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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第59話

 「それにしても、レイシー部門長のあの態度は何なんですかね? 俺らに対する扱いがぞんざいなのは諦めるにしても、何も悪くないアスティさんに対してあれはあんまりですよ。八つ当たりにしたって酷過ぎません?」
 ジェイスは左で頬杖をつき、右手でフォークを弄びながらぶつぶつと呟いた。
「レイシーは必要以上に人と関わりたがらないタイプだから。別に、アスティさんのことが気に入らないってわけじゃないんだよ。」
「その関わりたくないって言う感覚が俺には理解不能です! アスティさんがプラント建設に反対してるからって反政府勢力の連中と同じじゃないし、そもそも、レイシーさんだって、ああいう研究してるからには、積極的なプラント建設推進派ってわけでもないんでしょう?」
 ジェイスが憤慨した様子で再び声を張り上げる。
「まあね。どちらかと言えばレイシーは消極派だよ。過去の有害物質の漏出事件ではお祖母さんが被害を受けているしね。」
 バウンスは小さなため息を一つ吐き、淡々と目の前のケーキを口へ運びながらジェイスに答えた。
「あの、漏出事件って……?」
 アスティが問うと、バウンスはフォークを小皿に置いて顔を上げる。
「さっきジェイスも言ってたでしょ、昔、プラントで生じた有害物質が漏れ出て騒ぎになったことがあるって。もう十年以上前、西部地域で実験炉として稼動を始めた初期型のエネルギー・プラントの排水は、有害物質を含んだままエウレール川の支流に放出されていた。その支流は西部地域の上水道の取水源でもあり、プラントの運用開始からしばらくして、一部の住民が体調不良を訴えるようになった。主な症状は全身倦怠と慢性痛で、直ちに命に関わるようなものではなかったけど、まだエネルギー・プラントで生じる副産物の有害性は知られておらず、多くの人々が原因不明の症状に苦しんだ。当時、既に隠居暮らしで王都を離れていたレイシーのお祖母さんもその一人。レイシーが研究者の道に進んだのは、元々は彼女たちの症状に対する治療法を見つけることだったんだよ。レイシーのお祖母さんが数年前に亡くなって、レイシーは研究の主軸を被害の発生防止するための有害物質の無毒化技術の確立に移したけどね。」
「そうだったんですか……。」
 アスティは、レイシーがどういう人物なのか、少しだけ分かったような気がした。彼は悪い人でも怖い人でもない。たぶんきっと、とても優しい人だ。その優しい彼が、どうしてああも素っ気ない態度を取るのかはまだよく分からないけれど……。
「だから、心情的には僕よりもレイシーの方がアスティさんに近いと思うよ。僕は、政治的には完全にプラント建設推進派だからね。」
「え? 推進派……?」
 バウンスの意外な言葉に、アスティは驚いて聞き返す。
「あれ、言わなかったっけ? 僕は基本的に、政府の新プラント建設の方針は支持してるし、一国民としては、東の森に建設予定の新プラントの運用が可能な限り早期に開始されるれることを願ってるんだよ。」
「ど、どうして……?」
 確かに先ほど、バウンスはプラントは必要だと明言したが、その言葉はあくまでも消極的選択であるようにアスティには聞こえていた。これまでの彼の友好的な態度やプラントの危険性を前提にした研究内容からすると、はっきり推進派だと言われることには戸惑いを覚えざるを得ない。
「どうしてって、そりゃあ家業が自動車メーカーだからねぇ。エネルギー供給が不足すれば自動車を製造できなくなるし、エネルギー消費なしには自動車も動かないし、動かない自動車は売れないし……企業としてやっていけなくなるもの。系列会社はエネルギー・プラントの機械部品の製造もしているから、新しいプラントができればその分部品も売れて儲かるしね。機械産業の関係者は基本的にプラント建設には大賛成だよ。そして、僕の父はそういう産業界の支持を受けて議員になり、東の森での新プラントの建設計画を決定したわけで。」
