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野良怪談百物語

個室さん

作者: 木下秋

 私がアルバイトをしている某居酒屋チェーン店には、何人か“常連”と言えるお客様がいます。


 その中の一人で、私たち店員の間では“個室さん”と呼ばれている人がいます。……これは、その人についてのお話です。


 個室さんは、私がそこでアルバイトを始めた頃――三年くらい前にはもう、常連としてうちの店にいらっしゃっていました。




     *




 初めて私が個室さんを接客した時(それはサラリーマン然としたスーツ姿の、おそらく三十代後半……もしくは四十代くらいの、普通の男性でした)私は一人で来られるお客様、皆さんにそうするように、カウンター席をご案内しました。――すると、平然とした表情で、こう仰られたのです。



「いつも、個室の席に通してもらうんだけど」



 ――私は少し戸惑いながらも、他の店員がいつもそうしているならと、個室をご案内しました。……するとご満足いただけたようで、



「ありがとう」



 そう言って、四人掛けのテーブルに一人で座られたのです。


 私は(少し変わった人だなぁ)と思いながらも調理場へ引っ込むと、お水を入れたコップとおしぼりを一つづつ盆に載せて、そのお客様の元へと向かいました。すると、



「いつも、お水二つもらうんだけど」



 ……またもや平然とした様子で、そう仰るのです。



「……申し訳ございません」



 私はそう言ってもう一度調理場へ引っ込むと、水の入ったコップをもう一つ盆に載せて、お客様の元へ向かいました。


 ――すると、なんとも不思議なことに。個室の入り口になっているロールスクリーン向こうから、楽しげな話し声や、笑い声が聞こえるのです。――私は思いました。(あぁ……待ち合わせをしていたのか)と。すぐに連れがやって来るから。だから個室……だから水が二つ。全て納得がいき、私は個室の入り口を開けました。



「失礼します」



 ……中には、先ほどのお客様一人っきりでした。


 個室さんは先ほどまでの笑いを引きずるような表情で、



「あぁ。ありがとう」



 そう言って、水を受け取りました。――水は、前の席の方に。まるで、そこに誰かが座っているかのように、コップを置いたのです。



 ……私は失礼ながらも、(あぁ……本物だ……)と思いました。……本当に、“ちょっとアレな人”なのだと。思ったのです。



 ――調理場に戻り、先輩にさっきあったことを話すと、こう言われました。



「あぁ、個室さんね」



 ――普通の仕事を教えるような口調で、個室さんのことを教えてくれたのです。




     *




 個室さんについては、いくつかルールがありました。



 まず一つ。一人でいらっしゃっても、必ず個室に通すこと。


 二つ。水は二つ。持っていくこと。


 三つ。食後のお皿は、呼ばれるまで勝手に持っていかないこと。――勝手に、個室の入り口を開けないこと。



 ――それらを守れば、なんら変わりない普通の人そのものなのです。――ある男性の先輩は、こんなことを言ってました。



「きっと、ありゃあ奥さんを亡くしてんだよ。病気かなんかで。だから幻覚を見てんだ。まだ、奥さんが生きてると思ってんのさ」



 ――確かに、個室さんは左手の薬指に指輪をはめていました。……私はその推測が当たっていようが外れていようが別にどっちだって良かったのですが、個室さん自体特に、そこまで迷惑なお客さんでもありませんでしたから、あまり気にしないようにしていたのです。




     *




 ――去年のことです。うちの店に、新人のアルバイトが入りました。私の一個下の、女の子です。



 ――その日は金曜の夜ということもあり、特に忙しい日でした。新人の子は、バイト初日。私は接客と、その子に仕事を教えることで、一杯一杯でした。


 私はオーダーを取るために、店の中を早歩きで歩いていました。すると、入り口の方でその新人の子が、個室さんを相手に接客しようとしていたのです。


 (あっ)。私は思いました。アルバイト初日の新人の子が、個室さんを知っているはずがありません。(助けなきゃ)。個室さんはすぐに怒ったりするようなお客様ではありませんが、そう思いました。


 ――すると、その新人の子はカウンター席へとは向かわず、ちゃんと個室の方へとご案内を始めたのです。



(えっ……?)



 ――私は、騒がしい店内で一人、呆然と立ち尽くしました。(……一体誰があの子に個室さんのことを教えたのだろう……)。



 調理場に戻ると、その新人の子がお盆に水の入ったコップを二つ載せ、出て行くところでした。――対応は、完璧だったのです。



 戻ってきたその子に、私は聞きます。



「ねぇ、個室さんのこと、誰に聞いたの?」



 すると、ポカンとした表情で、言うのです。



「えっ? “個室さん”って、誰のことですか?」



 ……彼女は、個室さんのことを知らなかったのです。



「今、個室さんに水を二つ持って行ったでしょ」



「……だって、二人でいらっしゃってたじゃないですか」



 ……今度は私がポカンとしていると、注文の呼び出しベルが鳴りました。……個室さんのところです。


 私はうん、と頷き、「行って」と指示を出しました。――彼女は注文を取りに、個室さんのところへと向かいます。



 ……やがて、戻ってきた彼女はこう言いました。



「……そういうことですか……」



 伏し目がちに、ただそう言ったのです。





 ――彼女は結局、一ヶ月もしないうちに店をやめてしまいました。結局、答えは聞けずじまい。



 ……“そういうこと”って、どういうことだったんでしょう……。





 今も、個室さんはよくうちの店にいらっしゃいます。



 ……毎回お出しする“二つ目の水”は、いつも飲まれた形跡がありません。

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― 新着の感想 ―
[一言] お化けのようなものが何も出てこないのに怖いお話ですね。「新人のアルバイト」さんがすごくインパクトがあります。楽しませていただきました!
[一言] 不思議な終わり方でしたね… 何も怖い事をしてこない幽霊的なものがでるお話は、 読んでいて何だかほのぼのします(´▽`*)
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