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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第65話 王宮侍女の朝

 仕事が欲しいというアスティの願いは、期待以上の早さで叶えられてしまった。早朝から侍女長のマリアンヌによって叩き起こされたアスティが、今、侍女控え室で侍女の制服に着替えさせられているのはその結果である。
「王宮で侍女として働くからには他の侍女と同じです。イニス様のお客人とは言え、私は仕事に関して特別扱いはいたしませんわ。イニス様にもその点は御了解を頂いておりますからね。」
 マリアンヌはアスティの背中のエプロンの紐をきゅっと締めながら宣言した。侍女控え室まで引き連れられながら聞いたマリアンヌの説明によれば、ちょうど王宮の侍女職に欠員があり、アスティを侍女見習いとして採用してはどうかというイニスの提案を侍女長であるマリアンヌが快諾し、アスティは早速今日から侍女見習いとして働けることになったらしい。
 寝ぼけ眼で宿所の一室から引っ張り出された時、アスティを叩き起こすマリアンヌの声に気付いてか隣室から出て来たイニスが「何もそんなに慌てなくても……。」と戸惑いがちの表情を浮かべてマリアンヌに声を掛けていたから、「早速今日から」という部分はイニスの提案ではなくマリアンヌの希望によるところなのだろう。アスティとしても、こんなにも早く——より正確に言えばこんなにも朝早くに——仕事を与えられるとは思っていなかったのだが、イニスに対して「いいえ、善は急げですわ! 来月の舞踏会の準備のことを考えても、アスティ様……いえ、アスティには早めに仕事を覚えてもらわなくてはなりませんもの!」と振り向きもせずに言い放ったマリアンヌの決定に異を唱えることはできなかった。もとより自分が望んだ仕事である。
「はい。早くお仕事を覚えられるように頑張ります!」
 アスティが振り返って元気良く言い、マリアンヌが満足げな表情で頷いたその瞬間——ぐうぅ。
 突然、アスティのお腹の虫が鳴いた。
「あら?」
 マリアンヌがきょとんとしてアスティのお腹を見つめ、アスティは引き続き悲鳴を上げようとするお腹を押さえながら苦笑する。
「す、すみません……今日はまだ朝食を取っていなくて……。」
「困りましたわね。朝食は勤務時間前に済ましておいてくださらないと。」
 マリアンヌはため息混じりに言うが、アスティは、今朝マリアンヌに叩き起こされるまで勤務時間がいつなのかすら知らなかったのだから、これはいささか理不尽な要求である。
「仕方がありません。今日は特別にあれを差し上げますから、ここでささっと食べてしまってくださいな。」
 そう言いながらマリアンヌは背後の戸棚を漁り始めた。
「……はい、どうぞ。」
 振り返ったマリアンヌが差し出したのは、どこか見覚えのある小箱である。
「完全携帯食マリイヤ味。」
 アスティが小箱に書かれた文字を声に出して読み上げると、そばの椅子の背に留まってうとうととしていたキーロが「マリイヤ」の音に反応して「クエッ!?」と期待のこもった声を上げた。
「元々非常用の備蓄品だったものですけど、先日賞味期限が近いものを処分いたしました時に少し頂いておきましたの。忙しい時はきちんとした食事を取る時間もなかなかありませんからね。あまりおいしくはございませんけど、お腹を満たすには十分ですわ。」
 アスティが差し出された小箱を受け取ってまじまじと眺めていると、マリアンヌが補足した。マリアンヌの「あまりおいしくはございませんけど」と言う言葉が気になるが、目の前の小箱は間違いなく、昨日、イニスが「夕食」として手にしていたものと同じである。
「クエッ、クエッ!」
 キーロも、「マリイヤ味」が気になるらしく、催促の声を上げる。
「ああ、キーロ様も御朝食がまだですのね。では、こちらを……。」
