挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
51/61

第50話

 王宮を目指し、三人は再び例の賑やかな商店街を通り抜けることになった。商店街の入り口には「歩行者専用」の看板が出ていて、通りを行き交う人の数は格段に増え、昨日以上の賑わいである。
 人混みの先に、ジヴルとナディの店の看板が見えた。
「あっ、あかん。こっち行こか。」
 突然、ナウルがアスティの腕を引っ張って道路の反対側へ渡ろうとする。
「え? この先、ナウルさんのお家ですよ。寄って行かないんですか? せっかく近くまで来たのに。」
「行かん、行かん。」
 ナウルは人混みを縫いながら道の反対側へ渡る。車の通行が規制されているから、交通規則に厳しいイニスも文句を言わずについて来た。
「私、昨日頂いたパンの御礼を言いたかったんですけど……。」
 アスティは道の反対側の振り返りながら名残惜しげに呟く。
「そんくらい、俺が今度代わりに伝えといたるって。あそこは行く度にあれこれ押し付けて来るに決まっとるんやから、あんまりまめに通ったら毎日パンばかり食わなあかんようになってまうで。」
 ナウルが笑いながら言った。今朝食べたジヴルとナディの店のパンはとても美味しかったから、毎日食べられるならむしろアスティもキーロも大喜びなのだが、確かに、昨日の今日でまた大量のお土産を頂いてしまうのは気が引ける。今度はきちんと代金を払って買うつもりだけれど、昨日の勢いだと、何となく押し切られて大サービスを受けてしまいそうだ。あるいは、またしてもイニスやナウルが代わりに払うなどと言い出すかもしれない。
 もっとも、ナウルが実家に立ち寄ることを拒むのは、単にナディと顔を合わせて叱られることを恐れているからではないかとは思うのだが。
「それにほれ、せっかくや言うんやったら、やっぱり昨日とは違う店を見た方がええと思わへん? 昨日は他の店は見られへんかったやろ? 向こうにかわええ雑貨屋もあるんやで!」
 ナウルは早く実家から離れたいのか、足早に先を歩いて行き、仕方なく、アスティもイニスと共にナウルの後を追いかける。
 ナウルの案内で、アスティたちは花屋や雑貨屋、王都の自慢の科学技術を集めた不思議な機械を売る店などを次々と覗きながら商店街を進んだ。
「どうや、面白い店いっぱいあったやろ?」
 先頭を行くナウルが振り返り、笑顔でアスティに問う。
「はい、とっても!」
 アスティも笑顔で答えると、ナウルは満足げに頷き、再び正面に向き直って得意げに語り始めた。
「この商店街は王都でも最も賑やかな通りやねんで。店の種類の多いし、王都の住民の日用の糧はもちろん、エウレール中、いや世界中の珍しいもんを売る店が揃っとってなあ……!」
 ナウルの解説に耳を傾けつつ、アスティは通りに並んだ店の中を覗きながら歩く。入り口に掛かった色鮮やかな看板や様々な商品が飾られたガラスの小窓が可愛らしい店もあれば、扉も壁を取り払って所狭しと商品を並べた店もあり、ホログラムの技術が使われているのか店頭の展示品が瞬く間に次々と形を変える店まであった。アスティは商品を一軒ごとに佇まいの異なる店先を眺めているだけでもわくわくしてまう。
 ふと、アスティはガラス張りの店の前で足を止めた。
 通りに面したガラスの壁の向こうにアスティが見つけたのは、一着の青いドレスだった。
 艶やかな生地は、光の当たる角度によって柔らかな輝きを放っている。緩いひだの付いたスカートはふんわりと広がり、裾には小さな花を模したレースが付いている。襟周りには細かな花の刺繍が施され、肩口はふんわりと膨らんでいる。単一の生地素材で仕立てられたそのドレスは、絵本に出てきたお姫様の華やかなドレスに比べると少々地味ではあったが、上品さを感じさせる可愛らしいワンピースだった。
 しかし、アスティがその青いドレスに惹かれたのは、何よりも、その青の鮮やかさゆえだ。澄んだ青空と同じ色の服を、アスティは生まれて初めて見た。東の森には、布をこのような鮮やかな青に染められる染料がなく、布は大概、潰した花や木の実の汁で、赤や緑に染められた。青い花や青っぽい色を出す植物の根はあったが、それを染料として使うと、布はやや濁った黒っぽい色に染まり、澄んだ青空のような鮮やかな色は出ない。
