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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第63話

 月曜日の朝、太陽は薄い雲の奥に隠れていた。アスティがのんびりと宿所の部屋を出ると、食堂から飛び出してきたらしい騎士団員が数名、慌ただしく駆け抜けていく。昨晩、食堂で見かけた顔だったが、そうと認識した時には彼の背中はだいぶ遠ざかっていた。
「忙しいのかな?」
「クエェ……。」
 本宮へ駆け込んで行く人影をぼんやりと眺めながら呟くと、キーロがまだ眠そうな声を上げた。
 朝食のため食堂へ入ると、既に人影はない。雲のせいで太陽の正確な位置は分からないが、さほど寝坊をしたとも思えないのに、既に多くの騎士団員は朝食を済ませた後のようだ。
 アスティとキーロもパンと果物を中心とした簡単な朝食を取ると、すぐに食堂を出た。
「今日は、どうしようか?」
 肩の上のキーロに尋ねると、好物のマリイヤでお腹がいっぱいのキーロは「ゲェッ。」とげっぷのような声を返す。ここ数日のキーロの食べっぷりは、東の森にいた頃と比べても並外れている。キーロの載った右肩が以前よりもだいぶ重い気がするのは、たぶん気のせいではない。
「もう、食べ過ぎだよ。」
 指先で軽くキーロを突き窘めてみたが、キーロは満足げに目を細めて「クエッ!」と鳴いた。
 今日の行き先について、キーロに意見を求めたのは元より的確な回答を期待してのものではない。自室の前を通り過ぎ、ぼんやりと本宮まで歩いてきたアスティの足は、自然と王宮図書室へと向いた。
 本宮の入り口に立っていた騎士団員に敬礼され、アスティはぎこちなく会釈を返して上階へ昇る階段へと進む。
 本宮内も思いの外、人が少ない。多くの騎士団員は各部門の部屋で各々仕事に励んでいるのだろうか。
 図書室の重い扉を押し開けると、図書室内は相変わらずの静けさを保っていた。棚に立てかけられていた梯子を登って、棚の上の空間もひととおり見渡してみたが、図書館の主たるナウルの姿も見当たらない。
 仕方なく、アスティは、土曜日にナウルが見繕ってくれた「基本書」を抜き出して、窓際に並んだ机で読み始めた。「基本書」とは言え、子供向けの絵本に比べたらずっとたくさんの難しい言葉が並んでいる。アスティは、分からない言葉を別の棚に見つけた辞書で引きながら、少しずつ読み進めた。ただ、調べた意味の中にも分からない言葉が含まれていることがあり、その言葉を調べるとなぜか最初の分からない言葉にまた戻ってきてしまうというどうにも解決しがたい問題にぶつかって、アスティの読書は「基本書」を半分も読み終えないうちに頓挫した。
「クエェ……!」
 キーロが空腹の声を上げ始め、そろそろ昼食の時間でもある。
「お昼にしよっか。」
 アスティは、意味の分からない言葉を含んだ一文とその頁数を机の端に置かれていたペンとメモ用紙に書き写すと、本を元の棚へと戻して図書室を出た。王宮内でナウルに会えれば、この分からない言葉の意味を聞くことができるかもしれない。ナウルならきっと快く教えてくれるはずだし、ヨルンやジェイスでも力になってくれるかもしれない。今日はまだ、どの三人にも会えていないのだけれど。
「あ。お前、ナウルさん見なかったか?」
 アスティが図書館のある三階から降りていくと、一階の廊下で今まさにアスティが考えていた人の名前を耳にした。声の主は、これまた今まさに思っていた人、ジェイスである。
「見てないよー、今日は一度も。」
 答えた声はヨルンだ。どうやらジェイスもアスティと同じくナウルを探しているらしい。
「ジェイスさん、ヨルンさん!」
