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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第55話 天才数学者の功績

 「しかしまあ、せっかく来たんだ。私がいかに苦労してこの人工知能プログラムを作り上げたか、茶でも飲みながら聞いていくといい! キュエリ、茶の用意を頼む。私の分もな!」
 カーディアルはジェイスを言い負かしたことに機嫌を良くしたのか、笑顔で振り返りキュエリに告げる。
「あ、それは遠慮しておきます!」
 キュエリがカーディアルに承諾の返事を返す前に、ジェイスが答えた。
「俺たち、中央監視室を見学したかっただけで、人工知能プログラムの話を聞きに来たわけじゃありませんから。」
 ジェイスはあっさりとカーディアルの申し出を断ると、アスティの耳元で「この手の話、聞き始めると長くなるからさ。」と囁きながらアスティの肩を押して出口へ向ける。 
「ちょっと待て! 貴様、この天才カーディアル様が直々に世界最先端の人工知能プログラムの開発秘話をしてやろうと言うのに、興味がないと言うのか!?」
 カーディアルが怒声と共に立ち上がり、ジェイスの肩をむんずと掴んで引き戻した。
「いや、その、決して興味がないわけではないのですが……。」
 振り返ったジェイスにカーディアルが凄み、ジェイスは気圧されながら身を竦める。
「カーディアル部門長、僕らもお話を伺いたいのは山々なのですが、カーディアル部門長の研究は僕らには高度過ぎて、いきなりお話を聞いても理解できないんじゃないかと思うんです……。」
 遠慮がちに助け船を出したのはヨルンだ。
「そうそう、天才の話を理解するためには凡人の俺らはもう少し勉強してから出直さないと!」
 ジェイスがヨルンに同意すると、カーディアルも顎に手を当てて納得したように頷いた。
「……ふむ、確かにそれは一理ある。私の最新の研究成果であるこのプログラムの偉大さを理解できるのは、私の知る限りあの男ぐらいのものだからな。」
「……あの男?」
 ほっとしたように胸をなで下ろすジェイスの傍らで、アスティが思わず聞き返してしまったのがいけなかったのかもしれない。急に、カーディアルの表情が急に険しくなった。
「あの男……あの男というのはだなあ! ……ぬああ! 思い出しただけで腹が立つ! くっそ、あの男、いつか必ず私の前にひざまずかせてやるっ!」
 カーディアルは突然地団太を踏んで怒り出し、側にいたジェイスの首を刈るように腕を回すと、ぎゅぅうと絞め始めた。
「え? ちょ、何で!?」
 突然の攻撃にジェイスがよろめきながら悲鳴を上げる。
「あ、ダメですよ、カーディアル部門長。それじゃあちゃんと絞まりません。絞め落とすつもりなら、ちゃんと頸動脈を……。」
 ヨルンが急に瞳を輝かせ、にこにこと微笑みながらカーディアルとジェイスに歩み寄る。前にもこれに似た光景を見た記憶がある。このままだと、たぶん、あまり良いことにはならない。少なくとも、ジェイスにとっては。
「あ、あの……。」
 アスティが思わず声を掛けて手を伸ばすと、それを制するように肩に誰かの手が置かれた。腕を辿ると、キュエリがにこりと微笑んでアスティを見下ろしている。
「大丈夫ですよ。」
 そう言われたものの、アスティの不安は消えない。たとえ最悪の事態が回避されたとしても、ジェイスにとっては嬉しくない事態になるに違いないのだ。
 とは言え、アスティが無理矢理止めに入ったところでジェイスを助けられるとも思えないし、下手をすればカーディアルが余計に機嫌を損ねて最悪の事態を引き起こしかねない。