 それに何より、森の民には、服を青く染めるという発想がなかった。空の青は神の国の色であり、それは黒と同じく死者の色と理解されていたからだ。
「綺麗……。」
 アスティはぼんやりとしたまま歩み寄り、ガラス越しに青い服を見つめる。
「どうした?」
 独り遅れたアスティに気付き、イニスが振り返って声を掛けてきた。
「あ、すみません。素敵なお洋服だと思って……。」
 アスティは振り返って答えると、イニスが歩み寄って来てアスティの背後から店の中を覗き込んだ。
「この青いのか?」
「はい、こんなに鮮やかな青の服、初めて見ました。」
 イニスの問いに、アスティは微笑んで答える。
「ああ、青色染料は輸入鉱石から生成されるからな。東の森にはないか。」
 イニスが納得したように呟いた。
「輸入鉱石? 王都では珍しいものではないんですか?」
「このドレスに使われているような青色染料は外国で採れる特殊な石から作られているんだ。エウレールの国内で産出されないって意味では珍しいかもしれないが、大量に産出している国があるから、エウレールにも安定的に輸入されてる。特別高価なものではないよ。今は、東の森で採れる植物から抽出した天然染料の方がよっぽど貴重だし、高価なんじゃないか?」
 イニスの説明を、アスティは感心しながら聞いた。植物のように潰して汁が出るわけでもない石で布を染めると言うのは信じ難い話だが、王都の科学技術をもってすれば難しいことではないのだろうか。
 いや、それよりも、青い染料の元となる石なら、やはりそれは青い色をしているのだろうか。目の前のドレスのように澄んだ空色をしているのだろうか。そんな石があるのなら、ぜひとも一度見てみたい。きっと目の前のドレスと同じくらい素敵な石に違いない。
「なんや、なんや、どないしたん!?」
 アスティとイニスが立ち止まったことに気付かず、独り得意げに語りながら先へ進んでいたナウルが慌ただしく戻って来た。
「すみません、素敵なお洋服が目に入ったので、つい……。」
 アスティが苦笑しながら答えると、ナウルはニッと笑みを浮かべる。
「おお、こらなかなか可愛いドレスやね! ほな、ちょっとこの店も覗いて見よか!」
 ナウルはアスティの腕を掴み、店へ入って行こうとする。
「え? あ、でも、別に服を買うつもりは……。」
「ええやん、ええやん! 見るだけならタダなんやし。奥にはもっと可愛いドレスがあるかもしれへんで!」
 そう言うと、ナウルは機嫌よく跳ね、アスティの腕を掴んだまま店の中へと飛び込んだ。イニスも呆れたような表情でため息を吐き、二人の後に続いて店内へ入る。
「いらっしゃいませ。」
 店の奥から黒縁の眼鏡を掛けた初老の男が現れ、アスティたちを迎えた。どうやらこの店の店主らしい。
「おや……イニス騎士団長ではございませんか。」
 老店主がイニスの姿を目に留めてイニスの名前を呼んだ瞬間、アスティは、またしても冷ややかな視線を向けられるのかと思って身構えたが、予想に反し、老店主はにこやかな笑顔を保ったまま、恭しくイニスに頭を下げた。アスティは戸惑いながらも安堵し、老店主を見つめる。
「本日はお嬢さんのドレスをお探しですか?」
 老店主は柔和な笑顔をアスティに向けた。
「あ、えっと、あの、外から素敵な服が見えたので、ちょっと……。」
 ——見せてもらいたいだけです、と言っていいものかどうか迷い、アスティは縮こまったが、老店主は嬉しそうに大きく頷いた。
「なるほど、なるほど。確かに、当店のドレスは王室からも御用命いただく一級品ですから、もちろん素敵なものばかりですとも! どうぞ奥までじっくり御覧になってください。いずれも当店の選任デザイナーがデザインし、熟練の職人によって丁寧に仕立てられた一点ものでございますから!」