 マリアンヌが「完全携帯食マリイヤ味」の小箱をもう一つ棚から取り出してアスティに差し出した。
「私は一度、宿所の食堂を見てきますわ。そろそろ騎士団員の皆様が起きてこられる頃ですからね。仕事の内容はジェーンに聞いてください。彼女もすぐに出勤してくるはずですから、それまでにこちらで朝食を済ませてしまってくださいね。」
 マリアンヌはそう言い残すと、侍女控え室を出て行った。
「はい……。」
 アスティは、既に姿の消えたマリアンヌに向かって答えると、先ほどまでキーロが留まっていた椅子を引き寄せ、ぽすんと腰を下ろした。
「これ、どうやって食べるのかな?」
 小箱を見つめながら、アスティは独りごちる。くるくると箱を回し、小さな「開け口」の文字を見つけて、指示どおりに箱を開けば、出てきたのは、銀色の袋。切り込みから裂いて袋を開けば、中身は細長い棒状のクッキーが数本入っていた。どう見ても、ただのクッキーである。
 イニスが「夕食」と言っていたので、箱を開けたら魔法のようにポンッと温かい料理が飛び出て来たりするのではないかと期待していたのだが、残念ながらそういう特別な仕掛けはないらしい。
「クエッ!」
 キーロが物欲しそうな声を上げるが、この予想外の食べ物が何であるかを確認するためにも、まずは自分で食べてみた方が良いと判断して、アスティは恐る恐る「完全携帯食マリイヤ味」のクッキーをかじってみた。
「……うん、クッキーだ。」
 一口食べて、アスティは誰に告げるでもなく呟いて笑った。
 マリアンヌはあまりおいしくないと言っていたけれど、優しい甘みで十分においしい。乾燥マリイヤの果肉も混ぜられているようで、アスティ好みのお菓子ではある。そう、お菓子である。当座の空腹しのぎとしては決して悪くない食べ物だが、これを「夕食」として食べるのは少し違う気がする。一箱で一人前とすると量もやや少ないように思えるし、何より……何より、何だろう?
 アスティはもそもそとクッキーを咀嚼しながら考えた。味に不満はない。食感も、クッキーとしては普通だろう。ただ何か、何かが少し足りない……。
 ぼんやりと考えを巡らしながら、アスティは辺りを見回した。静かな部屋は、決して散らかっているわけではないものの雑然としていて、落ち着いて食事をするには不向きな場所だ。もちろん、ここは食堂ではないのだから当然なのだけれど。
「クエッ!」
 空腹に耐えかねたのか、キーロがアスティの食べかけの「完全携帯食マリイヤ味」に食い付いた。
「……クエッ!」
 アスティが手にしていた開封済みの袋の中身を一飲みにして、キーロは満足げに鳴く。どうやらキーロは「完全携帯食マリイヤ味」を気に入ったらしい。
「おいしい?」
 アスティが笑いながら問い掛けると、キーロはアスティの膝の上に置かれたもう一つの小箱を見つめながら「クエッ!」と鳴いた。アスティは二つ目の小箱を開け、銀袋を裂いて中身のクッキーを一本キーロに差し出した。キーロはクッキーの端をくちばしにくわえると、ぶんっと力強く引っ張って、アスティの手からクッキーを奪い取った。
「もう……そんなに慌てて食べると喉に詰まっちゃうよ。」
 上を向きながら器用にくちばしの先でクッキーを砕きながら喉の奥へ落とし込んでいくキーロの傍らで、アスティは自分のための二本目のクッキーを取り出して口へ運んだ。口の中に広がるマリイヤの風味は、東の森で食べた新鮮な完熟マリイヤには及ばない。それでも、最初の一本よりも少しだけおいしく感じるのは、きっとキーロのおかげだ。
 昨日、夕食として「完全携帯食マリイヤ味」を食べたイニスに、食事を共にする人はいただろうか。
 アスティはぼんやりと考えながら、キーロが物欲しそうに見つめている最後のクッキーを半分に手折って半分をキーロにやり、もう半分をキーロに奪い取られる前に自分の口の中へと押し込んだ。
 ——コンコン。
 誰かが侍女控え室の入口を叩いた時、アスティの口の中には最後のクッキーが詰まったままで、アスティは答えることができず、せめてやって来た誰かを迎え入れようと慌てて椅子から腰を上げた。
