挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

58/65

第57話 お茶会〜レイシーの研究

 廊下に出て、ぴったりと扉を閉めると、ジェイスがやれやれとため息を吐いた。
「……ったく、何でこうなるのかねぇ、俺たちは。」
 ジェイスの嘆きは、先ほどカーディアルの怒声に追われて中央監視室コントロール・ルームから逃げ出したことも踏まえてのものだろう。
「そういう星の下に生まれてるんだよ。」
 素っ気ない声に振り返ると、バウンスがカロナから受け取った紙袋を大事そうに抱えて立っていた。カロナの悲鳴に始まるやり取りは、どうやら廊下まで響いていたらしい。
「そういう星の下に生まれたって、俺のことですか?」
「他に誰がいるの?」
 バウンスが平然と答えると、ジェイスは「そんな気はしてたけどさぁ……。」と呟いてがっくりと肩を落とした。
「バウンスさんは日曜なのにお仕事ですか?」
 気落ちしているジェイスの傍らで、ヨルンがバウンスに問う。
「うん。レイシーが外壁の崩壊事故のせいで遅れた研究を少しでも進めたいって言って研究室にこもってるから、僕も付き合ってる。」
「じゃあ、僕たちも一緒に行って、少し研究室を見学させてもらってもいいですか?」
 ヨルンがにっこり笑顔で問いを重ねると、ジェイスの顔がひきつった。
「え、ヨルン、何を勝手に……。」
「だって、アスティさんは機械部門の小屋も、土木部門の執務室も、機械部門の中央監視室も、医療部門の医務室も見たわけでしょ? そしたら残るは化学部門の研究室だよね! これで王宮騎士団の専門五部門を制覇だよ!」
 ヨルンは指先を開いた右手を顔の横でひらひらと振りながら微笑む。
「い、いや、それはまずいって……ほら、大事な研究の邪魔にもなるし……。」
「別に、見学だけなら構わないけど?」
 困り顔でバウンスを振り返ったジェイスの言葉を、バウンスはあっさりと打ち消して答えた。
「いやいや、そんなあっさり! ヨルン、ひとまず落ち着いて考えよう、な? 今、研究室にはレイシー部門長もいるんだぞ?」
 慌てたジェイスがヨルンの両肩をがっしりと掴み、ヨルンはきょとんと首を傾げる。
「だからちょうどいいんだよ? 金曜日の歓迎会も、レイシー部門長とはあまり話せなかったし。アスティさんだって、色々お話聞きたいよね?」
 首だけ振り向けたヨルンににこりと微笑まれ、アスティは曖昧に頷いた。金曜日の歓迎会で会った時のレイシーはだいぶ気難しそうな人物だったが、決して「悪い人間」には思えなかった。アスティとしても一度ちゃんと話してみたい相手ではあるのだが、大事な研究の最中であるらしい今、研究室を訪ねて行って果たして歓迎してくれるのか、大いに不安ではある。
「大したお構いはできないけど、カロナがくれたパウンドケーキ、結構大きいみたいだし、一緒に食べる? お茶ぐらいなら淹れるよ。」
「わぁい、やったぁ! おやつタイムだー!」
 バウンスの申し出に、ヨルンがジェイスの両手を振り払って飛び跳ねた。
「クエッ、クエッ!」
 キーロも「おやつ」の言葉に反応したのか、アスティの肩の上で嬉しそうに羽をばたつかせる。
「ヨルン、お前、おやつにつられ過ぎ……。」
 ジェイスが眉間を押さえながらため息混じりに呟くが、ヨルンはすっかり上機嫌でスキップしながらバウンスと共に廊下を進んでいく。次の訪問場所は既に決定されたようだ。
「俺、レイシー部門長は苦手なんだよ……。イニス団長以上に何考えてるのか分からないし、何か、怖いし……。」
 ジェイスが盛大にため息を吐いて、ヨルンとバウンスの後をとぼとぼとついて行く。嫌々ながらも、もはやヨルンの決定に逆らうつもりはないらしい。アスティは苦笑いを浮かべながら、ジェイスに並んだ。
 アスティはレイシーを「怖い」とは思わなかったが、自己紹介さえまともにさせてもらえなかった人物ゆえ、「何を考えているのか分からない」のはジェイスに同感だ。もっとも、だからこそ、アスティとしては「どんな人なのか知りたい」と思ってしまうのだけれど……。