 バウンスはぼんやりと天井を見上げながら語るが、語られた事実は重大だ。
「バウンスさんのお父さんが東の森でのプラント建設を決めたんですか……?」
「そうだよ。産業大臣である僕の父親が決めたんだ。僕は父の政策に全て賛成しているわけじゃないけど、この決定については基本的に支持してる。つまり、アスティさんにとって、僕は政治的には完全なる敵対者。言ったでしょ、僕は優しくないって。」
 唖然とするアスティに、バウンスはにこりと笑顔を向ける。その言葉とは裏腹に、バウンスの態度はあくまでも穏やかで優しい。
 アスティは、バウンスの真意を計り兼ねながらも、バウンスが言ったことの意味を考えた。東の森でのプラント建設計画を決めたのはバウンスの父親である産業大臣——その事実は、単に計画に対するバウンスの見解がアスティとは大きく異なっているという驚きを超えて、アスティにとって重大な意味を持っている。
「あ、あの……政府が東の森のプラント建設を決めたのがバウンスさんのお父様の意向によるなら、計画の中止もバウンスさんのお父様の御意向次第で決まるんでしょうか?」
 アスティは躊躇いながらも、意を決してバウンスに問いを向けた。
「もしかして、計画を中止するよう父を説得するつもり?」
 問いに問いで返し、バウンスは笑った。
「僕に仲立ちを期待しているなら無駄だし、そもそも無理だと思うよ? 政府の決定は父の意向によると言っても、その父の意向の背後には数百万の支持者の意向がある。成金趣味のオヤジとは言え、従来からの支持者を裏切って、小娘一人の意見に従うほど落ちぶれてはいないはずだからね。」
 バウンスは自信ありげな笑みを見せて言った後、ふっとため息と共に肩を竦めた。
「でもまぁ、僕が止めたくらいで諦めるようならここまで来やしないんだろうし、好きに頑張ってよ。」
「ありがとうございます!」
 予想外の励ましの言葉にアスティが笑顔を見せると、バウンスは困ったように苦笑した。
「僕は御礼を言われるほどのことはしていないし、これからもするつもりはないけどね?」
 アスティとて、プラント推進派だと公言するバウンスが、プラント建設計画を中止させたいアスティに協力してくれるとは思っていない。でも、だからこそ、彼が立場の違う自分に笑顔を見せてくれたことが嬉しかった。
「……全く、レイシー部門長もバウンスさんのこの友好的な態度を見習ってほしいよな。プラント推進派のバウンスさんですらこうなのに、消極派のレイシー部門長がどうしてアスティさんをああも邪険にするんだか……研究動機からしたら、レイシー部門長の本音も『プラント反対』なんでしょう?」
 ジェイスは、奥の実験室へ繋がる扉を振り返りつつ、ため息交じりでこぼす。
「だからこそ、関わりたくないんだよ。」
 バウンスがはっきりと言った。
「だからこそ?」
「レイシーにとって、政治的立場を明らかにすることは禁忌だから。」
 バウンスの言葉に、ヨルンとレイシーも怪訝そうに首を傾げる。バウンスは口元に手を当ててしばらく考え込むそぶりを見せた後、おもむろに口を開いた。
「二人は知ってるでしょ? レイシーが王家の血を引いてること。」
 バウンスはヨルンとジェイスを見つめて言った。
「ええ。」
「まあ、噂程度ですけど。」
 ヨルンが頷き、ジェイスが言い添えるが、アスティには意味が分からずきょとんとするほかない。
「レイシーはエウレール王家の血統に連なる王族の末裔なんだ。つまり、現国王やユミリエール姫の血縁者ってこと。」
「そ、そうなんですか。」
「だから言ったろ、レイシー部門長はやんごとなきお方だって。」
 驚いたアスティに、ジェイスが声を潜めて耳打ちする。確かに、金曜日の宴席でそう聞いた気がする。その時聞いた「やんごとなき」の意味は「名家中の名家」だった気がするが、国王の血縁者一族なら間違いなく名家だ。
「レイシーの目の色、青いでしょう? それが姻戚関係でしかないオーヴェルジーニなんかとは違って真に王家の血統である証。髪の色も元はユミリエール姫と同じ綺麗なブロンドだったらしいけど……。」
