人の名乗りで、なんだなんだと民衆が遠巻きにこちらを見物し始めた。既に刀は抜いているのだ。ただ事ではないと、注目の的である。
 新六が刀を振り上げて走り寄ってきた。

「あんたは俺が討つんだ! 今日! ここで! はあああああ!」

 吉良はその動きを充分余裕を持って確認し、すれ違うように脇腹を払った。
 刀の切っ先が柔らかい肉を寸断し、大きな血管を抵抗もなく斬る。新六は中途半端に刀を振り下ろした体勢で、横に倒れた。
 相手は老人と侮っていたが、吉良は幾度も死線を越え……てはいないが、実戦経験の数が段違いである。真剣勝負を彼ほど行ったことのあるものは居ない。

「この! 逃がさないと言ったろう!」
「ぐっ」

 だが、それでもまだ完全ではない。
 一対一ならまだしも、新六に合わせて回り込む形で近寄り、突きを放ってきた新左衛門の攻撃が当たる。
 避けようと身をよじったので肩のあたりに深々と突き刺さったが、吉良は近寄った新左衛門の首元へと迷わず刀を振るった。
 切っ先で肉の柔らかい、防具の無い場所を狙う。
 直房に言われた通りに行わねば、吉良の体力が持たない。鉄の塊を全力で相手にぶつけるというのは、非常に疲れる動作なのだ。
 だからこうして、刀の先を相手の首に差して軽く引き切る。
 首からパッと血が吹き出て、新左衛門も倒れた。こうして、どうにかこうにか吉良も赤穂浪士とまともに戦って勝利することも可能になっていた。赤穂浪士とて、実戦経験があるのは堀部安兵衛ぐらいで後は精々が試し切りをしたことがある程度の素人なのだ。経験を積んだ吉良ならば、一対一で勝利を取れる。

「新六!! 新左衛門!! シンッッ!! このッッッ……馬鹿野郎共ッッ!!」

 ただ、この激高する男以外は。

「吉良ァァァァ!! お前が、新六左衛門を殺した!!」
「混ざってるぞ」 
「あいつは、あいつらは、良い奴だったのに!!何故こんなことを!!」
「儂にも、守りたいものがあるからだ! さあ来い、武林!」
「うおおおおお!!」

 唯七が刀を抜いて片手で構え、飛びかかってくる。
 正しい構えに正しい振りを教わった吉良とは対照的に、唯七は構えも正規のものに見えなければ振りもおかしい。だが、ある程度学んだ今だからこそわかるが、唯七の攻撃は非合理的で乱雑に見えながらも異常に早くて強い。片手持ち、両手持ち、蹴りや体術を交えての組打ち、または他の武器を使った攻撃のどれもが不規則にして必殺の技になっている。
 唯七が叫んだ。

「正義を爆発させる!! それしか方法は無い!! 下がれッッ!!」

 相変わらず叫びの意味はわからなかった。
 吉良はそれを受け止めようと備えたが、やはり今回も唯七の殴るような突きの一撃は吉良の防御をすり抜けて胸を貫いた。

「すまん……」

 血が吹き出て一気に意識が薄れ行く中で、またしても悲しませることになる妻へと吉良は謝罪した。もがくように、手を上げながら。

(いつか、必ず、きっと、お前と仲直りをして、また……共に……)

 伸ばした手は、何も掴まずに力尽きて落ちた。

「吉良……お前、泣いてるのか……?」

 呆然としたような唯七の言葉を最後に、吉良の意識はこの世から消えた……



 それから、突発的に仇討ちを果たした唯七は仲間二人の骸と吉良の骸を担いで泉岳寺まで持っていき、そこで仲間に集合を掛けた。
 死体の吉良を検分し、大石内蔵助がその首を落として泉岳寺の墓前に捧げる。
 赤穂事件についてはすぐさま江戸中に広まり、金杉橋での仇討ちとして赤穂浪士と吉良の大立ち回りは有名になる。また、吉良も赤穂浪士二人を斬殺したことで、意外に強かったと面白がられた。
 仲間が先走って仇討ちを行ったとはいえ、連判状を作っていた赤穂浪士全員は切腹処分となった。ただ、後世には義士集団としての名誉よりも、武侠者である武林唯七個人の名声が強く残ったという。
 義周などへは見ていないところとはいえ、狙われていたご隠居が伴も付けずにむざむざと襲われたというので多少叱りを受けたがそれだけであった。

 一方で、吉良が死ぬ直前まで彼と会っていた上杉富子は悲嘆にくれて、鬱ぎ込んでしまった。
 息子である上杉綱憲が、

「決して母が軽率な真似をしないように見守れ」

 と女中らに命じて部屋に控えさせていなければ、吉良の後を追ったかもしれないと周りに思われるほどに悲しんでいた。
 そして富子は、ふと夫が書き残した書状を思い出し、それを開いて読んだ。
 そこには自分が赤穂浪士に襲われて死ぬのは覚悟ができているということ。自分が死んでも決して悲しみにくれず、気を張って生きてくれということ。息子と孫をよろしく頼むということが書かれていて、最後には震える字で、

『お前と共にまた暮らせる日が来るまで、儂は戦わねばならない』

 と、あった。
 それを読みながら富子は泣きはらし、それから彼女は精力的に、吉良家と上杉家のために尽くしたという。
 後年、吉良の最後に残した手紙が公開されて、孤独に戦う仇持ちの老剣士として彼の人気も高まり名誉回復されるのであるが…… 

 それもまた、同じ時を繰り返していく吉良には知れぬことであった。



この短編を含む大幅書き下ろし版『オール・ユー・ニード・イズ・吉良~死に戻りの忠臣蔵~』がAmazonKindleにて300円で販売中です。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