 化学部門の研究室は、王宮の地下にあった。やや薄暗い廊下に地上階のような豪奢な装飾はなく、むき出しの石材が壁を作っている。その石壁の途中に、中央監視室の扉に似た無機質な金属の壁がはめ込まれていて、一行はその明らかに異物感のある扉の前で足を止めた。「化学部門第一研究室」の札と並んで扉の脇にはめ込まれた機械装置にバウンスが触れる。扉は自動で左右に開き、白い光が溢れ出た。
 バウンスに続いて足を踏み入れて室内は、廊下とは異なるつるりとした白い壁に囲まれていて、部屋の奥には更に複数の扉が並んでいた。扉の上半分にはガラスをはめ込んだ小さな窓が付いていて、奥の部屋で何やら巨大な機械装置が赤いランプを点滅させながら動いているのが見える。部屋の中に響く低く唸るよう音は、あの機械が発しているものだろうか。
「まあゆっくりしていってよ。」
 アスティがぼんやりと入り口で立ちすくんでいると、右手からバウンスの声が掛かった。振り向けば、入り口脇の一角に、歪んだ楕円形のテーブルが数脚の丸椅子に囲まれて置かれていた。壁際には小さな食器棚が置かれ、一番奥には、レバーを一つ動かすだけで水が汲み上げられる不思議な管と先日食堂で見たのと同じ炎の絵が描かれた不思議な鍋敷きが付いた作業台があって、どうやら小さな調理場のようだ。
「で、レイシー部門長は……?」
 ジェイスが不安げに部屋の中を見回しながら尋ねた。
「奥の部屋で実験してるはずだけど、いない?」
 バウンスはアスティたちに背を向けたまま、銀色の作業台から生えている銀色の管を叩いて、赤いポットに水を注いでいる。
 アスティが再び「実験室」の札が掲げられた扉の小窓へ視線を向けると、機械の間で白い布が翻るのがちらりと見えた。レイシーだろうか。
「ええ、奥にいらっしゃいますよ、ちゃんと。」
 答えたのはヨルンで、アスティの肩越しに小窓を覗いていたヨルンは、その姿をはっきりと認めていたらしい。
「良かった。」
 バウンスが背を向けたまま答えるが、アスティの傍らで、ジェイスが大げさに肩を落としてため息を吐く。よほどレイシーに会いたくないらしい。
「僕たちも手伝いましょうか?」
 白衣の裾を翻しながらちょこちょこと動き回るバウンスの背中に、ヨルンが問い掛けた。
「ああ。じゃあ、悪いんだけど、そっちの棚からお皿とフォーク、それからカップを人数分出してくれる?」
 そう言うと、バウンスは赤いポットを炎印の鍋敷きに載せ、作業台の脇の壁に付いた機械装置のボタンを押した。
 ——ビーッビーッ。
 壁の機械が奇妙な音を発した直後、奥の部屋からも同じ音が響いてきた。
 アスティが驚いて辺りを見回すと、すぐに音は止み、バウンスが壁の機械に向かって話し始めた。
「ああ、レイシー? 一区切りついたら休憩にしようよ。カロナから新作のお菓子を貰ったんだ。」
「俺はいい。」
 機械越しにやや高い声が返って来た。どうやら中央監視室の入り口にあった機械と同じ通話機能を備えた機械らしい。実験室のレイシーと繋がっているのだろう。
「まあ、そう言わずに。ちょっと相談したいこともあるんだ。」
「……あと十分で試薬の反応が出る。それまでは離れられない。」
「分かった。お茶を用意しておくよ。」
 バウンスがにこりと微笑んで機械から離れると、アスティの視界の端でジェイスが怪訝そうに首を傾げた。
「……今の会話、何かちょっと噛み合ってませんでしたよね?」
 ジェイスはテーブルの上の紙袋から長方形の箱取り出し、十字に掛けられたピンク色のリボン解きながら、バウンスの背に問う。
「どこが?」
「だって、『離れられない』って言ってるのに『お茶を用意しておく』って変でしょ。」
「レイシーは『十分後に試薬の反応が出るまでは離れられない』って言ってたと思うけど?」
 バウンスはナイフを片手にテーブルへ戻って来ると、不思議そうにジェイスを見上げた。
「ええと、確かにそう言っていたとは思うんですが……。」
 ジェイスは紙箱からパウンドケーキを取り出しながら唸る。
「つまり、レイシーは十分後には離れられるようになるってことで、僕はそれまでにお茶を用意しておけばいいってこと……何も間違ってないよね?」