「今は銀色……ですよね?」
 アスティが言葉を継いで問う。
「うん。不敬を避けるために脱色したって聞いた。」
「不敬?」
「臣下の身分で王家の血統を表すブロンドの髪と青い目を持つのは畏れ多いってこと。建国の英雄と同じブロンドの髪と青い目は、かつては王位継承権の要件にもなってたくらいだからね。」
「そんな理由でわざわざ脱色したんすか? もったいねーの。金髪なんて庶民にだっていくらでもいんのに。」
 そういうジェイスの髪色も、茶髪と呼ぶにはだいぶ明るく、金髪に近い色をしている。
「レイシーの場合はそうせざるを得なかったんだよ。」
 バウンスは寂しげに言い、ため息をこぼす。
「今でこそ王位継承権は女子にも認められているけど、レイシーが生まれた頃は王位継承権を持つのは男子に限られていた。規定が変わったのは、ユミリエール姫の母である王妃が亡くなってしばらくしてからだからね。つまり、王室に王位継承権を持つ男子がいない中で、王家の血統を表すブロンドの髪と青い目を持っていることは危険なことだったから……。」
「危険? 何でです? レイシーさんは王家の血筋を引いてるのは本当なんでしょう? もし王族内に王位を継げる者がいなくなれば、レイシーさんが王族に復帰して王位を継ぐ可能性だってあったんですよね? だったら、血統を証明する特徴はあった方が良い気がしますけど。」
 ジェイスがよく分からないという風に首を傾げる。
「王位継承の可能性……ね。それこそがレイシーにとっては危険だったんだよ。」
「だから、何で? 国王なんかになると研究ができなくなるから嫌とかそういうことっすか?」
 ジェイスが眉を顰めて苛立たしげに問うと、バウンスがため息を吐いた。
「そういうことなら良かったんだろうけどね。レイシーの曾お爺さん、ウェルフス王子がどうして王宮を離れたか知ってる?」
 バウンスはジェイスとヨルンを見ながら問い、カップに口を付ける。
「王位継承権をめぐる争いを回避するために自ら臣下に下ったって噂に聞きましたけど、詳しい事情までは……。」
「この頃の話って、国史の授業でもあまりちゃんと習った記憶がないんですよねぇ。」
 ジェイスが戸惑いながら答え、それに続けてヨルンがこぼす。
「そりゃあ、教科書に載せられるような話じゃないからね。……久しぶりに、歴史の講義でもしてみようか。」
 バウンスはカップを置くと、ゆっくりと語り始めた。

 現国王の数代前のエウレール国王には二人の王子がいた。そのうちの一人、ウェルフス王子は、国王の最初の妃との間に生まれた長男だった。彼の母親である妃が早逝して国王は再婚し、その後の妃との間に生まれたが次男のマージェス王子。当時既に成人していたウェルフス王子はとても聡明な青年で、九つ年の離れたマージェス王子の面倒をよく看て、マージェス王子自身はウェルフス王子をよく慕っていた。異母兄弟ながら、二人はとても仲の良い兄弟だった。
 でも、ある時、国王が病で床に伏せ、急に二人の間に王位の継承問題が浮上することになった。王位の継承順位は長男であるウェルフス王子が第一位だったけど、臣下の権力争いに絡んで、妃や周辺の臣下はウェルフス王子を差し置いて、マージェス王子に王位を継がせたいと考えた。
 マージェス王子を国王にしようと企む一派は、多額の金品でもって臣下の支持を取り付けてマージェス王子と妃に対する国王の信頼を高める一方、ウェルフス王子に対する国王の信頼を損ねるような噂を国王や重臣たちの耳に入れた。
 ウェルフス王子をよく知る人々はそんな噂を信じなかったけれど、ウェルフス王子は幼い弟と醜い権力争いをすることを嫌い、自ら王位継承権を放棄して臣下に下ることを決めた。
 王宮を離れたウェルフスは王都の外れに居を構え、慎ましく暮らし始めた。まもなくして、彼は、王宮暮らしの頃から彼に仕えていた侍女と結婚し、一女をもうけた。王宮からの支援を断り、質素な暮らしをする彼の下には、彼の人柄を慕うかつての臣下や国民が集まり、彼の生活を支えたいと多くの金品が寄付された。ウェルフスは集まった金品を自分のために使うことを拒み、国の発展に寄与したいと彼の下に集った人々と共に慈善事業団体を立ち上げた。