 だからアスティはまず、カーディアルが急に機嫌を損ねた原因を知らなければならない。原因が分かればジェイスを救う策も分かる——とは言い切れないけれど、少なくとも、将来発生するかもしれない同様の事態を回避することはできるだろう。
「あの、カーディアルさんが『あの男』って呼んだ人って、悪い人なんですか?」
 アスティはジェイスの救出を諦めて、浮かんだ疑問をキュエリに尋ねた。
 カーディアルのプログラムの「偉大さ」を理解してくれる人なら、カーディアルにとっては良い人のようにも思えるが、カーディアルの反応は明らかにその人物を嫌っている。その人物のことを思い出させてしまったことがカーディアルの不機嫌——即ちジェイスの不運の原因のはずだ。
「別に悪い人ではありませんよ。イニス団長のことですしね。」
 キュエリが微笑みながらアスティに答えた。
「え、イニスさんのこと……なんですか?」
 予想外の答えに、アスティはきょとんとしてキュエリに聞き返す。
「はい。カーディアル部門長とイニス団長は王立大学の数学科の御同期で、入学以来常に成績上位の一、二を争うライバルだったんです。」
「ライバル……。」
「カーディアル部門長は、幼い頃から数学の才能に関しては神童と呼ばれる程で、数学に関しては負け知らずだったそうですが、王立大学に入学直後、入学試験で彼女を越える好成績を残した学生がいることが分かって……それが、イニス団長だったそうです。その当時から、カーディアル部門長は与党の有力議員の一人娘として大切にされて御覧のとおりの高慢さを育まれていたので、最も得意とする数学で同い年の少年に負けたことは大変な屈辱だったそうです。カーディアル部門長は雪辱を果たすべく様々な策を練ったそうですが、学内での成績は常にイニス団長の方が上。負けを重ねる度に、カーディアル部門長はイニス団長に対する恨みを募らせ続け、現在に至るというわけです。」
 キュエリはにこりと微笑むが、その笑顔に似合わない不穏な単語にアスティは戸惑うしかない。
「……ええと、つまり、カーディアルさんとイニスさんはお二人共とても優秀で……とても仲が悪い、ということですか?」
 アスティが遠慮がちに問うと、肩の上のキーロも「クエッ?」と怪訝そうに鳴いて首を傾げた。
「カーディアル部門長がイニス団長を一方的に恨んでいるだけですよ。」
 キュエリは言うが、普通は「一方的に恨んでいるだけ」でも、仲が良いはずはない。
「キュエリ! その説明は全く正確ではないぞ! 私があいつを嫌うのは、あいつが卑怯者だからなのだ!」
 ヨルンの手ほどきでジェイスを絞め落とそうとしていたカーディアルがパッとジェイスの首を離して、アスティとキュエリの会話に割り込んで来た。床に崩れ落ちたジェイスは、何とか気絶を免れたようで、ケホケホと咳込んでいる。
「……卑怯者?」
「そうだ! 奴は、私があと一歩のところまで進めていた研究成果を横取りしたのだ!」
 カーディアルの宣言に、アスティは驚いてカーディアルを見つめた。
 「横取り」というのは、つまり「泥棒」ということだ。ナウルならともかく、イニスは冗談でも泥棒なんてしないようにアスティには思えたが、カーディアルは真剣な眼差しで不愉快そうに押し黙る。
「カーディアル部門長は卒業論文を学会での正式発表前にイニス団長に見せたそうです。そして、イニス団長は、そこに書かれていたカーディアル部門長の研究成果を前提として研究を進め、画期的な新理論を打ち立てられたんです。」
 カーディアルの言葉を引き取って、キュエリが説明した。
「それはいけないこと……なんですよね?」
 アスティは恐る恐るキュエリに尋ねると、返ってきたのは予想外の笑顔だった。