 アスティは声が聞こえた入り口へと廊下を駆け、立ち話をしていたジェイスとヨルンに声を掛けた。
「あ、アスティさんにキーロ! 二人ともおはよー。」
 アスティとキーロの姿を認めるなり、ヨルンがいつもの笑顔を見せた。
「クエッ!」
 キーロが嬉しそうに鳴いて、アスティの肩からヨルンの肩へと飛び移る。
「王宮の中で迷子にならなかった?」
 ヨルンはキーロの頭を指先で優しく撫でながらアスティに問うた。
「今のところは。」
「それは良かった。本宮は本当に広くて、ちょっと気を抜くとすぐ迷子になっちゃうから、気を付けてね! 僕なんか今朝も途中で道に迷って、朝礼に遅れちゃったんだよ。」
 ヨルンがけらけらと笑いながら言うと、「いや、今朝のお前の遅刻は単なる寝坊だろ。」とジェイスが呆れた調子で言い、アスティは苦笑した。
「ジェイスさんはナウルさんを探していらっしゃるんですか?」
「ああ、今日の俺のここでの立番は昼までで、今の時間はあの人がここに立つはずなんだけど、例によって全く姿を見せないからさ。あの人が来ないと、俺、昼飯に行けない……。」
 ジェイスはがっくりと肩を落としてため息を吐く。
「よぉ、お前ら。天気がいいからってぼんやりサボってないで仕事しろー。」
 中庭を抜けてやって来たのは、土木部門長ゴートンだ。
「サボってなんかいないっすよ! むしろ必要以上に働いてます!」
 振り返るなり、真っ先に抗議の声を上げたのはジェイスだ。
「ジェイスと交代のナウルさんの姿が見当たらなくて、ジェイスがお昼休憩に行けないんです。」
 ヨルンがジェイスの事情を補足すると、ゴートンは合点したような表情を見せた後に笑った。
「そりゃ運が悪かったな、諦めろ。俺はあいつがまともに立番してるとこなんて一度も見たことないぞ。」
 ゴートンは慰めるようにジェイスの肩をぽんぽんと叩く。
「諦めろってそんな……せめて、『しばらく代わってやるからとっとと飯食ってこい!』とか言ってくれたりしないんですか?」
 ジェイスが恨めしげにゴートンを見上げる。
「俺は、貴重な昼休みを潰してまで他部門の下っ端のために立番代わってやるほどお人好しじゃねぇよ。その程度ならヨルンにでも頼め。」
「えー、ダメですよ、僕は。僕だってこれからお昼食べに行くところなんですもん! ここは、もうお昼が済んでるゴートン部門長の出番かと!」
「断る。俺は昼休みが終わったらつまらない書類の山と格闘しなきゃならない運命なんだ。その前にこいつを一振りしねぇと午後の仕事のやる気が出ねえぇかならな!」
 ゴートンは腰に差していた剣を鞘ごと引き抜くと肩に担いだ。ジェイスやヨルンが腰に差している剣と比べると、随分と鞘が太いように見える。
「それってつまり、昼休みの間は結構暇ってことなんじゃ……。」
 ジェイスが恨めしげにこぼすが、ゴートンは愛用の剣を愛おしげに撫で、ジェイスの呟きは耳に届いていないらしい。
「ゴートンさんの剣は随分大きいんですね。」
 ゴートンの剣を眺めながら、アスティは自然に湧いた疑問を口にした。
「ああ、これは俺専用の特注品だからな。そいつらが提げてる標準規格の大量生産品とはひと味もふた味も違う。その気になれば、丸太だって真っ二つだ。」
 ゴートンの口調は自慢げだ。ゴートンの設計した建築物はだいぶ繊細だったが、剣技に関しては、ゴートンのスタイルは見た目どおりに豪快なものらしい。
「斧じゃないんですから、丸太を真っ二つにできなくても何の問題もないですけどね。」
 どうせ聞こえないと踏んだのか、ジェイスが冷ややかな口調でこぼすと、今度の呟きはゴートンの耳にも届いていたようで、ゴートンが不満げにジェイスを睨んだ。
「そう言えば、イニスさんの剣もみなさんの剣とは少し違いましたよね。」