 まず、孤児院を作り、貧しい子供たちに居場所と温かい食事を与え、自立のための教育を施した。ウェルフスの取り組みは国民の支持を得て多くの資金が集まり、ウェルフスは貧しい人々の生活を支えるために様々事業を行った。
 しかし、間もなくしてウェルフスは原因不明の病に倒れ、還らぬ人となった。
 ウェルフスの事業は遺族らによって引き継がれ、今ではフェルフス財団として国内最大の慈善事業団体になっている。

「……ええと、それって、割と教科書通りの説明ですよね? 確かに、マージェス王子の支持者が権力を求めて工作したって辺りはさすがに教科書には書いていませんでしたけど、そんな権力闘争なんてよくある話って言うか、想定の範囲内ですし、ウェルフス財団の設立経緯も、ウェルフスさんが立派な人だったってのはよく分かりましたけど、今更御講義いただくほどでもないって言うか……。」
 バウンスの説明が一段落したところで、ジェイスが訝しげに口を挟む。
「確かに、今、僕が話したことに目新しい話はないだろうね。問題は、ウェルフスの死因なんだ。レイシーたちウェルフスの末裔は、誰も彼の死を単なる病死だとは思っていないよ。暗殺されたと思ってる。」
「あ、暗殺!? 一体誰に!?」
 バウンスの口から漏れた物騒な言葉にジェイスが驚きの声を上げ、アスティも唖然としてバウンスを見つめる。
「もちろん、彼を王宮から追い出して権力を手に入れた者たちに。」
 バウンスが静かに答えた。
「ちょっと待ってくださいよ。ウェルフス王子は王位継承権を放棄して臣下に下り、王位は弟のマージェス王子が継いだんでしょう? しかも、王宮を離れたウェルフス王子は慎ましく暮らし、慈善事業にまで取り組んでた。そんな人が何で暗殺されなきゃならないんですか!」
 ジェイスが勢いよく叫んで立ち上がる。
「嫉妬……ってことですか?」
 テーブルの上で両手を組み、黙って話を聞いていたヨルンが真剣な表情でバウンスに問う。
「それもあっただろうけど、それ以上に、国王にとっては、純粋に彼の存在が政治的脅威だったんじゃないかな。人と金が集まれば、彼が力ずくで玉座を奪還することも可能になる……それを本気で恐れたんだと思う。権力の座を諦めたウェルフス自身にそんな気はまるでなかっただろうけど、その取り巻きには彼の王位復帰を願う者もいただろうしね。」
「で、でも、本当に暗殺されたなら歴史に残る大事件だし、遺された家族だって黙ってないんじゃ……。」
 ジェイスが怯えた表情で問う。
「大事件だからこそ、黙っているしかなかったんだと思うよ。ウェルフス王子は、王宮を離れると同時に、それまで侍女として彼に仕えていた娘と結婚して、一女をもうけてる。それがレイシーのお祖母さん。ウェルフス王子の実子である彼女が暗殺の難を逃れたのは、女児である彼女が当時の規定では王位継承権を持ち得なかったからだろうけど、もし、彼女の母親や取り巻きがウェルフス王子の死を暗殺だと騒ぎ立てていたら、彼女も殺されていただろうね。」
「そんな、まさか……。」
 乾いた笑いをこぼすジェイスの表情は青ざめている。
「最期の瞬間に謀略を察したウェルフスは『二度と政治に関わってはいけない』と遺言して息絶えたらしいよ。そもそも、彼や遺された家族が慈善事業に励み、質素な暮らしに努めたのも、国王に刃向かう意思も手段もないことを示すためだったって僕は聞いてる。資金と人員なしには戦争も革命も仕掛けられないからね。もっとも、その善行のために彼らの評判が高まって多くの人や資金が彼らの下に集い、ウェルフス財団を国内最大の慈善事業団体にしちゃったんだから、皮肉なものだけど。」
 バウンスはため息を吐く。アスティは、何と言えば良いのか分からなかった。
「まあ、これはもう百年近く前の話で、暗殺が真実にせよ誤解にせよ時効なんだけど、レイシーたちウェルフスの一族は今でも王家との対立を恐れてる。レイシーもウェルフスの遺言を守って学生の頃から政治活動とは徹底的に距離を置いていたし、プラント推進派の僕を共同研究者にしたのも研究自体の政治的中立性を示す手段の一つだったんじゃないかな。今の研究も、政治問題化するリスクがあるって御両親からは結構反対されていたみたいだし。お祖母さんのことがあって、どうしてもと押し通したらしいけど。」
