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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第6話 三人と一羽、賑やかな日々

 翌朝、朝食を済ませると、アスティは、イニスとナウルをムリクのための墓穴を掘るべき場所へ案内した。アスティとムリクのテントから木立の合間を抜けて数分歩いた先に複数の岩が転がる小さな広場があり、そこが、アスティの両親も眠る集落の共同墓地になっていた。
 広場に点在する岩々には、故人の名前が刻まれているが、多くは長い年月を経て風化している。森を離れて都市で亡くなった者は都市の法令に従って火葬され、この東の森の伝統的な墓地に埋葬されることはなかったし、森を離れた遺族が参拝に訪れることもまれだった。
 アスティは両親の墓石に手を合わせた後、「この隣にお願いします。」と掘削用具を担いだイニスとナウルを振り返った。
「ほいほい、任せてや!」
 ナウルは長い金髪を頭の高い位置で結び直し、張り切った様子で腕まくりをする。
「この隣の墓はお前の親族の墓か?」
 イニスが尋ねた。
「はい。両親の墓です。」
 アスティが頷くと、イニスは「そうか……。」と呟き、掘削用具を地面に突き立てて墓標の前にしゃがみ込んだ。それから、イニスは右手で顔前に円を描き、そのまま右手を軽く握って額に押し当てる。アスティは初めて見る仕草だったが、それが祈りの仕草であることは理解できた。
 イニスが立ち上がると、アスティはイニスに頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「別に、例を言われるほどのことじゃない。」
 イニスは無表情のまま地面に突き刺した掘削用具を引き抜くと、掘削用具を地面に突き立て、穴を掘り始めた。
「アスティちゃん、ここは俺らに任せてくれてええで! アスティちゃんはのんびり昼ご飯の準備でもしとってや!」
 ナウルは掘削用具で地面の表面の土を周囲にまき散らしながら威勢のいい声を上げた。
 ナウルの気遣いはありがたかったが、本来、自分が為すべき仕事を二人に任せきりにしてしまうのは気が引ける。
「いえ、私も……。」
「人数ばかり多くても邪魔になるだけだ。二人でやっても昼には掘り終えられる。」
 アスティが言い掛けた言葉をイニスが遮った。はっきり「邪魔」と言われてしまっては、返す言葉がない。アスティは墓穴掘りを二人に任せ、ナウルの提案通り、昼食の準備をすることにした。
 前夜の夕食の果物入り粥はイニスの口には合わなかったようだから、何か他の料理を考えなければならない。朝食は、刻んだ乾燥果実を入れたパンを焼いたのだが、これはイニスも特に不満な様子はなく完食してくれたから、パンは甘くてもいいらしい。
「うーん、何がいいかなあ……。」
 アスティは晴れ渡った空を見上げながら、鼻歌交じりで昼食の献立を考え始めた。
 イニスとナウルが作業を始めて数時間後、太陽が僅かに西に傾いた頃、昼食の準備を終えたアスティが墓地へ戻ると、穴は遺体を納めるのに十分な大きさになっていた。
「いやあ、思いの外時間が掛かってもうて!」
 堀広げた墓穴の脇に立ってナウルが言うと、疲れた様子で地べたに座り込んでいるイニスが声を上げた。
「誰のせいだよ、誰の!」
「ほんまやったら、昼前に終わるはずやったんやけど、イニスの作業が遅いもんやから……。」
 イニスの叫びを完全に無視して、ナウルは続けた。
「……お前は俺に喧嘩を売ってるのか? 時間が掛かったのは、お前が十分足らずで『飽きた』とか言って逃げ出したせいだろう、どう考えても!」
 イニスの主張に、アスティはイニスがナウルに比べて明らかに疲れた様子である理由を理解した。