 老店主はアスティの躊躇いなど気にも留めず、張りのある声で高らかに歌い上げ、アスティを店の奥へと導く。老店主の説明に、アスティは彼がイニスに対して特段の敵意を持ってはいないことに納得した。王室——この店は女性用のドレスを売っているようだから特にユミリエールがこの店の顧客であるなら、その護衛をしているイニスとも面識があるのかもしれない。
 王都の人々全てがイニスを嫌っているわけではない——そんな当たり前のことを思い出して、アスティは改めて安堵する。
「ふぅん……確かに、そこそこええもん置いとるようやね。」
 ナウルが店内を見渡しながら呟き、アスティも緊張しながら店内をぐるりと眺めた。
 店の中には色とりどりのドレスを着た人形がいくつも立っていて、壁際にはハンガーに掛かったドレスが所狭しと吊されている。赤、青、黄色、緑に紫、金銀に輝くドレスもあって、店内は目眩がするほど鮮やかな色に溢れていた。シンプルな白のドレスでさえ、幾重にも重ねられたレースや艶やかな生地が上品な華やかさを放っている。
「お好きなお色やスタイルはございますか?」
 老店主がにこにことしながらアスティに声を掛ける。
「アスティちゃんには、マリイヤ色とか明るい元気な色が似合うはずやで!」
 アスティが答えるよりも早く、ナウルが口を挟んだ。
「ほらっ、これとか……ああ、これなんかもええんちゃう?」
 ナウルは店の奥に掛かっていたドレスを手に取り、アスティを振り返る。ナウルの手にしたドレスはとても美味しそうなマリイヤ色で、大きく広がった裾は緩やかな襞を作りつつ、裾に向かって濃いマリイヤ色から黄色へと美しいグラデーションになっていた。金糸の刺繍が施され、幾重にもレースを重ねた真っ赤な花飾りも複数散らされていて、間違いなく華やかで……派手だ。
「そ、そうですね……。」
 アスティは苦笑いを浮かべながらナウルに答えた。
「んー、いまいちやろか? ……なあ、何かもっとあっと驚くような豪華な奴ない?」
 ナウルは勧めたドレスを眼前に掲げ、改めて吟味するように睨みながら老店主に問う。アスティとしては、ナウルの手にしているドレスは十分過ぎるほど豪華で、もう少し地味な方が良いという意味での苦笑いだったのだが、ナウルには正反対に解釈されたらしい。訂正しようかとも思ったが、ナウルは既に老店主と共に「より豪華なドレス」を探そうと盛り上がっている。いずれにしても、今日は見るだけでドレスを買うつもりはないのだから、放っておいても構わないだろう。
 アスティは、老店主が勧める華やかなドレスを「地味過ぎや!」と言って一蹴するナウルの様子に苦笑いを浮かべつつ、店の入り口を振り返った。
 店内のドレスはいずれも色鮮やかで美しいが、やはり気になるのは最初に目を留めた青いドレスだ。
 ——やっぱり、綺麗……。
 後ろから見ると腰のところで大きなリボンがゆったりと結ばれていて、尚更可愛らしく思えた。
「その青いのが気に入ったのか?」
「え?」
 ぼんやりと青いドレスを眺めていたアスティは、イニスの声に振り返った。
「気に入ったと言うか、森では見ない色の服なのでちょっと気になって……。王都の人は生きている人でも青い色を身に付けるんですね?」
 アスティが問うと、イニスは怪訝そうに首を傾げる。その反応に、どうやら王都では青を身に付けることは特別なことではないらしいと理解して、アスティは説明した。
「東の森では、青は神様のいる空の色だから、黒と同じ死者の色なんです。生きている人が身に付けるのが死者を送る儀式の時の司祭くらいで……。」
 言いながら、アスティは、イニスが身に付けているどころか、イニス自身の髪や瞳の色である黒を死者の色と括ったことは失礼だったろうかと不安になる。
「王都でも黒は死を連想させる色として葬儀の際の礼服に使われるが、青とは明確に区別されているよ。」
 イニスはアスティの不安に特段の反応を示すことなく端的に答え、アスティは再び青いドレスに目を向けた。
 東の森で何度も見上げた澄んだ青空の色はとても美しいが、それ故に神の色であり、死者の色だ。生きている身でその色を纏うことは禁忌であり、祖父のムリクが生きていれば決して許してはくれないだろう。しかし、ムリクはもはやこの世の者でなく、アスティがどんな服を着ようとムリクに叱られることはあり得ない。それに何より、ここは東の森とは異なる文化を持つ王都なのだ。