「けど、昔はともかく、未だに暗殺を恐れてるなんて、気にし過ぎなんじゃありません? あの穏和な国王がレイシーさんを暗殺するとは思えないし。」
 ジェイスが救いを求めるようにバウンスに問う。
「確かにね。現国王にとっては自分が生まれる前の話だし、レイシーたちウェルフスの末裔を敵視はしていないと思うよ。それどころか、そういう事件があったことすら知らないかもね。王位継承権が女性に認められる以前は、レイシーをユミリエール姫と結婚させて王室に迎えようとしていたくらいだから。」
「えっ、レイシーさんとユミリエール姫が結婚……ですか!?」
 アスティは驚いて聞き返した。
「昔、そういう提案があったってだけ。レイシーの側が断ってとっくに消えた話だよ。」
「噂には聞いてたけど、その話もマジだったんだな……色々とんでもない人だな、本当に。」
 ジェイスが笑顔を引きつらせる。
「レイシーさんはどうして国王陛下からの提案を断られたんですか? もしかして、ユミリエール姫にお水を掛けられたから……ですか?」
 アスティは、一昨日、国王陛下と会う前に王宮の廊下でマリアンヌがはしゃぎながら語っていた話を思い出し、恐る恐る尋ねた。
「お水? 何すか、それ?」
 ジェイスがきょとんとしてアスティを見る。
「マリアンヌ侍女長がおっしゃっていたんです。以前、ユミリエール姫は婚約者の方にお水を掛けて蹴り飛ばしてしまったことがあると……。」
「……ああ。それはたぶん、オーヴェルジーニの息子がユミリエール姫とお見合いをした時の話だろうね。僕も詳細は知らないけど、そう……彼、蹴り飛ばされてたんだ。」
 バウンスがくつくつと笑った。
「安心して。レイシーとユミリエール姫の縁談は、それよりももっと昔の話で、レイシーはそういう悲惨な目には遭っていないはずだから。」
「まあ、レイシー部門長は、ユミリエール姫相手に大人しく蹴り飛ばされるような人じゃありませんもんね。」
 バウンスの後を引き継いで、ヨルンも笑いながら頷く。
「でも、何でレイシー部門長は縁談を断ったんですかね? その話を受けておけば将来は国王になれたんだろうし、自分が国王になれば国王を怖れる必要もなくなるだろうし……悪い話じゃなかったんじゃありません? 確かに、相手があのわがまま姫ってのはアレですけど、何だかんだで結構可愛いし……。」
 ジェイスが不思議そうに呟く。
「受けるはずないよ。レイシーは、そもそも権威や権力には興味がないし、それ以上に、それらを嫌悪しているんだから……。」
 バウンスが悲しげに答えた。
「まぁ、そうですよね。そういうもののためにウェルフスさんは殺された——少なくとも、レイシー部門長たち御家族はそう信じているんでしょうから……。たとえ国王になれたとしても、その後に権力争いに巻き込まれる可能性は残るわけで、だからこそ、ウェルフスさんは政治に関わるなと遺言したんでしょうし。」
 ヨルンがしんみりとした口調で呟く。
「もう百年近く昔のことと言っても、レイシーの母親からすれば、自分の祖父が殺された話だからね。しかも、自ら権力を手放し、争いから降りたにも関わらず殺されたとなれば、いついかなる理由で攻撃されるか分からないということ。攻撃した側が忘れても、攻撃された側の傷はまだ癒えちゃいないんだ。彼ら一族が語り継いできた恐怖と絶望の記憶は、まだ風化していない。」
 バウンスは語り、もうだいぶ冷めてしまったであろうお茶の最後の一口を啜る。
「……なあ、冷静に考えてみたんだけどさ、もしかして俺たち、結構ヤバい話を聞いちまったってことか?」
 ジェイスが青ざめた表情で傍らのヨルンを見た。
「だね! 『暗黒の王室史——ウェルフス王子暗殺事件の真相』なぁんてタイトルで本を書いたら高く売れるかも。」
「いや、それ、下手したら儲かる前に俺たちが暗殺される奴だからな!?」