「おはようございます!」
 控え室の扉は元気な挨拶の声と共に押し開かれると同時に、アスティの膝から「完全携帯食マリイヤ味」の空き箱が床へと滑り落ちる。
「……お、おはようございます!」
 アスティは慌ててしゃがみ込んで膝から落ちた空き箱を右手で拾い上げると、慌てて口の中のクッキーを飲み込み、元気良く控え室に入って来た女性を見上げた。マリアンヌと同じ、そして今アスティが着ているのと同じ侍女の制服に身を包み、すっきりとしたショートヘアの快活そうな女性だ。同じショートヘアでも、ふんわりとしたキュエリの髪型とは少し印象が異なる。
「あら、おやつタイム? 良いわね。」
 ショートヘアの女性はアスティが拾い上げた「完全携帯食マリイヤ味」の空き箱を認めるなり、腰を屈めてくすりと笑った。
「あ、これは今朝、私が朝食を食べ損ねてしまったので、マリアンヌ侍女長から頂いて……。」
「あなたがアスティよね? 今さっき、マリアンヌ侍女長から事情は聞いたわ。」
 ショートヘアの女性は、入口脇の小テーブルに荷物を置くと、アスティの答えを聞き終わらぬうちに、次の質問を繰り出してきた。マリアンヌに劣らず、せっかちな性格のようだ。
「ええと、じゃあ、あなたがジェーンさん……ですか?」
 アスティは緊張した面持ちで尋ねた。確か、マリアンヌが「もうすぐ出勤してくる」と口にしていた名前が「ジェーン」だった。
「おしい! 私はサラ。ジェーンはこっち!」
 ショートヘアの女性——サラが入口を振り返り、アスティもその視線の先を追うと、入口のところで侍女の制服に身を包んだ小柄な女性がもう一人、不安げな表情で立っていた。
「は、はじめまして……ジェーンです。」
「あ、アスティです。こっちは友達のキーロです。よろしくお願いします!」
 小柄な女性——ジェーンがぺこりと頭を下げ、アスティも肩の上のキーロを紹介しつつ慌てて頭を下げる。
「せっかくだからゆっくり自己紹介でもしたいところだけど、私、今日は食堂当番なのよね。実のところちょこっと遅刻気味だし……と言うわけでアスティ、仕事のやり方はジェーンから聞いてね! この子、王宮付きの侍女の中では一番の新人だし、ちょっと気が弱いけど、侍女としては有能だから。ジェーン、しっかりアスティを指導するのよ!」
 サラはにこりと笑うと、勢いよくジェーンの背中を叩き、ひらりと裾を翻して控え室を飛び出して行った。背中を叩かれたジェーンは数歩よろめき、手近なテーブルに片手をついてけほけほとせき込んでいる。
「だ、大丈夫ですか?」
 アスティがジェーンの顔を覗き込むと、ジェーンは「大丈夫です。」と端的に答えた後、コホンと一つ咳払いをして姿勢を正し、アスティに向き直った。
「マリアンヌ侍女長からもお聞きになっているかと思いますが、今回、私がアスティさんの指導係を務めることになりました。基本的に私と一緒に仕事をしてもらいながら侍女の仕事を覚えていただくことになります。何か分からないことがあれば随時お尋ねください。」
 ジェーンは丁寧な口調ではっきりと告げ、アスティは素直に「はい。」と答える。
「ちなみに、来月の舞踏会の準備に加えて、先月、アンナさんというベテラン侍女が結婚を機に退職されてしまって、マリアンヌ侍女長はもちろん、先ほどのサラさんを含めた侍女の先輩方はとても忙しくされています。私は侍女の中では一番の新人ですし、アスティさんもこれから色々な仕事を覚えなければならないので大変だと思いますが、少しでも先輩方の負担を減らせるように頑張りましょう!」
 ジェーンはそう言うとぎゅっと胸の前で両手の拳を握り締めた。
「はい!」
 アスティが笑顔で元気良く答えると、ジェーンが照れくさそうに笑う。
「今日の私たちの最初の仕事は洗濯です。では、行きましょう!」
 ジェーンは踵を返し、張り切って控え室を出ようとした……のだが。
 ——びったん!