 王都の人々は青色を死者の色とは見なさず、鮮やかな青は、死の色である黒とは「明確に区別されている」。実際に、目の前の鮮やかな青空色のドレスは、東の森で黒と同じとされていたくすんだ青とは別の色にも見える。
 それどころか、王都の人々は「黒」の服さえ躊躇いなく身に纏うのだ。イニスたち王宮騎士団の制服はもとより、道を行き交う人々の中にも黒い服を着た人を見つけたし、この店の奥にも真っ黒のドレスが飾ってある。
 だから、ここ王都でなら自分も青色を身に纏うことを許されるのではないか——そんな考えが脳裏に浮かび、アスティはそわそわと落ち着かない気持ちになった。
「ああ、お嬢さんはその青いドレスが気になりますか?」
 店の奥でナウルと共に豪華なドレスを探していた老店主が、再びアスティに近付いてきて声を掛けた。
「当店で取り扱っているドレスの中ではお安い方ですが、質はいいものですよ。」
「……おいくらなんですか?」
 老店主の「お安い方」という言葉につられて、思わずアスティは尋ねてしまった。ドレスを買うつもりで店に入ったわけではないけれど、王都での物の値段を確認しておくことはこの先の生活に必要だろう。それに、本当に店主の言うように安いものならば、アスティの所持金で買うこともできるかも——いや、決して買うつもりがあるというわけではないのだけれど。
「お値段はそこの札に書いてあるとおりですが、そうですね、イニス騎士団長のお連れ様なら特別価格の八掛けで……こちらの価格で結構ですよ!」
 老店主はポケットから小さな機械を取り出すと、数字の書かれたボタンを素早く叩き、アスティの眼前に掲げた。
「一、十、百……えっと……。」
 小さな機械に表示された数字の桁数を声に出して数えながら、アスティは老店主の言う「安い」がアスティが思うほど安くはないことを理解した。示された金額は、お昼にお好み焼き店でイニスが支払った額よりも大きい。アスティは現在の自分の所持金を正確に把握してはいないが、たぶん、確実に、間違いなく、腰に下げた袋の中の硬貨を全て足してもこの金額には達しないだろう。
「ね、お買い得でしょう?」
 老店主は小さな機械をポケットにしまいながら微笑み、アスティも何とか笑みを返したが、老店主の言葉に頷くことはできなかった。
「お嬢様の背格好ならサイズはこちらで問題ないと思いますが、御試着なさいますか?」
 老店主が青いドレスの裾をめくってタグを確認しながらアスティに問う。
「い、いえ、いいです! 今日はやめておきます!」
 アスティは慌てて両手を振った。生まれて初めて見る鮮やかな青の服は魅力的だが、お金がなければどうしようもない。
「遠慮せんでええんよ? 気になる服があるんやったら、ちょっと試しに着せてもらったらええねん! でもまあ、どうせ着るならそんな安っぽいのやのうて、やっぱりこっちの天然素材のドレスの方がええと思うけど。」
 そう言うナウルが手にしているのは、最初にアスティに勧めてきたマリイヤ色のドレスだ。これ以上に豪華なドレスは見つからなかったのか、どうやらこのドレスがナウルの一番のお勧めらしい。
「最近の王都の服は安っぽい人工繊維を人工染料で染めたもんばかりでいまいちやねんけど、これは生地も天然のシルクやし、貴重な天然染料で染めとるから落ち着いた風合いでめっちゃええやろ?」
 ナウルは当然のように同意を求めてくるが、アスティの目には色鮮やかなマリイヤ色のドレスよりも店頭の空色のドレスの方がずっと落ち着いているように見えた。素材以前に、色とデザインの問題なのだろうけれど。
「仰るとおり、そちらの商品は私も自信を持ってお勧めできる最高級品のドレスでございます。ここまで徹底的に天然素材にこだわったドレスはそうそうございません。」
 老店主が言い添えて、ナウルは「そやろ、そやろ!」と納得の様子で頷いた。
「なぁ、せっかくの機会なんやから試着だけでもしてみぃひん? 絶対に似合うはずやで!」