「いいえ。イニス団長は、御自身の論文でカーディアル部門長による研究成果を先行研究として紹介し、正確に引用していました。既存の科学研究の成果を前提として論を展開するのは、科学論文においては当然のことです。むしろ、優れた論文であるほど他の論文での引用も多くなるのが常。先行研究として引用されるのは名誉なことなんです。」
「じゃあ、どうしてカーディアル部門長は怒っているんですか?」
「さあ?」
 キュエリはカーディアルをちらりと見てからふふっと笑う。
「例え、引用の方法が正当だとしても、あいつが卑怯者であることには変わりないぞ! 私は提出前の論文をあいつに見せてやったのに、あいつは見せなかった! そして、私が論文に記した研究成果を発表したその日に、同じ学会で自分の研究成果をしれっと発表しやがったんだ!」
「そのイニス団長の研究成果って、もしかして……。」
 ヨルンがカーディアルの顔色を窺いながらおずおずと呟くと、カーディアルは握り締めた両拳を振り下ろして叫んだ。
「そうだ、あの忌まわしき四次元定理の完全証明だ! 確かに、私の証明には欠陥があり、四次元定理の完全証明には至っていなかった。だが、その不十分な部分を除いたとしても、私の理論は部分証明として十分な学術的価値を持っていたのだ。奴の完全証明が発表されるまでは!」
 きつく握られた両拳は、カーディアルの体の横でわなわなと震えている。
「ああ、つまり、イニス団長のせいで、カーディアル部門長の研究成果は三日天下ならぬ数時間天下になっちゃったってことですか。」
 ジェイスが苦笑を浮かべながらこぼす。
「時間の問題ではない! 最新の研究成果として学会発表を終え、喝采に包まれていた私に続いて登壇し、老いぼれ学者どもに囲まれて質問攻めにされていた私の顔に、奴は泥を塗ったんだぞ!?」
 そう叫んでジェイスを睨み付けたカーディアルの瞳が眼鏡の奥でゆらりと煌めき、その目に涙が浮かんでいることはアスティにもはっきりと分かった。
「……そ、それは災難でしたね……。」
 カーディアルの予想外の涙にジェイスも慌てた様子で言葉を返す。
「でも、イニス団長は、最初にカーディアル部門長の論文を読まれた時、その欠陥をきちんと御指摘くださったんでしょう? 半日議論した挙げ句、あなたは御自身の説の論理的欠陥を埋められず、イニス団長は埋められた……それは紛れもなく、あなたとイニス団長の才覚の差です。」
 キュエリがピシャリと言い放つと、カーディアルはふらりとよろめき、がくりと肩を落として傍らの機械に両腕を突っ張った。
「……ぅわ、容赦ねぇ。」
 ジェイスはカーディアルを同情げに一瞥した後、冷ややかな視線をキュエリに送る。
「仕方ないでしょう? あの時点での四次元定理の完全証明は画期的なもの。イニスさんが他に並ぶ者のない圧倒的に優れた数学者だったことは誰も否定しようのない事実なんです。あの瞬間、世界中の全ての数学者は彼に負けたんです、カーディアル部門長も、そしてこの私も……。」
 キュエリは穏やかな口調でジェイスに告げて微笑むが、その表情はどこか寂しげだ。
「キュエリさんも、数学を勉強されていたんですか?」
 アスティの問いに、キュエリは頷いた。
「ええ。四次元定理の証明当時、私はまだ王立大学の教養課程にいましたが、イニス団長と入れ違いに数学科へ進んで、イニス団長やカーディアル部門長と同じ教授に学びました。……たぶん、イニス団長のあの学会発表を聞いていた数学者のほとんどは、歓喜と同時に絶望したはずです。長年求め続けた答えに出会うと共に、求め続けていたその答えを弱冠十四歳の子供にあっけなく奪われて……己の才覚のなさを呪って道を諦めた者がどれほどいたか。ね、カーディアル部門長?」
「わ、私は絶望などしていないぞ! あれはたまたま……たまたま奴の運がほんの少し良かっただけなんだ……。」
 カーディアルは姿勢を立て直すと、眼鏡を外し、袖口でごしごしと目元を拭う。