 突然、ジェーンが床に倒れ込んだ。
「ジェーンさん!?」
 アスティが驚いて声を上げると、顔面から床に倒れ込んだジェーンがもぞもぞもと体を起こす。
「……だ、大丈夫です。少し裾を踏んでしまっただけですので。」
 ジェーンは強く打ち付けたらしい鼻先を押さえながら立ち上がり、ぱんぱんと侍女服の裾を叩いた。
「クエェ……?」
 アスティの肩にとまったキーロが不安げな声で鳴き、ジェーンを見つめる。
「すみません。侍女の後輩を持つのは初めてなので、少し緊張しています。」
 そう言って、ジェーンは大きく一つ深呼吸した。
「でも、もう大丈夫です。さあ、行きましょう。」
 気を取り直し、ジェーンは慎重な足取りで控え室を出て行き、アスティもジェーンに続いた。
「……ところで、どこまで行くんですか? やっぱり川ですか?」
 廊下に出てジェーンの隣に並び、アスティは問い掛けた。森の民が洗濯をすると言えば、水のある川へ行くのが当然だ。
「川?」
 ジェーンがぴたりと足を止め、怪訝そうな表情でアスティを見つめる。
「ち、違うんですか?」
 アスティはどぎまぎしながら聞き返した。王都には森を流れる小川の代わりに、地下に無数の水路が作られていると聞いたから、川の代わりに水の流れる地下室へ行くのかもしれない。
「はい、違います。先ほど、私たちの仕事は洗濯だと申し上げました。洗濯するなら、行くべき場所はここ、洗濯室です。」
 ジェーンはきっぱりと言い切ると、くるりとアスティに背を向けた。ジェーンの視線の先には四角い扉。脇には「洗濯室」と小さな看板が掛かっている。
「さあ、始めましょう。」
 ジェーンが洗濯室の扉を開け、目の前に現れた景色にアスティは唖然とした。
 ——山、山、山……。
 部屋いっぱいに、かごに入った白いシーツとテーブルクロスの山が積み重なっていた。
「……ぅわぁ。」
 予想外の光景に、アスティは思わず感嘆の息を漏らす。
「これを全部、私たちが洗うんですか?」
「もちろんです。」
 アスティの問いにジェーンは端的に答え、アスティはしばし呆然と白い山を見つめた。
 アスティの感覚では、目の前に積み上げられたシーツとテーブルクロスは、とても今日一日で洗い終えることができる量ではない。しかし、ジェーンは淡々と作業を始め、アスティもジェーンの指示どおりに動くと、意外なことに、「洗濯」の仕事はあっという間に終わってしまった。
 東の森でのアスティの「洗濯」は、洗うべき衣類を一枚ずつ小川の水に浸しながらごしごしと汚れを擦り落とすものだったのだが、王都における「洗濯」は、洗いたい物を専用の機械に入れ、良い香りのする液体を計って注入口から注ぎ入れて機械の扉を閉め、丸いボタンをポンッと一押しするだけのことを言うらしい。
 この四角い洗濯用機械には、ナウルが作ってくれた歌って踊って魔法も使えるロボットのような愛嬌はないが、あんなにもたくさんの洗濯物を一度に洗えてしまうのだから、アスティにとってはこの一見無骨な発明品も十分魔法使いである。
「では、これが終わるまでの間に清掃に行きましょう。今日の私たちの担当は騎士団の宿所の二階です。」
 全ての洗濯用機械がぐおんぐおんと騒ぎ始めたのを確認すると、ジェーンは空になったカゴをきちんと部屋の隅に重ね置き、アスティを促して洗濯室を出た。
 本宮を出て宿所へ着くと、ジェーンとアスティはまずの共用部の隅にある物置から掃除用具や新しいシーツなどを取り出し、台車に乗せた。
「では、まずはカーディアル部門長のお部屋から始めましょう。」