 答えながら、バウンスは箱から取り出されたパウンドケーキにナイフを入れて切り分けていく。
「うぅん、まぁ間違ってはいないと思いますが、だいぶ強引と言うか、あれでよくレイシー部門長が怒らないな、とは……。」
 ジェイスが苦笑混じりに返す。
「僕はレイシーを怒らせるようなことは何もしていないつもりだけどね。研究の最中に無駄話で時間を浪費したら、それこそ怒られるよ。」
 バウンスが切り分けたケーキをヨルンが棚から出した小皿に一切れずつ移していき、アスティも人数分のカップをテーブルの端に並べ置く。レイシーの分も含めて五人分だ。
「研究の最中にケーキを食べるのは時間の浪費にはならないんすか?」
「ろくに食事もしないで研究を続けて倒れられたら困るでしょ。」
「それはまあ、そうでしょうけど……。」
 バウンスの明快な答えに、ジェイスはなおも納得し切れない風でこぼす。ジェイスの指摘はもっともだが、たぶん、レイシーとバウンスの間ではこれで問題がないのだろう。
「レイシーさんのこと、よく理解されているんですね。」
 アスティが言うと、バウンスは「学生時代からの付き合いだからね。」と笑った。
 ケーキを切り分け終えたバウンスは、ナイフを作業台に戻し、ジェイスがケーキの載った小皿に一本ずつフォークを添え置く。
 ちょうどお湯も沸いたようで、バウンスは赤いポットから茶葉の入った白いポットへお湯を注ぐ。
「バウンスさんとレイシーさんは同級生なんですか?」
「いや、僕にとってレイシーは先輩だよ。僕が学部生の頃、レイシーは大学院生でね。同じ教授に師事した縁で、ずっと研究を手伝ってる。僕が騎士団に入ったのも、レイシーに誘われて研究を手伝うためでね。」
 白いポットを手に戻って来たバウンスはそうアスティに答えると、「少し蒸らすから待ってね。」と、ポットをテーブルに置いた。
 ヨルンがケーキの載った小皿に一本ずつフォークを添え置き、それぞれ小皿を自分の前に引き寄せて椅子に腰を下ろす。
「クエッ!」
 不意にキーロがアスティの肩からテーブルに飛び降り、ケーキを見つめて鳴いた。自分にも食べさせろと言う催促のつもりなのだろう。
「後で半分あげるから。」
 アスティが小声で答えてキーロの頭を撫でると、キーロはじれったそうに「クエェ……。」と鳴く。
「キーロもケーキ食べるの? だったら、もう一切れ残ってるから、これあげるよ。」
 バウンスがケーキがまだ一切れ分残っていた紙箱をキーロの前に差し出した。
「クエェ!?」
 キーロが嬉しそうに声を上げる。
「すみません、ありがとうございます……。」
「気にしないで。僕の午後のおやつがなくなるだけだから。」
 アスティのお礼の言葉に、バウンスはあっさりと返した。「気にしないで。」の後に添えられた一言は「気にしてね。」と言っているようにも聞こえるが、これが単なる冗談なのか本気の皮肉なのかよく分からず、アスティは曖昧な笑みを浮かべる。
「けど、ずっと『お手伝い』をしていて、いい加減、嫌になったりとかしません?」
 ジェイスがテーブルに頬杖をついてバウンスに問うた。
「何で?」
「だって、バウンスさんだって王立大学を優秀な成績で卒業してるわけでしょう? いつまでもレイシー部門長の手伝いじゃなくて、自分の研究をしたいなあとか思ったりしないんですか?」
 ジェイスはフォークをくわえてバウンスを見つめる。
「別に? 僕は科学者としてのレイシーを心の底から尊敬してるからね。レイシーにはその類稀な才能をきちんと生かしてほしいし、僕の役割は、レイシーが才能を発揮できる環境を整えることだと思ってる。それに、手伝いとは言っても、一応、僕も研究論文では共同研究者として名前を連ねてるからね。少なくとも、ギムニク部門長に良いようにこき使われてるだけの君とは違うよ?」
 バウンスはジェイスに向かってにこりと笑った。
「はいはい、どうせ俺はギムニクのおっさんにこき使われるだけの下っ端雑用係ですよ!」
 ジェイスが膨れっ面で悪態をつく。
「まぁ、君はまだこれからだよ。遠からずギムニク部門長も引退になるだろうし、せめて与えられた機会と才能を無駄にしないようにね。」