「運も実力のうちですけどね。」
 キュエリが追い打ちを掛けるように言い切ると、カーディアルは再び目の前の機械に突っ伏すように倒れ込んだ。キュエリはカーディアルを見下ろしながら小さく息を吐き、困ったような笑みを見せてアスティを振り返る。
「カーディアル部門長が四次元定理を証明すべく研究していて、彼女の研究が定理の証明にあと一歩のところまで迫っていたことは事実ですが、所詮、あと一歩はあと一歩。当時、四次元定理の証明に挑んでいた数学者は少なくなく、カーディアル部門長のような部分証明理論は既に複数存在していました。それでも、誰一人として完全証明には至れず、四次元定理は不存在定理とも言われていました。そんな中、カーディアル部門長の証明の欠陥を埋め、四次元定理の完全証明を成し遂げたイニス団長の功績は、紛れもなく彼自身のものであり、彼の才覚の証明です。」
 さらりと言い切るキュエリの背後で、カーディアルは機械に突っ伏したまま動かない。
「……とは言え、カーディアル部門長をはじめとする他の数学者の先行研究なしにはイニス団長も四次元定理の証明には至らなかったでしょうから、彼の功績が彼だけのものではないこともまた事実です。とりわけ、カーディアル部門長の先行研究はイニス団長の研究の足がかりとして重要な役割を果たしましたし、イニス団長の卒業後も大学に残って修士課程に進んだ彼女が残した数々の論文は、世間の注目度では四次元定理の完全証明に及ばないものの、四次元定理の応用を提唱し、新しい情報処理システムの開発に繋げました。ただの数式でしかなかった四次元定理を応用可能な技術に変えたのは彼女の功績です。彼女の誠実な研究姿勢を私はとても尊敬していますよ。」
 キュエリはちらりとカーディアルを振り返ったかと思うと、アスティに向き直ってにこりと微笑んだ。その瞬間、キュエリの背後でカーディアルがすっと背筋を伸ばす。眼鏡を掛け直し、ゆっくりと振り返ったカーディアルの顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「そうだろう、そうだろう! 奴は私の素晴らしい先行研究のおかげで功績を残せたのだ。つまり、奴の功績は私のおかげ! 奴はもっと私に感謝して私の優秀さを崇め、私の前にひざまずいてこれまでの非礼を詫びるべきなんだ!」
 カーディアルは興奮した様子で一気にまくし立てる。そして、誰かか口を挟む暇もなく、カーディアルは独り合点した様子で両手を腰に当て、天井に向かって高らかな笑い声を上げた。
「誠実……ねえ。あの人には一番似合わない言葉な気がするんだけど。」
 ジェイスがぼそりと呟いたが、幸いにも、カーディアルの耳には届かなかったらしい。その代わり、キュエリがジェイスの言葉を拾い上げて微笑んだ。
「あら、カーディアル部門長は数学者としてはとても誠実な方ですよ。人間としては別ですけど。」
 笑顔のまま言い切ったキュエリを見て、ジェイスが顔をひきつらせる。もし、キュエリの言う「人間としては別」が「人間としては誠実ではない」を意味するのなら、キュエリのカーディアルに対する評は随分と厳しい。
「でも、もったいないですよねぇ。」
 不意にヨルンがのんびりとした口調で呟いた。
「エウレールの誇る天才数学者が二人とも研究の道を離れてしまったなんて。特にカーディアル部門長は、せっかく大学院まで進まれたのに……。」
 ヨルンが微笑と共にカーディアルに視線を向けると、カーディアルはふんっと鼻を鳴らしてアスティたちに背を向けた。
「別に私は研究の道を離れたわけじゃない。現に、研究はこうして続けている。」
 そう言いながら、カーディアルは部屋の中央の大画面を見上げ、画面の中では黒マントのスニーが相変わらず仲間たちと共に剣を振るっている。