 おどけてはしゃぐヨルンの肩をジェイスが掴み、真剣な表情で諭す。
「……さすがに少し喋り過ぎたかな。でも、ちょっと嫌がらせしたい気分だったんだよね。」
 バウンスがいたずらっぽく笑った。ヨルンの冗談もバウンスの笑みも、室内に漂う重苦しい空気を踏まえての心遣いなのかもしれない。
「嫌がらせしたいって……俺ら、何かバウンスさんの気に障ることしました?」
 ジェイスが不満げに聞き返す。
「あ、いや、君たちにじゃなくて、ね。」
 そう言ってバウンスは奥の部屋の扉を見つめた。アスティの位置からは、扉についた小窓の向こうに実験装置らしい巨大な機械に付いた緑のランプが点滅するのが見えるだけだが、近くにレイシーもいるはずだ。
「もしかして、レイシー部門長と喧嘩でもしました?」
 ヨルンが不安げに問う。
「まさか。喧嘩なんて不毛なことにエネルギーと時間を費やすほど僕らは暇じゃないよ。」
「あのー……嫌がらせは不毛じゃないんでしょうか?」
 ジェイスが苦笑いを浮かべて聞き返す。
「僕が楽しんだからね。」
 バウンスはにこりと微笑んだ。
「クエッ! クエッ!」
 自分の分のケーキを食べ終えたキーロが、突然、鳴いた。空になった紙箱をくわえて振り回すのは、ケーキをもっと寄越せという要求だろうが、アスティも自分の分のケーキを食べ終えている。
「もうないよ。」
 アスティが困ったように笑って告げると、キーロは「グエェ。」と不満げに鳴く。だが、どんなに鳴いてもないものはないのだ。
「急いでないなら、お茶をもう一杯いれようか? マリイヤの香りを付けたちょっと珍しいお茶があるんだ。」
 そう言ってバウンスが立ち上がると、キーロは「マリイヤ」の単語に反応したのか、バウンスを振り返ると嬉しそうに「クエッ!」と鳴いた。
「香りだけでお茶はお茶だけどねぇ。……どうする? 飲んでいく?」
 バウンスは笑いながら言い添え、アスティたちを振り返る。
「ぜひ。」
「お願いします。」
 三人が全会一致でバウンスに答えると、再びお湯を沸かして新しいマリイヤ茶をいれるまで、四人と一羽は再び雑談の席に着いた。しかし、何となく皆が何を話題にすべきか迷っている風で、妙に静かな時間が続く。奥の実験室からは機械の駆動音が低く響いている。
 アスティは、悩んだ末に、先ほどから気に掛かって来たことを一つ、バウンスに尋ねてみることにした。
「あの……レイシーさんはイニスさんのことが嫌いなんでしょうか?」
 アスティが恐る恐る口を開くと、バウンスはきょとんと首を傾げた。
「イニス団長? 別に嫌いじゃないと思うけど、何で?」
「その……一昨日もあまり仲が良さそうには見えませんでしたし、さっきレイシーさんが『悪魔』って言ったのはイニスさんのこと……ですよね?」
 レイシーが自分を避ける理由は、先ほどのバウンスの説明で何となく分かった。そもそも、レイシーにとってアスティは招かれざる客なのだ。迷惑がられるのは無理もない。ただ、レイシーにとって上司であるイニスに対する態度までもが非友好的である理由が分からなかった。元々人付き合いの良い性格ではないようだが、ナウルのように気安く冗談を口にする人物とも思えず、「悪魔」とまで言ったことには相応の理由がありそうな気がする。
「ああ。まぁ、あの二人には長年の確執が色々あるからねぇ。」
 バウンスがくすりと笑った。
「長年の確執?」
「ちょちょちょちょちょっと、何ですか、それ! またヤバい話をするつもりなら俺のいないところでしてくださいね!? 俺は真面目に平穏無事な人生を送りたいんですから!」
 ジェイスがそう叫んで両耳を塞いだ。
「別に大した話じゃないよ? あの二人の間には、いわゆる同族嫌悪があるってだけ。」
 バウンスが笑いながら答える。
「同族……嫌悪?」
 アスティは首を傾げた。嫌悪と言うのはつまり、ものすごく嫌いということではないのだろうか。少なくとも、先ほどバウンスが、レイシーは国王の権威を「嫌悪している」と言った時の「嫌悪」はそういう意味だったはずだ。アスティにはバウンスの言う「嫌い」と「嫌悪」の違いがよく分からない。