「何言うてんねん! 俺は作業で疲れたイニスがもっと頑張れるように思て、おやつに食べるマリイヤの実を探して来たったんやで? ほら、うまそうやろ?」
 ナウルは懐からマリイヤの実を取り出して得意げに胸を張るが、イニスは薄笑いを浮かべながらナウルを睨み付けている。掘削用具を掴んだ手にはだいぶ力がこもっているようで、小刻みに震えていた。
 たぶん、次に一言ナウルが何か言えば、イニスは手にしている掘削用具でナウルを殴り倒してしまうかもしれない。そうなれば、流血沙汰になるのは免れず、下手をすればもう一つ墓穴が必要な事態になる。それはできれば——いや、何としてでも避けなければならない。
「あ、あの……イニスさん、本当にありがとうございました。」
 アスティは慌ててイニスに頭を下げた。イニスに向かって言ったのは、彼の苦労を理解していることを明らかにし、彼の労を労うためだ。ナウルにも等しく感謝の意を示すべきだとは思ったが、今は何より、イニスの怒りを鎮めることを最優先すべきだろう。
「あ! このマリイヤの実はアスティちゃんの分やで! いっちゃんうまそうな奴をとっといたんや!」
 そう言ってナウルはマリイヤの実を掲げた。赤みがかった濃い黄色に輝く実は、芳しい香りを放っている。
 ナウルはマリイヤの実を片手に、にこにことアスティを見つめている。明らかにアスティの反応を待っているという風だ。
「あ、ありがとうございます、ナウルさん。」
 アスティが礼を述べると、ナウルは満足げに頷いた。その隣でイニスが不満そうにナウルを睨み付けているが、ナウルはそのことに気づいていないのか、気づいていて無視しているのかはよく分からない。
「このマリイヤの実は、樹上でしっかり熟しとるから、とびきり甘いはずや! 野生のマリイヤの実がこんな風に動物に食われんと完熟して木に残ってることは珍しいことやから、この実は貴重やで。」
 ナウルの言うとおり、森の中で無傷のまま完熟したマリイヤの実を見つけることは難しい。多少の傷があったり、鳥につつかれた跡があったりしても、味に問題はないし、乾燥させてしまえば見た目も問題にはならないのだが、多くの場合、ムリクはマリイヤの実が黄色く未熟なうちに収穫し、保管庫に入れて熟すのを待っていた。マリイヤの実は、保存の仕方を間違えなければ収穫後でも熟すのだ。
「じゃあ、これは昼食後のデザートにでも……。」
 そう言ってアスティが、相変わらずナウルを睨み付けているイニスを横目に見つつ、ナウルの手からマリイヤの実を受け取ろうとした時だ。
「クエーッ!」
 甲高い鳴き声とともに、黒い物体がアスティの目の前を横切り、同時に、ナウルが手にしていたマリイヤの実が姿を消した。
「……え?」
「キーロ!」
 アスティが見上げると、マリイヤの実をくわえたキーロがばさばさと上空を旋回している。
「……お前、何すんねん! それは俺が見つけた特別なマリイヤの実やで!」
 ナウルは上空を見上げ、両手を振り回しながら叫んだ。キーロは地上の喧噪には興味がないといった風で、ゆったりとした動作で近くの木の枝にとまり、マリイヤの実を空中に投げ上げると、大きなくちばしを開いて、落ちてきたマリイヤの実を飲み込んだ。
「あー! な、何ちゅうことを……俺がアスティちゃんのために取ってきたマリイヤの実やのに……。」
「ご、ごめんない、ナウルさん。マリイヤの実はキーロの大好物なんです……。」
「……く、あれが一番うまそうやったのに……。」
 ナウルが口惜しそうに涙ぐむ。
「ったく、果物の一つくらいケチらずにくれてやれよ。」
 イニスが呆れた口調で言う。
「イニスはあのマリイヤの実がどんだけ貴重か分かってへんからそないなことが言えるんや!」