「研究って言うか、遊びですよね?」
 ジェイスが苦笑しつつ返すと、カーディアルは不満げにジェイスを一瞥し、ため息混じりに首を振った。
「基礎研究の価値が分からん馬鹿は多いが、応用研究の価値も分からんとは救えないな。」
 そう独りごちながら、カーディアルは最初に座っていた椅子を引き寄せる。ジェイスはもの言いたげなジ表情でカーディアルを睨むが、カーディアルは黙って悠然と椅子に腰掛けた。
「元々、カーディアル部門長は研究成果の実用化を前提とした応用研究に強い御関心をお持ちでしたから、大学の研究室はカーディアル部門長にとって必ずしも最適な環境ではなかったんですよ。当時、カーディアル部門長が所属されていたのは、基礎研究が中心の数理学研究室でしたしね。」
 キュエリが穏やかな口調で説明し、話題を戻す。
「だけど、本気で人工知能やロボットの研究をしたいなら、民間企業の研究開発部門でも良かったんじゃありません? この分野は大手企業も熱心だし、むしろそっちの方が設備も資金も人材も揃ってますよ?」
「今はそうだろうがな。」
 ジェイスの声に重ねるように、カーディアルがつまらなそうに吐き捨てた。
「民間企業の情報処理分野への関心が強まったのは、四次元定理の応用によってコンピュータの著しい性能向上がもたらされてからですから、カーディアル部門長が騎士団に入られた頃の民間研究機関の開発環境は今ほど整ってはいなかったんですよ。一方、王宮騎士団は、当時のリスティア団長が科学的な知識を有する専門家集団として改組しようとされていた時で、予算も国家戦略として重点配分がされていましたから研究資金も潤沢だったんです。リスティア団長自ら王立大学の優秀な学生や若手研究者に対して熱心に勧誘されていて、カーディアル部門長も直々に入団要請を受けてかなりの好条件を提示されたとか……。」
 そう言ってキュエリがにこりとカーディアルを見やる。
「かなりの好条件って、具体的には……?」
「当時、私が所属していた研究室の年間予算の三倍を月給として提示された。」
「……え? えっと、それってどれくらい?」
 ジェイスが指折り数えながら聞き返した。
「お前の給料の三十倍だ。」
「ええっ!?」
 ジェイスの驚嘆の声とともに、アスティも思わず目を丸くする。ジェイスの給料がどれくらいかは知らないが、決して安くはないのだろうし、その三十倍ということは即ち三十人分の給料に相当する額ということだ。それがカーディアル一人の給料になるわけだから、すごいことなのは間違いない。
「さすがに畏れ多くて半値で受けたがな。」
「半分でも俺の給料の十五倍……。」
 ジェイスが掠れた声で呟くと、カーディアルは忌々しげに顔をしかめた。
「言っておくが、今はそんなに貰ってないぞ。あの卑怯者が騎士団長になって予算が減らされたせいでな。」
「イニスさんのせいでカーディアルさんのお給料が減ってしまったんですか?」
 アスティが素朴な疑問を口にすると、キュエリが笑った。
「そうではないですよ。」
「あいつは政府に対して弱腰過ぎるんだ。政府の連中の減額要求をあっさり飲むなんて。」
 キュエリの否定を打ち消すように声を重ねて、カーディアルは苛立たしげに文句を口にする。
「昨今の財政状況を踏まえれば妥当な御判断だったのでは? それまでリスティア団長の下で認められていた騎士団の予算額は政府内でも突出していましたし、例え政府を説得して割り当てを維持できたとしても、それで議会の承認を得られたかどうか……。騎士団の予算だけが突出していれば、その分、批判も騎士団に集中するでしょうし、反政府勢力が騎士団を主たる攻撃対象として活動している現状ではやむを得ないこと……。」
「そもそも反政府勢力が騎士団を攻撃対象にしているのが、八割方あいつのせいなんだがな!」