「まぁ、昨日と今日のあれは、ちょっと予算のことで揉めたばかりってのが大きいだろうけどね。」
 ジェイスへの配慮なのか、バウンスはアスティの疑問に答えることなく続けて述べた。何となく深入りを拒まれたような気がして、アスティは諦めて新しい話題に乗ることにした。
「予算のことで揉めたって言うのは、さっきカーディアルさんからイニスさんのせいでスパコンが一台しか買えなかったって話を聞きましたけど、そのことですか?」
 正確に言うと、それが本当にイニスのせいなのか議会のせいなのか、あるいはカーディアル自身のせいなのかはよく分からなかったのだが、少なくともカーディアルの主張として「イニスのせいでスパコンが一台しか買えなかった」という話を聞いたことは間違いないだろう。
「いや、情報部門のスパコンはどうせ情報部門長の趣味の道具だろうから予算が削られるのは当然で、それについては僕らも異論はない。」
 バウンスはあっさりとカーディアルの主張を一蹴して言い切った。
「僕たち化学部門は、新しい実験設備を導入するための費用を来年度予算に盛り込むよう要求してたんだよ。長年取り組んで来た研究を進めるためには必要不可欠な設備だから、当然、認められるものと思ってたんだけど……。」
 バンスが小さくため息を吐く。
「その長年取り組んできた研究って、さっきのプラントの……?」
「そ。プラントエネルギー生成時の副産性有害物質の無害化技術の確立。レイシーにとっては長年取り組んできた思い入れのある研究だし、あと少しで望んだ研究成果が得られそうだって時に、予算不足で研究を続けられないってのは、科学者にとしては結構もどかしい事態でね。珍しくレイシーも本気で怒っちゃって……。」
 苦笑を浮かべながら、バウンスは穏やかに語る。レイシーと共に研究を進めてきた科学者でありながら、バウンス自身はこのもどかしい事態に対してレイシーほどの怒りを感じてはいないらしい。
「まぁ、化学部門の予算不足は今に始まったことじゃないし、これまでも小さな研究資材は私費で調達してきたんだけどね。さすがに今度の設備の導入には実験室の改装も必要で、金額的にも物理的にもそれができる大きさじゃないからねぇ。」
 やれやれと言うようにバウンスがため息を漏らす。
「どうしてイニスさんはその予算を認めてくださらなかったんでしょう? 大事な研究なのに……。」
 レイシーの研究はプラントの存在を前提にしたもので、プラント建設に反対のアスティの立場とは違うとバウンスは言うが、プラントの危険性を低下させるための研究が悪いものとは思えなかった。バウンスからレイシーの研究に対する熱意を聞けば、その成功を願いたくもなる。プラントを必要なものだと考えているイニスからすれば、なおのこと、レイシーの研究は重要なものであるはずだ。
 しょんぼりしながら呟いたアスティの前で、バウンスはあっけらかんと笑った。
「大事な研究は無限にあるけど、大事な国家予算は有限だからね。僕から見れば遊びでしかない研究も、彼女にとっては国の発展に資する重要な研究なんだろうしね。」
 バウンスの言う「彼女」は、きっとカーディアルのことだろう。「予算が削られるのは当然」、「遊びでしかない」と一蹴しながらも、彼女の研究の価値を全く認めていないわけではないらしい。
 バウンスは不思議な人だとアスティは思った。先ほどから予算不足を嘆いてはいるものの、研究に必要な実験設備が買えないことそれ自体が不満というよりは、それによってレイシーが機嫌を損ねていることに困っているという風で、誰かに対する恨み言は出てこない。
「まあ機械部門ウチだって、できることなら予算はもっと欲しいからなぁ。」
「だよね! もっと予算があれば、機械部門の小屋をもっと華やかなデザインにできたし!」
「いや、それは別に予算があってもする必要ない。」
 ジェイスとヨルンのお決まりのやり取りが始まって、テーブルは一気に賑やかになった。同時に、赤いポットのお湯も沸いたらしく、再びシュウシュウと楽しげな音を立て始めた。

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