 ナウルがキッとイニスを睨みつける。イニスが不愉快そうな表情を見せ、二人が再び喧嘩を始めそうな気配を感じ取ったアスティは、慌てて口を挟んだ。
「本当にあの、ナウルさん、本当にごめんなさい……。」
「ああ、アスティちゃんが謝る必要は全然ないんやで! それに、こんなこともあろうかと、ちゃんと予備を取っといたんや!」
 そう言ってナウルは懐からマリイヤの実を三つ取り出した。先ほどキーロに奪われたマリイヤの実に比べると少し小さいが、いずれも頃よく熟している。
「お前、そんなにどこに入れてたんだ……。」
 イニスがぽかんと口を開けてナウルを見つめる。
「とにかく、穴は掘り終えたことやし、腹ごしらえやな!」
 ナウルは手にしていた掘削用具をイニスに向かって放り投げ、アスティの背中を押した。一瞬、イニスの表情が険しくなったが、イニスは諦めたようにため息を吐くと、ナウルが放り投げた掘削用具を拾い上げ、自分の使っていた掘削用具と一緒に肩に担いで二人の後をついてきた。

 アスティが昼食に用意した果物入り野菜煮込みは、ナウルには好評だったが、イニスの口には合わなかったらしい。イニスは口にこそ出さないものの、野菜煮込みを一口口に含んだ瞬間、明らかに怪訝な表情を浮かべた。
「あ、あの、やっぱりお口に合いませんか……?」
「気にするな。だいたい予想通りの味だ。」
 イニスはそう一言答えると、黙々と野菜煮込みを口に運んだが、その表情は険しく、おいしいものを夢中で食べているという風にはとても見えない。まずいけれどもとにかく口に運んで早く食べ終えてしまいたいという雰囲気だ。
(おかしいなあ、今日のはかなりおいしくできたんだけど……。)
 アスティは自分の分として取り分けた野菜煮込みを口にしながら、首を傾げた。
「アスティちゃん、おかわり!」
 ナウルがあっと言う間に空にした器を掲げる。ナウルの味覚は、アスティとほぼ一致しているようだから、都会に暮らしていることが味覚の違いの理由というわけでもないらしい。アスティは、イニスの味覚がよほど特殊なのだと考えることにして、ナウルの器にたっぷりと野菜煮込みをよそった。
 昼食を終えると、ナウルはごろんと地面に横になった。イニスがアスティの予想に反して全くおかわりをしなかったため、だいぶ残ってしまうかと思われた野菜煮込みは、ほとんどがナウルの胃袋の収まって、鍋はきれいに空になった。
「はー、もうお腹いっぱいやー!」
「ナウルさんが見つけてくれたマリイヤの実、どうしましょう? また後にしますか?」
 アスティが尋ねると、ナウルはひょこりと体を起こした。
「んにゃ、今、食べる! 甘いものは別腹や!」
 隣でイニスが呆れたようにため息を吐く。
「イニスさんは……?」
「どちらでも。」
 イニスはアスティが煎れた茶をすすりながら、淡々と答えた。
「じゃあ、すぐに取ってきます。泉の水で冷やしてあるので!」
 アスティは立ち上がると、二人をその場に残して泉へ駆けた。
 東の山脈に降った雨が地下水となって湧き出る泉は、森での生活を支える貴重な水源だ。泉の水は細い小川となって流れ出て、東の森を抜けてエウレールの中央を流れる大河へと注ぐ。このような泉は東の森に数カ所あるが、いずれも森の民はもちろん、森に暮らす動物たちにとっても必要不可欠な水源だった。
 アスティがマリイヤの実を入れて水中に沈めていたかごを引き上げ、テントへと戻ると、ナウルが木立の側へと移動し、こちらに背を向けて何やらごそごそと手先を動かしていた。
「ナウルさんは何をしているんでしょう?」
「どうせくだらないことだ、気にするな。」
 アスティがイニスに尋ねると、イニスはアスティが差し出した駕籠からマリイヤの実を一つ手に取って言った。
「ナウルさん、マリイヤの実、取ってきましたよー!」