 バウンスは穏やかな口調で言い、くすりと笑った。
「与えられた機会と才能……?」
 ジェイスが怪訝そうに首を傾げる。
「僕は、イニスさんが君を機械部門に配属したのは、君にギムニク部門長の跡を継がせるためだと思ってるよ。」
「まさか! 機械部門には他にも優秀な先輩がたくさんいますし、俺なんかが部門長なんてあり得ませんって! 天地がひっくり返っても無理ですよ、無理!」
 ジェイスは一瞬目を丸くして、それから、ぶんぶんと片手を顔の前で振りながら笑い、バウンスの言葉を否定した。
「まぁ、君が無理だと思うなら無理だろうね。でも、王宮騎士団はこの国一番の精鋭集団。そもそも中途半端な仕事しかする気がないって言うなら、すぐに士官学校に送り返されるよ。」
 バウンスはくすりと笑ってポットに残った最後の一滴をカップに注ぎ切る。
 ジェイスは苦々しげな表情を浮かべて髪の毛をくしゃくしゃと数回掻き回した後、椅子に真っ直ぐ座り直すと、ドンと拳をテーブルに打ちつけた。
「俺は、士官学校に戻るのだけは絶対に御免です!」
 ジェイスは決意の表情でバウンスを見つめ、宣言する。
「じゃあ、頑張らないとね。」
 バウンスは穏やかな笑みを浮かべ、お茶の注がれたカップをそっとジェイスの正面に差し出した。
「レイシーさんの研究ってどういう研究なんですか?」
 それぞれの目の前にお茶が揃うと、アスティは切り出した。
「プラントエネルギー生成時の副産性有害物質の無害化技術の確立。」
 バウンスの早口の答えに、アスティはパチパチと目を瞬いて首を傾げる。
「プラントでエネルギーを作る時にできる、生物に悪影響を及ぼす物質を問題のない物質に変えるための方法を研究してるんだ。要は毒物を無毒化するための研究ってこと。」
「えっと……あの、それはつまり、プラントで毒が作られているってこと……ですか?」
 アスティは何とかバウンスの説明を理解したものの、その意味に驚いて、半信半疑に聞き返した。
「あれ、知らないの? 僕は、森の民がプラント建設に反対する一番の理由はこれだと思ってたけど。」
 バウンスが目を丸くしてアスティを見る。知っていて当然と言わんばかりのバウンスの反応に居心地の悪さを覚え、アスティは僅かに俯いた。
「私がプラント建設に反対なのは、森を壊してしまうからです。森の生き物の暮らす場所がなくなってしまうから……。」
 アスティは確かめるようにゆっくりと語り、再び顔を上げて真っ直ぐバウンスを見つめる。
「なるほどね。それも確かに一つの事実だ、否定はしないよ。もっとも、それで済むなら大した問題じゃないと僕は思うけどね。」
 そう言ってバウンスはカップにお茶を啜った。はっきりと「大した問題じゃない」と言われ、それに反論できないもどかしさでアスティは思わず拳を握り締める。バウンスの発言に悪意は感じなかった。むしろ、だからこそ……。
「プラント建設のために拓かれる森の面積は、狭いとは言わずとも限定的だ。燃料として伐採される木々も、エネルギー生成の高効率化と定期的な人工植樹を前提にすれば、計算上は安定的に維持できる。でも、プラントで生じた有害物質が拡散した場合、被害はそこにとどまらない。」
「あのー、そのプラント副産物の問題ってとっくに解決済みの話じゃないんですか?」
 真剣に語るバウンスの説明に、ジェイスが割り込んだ。
「昔、プラントで生じた有害物質がエウレール川に流れ込んで大問題になったことはありますけど、その後法律ができて、プラントの運用事業者はプラントで生じる有害物質を全て密閉容器に入れて専用施設で厳重に管理するよう義務付けられた。だから、今はもう自然界への放出はなくなったって歴史の授業で習いましたよ、俺。」
 カップに口を付けながらジェイスの話を聞いていたバウンスが、ため息と共に口を開いた。
「君は幸福だね、それでこの問題が本当に解決されたと思えるんだから。」
「え?」
 ジェイスが虚を突かれたように固まった。