 アスティはジェーンに続いて食堂の脇の階段を上ってコの字型の宿所の二階へ行き——掃除用具を載せた台車は階段の脇のレールに金具を引っ掛けると、王都の発明品たる力持ちの機械が二階まで引き上げてくれ、イニスやアスティの部屋がある側とは反対側の端の部屋の扉を叩いた。
「室内清掃に参りました!」
 ジェーンが告げ、しばらく待つも応答はない。
「お留守でしょうか?」
「ええ。既に始業時間を過ぎていますから。」
 アスティの問いに、ジェーンが端的に答える。
「え、じゃあ……。」
「勝手に入ります。」
 アスティが問い掛けるよりも早く、ジェーンは扉の脇の小さな四角い機械に触れ——ピピッ。響いた甲高い電子音は、先日、ジェイスとヨルンに王宮内を案内してもらっていた時に土木部門の部屋の前で聞いたのと同じだ。どうやら宿所の部屋も、アスティの使っている古い部屋以外は、指先の渦巻き模様や瞳の模様が鍵になっているらしい。
「清掃日には清掃担当の侍女にも各部屋に出入りする権限が与えられているんです。清掃日は予め各部屋に通告されていて、支障がある時は事前に連絡がありますし、通常、清掃は御本人が留守にされている日中に済ませることになっています。お部屋では皆様くつろがれたいでしょうから。」
 ジェーンは説明しながら扉を開けて部屋の中へと入り、アスティもそれに続いた。カーディアルの部屋はアスティの部屋よりはもちろん、山積みの本で埋まっていたナウルの部屋や奇妙な芸術品に溢れていたヨルンとジェイスの部屋よりもだいぶ広く、部屋の奥には扉があり、更に別の部屋と繋がっているらしい。
「各部門長のお部屋には個人用のシャワールームもあるので、一般の騎士団員の部屋より広いんです。その分、掃除は大変なんですけど……。」
 アスティがきょろきょろと室内を見回していると、掃除用具を部屋の隅に置きながらジェーンが説明してくれた。
 共用の廊下に面した入ってすぐの部屋には、壁一面の本棚と机、ソファーと小テーブルがあり、その隣の衝立で仕切られた一角に大きめのベッドが置かれている。奥の扉がシャワールームに繋がっているらしい。
「机の上の物や棚の上の物にはなるべく手を触れず、床の上の物も明らかなゴミ以外は捨てないようにしてください。このスナック菓子の空き袋はゴミだと思いますが、こういうの手書きのメモはゴミ箱に入っているのでない限り、重要なものかもしれませんので、テーブルの上の目立つところに置いておきます。」
 そう言いながら、ジェーンは足下のゴミくず——のように見えるものを拾い上げ、一つをゴミ箱に入れ、一つをテーブルの上に広げ置いた。物で溢れていたナウルの部屋に比べればカーディアルの部屋はだいぶましに思えるものの、机の上の様々な機械と本、そしてソファー周りに散らばった飲み食いの痕跡が激しい。ベッドの上掛けはめくれ上がって半分がベッドからずり落ちており、その上に部屋着らしき服が脱ぎっぱなしの状態で置かれていた。
「ここ数日、皆さんお忙しかったようですから……。」
 アスティが苦笑いを浮かべながら部屋を見回していると、部屋の奥の窓を開け放ちながらジェーンがため息混じりにこぼした。この部屋が散らかっているのは、部屋の主が忙しくて片付ける時間を持たなかったせいだということらしいが、何となく、この散らかった状態がカーディアルらしい気もしてしまう。
「アスティさんはベッドのシーツを外して、洗濯物袋に入れてください。私はその間に棚の埃を払います。」
「は、はいっ……。」
 ジェーンに指示されてアスティがベッドに近付くと、めくれ上がった上掛けの陰で、脱ぎ捨てられた赤い部屋着が裏返しになって踊っていた。一瞬、誰かが寝ているのかと思ったのだが、既に中身はこの部屋を抜け出しているようだ。