 キュエリの説明を遮って、カーディアルが言い放つ。イニスのことを思い出したのが良くないのか、カーディアルの機嫌が明らかに段々と悪くなっていく。
「イニスさんは何か悪いことをしたんですか?」
「悪いことも何も、見てのとおりだ。黒い髪に黒い瞳。あの悪魔のような人相で、奴はすこぶる人気が悪い。」
 カーディアルは肩を竦めてそう言うと、椅子に座ったままくるりとアスティに背を向けた。
「カーディアル部門長。」
 キュエリが窘めるように厳しい声音をその背に向ける。
「私は事実を述べただけだ。」
「イニスさんは悪魔なんかじゃありません!」
 全く悪びれる様子のないカーディアルの態度に、アスティも思わず口を挟んだ。
「私は奴が悪魔だなどとは言っていないぞ。『悪魔のような人相』と言ったんだ。それも、私の評価ではなく世間の評価として説明しただけだ。」
「そういうの、屁理屈って言うんですよ。」
 カーディアルの反論に、ジェイスが呆れた表情で言い添える。
「屁理屈などではない。論理的に正確な説明だ! それに、今、問題になっているのは、あいつが悪魔かどうかなんてことじゃない。あいつが国民からそういう風に見られているということ、そういう風に見られる要素を持っているということだ。」
 カーディアルは苛立ちげに返してきたが、その口振りは妙に確信に満ちていて、アスティは思わず聞き返さずにはいられなかった。
「それは、どういう意味……ですか?」
「反政府勢力の連中は、イニスが実際にどういう人間かなんてことはもちろん、イニスが王宮騎士団長としてどんな仕事をしたかにも興味はない。自分たちの鬱憤を晴らすために都合の良い攻撃対象であれば何でも良いんだ。見た目が自分たちと違って不気味なこと、愛想がないこと、先代騎士団長の下で英才教育を受けたエリートで破格と言われる俸給を受けていること……自分たちと違うことがあれば、それは全て攻撃の理由になる。」
 カーディアルは落ち着いた口調で語り、その言葉が彼女の個人的な私憤によるものでないことは明らかだったが、それゆえに受け入れ難いものだ。
「そんなのおかしいです。みんなそれぞれ違うところがあるのは、みんな同じなのに。」
 アスティは両手の拳を握り締めて声を絞り出した。
「おかしくても、それが世間というものだ。攻撃されたくないなら、表に出ずに引っ込んでいればいい。あいつもさっさと職を辞して私に地位を譲れば良いのだ。私が騎士団長になれば、反政府の連中も私の美貌と優秀さの前にひざまずかざるを得なくなるはずだからな!」
 最後の一言を、カーディアルはいつもの自信に満ちた明るい口調で言い切ると、カッカッと高笑いする。アスティは、カーディアルの話に納得することも、彼女の冗談——なのか本気なのかよく分からないが——に笑うこともできなかった。ただ、それ以上問うなと言われていることだけは理解した。
「美貌……ねぇ?」
 ジェイスの笑みを含んだ呟きに、カーディアルがギロリと厳しい視線を向ける。
「何か言ったか、ジェイス。」
「いえ、何も。」
 ジェイスは不自然な笑顔を貼り付けて端的に答えた。カーディアルは不満げにジェイスを睨み付けたままだ。
 アスティが、二人のやりとりを複雑な気持ちで眺めていると、ポンッと誰かの手が肩に触れた。見上げると、ヨルンが困ったような笑顔を浮かべてアスティを見下ろしている。たぶん、ヨルンはアスティが何を思っているか分かっているのだろう。ヨルンだけではない。きっと、キュエリもジェイスも、そしてカーディアルも分かっている。だからもう、問う必要はない。今ここで問うことには、意味がない。
「クエッ!」
 キーロが鳴き、アスティは僅かに肩を竦めてヨルンに微笑み返した。