「確かに、有害物質の管理について法律は整備されたし、事業者も基本的に政府が定めた基準に従っているから、有害物質の自然界への放出も著しく低減してる。でも、それで危険性がゼロになったわけじゃない。根本的な問題は未解決のままだ。」
 バウンスはそう言いながらフォークでケーキの端を一口大に切る。
「どういう意味ですか?」
 アスティが先を促すように問うと、バウンスはフォークの先でぷすりとケーキを突き刺した。
「過去に放出された有害物質は毒性を保ったまま自然界に存在しているし、プラントの副産物から有害物質のみを分離する仕組みも完全とは言い難い。保管中の有害物質は高濃度ゆえに高い毒性を保ち、一度漏出すればその被害は大きくなる。」
「だから、そういう漏出が起こらないように専用施設で保管することになったわけですよね?」
 ジェイスが割り込むと、バウンスはケーキを突き刺したフォークを掲げ、ため息を吐く。
「保管容器は時間の経過に伴って多かれ少なかれ腐食によって劣化するし、施設も老朽化を免れ得ない。人為的に破壊されたり盗難に遭う可能性だってゼロじゃない。人工的に生成されたこの有害物質の毒性について、科学的に有意なレベルでの自然逓減も観察されていない。毒は毒のままだ。今のところ、エネルギー副産物の有害性は即時に人体に致命的影響を及ぼすものではないと考えられているけど、動物実験では体内に取り込まれたこの有害物質が遺伝情報に作用し、数世代に渡って影響を残すことが分かっている。あらゆる生物にとって長期的には驚異になり得る。」
「あのー……そういう風に言われると、何かものすごく危険な感じがするんですが……。」
 きっぱりと断言したバウンスに、ジェイスが恐々と問う。
「だから、僕らはその有害物質の毒性を中和する方法を研究してるんだよ。」
 バウンスはフォークに刺さったケーキをぱくりと口に納めた。
「……いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて! そんなに危険なら、そもそもプラントの運用を止めるべきなんじゃないかってことですよ。だって、プラントを運用すればするほど有害物質は生産されるわけでしょう?」
 ジェイスは身振り手振りを交えながら熱心に語る。
「そう思うなら、君も次の週末に王宮前広場で叫んできたら? 友達が増えるよ。」
 バウンスはあっさりとそう言ってフォークを置き、代わりにカップを口元へ運ぶ。バウンスの提案が毎週金曜日に王宮前広場で行われる反政府勢力の抗議デモを意図していることは明らかだ。開発反対を唱える彼らは、プラント運用の危険性を訴える主張を歓迎するだろう。
「いや、俺は別にプラントに反対なんじゃなくて……でも……あれ?」
 ジェイスが混乱した様子で頭を抱え込んだ。政府側の人間であるジェイスが反政府勢力の抗議デモに加わることはできないだろうし、ジェイスの考えが彼らと同じとは思えない。それなのに、ジェイスがバウンスの説明に対して抱いた素朴な疑問は、彼を彼らと同じ場所へ導いてしまった。
「バウンスさんは、エネルギー・プラントの運用に反対ではないんですか?」
 思い切って、アスティはバウンスに問う。
「エネルギー供給が滞ることによる経済的損害は甚大で、供給停止はただでさえ下降気味の国内経済には致命傷になりかねない。今、プラントを止めることは現実的ではないよ。昨今のエネルギー需要の増加率を踏まえれば、エネルギー・プラントの新設もこの国の発展のためには必要なものだと思う。」
 バウンスの答えは明解だった。
「でも、危険だと分かっているのに……。」
「全くリスクのないものなんてこの世に存在しないよ。問題は、リスクをどこまで引き受けられるかだ。僕ら科学者の仕事は、どうすればリスクを低減できるのかについて知恵を絞るところまで。最終的にリスクを評価して施策の是非を判断するのは政治家の仕事だよ。ね、レイシー?」
 バウンスはカップを置くと、ジェイスの頭上に向かって微笑み掛けた。

最新の執筆状況(更新予定)等はTwitter(@ayaki_ryu)で呟いています。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