 ゴートンとジェイスの間で喧嘩が勃発するのを避けるべく、アスティは慌てて思いつきを口にする。
 ジェイスやヨルン、ゴートンの剣はほとんど真っ直ぐだが、イニスの剣は曲線を描いていた。鞘もゴートンのものよりはもちろん、ジェイスやヨルンのものよりも更に細かったように思う。
「まあ、あいつの剣はそもそも剣じゃねぇからな。」
 ゴートンが苦笑を浮かべながら言い、アスティは「え?」と首を傾げる。
「剣ってのは、普通こういう風に左右に刃があるもんだが、あいつの剣は片刃なんだよ。」
 言いながら、ゴートンは自分の剣を僅かに鞘から引き出して見せた。厚みのある刀身の左右に鋭い刃が光る。
「イニスの剣は元は前騎士団長のリスティアのもんだったんだ。海の向こうの小さな島国で作られた貴重な舶来品だって聞いてたから、形見分けとして最初は俺が貰おうと思ってたんだが、刀身も反りが入ってやたら細いし、俺にはどうにも使いづらくてな。結局、イニスのところにやったんだ。あいつは先代の一番弟子だったし、あの妙な形があいつには合うらしい。」
 ため息混じりにそう言って、ゴートンは「俺には理解しがたいんだが。」と言い添えた。
「ゴートンさんの剣術は完全に叩き切る感じですもんね。イニスさんは引き切るって言うか……。」
 ヨルンが言う。
「ああ、あの尋常ならざる剣速もあの独特の形の剣故だろうな。さすがの俺もこの剣をあの速度で引き抜くのは無理だ。」
 言いながら、ゴートンは再び自分の剣を肩に担ぐ。
「のんびり立ち話とは、暇そうだな。」
 不意の声と共に王宮内から黒い影が現れた。
「わっ、イニス団長!」
 振り向きざま、ジェイスが驚きの声を上げて飛び上がる。黒い影——イニスはジェイスの驚きには特段の反応を返さず、不機嫌そうに眉間に皺を寄せたままゴートンを見やった。
「俺はちょうど昼休みなんだよ。」
 気怠げに、かつ不満げに答え、ゴートンは視線を逸らす。イニスは小さくため息を吐き、視線をびくびくと縮こまっているジェイスへと移した。
「出入り口の立番は外の見張りだけが仕事じゃない。中の廊下を通る人物にも警戒を怠らぬよう、今朝も訓示したばかりだと思うが。」
「すすすすみません! その、実は交代のナウルさんが一向に来なくて昼飯を食いに行けないので、どうしようかと相談を……。携帯端末装置モバイル・ギアの通信もさっきからずっと呼び出してるんですけど、全然応答がなくて……。」
 ジェイスが慌てて両手振りながら説明する。
「情報部門の待機組を回してやる。少し待ってろ。」
 イニスが端的に答え、踵を返して本宮の中へと戻っていくと、ジェイスがほっとしたように肩を落とした。
「ったく、可哀想になぁ。お友達を可愛がって非現実的な当番表を作る上司がいると、しわ寄せは全部下っ端に来るんだ。本当に災難だったなあ、ジェイス?」
 ゴートンがジェイスの肩に腕を回し、これ見よがしにイニスの背中に向かって声を上げた。ほっとしたのも束の間、ジェイスがぎょっとした表情でゴートンを見つめ返す。
「いや、俺は別にその……。」
「ゴートン、言いたいことがあるなら直接言え。」
 イニスがむっとした表情で振り返り、ゴートンを睨みつける。
「別にただの独り言だ。仕事をしないことが分かりきってる税金泥棒をいつまでも呑気に雇い続けてるお優しい騎士団長様に文句を付けることなんて一つもねぇよ。」
 ゴートンはニカッと笑って言うが、対するイニスの表情は硬いまま、ジェイスはゴートンに首を絞められているわけではないようだが、口を半開きにしたまま青ざめている。
「そうか。なら、一つ伝えておこう。立番の分担表は各人の仕事量と能力を数値化したデータを元にセキュリティ効果が最大となるよう自動プログラムが作成している。結果に問題があるようなら教えてくれ。プログラムを改修する。」