 ナウルは熱心に勧めてくるが、どうせ着るならマリイヤ色のドレスよりも空色のドレスの方を着てみたい。そう思いながらアスティはちらりと背後の空色のドレスを振り返ったが、いずれにしても、アスティにドレスを買うお金はない。
 熱心に勧めてくれるナウルには申し訳ないが、その勢いに乗せられてドレスを試着してしまったら最後、そのままそれを買うことになってしまいそうなのが恐ろしい。それに、もし空色のドレスを着てサイズがぴったりだったら、アスティ自身、いっそう空色のドレスが欲しくなってしまうかもしれない。それはそれで、とても辛い。
「こちらのドレス、夕日をイメージしてデザインされているのですが、実はお色違いで朝日をイメージしたドレスもあるんですよ。それがこちらの白いお花の付いたドレスでして……華やかさでは赤いお花のドレスに敵いませんが、快活な印象で、お嬢様にはこちらのドレスもよくお似合いになるかと。もちろん、いずれも天然素材でお仕立てしておりますよ。」
 老店主が別のドレスを引っ張り出してきた。基本的なデザインはナウルが勧めてきたマリイヤ色のドレスと同じで、飾りの花が赤から白に変わっただけのようだが、確かに少し落ち着いた印象にはなっている。
「うーん、確かにアスティちゃんのイメージは夕日より朝日なんやけどぉー、白い花はちょっと物足りん気がするっちゅか、やっぱり赤い花の方が豪華でええような気がするような、しないような……うーん。」
 ナウルが朝日のドレスと夕日のドレスを見比べながら呟く。
「なあ、アスティちゃんはどっちがええ?」
 ナウルが振り返って問い、アスティは答えに躊躇う。
「え、えっと……。」
 どちらかと言えば、朝日をイメージしたドレスの方が良い気はするが、そう答えてしまうとそれを買うことになってしまいそうな予感がした。
「夕日……。」
 不意に、ぽつりとイニスが呟いた。
「なんや、お前の意見は聞いてへんで、イニス。」
 ナウルがむすっとした表情でイニスを睨む。
「ドレスの話じゃない。陽がだいぶ傾いて来てる。とっとと帰らないと夕飯に遅れるぞ。」
 イニスは店の外を指さしながら言った。確かに店の外から射し込む光は赤みを帯びて、街は夕焼け色に染まっている。
「ええやん、夕飯がちょっとくらい遅うなったって。俺は今、アスティちゃんにどっちのドレスを買うたるか真剣に悩んどるんやで!」
 先ほどまで「ちょっと着てみる」だけだったはずなのに、いつの間にかドレスを「買う」ことになっている。口振りからするとナウルがアスティにドレスを買ってくれるようだが、ナウルは先ほどソフトクリームを買って今月の給料を使い切ってしまったのではなかったか。もしかしたらナウルはまたもイニスに立て替えさせようと算段しているのかもしれないが、その作戦に乗るのはアスティとしてはあまりにも申し訳ないし、「贅沢」だとも思う。
 ドレスを買うことを悪いこととは思わないけれど、どうせ買うなら自分が本当に気に入ったものを買って、きちんと着こなしたい。そうでなければ、せっかくの高価なドレスも無駄になってしまう。嫌々着るのではドレスを作ってくれた人にも失礼だろう。
「あの……。」
 アスティは意を決してナウルに声を掛けた。
「ナウルさん、やっぱり私、今日はドレスは買いません。素敵な服がたくさんあることは分かったので、じっくり考えて、どうしても欲しいって思ったら日を改めて買いに来ます。」
 アスティがはっきりとそう言い切ると、ナウルはきょとんとしてぱちぱちと瞬きをした後、困ったように頭を掻いた。
「うーん……まあ、アスティちゃんがそう言うんやったら……。」
 ナウルは名残惜しそうに自ら選んだマリイヤ色のドレスを見つめる。
「今すぐ決めかねると言うことなら、そうなさるのがよろしいかもしれませんね。来月には新作も入荷予定ですから、ぜひまた改めて御来店くださいませ。」
 老店主が微笑み、アスティも素直に頷いて微笑み返した。

最新の執筆状況(更新予定)等はTwitter(@ayaki_ryu)で呟いています。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