「クエェ……?」
 アスティの肩の上で、キーロが首を傾げながら鳴いた。アスティは恐る恐る赤い部屋着を摘み上げる。
「あの……。」
「シーツは毎回交換することになっているので、全部外してください。枕カバーも。洗濯袋に入っていない私物の衣類は回収しません。」
 アスティが問いを発するよりも早くジェーンが答えた。ジェーンはアスティに背を向けたまま、ぱたぱたと棚の埃を払い落としながら、床に散らばった品々を拾い上げ、机周りを片付けていく。アスティよりも小柄で最初はいくらか頼りなくも見えたジェーンだが、サラが彼女を「有能」と称したのは間違いではないらしい。アスティは言われるままにベッドからシーツを引っ剥がし、枕本体を抜き取った枕カバーも洗濯物袋に詰め込んだ。回収しないと言われた部屋着は、裏表を正し、ベッドサイドの小机に畳んで置いた。
「シーツのセットにはコツがあるのでよく見ていてくださいね。」
 棚の埃を払い終えたらしいジェーンは、台車に載っていた新しいシーツを手に取り、ベッドの上でひらりと広げた。ジェーンに言われたとおり、アスティはてきぱきとしたジェーンの動きを確かに見てはいたのだが、ジェーンの慣れた手つきに素直に感心してしまい、真っ白なシーツがしわ一つなくベッドに装着されてジェーンが「分かりましたか?」とアスティを振り返った時、アスティは「う、うーん……。」と煮え切らない返事を返すしかなかった。
「……私もきちんとできるようになるまでは時間が掛かったので、今度ゆっくり練習しましょう。まずは、お掃除の仕方をひととおり覚えてくださいね。」
 ジェーンが漏らした小さなため息に心が痛んだが、続いた慰めの言葉が救いだ。
 それから、アスティはジェーンと共に床を掃き、シャワールームを磨き上げ、ゴミ箱の中身を回収し、カーディアルの部屋の掃除を終えた。
「以上で、この部屋の掃除は終了です。この後、私はこの向かい側にあるレイシー部門長のお部屋とギムニク部門長のお部屋を片付けていますから、アスティさんはその間にこの隣のゴートン部門長のお部屋の掃除をしてください。机の上や棚の上の物はそのままにすること、床に落ちているものも明らかなゴミ以外は捨てないことの二点を守ってくだされば、普通に掃除をしていただくだけで大丈夫です。シーツのセットは最後に私も手伝いますから。」
 そう言ってジェーンはカーディアルの部屋の外に出ると、アスティに掃除用具一式を押し付けて、隣の部屋へ向かうようアスティに促した。
「あ、はい……。」
「あ、部屋の鍵は私が開けますね。まだアスティさんの生体情報がシステムに登録されていないようですから。」
 言いながら、ジェーンは隣の部屋の扉の脇の機械に触れ、扉を押し開けると、アスティをゴートンの部屋の中へ押し込んで、台車をころころと引きながら去って行ってしまった。
 一人ゴートンの部屋に残されたアスティは、ぐるりと部屋を見渡して小さく息を吐く。床にゴミくずが散らばっていたカーディアルの部屋に比べれば、ゴートンの部屋はだいぶ片付いていた。机の片隅に本と書類の山ができてはいるが、それも、本宮の土木部門の事務室にあったヨルンの机にできた要塞ほどではない。これなら、ジェーンの言ったとおり、普通に掃除をするだけで済みそうだ。
「さあ、始めるよ!」
 アスティが気合いを入れて宣言すると、キーロは「クエッ!」と応じてアスティの肩の上で片翼を広げた。

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