 アスティが声を掛けると、ナウルは振り返り、手にしていた何かを懐に納めると、ぴょんぴょんと跳ねるようにアスティに寄ってきた。
「何をされてたんです?」
 アスティがマリイヤの実を差し出してナウルに問うと、ナウルはマリイヤの実を受け取ってにこりと笑った。
「んー、ちょっとええもん見つけたから、お土産にしよ思てな。」
 ナウルはマリイヤの実をかじりながら、地面に腰を下ろす。
「おおっ、うまい! さすが俺が見つけたマリイヤの実や。少し冷やしておいた分、さらに甘みが増してええ感じや!」
 ナウルは瞳を輝かせ、うっとりとして両手で頬を押さえた。
 ナウルの大げさな反応にイニスは呆れたような視線を向けるが、おいしそうにマリイヤの実を頬張っている。
「本当に、おいしいですね。」
 アスティがにこりと微笑むと、ナウルは嬉しそうに声を上げた。
「そやろ、そやろ? 俺が見つけたマリイヤの実やで! イニスも俺に感謝しながら食べや!」
 ナウルがイニスに向かって言うと、イニスがぴたりと動きを止める。
「うーん、ほんまうまいわ! 俺の目に狂いはあらへんかった。こんなにうまいマリイヤの実はそうそうないで! なあ、アスティちゃん?」
「え、ええ……ありがとうございます。」
 アスティはナウルを睨み付けているイニスの視線を気にしつつ、ナウルに礼を述べた。
 アスティは二人がまた口論を始めるのではないかとひやひやしていたが、ナウルはアスティに誉められたことで機嫌を良くしたらしく、おいしいマリイヤの実の見分け方について一説講じ始め、イニスは不機嫌そうにしながらも自らナウルに喧嘩をふっかけるつもりはないようで、黙ってマリイヤの実を食べ終えると、ナウルの話が一段落したところで口を開いた。
「……それで、後はお前のじいさんを墓穴まで運んで埋葬すればいいのか?」
 イニスは立ち上がりながらアスティに尋ねた。
「え? あ、はい。でも、できれば、清めの儀式をしたいんです。」
 アスティが答えると、イニスが首を傾げた。
 清め儀式は、東の森の民が死者の埋葬に当たって行う伝統的な儀式だ。と言っても、森の奥の湧き水で遺体を拭き清め、三夜の間月明かりに晒すだけの簡素なものだ。遺体を拭き清めるところまでは、昨日、イニスとナウルが王都へ戻っている間に済ませていたが、夜には雲が月を隠していたために、月明かりに晒すことはできていない。東の森の民の伝統に則ってムリクを埋葬するためには、あと三日が必要だ。もちろん、墓穴を掘り終えてムリクの遺体を墓地まで運ぼさえすれば、アスティ一人でも遺体を埋めるだけなら十分できる。
 だから、アスティはムリクの遺体を共同墓地に運ぶところまで手伝ってほしいとイニスに伝えた。
「いや、俺たちも最後まで付き合う。」
「でも、王都でお仕事があるんじゃ……。」
 昨日、王都から戻ってきた時にも、イニスは半日留守にしただけで仕事がたまっていたと言っていた。三日間も留守にすればなおさら仕事は溜まるだろう。王宮騎士団の仕事の詳細は分からないが、騎士団長だというイニスは、長の肩書きにふさわしい責任ある仕事をしているに違いない。
「元々、二、三日留守にするつもりで出てきてる。お前が心配することじゃない。食事のことも、ナウルのわがままに付き合う必要はない。俺たちの分は自分で用意する。」
 言い方は素っ気なかったが、それがイニスの好意であることは分かった。
「……ありがとうございます。でも、食事はちゃんと三人分用意します。次はきっと、お口に合うものを作りますから!」
 アスティが張り切って答えると、イニスは無言で眉間にしわを寄せた。
 こうして更に三日、イニスとナウルは東の森に留まることとなった。

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