「……まあ、とにかく、あいつのせいで騎士団の予算は大幅減! このスパコンも二台買う予定が一台になってしまったというわけだ。全く、我々情報部門にとっては甚だしい損害だ!」
 カーディアルは大げさな身振りを交えて言い、コツコツと不満げに傍らの巨大な機械を甲で叩く。
「本当にそうですね。」
 穏やかな声でキュエリがカーディアルに同調した。予想外の反応にアスティが驚いてキュエリを見つめると、キュエリはカーディアルを睨み付けながらにっこりと微笑んだ。
「クローム議長の一人娘であるカーディアル部門長がもうちょっと上手く立ち回ってくださったら、予定どおり最新のスパコンを二台買うことができて、我々の仕事もいっそう効率よく進めることができたでしょうね。」
 そうカーディアルに告げたキュエリの表情は、確かに「笑顔」に見えたのだが、その目は明らかにカーディアルを睨んでいる。ジェイスが不安げに後ずさったが、カーディアルは動揺を見せずに鼻を鳴らした。
「ふんっ、私は親のコネで議会の神聖な議決を覆そうとするほど愚かではない。議長には議決権すらないしな。」
「あら。でも、カーディアル部門長がオーヴェルジーニ首相に暴言を吐いて喧嘩を売ったりしなければ、少なくとも政府内での予算の割り当てはもう少し良くなっていたと思いますよ。」
 キュエリの素早い返しに、カーディアルの顔が苦々しげに歪んだ。
「……あれは、あいつが先に挑発してきたんだ……。」
 オーヴェルジーニ首相と言えば、国王の執務室で対面し、ナウルが「なすびのような顔」と形容した小太りの男だ。少々気が短そうで、ナウルとも散々言い争っていたが、カーディアルと揉め事を起こしていたのだろうか。どちらに非があったのか、アスティには分からないけれど。
「くだらない挑発に乗る方が愚かなんです。強情なあなたに代わってイニス団長が頭を下げられなかったら、このスパコン一台さえ買えなくなっていたかもしれないんですから、私はむしろ、イニス団長に感謝すべきだと思いますけど。」
 キュエリが毅然としてカーティアルに言い放つと、不満げに顔をしかめたカーディアルの表情が急に不敵な笑みに変わった。
「……キュエリ。お前、今日はやけにイニスの肩ばかり持つじゃないか。」
 カーディアルは挑発的な口調でキュエリを見上げたが、キュエリは冷ややかにカーディアルを見下ろして口を開いた。
「カーディアル部門長がやたらにイニス団長を貶めるような御発言ばかりなさるからですよ。ヨルンやジェイスはともかく、事情を知らないアスティさんにカーディアル部門長の一方的な主張を吹き込んでイニス団長に対する誤解を与えては不公平でしょう?」
 キュエリが冷静に返すと、カーディアルはつまらなそうにアスティたちに背を向けた。
「……ふんっ、私は単に事実を述べただけだ。誤解をするのは誤解する奴が馬鹿だからだ。」
 そう悪態をつきながらも、声はどこか遠慮がちで、キュエリに対する挑発が失敗したことに気恥ずかしさを感じているのかもしれない。
「ごめんなさいね。カーディアル部門長はちょっと性格がひねくれてて。」
 キュエリが申し訳なさそうに微笑む。
「いやいや、あれは『ちょっと』じゃなくて『かなり』だから。」
 ジェイスが笑いながら付け足すと、ポコンと何かがジェイスの頭に投げつけられた。床に転がったそれを見れば、きゅしゃくしゃと丸められた紙屑らしい。
「……お前らうるさいぞっ! 仕事の邪魔だ、とっとと出て行け!」
 カーディアルがこちらに背を向けたまま叫ぶ。
「言われなくても出て行きますよ! ったく、引き留めたのは自分のくせに。」
 ジェイスの返しに、更なる紙礫が襲って来て、三人と一羽は慌てて中央監視室コントロール・ルームを後にした。

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