 そう言うなり、イニスは再び踵を返した。
「それと……俺は、無能を雇い続けるほど優しくない。採否の基準は、『使える否か』かともう一つ、『使える可能性があるか否か』だ。」
 首だけ振り向いてそう言い足すと、イニスはすたすたと本宮の廊下の先へと消えていった。
「『使える可能性』……ね。そうやって対象拡大の余地を残しちまうのは十分優しいと思うけどね、俺は。」
 イニスの背中を見送ったゴートンがため息混じりに呟くと、ゴートンに肩を抱かれていたジェイスがへなへなと石畳に崩れ落ちた。
「お? 何崩れ落ちてんだ、ジェイス。良かったじゃねぇか、お前も『可能性』のおかげで首も皮一枚繋がってるってことだぞ。」
 ゴートンはけらけらと笑ってジェイスの肩を叩く。
「良くないですよ! 俺、ただでさえイニス団長には嫌われてるんですから、これ以上印象が悪くなったらどうするんですか!」
「安心しろ。下っ端騎士団員の印象なんざそもそもあってないようなもんだ。今以上には悪くならん。」
「それ、今の俺の印象が最低値って意味ですよね?」
「ああ、何か間違ってるか?」
 訝しげにゴートンを見上げたジェイスに、ゴートンが容赦なく言い放つと、ジェイスはがっくりとうなだれて、「いいですよ、もう。どうせ俺は最底辺の下っ端ですからね!」と文句をこぼしながら立ち上がる。
「まあ、使える奴になりたかったら、お前も俺を見習って鍛錬に勤しむことだ。リスティア以来、騎士団の業務は各々の専門性を生かした分析調査の割合が増えてるとは言え、俺たちの本務は国王陛下の身辺警護。騎士団うちは文字どおりに実力勝負の世界なんだからよ。」
 ゴートンが力強くジェイスの背中を叩き、ジェイスはよろめく。
「正直、実力勝負の世界だからこそ、お先真っ暗って感じですけどね、俺の場合……。」
 ジェイスは石壁に手を添えてため息混じりに呟く。
「何甘ったれたこと言ってんだ。実力不足の自覚があるなら鍛錬しろ! いざという時に何もできなかったら、後悔するのは自分だぞ!」
 ゴートンはそうジェイスに発破をかけると、くるりとヨルンに向き直った。
「と言うわけで、ヨルン。お前はこれから俺の鍛錬に付き合え。剣の持ち方から指導してやる。」
 ゴートンがヨルンの肩を掴んで引っ張った。
「ええー、僕、お昼ご飯これからなんですよ! それに、剣術の稽古は正直あまり好きじゃないし……。」
 ヨルンは心底嫌そうな表情を見せる。古武術の使い手であるヨルンは、素手ならイニスにも勝てると豪語していたが、どういうわけか武器を手にすると弱くなってしまうらしいから、剣術の稽古が好きではないというのは苦手を避けたいということだろう。ヨルンの腰の引けた回答に、明らかな不満の表情を浮かべてゴートンが振り返る。
アスティは、金曜日の宴席で、ヨルンが剣術を苦手とする原因は訓練不足だとゴートンが断言していたことを思い出し、ヨルンの回答ゴートンの逆鱗に触れたのではないかと心配したが、ヨルンはへらっと笑って見せる。
「……ヨルン、今すぐ俺の鍛錬に付き合えば、部屋の冷蔵庫にしまってある王室御用達のアイスクリームパフェ特大サイズを譲ってやってもいいぞ。」
 予想外の柔和な声音でゴートンが提案すると、ヨルンはパッと瞳を輝かせて「付き合います!」と勢いよく片手を挙げて同意した。ゴートンが満足そうに微笑んで踵を返すと、ヨルンも楽しそうにスキップをしながらゴートンの後をついて行く。
「あいつ、パフェ一つで付いてったけど、普通に食堂行けばアイスクリームくらいいくらでも食えんのにな。」
 ヨルンの背中を見送りながら、ジェイスが呆れた表情で呟き、アスティは苦笑した。

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